大切に抱き締めていたもの全て指の間から溢れ落ちていくんですM


「サボりかな」
 神崎が取り巻きに囲まれながらもぼんやりした表情で呟いた。城山にしか聞こえない声だったろう。その日はもう昼を過ぎていた。神崎を見つめる瞳が一人分足りない。神崎を冷静に、だが温かく見守る目が、一人分。
 夏目。無断欠席ぐらい、この不良が蔓延る石矢魔高校では特に気にする問題ではないが、それは生徒としての話だ。友人関係内ではメールぐらいはよこすものだ。急に休むなんてことは当たり前にあることだ。つるんで休むことだって珍しくない。学校なんて最低限レベルでいい。神崎がそんなことを考えていると、授業中だというのに早乙女が急に勢いよく教室に乱入してきた。音がデカすぎてみんな一斉に音の方を見た。
「相変わらず頭おかしいよな」
 姫川のボソッとつぶやく声がみんなの耳に、もちろん早乙女本人の耳にも入る。だがそんな言葉など早乙女のハートに響くはずもなく。城山はふと気づく。キョロキョロしていた視線がこちらのら方向でピタリと止まる。
「神崎さん、あれ…神崎さんのほうを見てるんじゃないですかね」
 率直な意見だった。え、と短く声を発しながら神崎も早乙女を見ている。あれよあれよという間に、早乙女は神崎の目の前に来ていた。低い声でいう。「いくぞ」唐突すぎて理解ができず誰もが声を出さずに成り行きを見守る。早乙女の表情は真剣そうである。早乙女は神崎の腕を引っ掴んで立ち上がらせる。神崎はつんのめりながら立ち上がり、よたつきながら走る。というより、無理やり走らされられる。慌ててその後を城山が追い立ち上がる。神崎は叫ぶように言った。
「っざけんな、早乙女! 何があったかいえ!」
「話は移動しながらだ! さっさとしやがれクソッタレ」
 有無を言わさぬ様子は、緊急性を感じさせる。二人と城山はバタバタと教室を、学校を後にして走り去ってしまった。授業中の教師は声を出せずその一部始終をボヤ〜っと見ているだけで終わってしまった。嵐が去ってしまったようだった。
 外から少しだけ見ると分かる。神崎の様子を見ているのは別棟の一年も含めた、すべての学年が窓から身を乗り出してその様子を見ていた。それはどこか仕組まれたようでおかしな光景だった。走りながら思わず城山が聞く。
「あれ何ですか」
「教室を間違えっちまったんだよクソッタレ」
「見世物になってるじゃないですか!」
「…ンでもイイから早く理由! いえッ!」
「夏目のこった! さっき、学校に電話があって事故ったってよ!」
「!!」
「目指すは………病院だ!」
 三人は目指す場所を知って、足を早めた。だから夏目は登校しなかったのだ。否、できなかったのだ。



**********



「夏目!」
 静かにしろと言われながら走って辿り着いたところにいた夏目の姿は、
「ん、」
 病院の入院着を着せられていたけれど、いつもと何ら変わらずごく普通で。事故のすぐ後だなんて信じられないなと思っていたら、腕に巻いている包帯を認識した。命に別条なし。腕にケガあり。その程度のことですんで本当によかったと、そう思うばかりで気持ちだけが先走る。テンションの上がり方はそれでも、なかなか止めようがなくてどこか独りよがりになってしまったのかもしれない。けれど、神崎としても、まさか。



「………どちら様、ですか? 申し訳ない、けれど…」



 こんな言葉を投げかけられるだなんて、誰も予想していないだろう。言われた時、神崎はその意味は理解できた。だが、聞いた途端に頭がまっしろになる。それは当たり前のことだ。意味は理解できるけれど、矛盾しているかもしれないが、理解はできない。夏目の表情は何かに恐れるみたいにこわばっていた。それはなぜなのか、今、言われた言葉があまりに痛くて苦しい。ズキズキとした。どこが痛いと感じたのか、わからないけれど。
 堪らず、神崎は夏目?の両肩を押さえ揺さぶっていた。揺さぶられるたびにカクカクと顎を揺らしながら、ただ困惑の色を浮かべる夏目?はいつもと遜色ない、ただの夏目でしかなかった。なのに、神崎を見てもその困惑が変わらない。そんな、別の人に成り下がっていた。呼びかけても、困惑したままだ。挙句に謝った。「ごめんなさい」と。悪くも何ともないのに。神崎は、それがとても悲しくて、やるせない気持ちになった。城山と早乙女は黙ったままだった。神崎はさんざん夏目の態度を見てから、ようやく城山と早乙女がいるほうに振り返った。目で「まじで?」と訴えかけていた。老け顔だが子供だ。
「ケガは、手をついたとこひねった、ぐれぇらしいんだけどよ。記憶障害、っつーのか……てめえの名前も憶えてねぇんだとよ」
「び、ビビったじゃねぇかぁ! そういうことは先にいえよ!」
 不安そうに困った顔をする夏目のことをほおっておくのは、神崎のポリシーに反する。それ以上は何も言わずに病室から飛び出した。慌てて向かった先は、とりあえずナースステーション。そこに入っていくと看護師たちがたじろいでどよめきが生まれた。それはそうだ、神崎はどう見てもガラの悪い不良だからだ。だが、内容は単純明快。
「夏目の、忘れちまった記憶を取り戻す方法を教えろ…!」
 ちゃんと話を聞いてみると、ただの友達思いのやさしい少年といったところか。よく見ると着崩した学生服が年若さを物語っている。後から来た城山と早乙女の存在は、それでも再びの驚きに値するもので、神崎すら普通の男子高生に見えるという、実にあり得ぬ有様。だが、看護師というのは肝の据わった職業だった。少しおばさん看護師さんが出て来て、
「先生が来ますからお待ちください。今はほかの病室に回ってますから、声をかけておきます」と一喝すると、神崎ら含めたみんなのどよめきすら収まった。渋々神崎たちは病室に舞い戻っていった。変わらず、冴えない顔で夏目は座っていた。
「…あ、さっきの……。ええと、そのう、…こんにちは」
 憶えていないということは、過去がないということだ。夏目はどうすればいいか分からずにただおろおろしているだけなのだ。大きく息を吐き出しながら、神崎はお構いなしにベッドの脇のほうに腰掛けた。
「まじか。まじで俺のことも憶えてねえのか」
「ごめんなさい……。僕は、ぜんぜん思い出せないんです…。さっき、お母さんには会ったんですけど、母さんだよっていわれれば、そうだよなぁって……全部、そんな感じなんです」
「うわあ、“僕”とかいっちゃったよ……、キャラ違いすぎて気持ち悪ぃ…」
「ごめんなさい…」
「謝るなって。おめーが悪ぃんじゃねえ」
 あの飄々としたキャラがなりをひそめて、夏目はどこかにいってしまったみたいだ。別の人になり代わってしまった夏目。神崎はそんな印象を受けた。記憶喪失になるだなんてマンガの中のご都合主義の手前勝手な設定なんだと思っていた。まさか、現実にこんなことになるだなんて思いもよらなかった。神崎、城山、早乙女がそれぞれ自己紹介をしなきゃならないことが、なぜか悔しかった。
 そんなこんなで病室でグダグダしていると、頼りなさそうな医師がやってきて夏目の件について的確に説明してくれた。内容としてはこうだ。「事故のケガについては、軽い捻挫程度のもので問題はない。だが、頭などをうっている可能性があるので、調べるために今日は検査入院させる。明日には退院してもよい。記憶障害については、一時的な事故のショックと考えられるため、何かのきっかけで思い出す可能性は高い。ストレス性などの記憶障害の可能性をこれから調べる。調べた上でこれからの行動が変わるため、いまは何ともいえない。明日伝えられると思うので、まずは明日まで待ってほしい」答えにならない不確かなものだった。神崎は唸りながら頭を抱えた。
「僕は神崎くんと、仲が良かったんですよね」
「え、ああ……」
「なら、僕は神崎くんにお世話になるしかないですね。学校とか、遊んでいたところに行けば、何か思い出すかもしれないし」
 不安そうな様子は隠せない。だが、夏目はどこまでも前向きだった。それは仲の良い神崎らが来たからだという。そんな素直な気持ちに触れて、神崎はどこかくすぐったかった。
「あのなあ、ンな堅ぇこといってんじゃねーよ! ったりめーだろ、ダチじゃねえか」
 握り拳をつくってポン、とやる。弱くパンチをする感じだ。本来なら背中を思いっきり叩いてやるだろうけれど、さすがに慣れていない状況でそれはやめておいた。大丈夫だと思ってほしい。ただそれだけの気持ちでいっぱいだ。本当のピンチならば助けてやるというのがダチだろう。明日は病院まで迎えに来るので、朝は遅刻するかもしれないと神崎と城山が、珍しく早乙女に頭を下げつつその日はできることがなく、帰路についた。神崎の頭の中は夏目の失った記憶を取り戻すためにどこにどういうふうに行こうかと、そればかりを思った。帰ったらケータイで調べてみようか。だが、夏目自体は無事そうだったのでそこまで後ろ向きな思いではなかった。それが救いだ。



************


 次の日。昨日いったとおり神崎と城山は連れ立って病院へ向かった。その途中、家が近いので由加のオレンジ頭と、そこに付けた大きな花の髪飾りがトレードマークだ。もはや反射のように神崎は声をかけた。
「パー子っ!」
「あ、神崎先輩……と、城山先輩。おはよッス」
 冴えない挨拶とともに、随分早い時間に行くものだなと声を掛ける。そういえば、と昨日早乙女と一緒に校門から出て行く様を見たことを由加は告げる。自ずと夏目のケガ、そして記憶障害についての話にまで辿り着く。そういうことだったのか、と由加は納得しつつも神崎の顔をまじまじと見るのはやはり辛かった。ここひと月ほど話をしていなかったのもあり、この間の由加自身の態度のこともあり、やりづらくてかなわない。城山はそれを察して心配そうな視線を向けて来ることに気づいていたが、神崎はどこまでもにぶい。まったく気づかないようで態度もいつもと変わらない。だが、そんなところも含めてきっと。由加はそんなことを、ふとした時に思ってしまう。それが胸を痛めることに、神崎は気づいていない。そんな乙女心とでと呼ぶべきものを理解できない彼のことを思う。
「先輩、すまねッス。いまから姐さん引き戻し作戦の集会なんッス。あとで夏目先輩の顔見にいくッスよ」
「あ、おお。悪ぃ、引き止めちまったか。んじゃ後でな」
 由加と神崎はそこで分かれた。ふと気づく。すっかり忘れていたが、この間ちょっと気まずい別れ方をしていたはずだ。だが、もうそんなことはどうでもよくなっていたのだ。今回の夏目の件について、由加のことを巻き込んでやろうと、その場で目論んでいたのだった。それで気まずいことなんて吹き飛んでしまうだろう。神崎は病院への道を早歩きしながらそんなことを思った。

 病院へ向かい、昨日の先生へ話を聞いた。脳にも脳波にも異常はないという。あとはいつもどおりの日々を過ごしているうちに、あるいは、思い出深いものを見ているうちに思い出すこともあるだろうということだった。三人で病院を出た。夏目の母はパート勤務前に顔を出したということで、支払いなどは済ませていったという。
「僕たち、いつもこんな感じなの?」
「こんな感じって?」
「ああ、俺たちはいつも神崎さん、夏目、俺と三人でつるんでいた。こんな感じだと思う」
「そう、なのか…。僕と、神崎くんと、城山くん。僕たちは本当に仲良しだったんだね。でも」
 続く言葉は分かっていた。またも夏目は忘れたことを詫びようと思っている。昨日もいったセリフを神崎はいった。
「謝るな。おめーは悪くねぇよ、夏目」

 やはり、遅刻は免れない時間だ。



**********



 こちらはまだ神崎たちが病院に向かう途中の道筋。早くもレッドテイルの面々は何とか邦枝葵をもう一度ヘッドとして迎えようと画策していた。二年の教室では邦枝にばれてしまう可能性も高く、教師を通じて通常使われることのない視聴覚室なるプロジェクターがある教室に集まっていた。たまに映画鑑賞などをしている生徒がいる他、ほとんど埃をかぶったような場所である。ちなみに、レッドテイルの、この集まりは定期的に行われる。特に邦枝が男鹿に恋心を抱くことについて問題があるわけではない。初代が男鹿の姉であったこともあり、許しを得た以上は邦枝が抜ける必要もない。何より寧々は自分では荷が重いと感じているのだ。まだ、自分には頭を張る能力がないと。そしていつもこの集まりは堂々巡りだ。みんな分かっているはずだが、断ることもできずにいる。
「姐さんをどうやって、また総長に戻すか考えよう」
「説得しかないっすよ」
「でもこの前も失敗したし」
「久し振りに押し掛けやるしかないんじゃないんじゃねえすか〜」
「由加、アンタはどう思う?」
 鋭さを秘めた寧々の声が由加の耳に突き刺さる。由加はぼんやりしていたことを自覚しながら、寧々に向けてゆっくりと視線を向ける。怒りの表情はないようだった。だが、いいたいことはあるようだ。
「そう、…ッスねぇ、姐さんの気持ちになって考えてみると………」
 由加は目を閉じた。好きな人のことを選んで、そして総長の座を降りたのだ。どういった経緯でレッドテイルに入ろうと思ったのか、詳しくは分からないが石矢魔で力を得るならば、やはり思うところがあったのだろう。今となっては不良の片鱗も見せない邦枝だが、元は不良の頭なのだ。軽い気持ちで受けたわけではないだろう。だが、男鹿の出現によって変わってしまったのは事実だ。今となっては半分は邦枝自身も素直に認めつつある。周りからしてみれば分かり切った公然の事実ではあるが。
 だからこそ、恋とはやはり、落ちるものなのだと思う。周りの風景を変えてしまうほどの、ドキドキやワクワクを生むもの。周りだって、本人は見えなくなる。その人のこと、思うその人のことばかりしか見えなくなってしまう。いいところはもちろん輝かしく、悪いところすらもよろしく見えてしまう。恋というのはそういうものだからこそ、周りの人に納得を得られない。そんな気持ちを、邦枝も知ってしまった。だからこそ、彼女はその特攻服を自ら脱いだのだろう。その相手が男鹿だった。そして由加もまた…。
「ウチ、頭よくねんでよく、わかんねッスけど…。初代がオッケーしたっつーとこ押すしかねーッスよ、たぶん」
 由加は神崎のことが頭に浮かんでいた。今日、ついさっき会った彼のことを。恋は、落ちるものだ。悪ではない。今や、レッドテイルにおいても変わらない。ただ、自分の気持ちに素直に向き合うことで、告げられない想いは胸に重い。由加は自分の胸の辺りを抑え、ギュッとその手を握った。寧々は、じっと由加を見ていた。その視線から何かを読み取ろうかとでもしているかのように。寧々の視線は怖い。すべてを見抜くようで。
「由加。アンタこそ、大丈夫なの?」
「大丈夫、って……何が」
 詰問調にタジタジになりながら、由加は逃げ腰だった。そこに追い打ちをかけるのは千秋だ。まるで口裏を合わせたみたいなコンビネーション。
「由加ちー。元気、ない」
「アキチー…。寧々姐さん…」
 どうしてだか、胸が熱くて、そして、痛いとすら思った。友達は、最高の宝だ。もちろん、恋にも落ちるけれど、それでも。何故だかまた泣けてきた。由加は、しばらくレッドテイルのみんなと一緒にいて、神崎への想いを含めて、ようやく洗いざらいを話した。他に隠しだてするようなことはない。想う人はいるけれど、まだ忘れられないけれど、それでも、もっときっと、レッドテイルの仲間たちのことは大好きでたまらない。由加はそう思ったのだった。



14.07.10

男女の違いはあれど、友情回です。

思ったより続きそうです。
申し訳ない。15で終わらそうと思ってましたよ実は。でも終わらんな100%(笑)


こういう、同性同士の友情ものは最近、というかここしばらく書いてなかったと思うんですよ。
どうしても恋愛ものとかが主体になってますから。でもほとんどの男女なんて友情で結ばれるか上下関係しかないでしょうからね…。だって、これ読んでる人も分かるだろうけど、会う異性みんなと恋愛できるわけないでしょ?
なので、学生時代ならとくに何も考えることなくできる、やさしいとさえ思えるほどの友情を。

パー子についてはちょっとおまけ的要素もありました。ご都合主義な夏目が記憶喪失というアホ展開が主。分かると思うけど。
もうしばらく友情と恋をこねくり回してから、佳境迎えたいですな。

2014/07/10 20:51:18