※ 清水潔子マネの過去捏造


 ただ、頑張ってほしい、と真摯に願うことはきっと邪な考えではないだろう。そう思う。けれど、周りがそれを手放しに許してくれるかどうかは、それは自分ではなくて周りの判断なのだから何とも言えない。そう、目立たないように、誰からも許されるようにずっと、そうやって、少なくともこの高校時代はやってきたはずだったというのに。潔子の思いはこんなところでくだらなくも、儚くも打ち砕かれてしまって。チヤホヤされるのが嬉しいと思っていない以上は、苦痛なこの状態に身を浸かったままで。けれど無意味に、見た目以外の自分の何を知るのだろうと思う輩が彼女に言いよってくる様は日常茶飯事で、あまりに周りの目を引いた。そんなことなど望んでも願ってもいないというのに。
 ただ、近頃ノッてきたバレー部の面々と、その動きや試合の流れを見てしまえば応援することがバカバカしいことなんかじゃないと分かる。応援で声を出すことは無意味じゃない。だって、彼らはつないでくれる。ラリーを続けて、ただひたすらに、上手いとか下手だとか、そういう要素なんて関係なく。ただ、勝利への執念を燃やしているというだけのこと。それが、今までの烏野を変える可能性もあるだろうということ。しかも、それはただの直感に過ぎなくて。なんの約束や裏付けもなくて。でも、信じられる唯一の何かだと思った。それは、清水潔子と顧問武田の間では言葉にしなくても分かる事実だった。二人の間の共通意識はあったが、二人の違いはそれを表せるかどうかだけのもの。武田は現代語教員ということもあり、かつ、ポエマーなので言葉を操るのは上手い。多少寒いところがあるけれど。だが、言葉にして発信し伝えることはできる。対して、潔子はまったくダメだ。人と必要以上に話すことも不得手で、スポーツも嫌いではないから昔から何らかのスポーツをやってきたけれど、チームワークとかそういったものが苦手で、馴染めなかった。競技は好きだけれど、どちらかといえば球技が好きな彼女は、どうしてもチームプレイが主になるのだった。

 昔から一人でいるのが好きだった。それは会話が得意じゃないとか、そういう元々の性格が元だったのだと思う。だが、男は昔からよく寄ってきた。小さい頃、痴漢のおじさんが体を触ってきた。もちろんそれ以上のことをされたことはないが、痴漢は珍しくなかった。昔はそれを不思議にも思わなかった。ただ、どうして触るんだろうと思っていただけだった。それが気持ち悪いことだと思うようになったのは、少し大きくなってからだ。嫌だな、と感じたので母親に聞いたのだ。
「どうして、知らないおじさんがわたしのこと、さわるの?」と。
 その時の母の様子は尋常じゃなくて、鳥肌が立った。言葉は、人を変えてしまうのかと怖くなった。言葉は選ばなければならない。だが、潔子は語彙の豊富な子供ではなかった。元より話すのが得意ではなかったが、余計に苦手になった。言葉を間違えてしまうと、それは事が大きくなってしまうことなのだ。母はそこまで気にしていない娘をよそに、「大丈夫?」とか「いつ?どんな人?」とか大騒ぎをしだした。それが怖かった。そんな反応をするなどと思わなかった。ただ単に、もっと素直な気持ちで聞いたのに。怒るよりも怖い顔をして母は。さわる理由を知りたかった、それだけなのに。
 人に言う言葉は選ばなければならない。それを知った瞬間だった。また、間違ったらどうなるのか。それもまた、同時に学んだのだった。そこから潔子は暗示にかかってしまった。間違えてはならない、という自己暗示。選び続ける言葉は、疲れからかさらにうまく発せなくなっていった。気持ちは内側に向き、だが、それが体を動かすことにつながり、己を高めることにもつながった。声を発さなくても、痴漢の手を振り払うことはできるのだ。嫌なものは自分から遠ざければいい。嫌でないのならば、不幸にはならないはずなのだ。そんな思いからか、清水潔子はどこか冷めた少女と育っていったのだった。

 そんな潔子なので、今の烏野男子バレー部の様子はとても微笑ましい。眩しいとすら感じるほどの熱血と、日々繰り返される練習という積み重ね。そして三年である潔子にも分かる、「これから」がかかる重圧の中で、高みを目指すことと近い将来への不安との板挟みが、苦しくともいやであっても、どこか心地よい。今年の二年は、来年の三年で、きっと今の自分のような気持ちを理解できるようになるだろう。今の一年は来年の二年で、ひたすら部活を頑張る、頑張れる空気に身を浸し高校生活を懸命に謳歌するだろう。意味があるのは、自分なりに楽しめたり、大変だったり、苦しんだり、悩んだり、そんな中でも成長を感じたり、仲間を増やしたり、ケンカしたり、笑ったり、泣いたり。そういうことのすべてに意味なんて必要なくて。ただ言葉にはできないけれど、糧になっていくのだろうと、そんなことを遠い未来に感じられるような、ただバカみたいに正直で楽しめる、そんな生活を。だからこそ、部活に素直に打ち込める彼らの様子がとても素敵だと感じる。それを応援したい。けれど、それを真っ直ぐに表すには、今までの培ってきたいろいろなもの、特に照れとかそういったものを捨て去らなければならなかった。簡単に捨てることのできない、要らないそれはずぅっと潔子の中にあって。部員のみんなに笑みすら向けてやれないままだったけれど。
「が……がんばれ」
 この一言にすべてを乗っけて。きっと彼らへと届け。いつか、もっと素直に応援できるようになるから。


14.08.31
清水マネージャーの「がんばれ」に込められた思いを綴ってみました。違うってかぁ?w

原作では一年マネージャー登場みたいなので、そのキャラも気になって、楽しみにしてますw
とりあえず主役は一年なのだし。長いマンガになりそうだね。でも二年、三年のメンツのが好きなので、そっちのネタばっかですすみませ。。。


でも、スポ根ってとこに「わーい!」ってなっただけなので、特にハイキュー自体にはまだ思い入れがないです。あとはアニメの展開次第かな。一年組好きならはまれるんだろうけど。

2014/08/31 11:21:36