※久々に姫川夫妻
※テーマは死


温かすぎる死体



 姫川財閥と久我山財閥の頭同士が婚姻してから数年、両財閥の勢いは衰えることなく、それを示すように去年の流行語には大賞こそ逃したものの『金は寂しがり屋(だから、有るとこにしか無ぇのさ)』という舐めた言葉が若者、特に渋谷辺りの若者たちの間ではとても激しく流行した。未だにそれを居酒屋のようなくだけた場所で使う者も多いという。もちろん現在の若者のトレンドは姫川竜也その人である。そして女性から絶大的な人気を得るのは、どちらかというと久我山(旧姓)潮である。どうやら男装の麗人、つまりは宝塚むしろベルサイユのばらの主人公・オスカルのような讃えられ方をしている。また、この二人が夫婦であることは世界的にも有名で知らないものはない。ただ、二つの企業は元はIT企業であったものの、姫川側は現在、ITと株の買い付けで名を馳せている。今年からは通信事業にも名乗りだし順調な滑りだしを見せている。そして久我山側は元はITに注力していたが、現在は物流、貿易などの関係で動いている。夫婦で喧嘩をしないことにより、互いの会社を高めている。当然と言えば当然か。同じ職の者同士はいずれ譲り合うことなく、喧嘩別れをするとはよく言ったものでその辺り、互いを尊重するために潮が引いたということかと言われている。
 そんなふうに仕事が波に乗っている状態のある日、潮か社長室でパソコン画面を睨み付けている所、ノックの音が聞こえた。秘書が慣れた様子で声を張り上げる。
「社長。お客様がお見えですが、アポイントの確認が取れておりません。いかがいたしますか」
「誰だ?」
「竜也様の言いつけで来たと言っております、弁護士の先生です」
「竜也が、か? 少し待ってくれ。今、確かめる」
 弁護士が来るなどという話は聞いていなかった。だが、メールは入っているかもしれない。潮はマウスを握り直すと、すぐにメールソフトを立ち上げた。メールは僅か2クリックで読むことができる。便利な時代は彼らの中では実に当たり前のものである。サッとメールボックスに目を通すが、特に竜也の署名は目に入らない。見逃したかと思い、既読メールもサラリと目を通すが、前にみた覚えのある業務連絡的なメールしかないようだ。メールではないならば当人に聞くしかあるまい。デスクに置かれたスマートフォンを手にし、手慣れた様子でロック解除を済ます。不在着信は思ったとおりない。細く長く繊細そうな指先で竜也の短縮番号をタップする。そのお陰で、どんなに愛おしい男の番号であっても、間違えることなく唱えることはできない。呼び出し中に耳に当てる。竜也は手元に必ず携帯があるくせに、出るのが遅い。気が向かなければ彼は出ないこともあることを潮は知っている。本当に我儘なのだ。コール数が5回を越えた時、竜也の高めの甘さを含む声が潮の耳に届く。この声を、飽きるまで聴き続けていたい、とこの瞬間、いつも潮は思う。だが、それは許されない。時間は有限なのだ。それは潮にとっても、竜也にとっても、誰にとっても同じように。また、飽きるまで聴きたいと思うが、きっと潮は竜也の声を聞き飽きることなどないだろう。すべてが無理尽くしなのだ。
「…何だ」
「竜也。私だ、今、時間いいか?」
「おう」
「お前は弁護士など寄越したか? 話を聞いていなかったが」
「……あ、今日だったっけな。忘れてた、悪ぃ。うちの馴染みの弁護士だ、ちょっとややこしい話なんで、そっちで聞いてくれ。じゃあな」
 一方的に通話は切断された。ツーツーと電子音のみを鳴らすものとなったスマートフォンは、ただの無機質な道具に過ぎない。いつも通りの竜也の様子に呆れつつ溜息を吐きながら、潮はスマートフォンを胸ポケットへ入れる。ドアの外で待機する秘書へ声をかける。
「分かった、すぐに行くので先生をお待たせしてくれ」
 潮は立ち上がりながら、シャツの襟と袖を正してすぐに部屋をでた。竜也には特におかしなところはなかったが、弁護士に頼むようなことがあったのだろうか。胸にモヤモヤがあった。どうして人に頼むようなことがあるのか。自分たち夫婦の間に隠すべきことなどない。それとも、竜也は何かを考えていたのだろうか。冷たいものが背中から滑り落ちてゆく。だが、まだ何があるのかは分からないうちから取り乱してどうするというのか。平静を装いながら潮は応接室へ向かった。
「お待たせして、たいへん申し訳ありません。主人から話を聞いていなかったもので…」
 まずは頭を下げお互いの名刺交換をかわす。実に日本的だが、グローバルに動くといっても日本にいる間は日本的でなければならない。所詮、日本は戦後になってようやく女性が出始めた、ビジネス上ではまだまだ遅れた国である。いえいえ、と謙遜気味に笑いながら弁護士もまた頭を下げる。頭の低い弁護士は、某市長から見るととても好感が持てる。二人は秘書が下がりつつある姿を見送りながら上等なソファへ腰を下ろした。小脇に抱えた書類がカサカサと乾いた音を立てている。潮はそれに隠すことなく目をやった。
「早速なのですが、先程主人から聞きました。何やらややこしい話があると」
 声は顰めるような感じで、自ずと低くなってしまう。相手に聞かれないように静かに唾を飲み込む。思っていたより緊張しているらしい。弁護士もどこかしら姿勢が低くなっている。しづらい話をするといった雰囲気がプンプンにおう。弁護士は小脇に抱えた書類を開くと、一枚の紙をとりだした。そして視線を上げると、途端に潮と目が合う。真剣な色を帯びた視線はどこか痛みを伝う。
「ややこしい、と言いますか……実は、姫川竜也様、は、先日、私にとある相談を持ちかけて来たのです」
「竜也が……相談、ですか…?」
 誰にも言わず、弁護士の先生に相談するようなこと。仕事で何か失態があったのかもしれない。だが、潮の頭の中に浮かぶそれらの物事は何一つない。彼らは別の会社として動いているものの、ライバル会社とならないように繊細に配慮していた。二人で決めたことではない。そういった思いやりの心がお互いにあったというだけのことだ。心には言葉は要らないのだ。裏では互いの仕事を助け合っていた。だからこそ久我山財閥側は鞍替えをして、まったくIT産業などと関わりの薄い方へとシフトした。もちろん姫川財閥の力があってのことで、数年前のことになるが、当時はやはり揉めもしたのだ。それはそうだろう、鞍替えして今までやったことのない種類の企業をおこすのだ。もしかしたら使われている者が力を発揮できずていよく解雇されることだって考えられる。畑違いの仕事を喜んでできるほど、上部になればなるほど不安も大きかったというのが現実問題であった。しかし、そこを姫川の会社に移れるようにしたこともあり、社員からの苦情は減った。もちろん姫川の顔利きで新しく有能なノウハウの分かる人材を入社させることもできた。うまく会社のやりくりを行うには、まず、よい人材の確保は欠かせない。だが、その人件費を削るのもまた必要ではあるのだが。そうして互いに裏から支え合うことで夫婦で背中を合わせあうような関係をも築いてきた。夫婦としてもそうだが、商売敵になれば大変なのも分かっていた。家族で対立するつもりは毛頭ない。
 そんなこんなで、姫川と久我山は対立することなくうまく人を使いこの数年間を乗り切ってきたと、少なくとも潮は思っていた。それなのに、竜也は誰にも相談することもなく、何かを思い悩んで弁護士を雇っていたというのだろうか。嫌な汗はまだ流れ続けており、下着がひたりとくっついて気持ち悪い。弁護士の真面目くさった表情がとても居心地が悪い。
「実は、……とても、言いづらいことなのですが…」
 悪い予感は当たることが多い。誰にも当てはまる言葉のような気がした。聴きたい気持ちと、聞きたくないという相反した気持ちがごちゃ混ぜになって、とても気持ち悪い。弁護士の眉間には消しようのない深い皺が刻まれていた。竜也のことなら何でも知りたいというのに、不安だけが駆け巡る。知らなければならない。竜也も電話で言ったのだ。聞いてくれ、と。それを委ねたのであれば竜也の相談、という言葉がおかしなものであることに気付く。だが、目の前の弁護士の目は暗く曇ったままである。
「ご主人から“遺書”について相談がありました」
 遺書という言葉。耳慣れないその言葉に、電気にでも打たれたかのような気持ちで潮は、そこから一歩たりとも動けなくなってしまっていた。遺書とは、死ぬ際の言葉ではなかったか。死んでゆく心配があるものが残す、そのための言葉ではなかったか。竜也は死を考えているのだろうか。どういう気持ちでそれを相談したのだろうか。潮はどう考えても思い当たる節がなかった。よほど表情が翳ったのだろう。弁護士は慌てて明るい声を出した。今さらそんなことでこの場を取り繕っても遅いと思うのだが。
「いいえ、奥様がお考えになっているようなことじゃないんです。竜也様は死を望んでいるとか、そういったことではないんです。ただ、死について考えていらっしゃるようなんですね。私も、その、仕事についてなどはよく判り兼ねますから……。その辺りは、よくご家族とも相談してからまた来てほしいという話をしたんです。その時は」
 何かを言っているが、その時の潮には理解できずにいた。ただ、どうして、と思うばかりだ。頭を抱えてその場に蹲る。弁護士は困っているのが分かるが、今どうこうできるという状態ではない。竜也の身に、潮が知らぬ何かがあったのだろうかと思う。しばらく前の浮気騒ぎ。最近は仕事以外の話をしていない。夫婦の会話はいつでも苦手そうだった竜也。だが、誰よりも潮をパートナーとして信頼してくれているのだと思っていた。思い込みだったのだろうか。脳が煮立つようなグラグラした感じ。それが額から下のすべての部位に広がっていくのを感じる。潮は過呼吸になりつつあり、気持ちを落ち着けようと胸を抑えた。冷たく無機質な感触。愛用のスマートフォンの手慣れた感触だった。慌ててそれを取ると、汗ばんだ指先は滑って重い機械は逃げるように落ちてしまう。弁護士も慌てながらも、それを手に握らせてくれる。目で言っている。さあ、恐れず電話をかけるべきだ、と。真実を知りたいのなら、竜也と話をしなければならないのだ。やはり、言葉にしないと分からないことだらけだ。人間は言葉があるから進化した。だが、それがあるからこそ伝わらないものもある。気持ちなどがまさにそういうもので、近くにいればいるほど分からなくなっていく。とても不器用なものだ。焦りながらも潮は、竜也にコールした。ついさっき出たはずの電話が数回、電子音を経て、やがて留守電へと切り替わる。どうして。何かに縋り付きたい気分だった。だが、その相手は電話の向こうにいる。どうしろというのだろうか。ハットすると潮は両肩を揺さぶられていた。目の前に弁護士が見つめている。そして否定している。そうではない、と。竜也が死ぬわけではなくて、ただそういう話があったのだと。それだけのことだから、どうか思いつめないでほしいということ。
「私は……姫川竜也の妻でありながら、竜也の心の闇に気づいてやることができなかった。それが、…とても哀しい。何とかしたい、何とかしなければ。それしか、今は考えていません……」
 身体から力が抜けていた。ソファで良かった。パイプ椅子ならそのままひっくり返っていたことだろう。己を支える力など、今の潮にはなかった。ただ、竜也のことだけを思う。
「単に、もし何かがあってからでは遅いから、ということだと思うんです。今の地位はハッキリ言って誰よりも高いと言わざるを得ません。潮様、貴女もそうですがあなたたちの年商は総理などをも軽くしのいでいます。なのでSPがつくことは当然ですよね? そういった妬みや嫉みの中であなたたちご夫婦は生きてらっしゃる。…ですから、最悪の事態というものを想定しなければならないと思ったのではないでしょうか。潮様がそこまで気に病む必要はありませんよ」
 それから、どういう経緯で弁護士が帰ったのか、社長室に戻ったのか、潮が覚えていることは少ない。ここまで取り乱したのはいつ振りだろうか。ボヤッとする頭の中で竜也から届いたメールを見た。どうして電話をしてくれないのか、だが、彼らしいと思った。メールの内容はこうだ。
『To.久我山 潮
 なにメーワクかけてんだ
 早めに帰る
 騒ぐな』
 そのメールはいつもの竜也すぎて、彼が黙って死にゆくようなこともなくて、言葉にはならない涙が出た。秘書が水を持って来てくれた時にはだいぶ回復していた。とりあえず迷惑を掛けたことを謝り、先の弁護士の名刺がデスクに置かれていたのでお詫びの電話も入れた。あとは何度も竜也からの短いメールを読んだ。胸の中が痛むようなひりつくような想いが心に広がっているのが分かる。胸の中はザワついたままだが、もう待つしかなかった。秘書はここで横にでもなって動かず待った方がいいと言われたのでそうすることにした。だから短く会社にいることを伝えるメールだけを竜也へと返した。そう、もう竜也しか救える者はいない。どんな名医も、気持ちを落ち着かせることも分かり合えることも、言葉を交わし合うことも意味がないのだ。竜也でなければ。



 銀髪が頬に触れる。サラリと流れる髪、だがいつもより乱れて息も荒いようだ。見慣れた整った顔が上気している。肩が上下している。走ってきたらしく竜也の熱が部屋をゆったりと満たす。どこでも竜也は馴染む。すべてが竜也になれば分かるだろうか。まだ言葉にはされてない、竜也の心の闇も。潮はソファに凭れたまま竜也に向け両腕を伸ばした。メールの通り彼は来た。それだけで満たされていく。人間なんて目の前のことしか見えない愚かでとてもまぬけなものだ。だがそれでいい、と潮は思う。幸せとはそんなものではないかと。また、不幸せもきっとそんなものなのだから。竜也を呼ぶ声は掠れてしまったが、きっと彼の耳に届く。
「おい、大丈夫……じゃなさそーだな」
 ぎこちない所作で竜也は潮へ身を寄せ、自分の身体に両腕を回させる。抱き着けるだけ抱き着く。むしろ、今日の弁護士の話をする上では密着して、顔が見えないほうがいいかもしれないと思ったのだ。どうした、と心なしか心配そうな色を帯びた竜也の声が耳にやさしい。キスしたい。咄嗟に潮は思った。両腕を背に回しながら、耳元にキスをする。懐かしい温もり。これは生きているからだ。竜也が、潮が生きているから。それがもし覆れば、この温もりも感じられなくなってしまうのだ。
「お前のほうが、大丈夫か…?」
「病人に言われたくねぇ。………話、聞いたか」
「ああ。あのあと聞いた」
 絡み合うような格好のまま、竜也はソファに腰を下ろした。話が終わるまでこの部屋を出ないほうが賢明だと悟ったのだった。ソファのやわらかさにいく分気持ちも和らぐというものだ。竜也は自分の手提げを、手探りで手にした。中のものに用があった。潮が密着しているからうまくいかないでいる。
「竜也……竜也…。何かあったのか。私たちは夫婦だが、仕事の上でも、パートナーだと、思っていたのは私だけか…? なぁ、たつや…」
 うわ言のように何度も名を呼ぶ。彼が必要だと、それだけでひしひしと伝わる潮の想いはとても強い。ようやく手にしたモノは一枚の紙である。それをソファの前に置かれたテーブルの上に音を立てて置く。そちらに潮の目がいくように。案の定、潮の回していた腕がゆっくりと解かれる。仕事の顔が少しだが復活していた。僅かに眉を寄せた潮の横顔は、外で見せる凛々しさすら放っている。手にした紙には、マンガやアニメの世界でしか見たことのないようなものを研究する『地下研究所(アングラ・ラボ)』と呼ばれる姫川が十年ほど前から手掛けている施設の内部資料(もちろん社外秘)だ。そうしたことをしているというのは、潮はすでに知っていた。何と言っても、元より潮と竜也は幼い頃からの親友だったのだから。だが、詳しい内容まではツッコミを入れてこない以上、教える必要もないと思っていた。そう、竜也自身もバカげた研究をさせていると分かってはいたのだ。しかし、研究を続けているうちに、それが実現化しそうであることが分かった。急に現実味を帯びてきたのである。もちろん、地下施設でこんな研究をしているという簡単な書類だ。それを渡されたからといって潮が理解できるはずもない。ただ、黙ってその書類を見つめている。
 説明するより先に、その施設を立ち上げて、少しだけそれに向けて熱もあった頃に潮に向けてこんなことをしてるんだぜー! と話した時のことを思い出す。あの時、まだ二人は未成年だったけれど、金と仕事は山のようにあったのだ。今とは違って熱血も。
「子どもみたいだな、お前は」
 そういって鼻で笑ったのを、竜也は思い出した。楽しかった。遊んでばかりだった。仕事すら遊びの一つと思っていたから、楽しかったのかもしれない。竜也は静かに話す。
「落ち着け。…あのよ、最近どうだ?」
「……………」
 どう、と聞かれても答えようがないというのが本当のところだ。抽象的な質問はどう答えて良いやら迷うものだ。竜也は答えなど求めていないふうに冷たく笑った。その笑い方がとても彼らしい。まるでこの世を見下したみたいな。
「つまんねぇと思わねぇか」
 二人で昔、語り合ったのを思い出す。つまんねぇな、と。そう、彼らには学校や仕事や金なんてものはすべてつまらないものだった。だから、自分たちで楽しめることを探して、そして、マネーゲームやゲーム産業に手を出したのだ。それを形にする間がきっと一番楽しかった。形にする行程はどんなところでもそうだが、大変ながらもじつに楽しい。形になったそれはすぐに金へと変換されていく。大きな金額はすぐに振り込みされて、その渦中に大人たちが入りたがって、気がついたらそこから抜け出せなくなっていた。子どもなのに大人だ。そんな気持ちのまま、竜也も潮も大人と呼ばれる歳になった。結婚もした。だが、竜也はいう。昔と変わらず、つまんねぇ、と。
「死にたいわけじゃねぇ」
 潮の目が涙で潤んだのを見て、少し慌てた。潮のような男勝りの強い女が泣く姿は、辛そうで見るに堪えない。何より泣かせる理由が竜也の行動にあったことを知っている。
「うまく行き過ぎるのも、つまんねぇと思ってな。長く休みたい気持ちだったんだ」
 軽い調子でいうが、弁護士に相談を持ちかけたことがそんな軽い話で済むわけでもない。金ならあるのだから、次期社長でも当てがって職を引退すればいい話である。それと遺書は簡単には結びつかない。それとも、と潮は思う。弁護士も言っていたことだ。身の危険を感じる何かがあるのだとしたら──。何よりも信じられるのも、信じられないのも人の気持ちだ。形にならない、目に見えないからこそ分かるし、分からない不確かなものなのだ。
「で、これがでてくるんだが…」
 竜也は先に置いたテーブルの上のアングラ・ラボの資料を手にし、それをペラペラとめくってあるページを開き、ふたたびそれを置く。潮はそのページを覗き込んだ。手塚治虫の世界みたいだ、と瞬時に感じる。
「コールドスリープ…か」
「ああ、いつかのときみてぇに、また笑うんだろうな。お前はよ」
 幼い時の夢がそこには描かれている。マンガの世界を実現してみたい。その研究施設はとりあえず竜也のある程度溜まった金でお遊びにやるのだと言った。子どもじみたことを考えるのが男の姿なのだと、最近になるまで気づかなかった。男というのはいつだって子どもに戻れる生き物なのだ。有り余った金が竜也の趣味の範囲の道楽に流れている。それは結構なことだと潮は思っている。二人とも金の面ではとても自立している。
「開発は細々と続けてた。で、最近になってあと数年くらいで完成までいくって目処が立ったんだ」
「何だって?!」
「ウソじゃねぇ。研究グループの責任者からの報告書がきた。分かるだろ? 俺の言いたいことが」
 おおよそ竜也の気持ちは分かる。だが、それは法律的に認められることでもなく、また、遺書とは結びつかない出来事である。それらを掛け合わせて何になるというのか。潮の頭は混乱していた。それに目処が立ったというだけの話で、完成したわけでもない。潮の顔色を見ながら竜也は言う。
「完成したら、俺は30年ぐらい眠りたいって思ってる。分かるだろ、俺たちは生まれるのが早すぎた。失敗もできないぐらい世の中はちょろい。つまんねぇよ。つまんなさすぎる。だから30年ぐらい寝てたいって思ったんだよ」
「…完成しなければ、どうするつもりなんだ」
「もちろん、完成しなきゃここだけの話で終わる。その可能性はある」
「コールドスリープなんてものが法的に認められるとでも思うのか?」
「法律をつくるの政治家のがめついジジイどもだ。金さえ出せばコトがばれてもうやむやになる。うまくいったら世紀の発見だ。あいつらはノーベル賞を貰えるだろう。日本国もウハウハだ。なし崩しになるだろうよ」
「じゃあ、何で………遺書、なんて話を…」
 潮は途中で声を詰まらせた。随分と楽観視している割に、きっちり保険はかけている辺りが冷静だ。そこが竜也の読めないところだった。竜也は眉一つ動かさず言った。
「眠ったまんま動かなくなる可能性はある。その時のためにお前たちに遺す方法は遺書しかない。だが、まだできてもいないコールドスリープの話を弁護士の先生にはできなかった。それだけのことだ」
「そんな危険があるのなら、私が許すと思うのか!」
「……思わねえな」
 竜也はどこまでも冷静を貫く。声を荒げる潮をあざ笑うように、落ち着き払った様子で、薄く笑みすら浮かべているといった具合だ。
「例えば、お前も一緒に冬眠するんだったらどうだ? って話だ。その時は永眠も一緒だろ。幸い、俺たちにはまだガキがいない。会社と従業員たちのことを心配すりゃあいいだけだ」
 潮の心の中に、言葉にするのが難しい気持ちが湧き上がって止まらない。嬉しいとも思うし、悲しいとも思う。返す言葉が何が何だかわからない涙に変わってゆく。
 ゆっくりと時間をかけて、コールドスリープも頭に置いたこれからのことを話そうと竜也が言った。そうだ、添い遂げるだけが愛ではないのかもしれない。時代に見染められ、失敗を知らない自分たちにはもっとさまざまな角度からいろんなことを見つめる必要があるのだ。生きながら、まだ若いながらも死を見つめる。きっと大事なことなのだろう。互いの体温は温かだけれど、それが死体になるのはほんの一瞬の決意や行動だったりするのだろう。どうか、生きて二人で居られる時間を少しでも延ばしてくれと願うのだった。


14.06.26

お久しぶりすぎてごめんなさい。
姫川夫妻の、死をテーマにした、でも明るいお話。明るいっすよね?(念のため聞いちゃう)

イチャイチャしなくても一緒がいい!っていうのも含め、最終的な夫婦のいく道筋みたいな感じもあります。
関係ないけど、珍しく姫川がリーゼントじゃないです(笑)べるぜ27巻というか本編ラストで髪下ろしてたのは何か引いたけど。リーゼントあれだけ推してたのに………大人になってもリーゼント通さないと!(城島や)

ちなみにこれ、3日くらいでかけました。長いのに…。夢が詰まってるからかな?
ビジネス関係の話は書きたいなぁって思いますね。寧々のお水なお話とか書いてみたいかも。でもお嬢様設定だったからダメか……。

恋愛ものって、仕事してんのか?仕事中もそんなんなのかよ?!クビなれ!ってなるのが多いので、あくまで仕事は重きを置きたいんですよ。学生じゃないんだから。学生でも、勉強はいいや、バイトがんばろー!なほうが好感もてます人として。
そういう手前勝手な都合を入れつつ書いてるので、割と仕事とか、それに付随する話にはなりますね。生活の基盤ですから。そういう意味ではなんでお前べるぜ書くんだよ!ってことにもなりそうですけど(笑)

なんかのパロディ書いてもいいなー。
なんか有りましたらネタお願いします。

タイトル:if07

2014/06/26 16:05:09