大切に抱き締めていたもの全て指の間から溢れ落ちていくんですL


 陣野から聞いた話は思った以上に大人向けというかなんというか、由加は言葉がでなかった。結局、最初から神崎は遊びだったのだ。否、神崎は遊ばれたのだ。最初から体が目的で呼び込まれた神崎。それにまんまと引っかかったバカな神崎。男であるならばそれも理解できるかもしれないが、少なくとも由加は男として生まれてこなかった。どうして、と思う。こんなふうになるのならば何としてでも体などつなげなければ良かったのに。体のせいで離れ難くなることは、物理的には理解できないけれど、想像の上ではまったく納得がいかないことでもない。それもこれもifの話だから馬鹿馬鹿しいといえばそうなのだけれど、なってしまったことはすべて過去なのだ。分かっている、分かっているけれど、由加は哀しくて、悔しくて…今の思いをどんな言葉にすればよいか分からなかった。好きでも、思っていても、やっぱり今この気持ちのまま神崎には会いたくないと思った。きっと、泣いてしまうから。泣かないと決めていても、きっと抑えきれない涙は溢れて落ちてしまうから。だから、会いたくないと思ったのだった。
 陣野は静かな表情を崩さないまま、煙草に火をつけた。陣野もまた思うことはある。だが、過去を振り返るばかりでは何もならないことも知っている。神崎は今はつらいだろう、だが、このことはいずれ思い出になる。それは確かなこと。思い出になるまでがつらいことで、どこで童貞を捨てようが、女を泣かせようが、女に捨てられようが、きっと神崎はいずれ同じような思いをしなければならないのだと勝手に結論づけて、陣野の心の中だけで納得できればいいと思っていた。誰がどう思うかは勝手なのだ。そして、口に出さなければ分かりはしない。思想は自由なもの。目の前の由加が泣こうと喚こうと、それは由加の自由であるのと同意だ。もちろん悔やむのも。
「なかなか忘れられないだろう。どんなアバズレだろうと、あの女が神崎の初めての女なことに変わりはない」
 由加は泣かない。涙は堪えていた。陣野は変わらず無表情で淡々と言葉を吐き出すものだから、逆に感情はジワジワと胸の奥からせり上がってくるみたいに由加の心を蝕む。泣き虫はいらないのに、今この時に泣く意味なんてないのに。思っていても抑えられないのが心の動きというもので、
「俺もそうだ。初恋の相手とか、初めてやった時のこととかは、深く感じる意味がないと分かってても憶えてるもんだ」
「え。陣野先輩が…っスか?」
 意外な言葉に由加の涙は引っ込んだ。心の動きは別の何かに奪われることもあるらしい。陣野は確かめるように頷いた。興味深い。由加は陣野に問うた。彼の忘れられない過去について。それを共有したい気持ちでいっぱいだった。初体験はまだだけれど。



*********



 泣いてもどうにもならないことは分かっていた。だが、涙は枯れないらしく、かなり泣いた。はっきり言って泣くか寝るかしかなかった。ここ三日は。ついでにいうと、三日も泣くと涙は枯れるものらしい。腫れぼったい目をどう隠そうかと思ったけれど、毎日迎えに来る城山と夏目が窓の外から手を振る姿を見て、ようやく気が紛れた。神崎はその日も休んだけれど、二人を部屋に招き入れることは許可した。
「気が済んだ?」
「神崎さん……」
「諦めついたわ」
 結局は諦めるしかないのだ。何にもならない。ただ恋をした。寝た。一緒にいたかった。だがダメだった。それだけの話だ。周囲から見ればバカのマジな恋というだけの、珍しくもなんともない分かり切った結末だろう。それをバカにしないでいてくれるだけで良しとしなければ。
「そうそ。区切りつけないと」
「……夏目、」
 咎めるような響きを含んだ声は城山だ。神崎は黙って首を横に振った。この場合は夏目ぐらい普段どおりに振る舞ってくれたほうが気が紛れる。城山の態度がいつも腫れものを扱うようなものなのは変わらないのだが、今はそれが邪魔くさいとすら思ってしまう。周りのものの優しさが伝わっていないわけではないのだが。
「現実問題、さぼりすぎると卒業危ういしさ」
 夏目はどこまでも冷静で、そういうところがどこかありがたいと思う神崎がいた。だが、なにもいわなかった。ちらと夏目を見たけれど、その目には特に感情は映っていない。
「わかった。明日からいく」
「あ、明日は日曜なんで、明後日からですね」
「休みボケちゃったね、神崎くん」
 どこか空々しい笑いが生まれた。今はまだぎこちないけれど、たぶん薄れていく。恋が元で死ぬ人もいるけれど、それは神崎の中では現実的なことではなかった。どんなに心が痛んでも、辛くても、悲しくても、この恋で死を選ぶなどという選択肢はなかった。それがどういうことなのかは分からなかったけれど、ただ、今を暮らしていくしかないのだと、それを思うばかりだ。はあ、音のない部屋に重苦しく神崎の抑えきれない溜息は響く。
 隣にどっかりと座る夏目と、いつものように大きな体を隅っこに寄せる城山と。ちぐはぐな二人の様子はいつもと変わらなくて、それだけがいまの神崎にとって安らぎになっていた。きっと大丈夫、そんな無責任なことをぼんやりと感じた。
「ガッコ行ったら、絶対あいつバカにしてくんよ」
「…姫ちゃん?」
「その時は、俺が追っ払います」
「んなこと要らねって。どーせなら邦枝葵のスカートめくりして来いって」
「それは……ご勘弁を。邦枝に殺されますよ」
「傑作だね。それを見る姫ちゃんの写メ撮ろ」
 そんなくだらない話をして、ダラダラ過ごした。最近はこんな当たり前の高校生活からかけ離れていた気がする。つい最近まで、こんな話をしてバカやって、ケンカして。女のことなんて考えていなかったはずなのに、ゲームしたりマンガ読んだりして、それで十分に楽しい日々を送っていたはずだったというのに。
 人が、他人を想う力は偉大だ。当たり前の生活や気持ちを、気が付いたら変えてしまっている。ただ、好きで役に立ちたくて、一緒にいたかった。一緒にいて、それこそセックスなんてしなくてもそれで満足していた。つながることで、失われることもある。気持ちは、不思議なほどに行動を伴わず、心と体はばらばらの生き物みたいで恐ろしい。だけど、それも想う人の一部。いままで信じてきたものが色褪せていくのが一番恐ろしいことだ。
「神崎くん、学校でね」
「月曜、迎えに上がります」
「おう、……ありがとな」



**********



 読みどおり、神崎の冴えない顔を見ては姫川はきっちりバカにしたように笑ってきた。予想どおりのガキのからかい文句。だが、予想どおりに頭にくる神崎の姿があった。「ガキじゃねんだから…」と心の中で言い聞かせていたが、やっぱり爆発したように立ち上がった。少し離れたところで相沢と陣野が鼻で笑っていて、その側でまったくやりとりを聞かずに居眠りしている東条。傍観する夏目と城山。いつもの石矢魔三年組の光景だ。神崎と姫川が睨み合い、立ち上がった神崎が姫川の胸ぐらを掴むところまでは見慣れたものだ。姫川がニヤニヤしている。
 すると、急に神崎は姫川の自慢のリーゼントを乱雑にぐしゃぐしゃにした。わああ、と姫川の情けない声が広がったので教室にいたみんながさすがにそちらに目をやる。姫川はセットされてない髪型が嫌いだ。今日の神崎の報復はなかなかにおもしろい見ものになるかもしれない。夏目などは特にワクワクしていた。下ろした銀のリーゼントをなんとかしようともがきつつ、姫川は髪のセットをし直すために立ち上がった。ちゃんと神崎を睨んでいる。
「オメーこそ、そのツラで邦枝でも口説きにいけよバーカ」
「あ? なんで邦枝の名前が出てくんだ、脳みそ溶けたか?」
「オメーはバカか、邦枝以外みんな分かってんじゃねーのか、ヌメ川よぉ」
「なにが分かってるってぇ?」
「人のこと茶化す前に、テメーのことちゃんとしろっつぅの」
 姫川は途端に黙って、髪を直すのも諦め、また席に腰を下ろした。だが神崎と姫川は睨み合ったままだ。しかし先ほどまでとは空気が違っている。暴れ出す様子もない。トゲトゲした空気はもう流れていない。いつもの様子とはかけ離れているので、周りのものたちは用心しだした。とばっちりがこないとは限らない。神崎がつと目を離す。汚い黒板にすけべな単語が並んでいる。次の授業には気の弱い先生がくるからワザとだ。高校生らしいイタズラだ。若かったり気弱だったりすると、教師でも間に受けて態度が面白いのだ。
「やったことも、やろうとしたことも、全部マジ。けど、終わったんだよ…」
 吐き捨てるように神崎がそれだけ言う。結婚すると公言したのは、いまになってみればただの失言だ。だが認められず、その相手からも相手にされない、むしろ遊ばれたのだ。この教室にいることは無体を晒しているだけ。神崎が自虐で嗤う。浅はかだったと。だが、なによりも本気だったと。姫川もその意思をまっすぐに受けて、言葉を失う。そこに夏目が声をかけた。
「いいじゃん。俺は、すべてを投げ出したいほどの相手に会ったことないや」
「俺も…ねえな」
 姫川が小さく鼻で笑った。どうしてか和やかなムードに変わっていた。見ていた陣野もわずかに笑う。
「時間が解決する、か」
 昨日の花澤の涙が目に浮かぶようだ。そう、心の傷は時間しか癒してくれはしない。願っても望んでも。



**********


 結局あの後、亜由美元塾講師は淫行等で捕まった。彼女も認めているし、一緒にいた少年も、また部屋の惨事を見ても肉体関係は明らかで、軟禁したことも含めて塾関係者等から訴えられ今は警察で事情聴取を受けている。だがそれが罪になるかどうかは分からない。セックス依存が病ならばまともな状態でなかったとされるからだ。実際、同症状で有名プロゴルファーなども治療を受けたり、それに伴う離婚などの話もあったのだ。だが、そこから先のことなど石矢魔高校の生徒たちが知る由もない。


 ふと気がつくと、一ヶ月近くの時が経っていた。そんな日の帰り道。見慣れているはずなのに、とても懐かしい後ろ姿を見つけて神崎はふと足を止めた。すぐに追った。誰であるか認識したからだ。
「パー子!」
 後ろから大きな声をかけた。その傍らにはもちろん夏目と城山を連れている。しばらく考えていたので、花澤由加はすぐには振り向かなかった。ゆっくり振り向いた。いつもと変わらない様子で騒いでいる神崎のことは分かっていた。声も低くて大きいし、夏目と城山は大きくて目立つ。しかも上級生なのにしょっちゅう1年校舎にヨーグルッチを買いに来るものだから、目につかないはずがない。それに、見たくないと思えば思うほど、気になるからかよく目に入ってしまうのだ。意識しないようにすることは、意識しているのと同意だ。
「う、うちパー子じゃねッス」
「ええと、……あの、いろいろ、悪かったな」
 早足で神崎が近寄って、パー子について謝罪するつもりはないが頭を下げた。もちろん神崎だけに礼儀とかそういうものからは程遠い。由加もそうであるから問題はないのだが。
「気まずくて、顔出すの遅らせてた」
 直球だった。亜由美の顔を実際見たのは、しかも神崎と一緒に見たのは由加だけだ。本来ならば結婚どうとか騒いでごめんと言うべきが由加であることも分かってはいた。しかし恋心知られる相手が異性というのがこれだけやりづらいということは初めて知ったのだ。神崎はそれを詫びたのである。
「噂とかで聞いたのとほとんど変わんねぇよ。バカみてーだけど、バカにすんなよ?」
「しないっス」
「まぁ、よ、たまにゃ気晴らしに付き合えよ。前みてぇに」
「嫌っス」
「怒んなよ」
「怒ってねッス」
「じゃ、拗ねんな」
「拗ねてねッス」
 由加は神崎から目をそらしている。わざとらしく、見もしないで逃げるみたいにしている。神崎はさすがに反省し謝罪の言葉を言いながらも堪らず由加の肩を掴んだ。神崎としては冗談っぽく言ってしまう自分の失態もあるとは思った。むしろこんな話をクソ真面目にできるほどの人生経験は積んでいなくて、少しばかり茶化し気味でないと自分も辛いのだ。だが今日の由加は頑なだ。肩を掴んだ時に咄嗟に顔を見る由加と目が合う。慌てて由加は立ち上がった。すぐに立ち去っていく。
「おい、パー子! 待てや!」
 呼んではみたが振り向こうともしない。神崎を拒否しているみたいに。
 一部始終を見ていた夏目と城山が目で由加を追っていた。
「泣かせちゃダメだよ〜神崎くん」
「俺、べつに泣かせてねーぞ!」
 夏目の言葉でハッキリした。由加は泣いていた。一瞬のことだが神崎にもそれは分かった。だが、泣く理由は思いつかなかったので、気のせいかとも考えた。しかし、現実は「泣いていた」のだ。そんなに嫌だったのだろうかと神崎は考えた。話題が? それとも触られたことに対する拒否反応? 今までのことを踏まえて、思い当たる節がない。なにより、泣き虫っぽいイメージもない。笑ったり騒いだりしている印象が強い。
「俺、なんもしてねぇよな?」
「まぁ、今は別になにも、って感じかなぁ〜」
「あんなに露骨に嫌がられたら、さすがにビビんだろ」
「……あの、神崎さん。花澤由加の考え、分からないですか…?」
「おい城山、てめぇわかんのかよ」
「いえ…お、俺は……」
 女にうつつを抜かすと、女友達も減るのだろうか。神崎は肩を落とした。失恋とはまた別のダメージまであるとは驚きだ。余波が遅れてやってくると、忘れようとしていることなだけに、ダメージが大きい。しばらく色恋は厳しいとしか言いようがない。神崎は、とりあえずムシャクシャしたので一発城山を殴ってから帰路についたのだった。

 どうしてだろうか、神崎は帰ってからしばらくして、夜風を浴びながらぼうっと思っていた。城山は前からなにかを言いたそうにしている、そんな気がする。まるで、神崎も知らないことすらもわかってるような顔を隠して。そして、今日の、走り去っていく由加の後ろ姿が脳裏に焼きついているみたいだった。閉じた目にはそれが映ったから。理由は分からなかった。だが、想像はつく、良心が咎められるというやつだ。あの、パー子の態度が気になったからだ。そう、いつもとは違いすぎる素っ気ない態度とでもいうべきか。まるで神崎から逃げようとしているみたいな。
 だが、ふと思った。逃げられることに違和感があるなんて、今までなかったというのに、どうして。もちろん、泣いていたこともあるのだろう。その理由だって分からないし、まったく理解できないことばかりだった。あんなに気難しい様子の由加は初めてだったからだ。あとはもうひとつ、どうしてこんなにモヤモヤと考えているんだろう。しばらく考えた末、そうか。と神崎の中で納得する答えが一つの見つかった。いつの間にか神崎は、なにかを探しているけれども、見つからない夢の中へ落ちていった。当然、目覚めは悪いに決まっている。学校に行く気力はなかったが、前期にもサボっていたので出席日数だけは稼いでおかないとならない。溜息とともに朝は始まる。なにがあろうとも、いつもの日々は流れていくのだ。


14.07.07

何故か七夕の日にアップです(たまたま〜)

お久しぶりの神崎とパー子シリーズでした。進みもしないし後退もしません
ただ、グダグダ悩むのをやめたってだけですw 思考ではなく現実を見なきゃならないですからね。生きてる以上は。


いやはや、自分の文章はあんまり読みやすくないですね。web向きのわざとらしいほどの改行がないからね。これは、読む側にしてみればどうなのかな? と思ってしまいますが、紙媒体(になる予定はないのだけれど)を考えると、あんまり改行したくないんですよね。そんなふうに考えちゃう。
まぁ気が向いたら意見とかあればね。


オチはあんまり考えてなかったので、実はクールダウンしていたりします。読んでいて分かるとは思うけど。
そしていつも城山が小石を投げるような感じなんですよね。言葉にはしないけれど。

話としては、過去にしよう!って頑張るとこか。お互いにね。
初恋ともなると大変なんだけど(笑)
まぁラストに向けてなんとかやっていきたいところです。
こうやって学生時代の恋愛ものを書いていますが、自分自身は学生時代の恋愛の思い出というのがない(忘れた?)ので微妙だったりします。それなのに青臭いの書きたいってどんだけだよ…。
書けてるかな?
泥沼になってきた話を、引っ張り戻すのはたいへんです…。

もう少し続きますのでよろしくお願いします!
2014/07/07 08:57:55