ぜろろく

 しばらくぶりの入院。期間は一週間ほどだという。あまり評判のよくないドクターが腹を切るというのは、切られる方にしてみればかなり不安を伴う話ではあるが、手術の中では一、二を争うほどの初歩的なものだから大丈夫と、手慣れたドクターが笑っていった。ならお前が切れよ。それこそ切れそうな気持ちを抑えながら神崎は同意書に名前を書き込んだ。溜息がもれた。



「入院っていうから、またケンカでもしたのかと思ってた」
 入院についてはいってもいいと許可したが、病院については誰にも教えるなと言っておいたのに。もう退院間近のことだった。寧々がひょっこりと病室に顔を出した。ちなみに相部屋。ここは四人部屋なので部屋代もベッド代も安いはずだ。さんさんと降り注ぐ昼の陽気は温かで、やることがない神崎はここのところ眠るのも嫌になってしまっていた。寧々が来てくれたのは嬉しいが、意地悪っぽい笑顔のせいで背中にゾゾゾとした寒いものが伝うのが感じられる。
「聞いたよ。盲腸だって?」
 そう、それだ。神崎は言葉をなくして黙ったままだった。盲腸ってなんかカッコ悪い。もう傷も殆ど塞がっているというので順調に退院する予定なのに、こんな時に寧々が来たことをやるせない気持ちに思う。それは、どうして寧々が笑っているか分かったからだ。寧々は、時にとても意地悪だ。そして、そんな彼女に意地悪いことができない男も、というか、やくざの倅もどうなのか。
「…剃った?」
 神崎の腹を切ったドクターは研修上がりの腕利きとは到底言えないヤツで。そして切ると何度も彼らは言った。傷口は最初少し痛んで、そこは切られたのだという思いも実際にしたし、だからこうして入院状態に甘んじている。つまりは、切るために邪魔な毛を剃ったのか、どうかだ。神崎は何も答えなかった。むしろ、それそこが答えだと言えよう。今のこの話では無関係かもしれないが、邪魔な毛かどうかは当人が決めるべきだと思う。そう思うということはつまり、そういうことだ。今時、剃毛なんてないと聞いていたのに。ああ。神崎は不機嫌な顔をした。これが答えだ。
「退院してきたら、見せなよ」
 ずるい。そう神崎は思う。一週間もこんな病院で寝ているのに、それは健康な二十代の男子にとっては拷問に近い。なぜ、なんて野暮は言うな。見せたくないに決まっているからだ。不機嫌な顔のまま、ぷいとそっぽを向いた。
「笑ってやるからさ」



 退院は無事に済んだ。
 もちろん、組の連中は喜んだ。寧々には知らせなかった。でも、次の土曜にやってきた。どうやら知っていたらしい。さも当たり前のように来た。来るのも珍しくなかったので、ノックされて声を聞くまで、まさか来るなんて思ってなくて驚いた。城山情報かよ、と口の中でぶうたれた。
「まったく……なんで連絡よこさないかねえ。快気祝いとか、あるじゃない」
「ただの盲腸に快気祝いもクソもねえだろ」
「そりゃそーよね」
 寧々はからからと明るく笑う。祝いは口だけではなかったのだと言わんばかりに、バッグの中からアップルパイを取り出して「食べて」といった。もちろん飲み物はヨーグルッチが隣に置かれている。特に見もしないでおう、と返事しながらパイを頬張る。予想してなかった。甘さ控えめで美味い、と思った。まだ三つほど箱の中に残っているが、特に凝ったデザインのものでもなくて、どこか不恰好なパイだと神崎は感じた。美味い、という代わりに何度も頷くと、寧々が珍しく、こんなことを言ったら怒るだろうが、邪気のない女の子っぽい笑みで、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、作ったの。アタシ」
「ん、んな?!」
 遠い記憶。確か、高校時代、石矢魔高校の校舎が壊れて聖石矢魔に通っていた時、クリスマスのイベントで寧々は古市と組んで出た。神崎は姪のために花澤と出た。カップルとか何とか騒いでいたけれど、そんなものではなかった。姪のためだ。その時、料理対決をして、散々な結果だったのを覚えている。というか、神崎は今思い出した。そんなヤツがこんなクソ美味いパイを作れるはずない。顔に出ていたって仕方ない。驚いたものは仕方ない。
「城山頼りまくりだけど」
「……あ、そう」
 卵をかき混ぜた、とかそんなレベルで作ったと言い張っているのかもしれない。料理の腕が確かで、かつ、神崎の好みを誰より熟知している城山の教えだ。ハズレがないのは間違いない。肩透かしをくったような気持ちで神崎は短くそう返した。そして、やっぱり城山情報かと思った。
「…してよ」
「あぁ?」
 パイを食べつつヨーグルッチを飲む神崎は寧々の言葉の意味を図り兼ねていた。してよ? なにを? 久々に会ったのに急に意味不明。今回のアップルパイも急だし。ん、アレか? Hな話とかなのか? そうじゃない! そうであってほしい! それだけだって分かっているのに。やべ、なんかムラムラしてきそうだ。神崎の身体に緊張が走る。隣を見ると、寧々と目が合う。神崎は声を出さずに咀嚼していたものをヨーグルッチで流し込んだ。ごっきゅん、飲み込む音だけがデカい。
「入院みやげ話」
「……はっ、」
 寧々の言葉に、ある意味で落胆しある意味で安心しながら、知らぬ間に止めていた呼吸を一気に吐き出した。寧々が笑う。神崎の思いなど見透かしたように。肩を揺らせて笑っている。
「なに動揺してんの。何だと思ったわけぇ?」
 聞くな。どうせ分かっていて、寧々はからかっているのだ。神崎はそれには答えず、必死に顔色も隠して入院中のみやげ話のことに頭を働かせることにするのだった。

「急に倒れるぐらいハラ痛起こすのな。前兆がないっつーの? 急性だったからみたいだけど。で、痛え痛えって、ヤスとかテツとか城山とかが俺抱えて慌てて病院駆け込んでよ。聞いた時、参ったぜ。まさかの盲腸ってか」
 神崎は自分の下腹を撫ぜた。あの時の痛みが蘇るような、嫌な心持ち。冷汗が止まらない。ぐわんぐわんと揺れるような気分の悪さ。痛み。すべての感触が、痛みを呼ぶみたいに感じられたあの時。神崎は深い溜息をついた。
「で、今時は内視鏡とか薬とかって聞いてたわけよ。ネットとか、色々情報あんだろ、今時よぉ。腹を切るとか、古いって。でも、実際に医者から言われたのは『手術ですね』って。はあ?って思って。そこの病院、組でドンパチした時にも使ってるとこだから顔見知りの医者多いんだよ、昔馴染みっつうか。でも、主治医は見たこともねえ若え兄ちゃんでよ、俺と歳変わんないぐらいの。研修医上がりで初手術だった。って後から聞いたし。ふざけんなっつうに!でも、オヤジはいつも世話んなってるから、とか言って軽〜く署名すんし。俺じゃねえしいいかなみたいな、軽いノリで。まじざけんなって俺思ったけど、痛いとかサインだとか色々あったけど、あれよあれよの間にもう麻酔嗅がされてたわ。無茶苦茶だよな、ヤクザだと思ってよ」
 何事もなく術後一週間で退院が決まった。腸などにも異常なく排便もされたので特に問題無いと診断された、と言葉にするととても無情な感じがするが、神崎としては嫌な思い出だとしか言いようがない。なぜなら、寧々の微笑みは先よりも深まっているからだ。いずれ、笑い話になるのもわかっているけれど。
「ほうほう。……で、この前も言ったけど、剃ったわけ?」
 こいつはとんだアバズレだ。神崎は腰を浮かせ逃げる準備をしながら答える。見せられるわけがない。
「今は、剃らないんだっけ?」
 情報は混迷している。だが、神崎が逃げる意味はもちろんこの状況なら明白だ。剃毛は、今時であっても行われる。それは不潔になりがちな毛からのばい菌を防ぐためであり、剃毛というのは少し違う。今は邪魔な毛をカットするといった次第だ。理由は前述のとおり。だが、盲腸について調べたわけではなく口コミだけの寧々はよく分からないでいる。だからこそ、逆に興味を持つのだ。神崎は答えず、目を逸らす。この対応は肯定を示すものだということを、神崎自身は知らない。
「ま、いいや。見せなよ」
 寧々の唐突に延ばされた手をかわして神崎は顔色を変えていた。そういう軽いノリで言われても困るのだ。そんなもの見せられるはずもない。寧々が想像しているとおり、否、ではないけれどアソコの毛のカットは確かに行われたわけで、それは医療行為上必要な行為だったから成されたわけである。言葉にすればそれは当たり前で、医療行為としてもまっとうな理由となる。けれども神崎当人としては、ああ、こういうふうにからかわれることを予測できたので、望まぬ現実と相成ったわけである。要は、ツルツルとまではいかなくても、まだチクチク痒みを伴うそこを見られるのは何とも恥ずかしい。そして、心許ない。なんというか、毛があってこその男ということなのだろうか。詰め寄る寧々の身体が寄り添うと、バカみたいに反応してしまう雄の身体を、この時ばかりは神崎は悔やんだ。

 女の身体はやわらかで、包み込むようで、まあるくて、そして、…エロい。そんなことを思うのは、欲求不満のせいだろうか。しかも、寧々の身体からはいい匂いがした。これは気のせいだろうか、神崎は自分の気をしっかり持つよう、窓の外を見つめてみつめて見つめまくっていた。でも、この状況でどうやって逃げろというのだ。健康な男子が好きな女に好きなように、しかも性的ないたずらを受けているのだ。これは、あってはならないことだと思いながらも、あるはずなんてないことだろうと思いながらも、実際にからかい半分にあるんだからどうすればいいのかまったく分からない。童貞の苦しみというヤツだろうか。
「何でもう勃ってんのよ、スケベ」
 嘲る言葉すら甘美。これは溜まりすぎだろうかと神崎はできる限りの抵抗として、まったく寧々を見ない。窓の外しか見ない。トランクスを剥ぐ寧々からどうして逃れられようか。無理だろう、いくら毛が短くったって。ある意味では泣きそうだった。でも、それ以上に寧々にふれたくて堪らない。男の性というやつだ。どうしようも、逃れようもない。情けないほどに、ああ。今この時ほど、この性に逃れられることなんてできるのだろうか。
「ちょっと………! かわいい」
 いや、意味が分からん。かっこ、まったく。触んな。言ってみたが当然スルーされた。こんなことをされるのは初めてではないけれど、毛が刈られている状態で、なんて生まれて今まであるはずない。明るいこの部屋で、この情けない姿ったらない。しかも、ちゃあんと神崎の息子は反応するのだ。ふにふにと触る寧々の指先と、手のひらと。だが、これはまずいだろう。欲を振り切るように神崎は身を起こす。強引に。片膝は立てた格好で、寧々と間近に目が合う。寧々はまさかここに来て逃げられるとは思わなかったので驚いたような顔をしている。どうしてそんな顔をして見上げる、俺は悪くない、と神崎は心の中で思った。
「あのさあ、そんな顔して逃げたってムダだよ」
 寧々が妖しい笑みを浮かべる。いつもより色っぽく感じるのは気のせいだろうか。こういうシチュエーションだから、気持ちも盛り上がっているのだろう、きっと。寧々からは絶対に目を逸らさない。いつも我慢できなくて目を逸らすのは神崎の方だ。顔が熱くて堪らず寧々から目を逸らした。
「パンツも脱げてるし、何より……アンタ今、どんな顔してるか自分で分かってんの?」
「オメーこそ、っ」
 脱がしたのは誰だと言いたいが、それ以上にツッコミどころがたくさんありすぎて言葉にならない。寧々が縋るように神崎に掴まったかと思えば、ずり下ろすように強引に座らせる。言葉で言えば分かるのに、そういう時に言葉を出さない。これでは野生の生き物だ。神崎は誘われるがままに、立ち上がりかけたのをやめて座る。パンツも履けてないし。
「だ、っから…、さわんな、って!」
「だって、かわいいんだもん」
「バカにすんな」
 神崎は攻撃に転じた。寧々をその場に押し倒すように覆い被さって、上からその強気な瞳を見下ろす。神崎が上にいるため、寧々には暗く影が濃くかかっている。眼は輝いている。だが、泣き濡れたような輝きではなく、強い意志を感じさせるような光だ。神崎はその目を見ながら性急に、だが浅く口付けた。懐かしい喜びが身体に広がるのが分かる。そういえば、こういうことをしていなかった。したかったけど。入院前もしばらくの間。
「残念だけど、アタシ今日3日目。胸触るまでで他アウトね」
 ピシャリと言い放たれた言葉は、男としてちょっと辛い。神崎は眉を下げながら身体を離して座り直した。理性が完全にぶっ飛ぶ前に離れておくに限る。「アレきちゃった…」は女の最大の武器であり、防具でもあるのだなとRPG風に感じるのだった。
 寧々は身体を起こしながら、神崎の身体に身を凭れかける。ここまでしておいて放置プレイ決め込むつもりなどない。そこまで鬼畜生でもない。
「安心しなよ。ちゃんと、シてあげる。だから……」
「……………」
「コッチ、剃ってイイ?」
 寧々の手が、やわやわと袋を揉んでいた。まぁ、そんなところに生えてる毛の意味もあんまり分からないし、ない男も多いし、というか、どうしてそんなことを言われているのか。寧々のキレイな顔をしながら、美女が野獣なので困るのだと思った。今のこの状況で、どうやって逃れられるというのか。美女が野獣なのに。



 寧々がバッグから取り出した剃刀が、ひたりと当てられる。その冷たさにソコは縮み上がってもおかしくないはずなのに神崎は、どうしてだろうか熱をさらに上げていた。ローション塗られているわけじゃないのに、剃毛用の、肌を守るためのクリームすら甘美に思えて、赤黒くいきり立った怒張はこの環境を嘲笑うかのように張り詰めたままでいる。聞こえるのは剃刀のしょり、しょり、というごく小さな音と、神崎の荒い呼吸ばかり。寧々の呼吸は殆ど聞こえない。寧々がていねいに優しく処理した毛を拭き取ると、ふふ、と鼻を鳴らしていやらしく笑う。意地悪な女だと感じるが、こうされるのが嫌じゃない神崎の気持ちの方だってどうかしていると思う。本気で嫌なら別れればいいのだ。
「キレイになったよ」
 神崎は、そう言われても嬉しくなかった。女ならまだしも、パイパンチンコってどういうことだ。気持ちは沈んでいるのに息子はギンギンだし。つん、と寧々がソコを直視しながら突ついた。女ならもう少し恥じらいをだなぁ…と思うが、そんなことを言っていると一生女に縁がないまま終わりそうである。
「嬉しくねえ」
「あ、そう? でもなんか垂れてますけどぉ」
「そりゃ、オメーがだなぁ…」
「じゃ口でシてあげる。我慢したからね、コッチも。…なぁんていうか毛が生えてると、ちょっと抵抗あるっていうか」
 どうでもいい理由を聞きながら、神崎は玉袋に口を付ける寧々のことを眺めていた。あとはせいぜいできることといえば髪や頭や顔を撫でるくらいのものだ。どうせ、勝てない。
「ねぇ、神崎。アンタ今自分でどんな顔してるか分かってる?」
「…オメーこそ。女豹みてぇだぞ」
「すっごい、エロい顔」
 さんざん焦らされて、イカせて下さいとお願いするまでにはそう時間がかからなかった。やっぱり、神崎は寧々には、勝てない。
 毛の話は、誰にも言うなと言ったものの、次の日にちゃあんと夏目からからかわれた。寧々はどこまで神崎をコケにしているのか。だが、勝ち目はないから仕方ないのだと思うことにした。それしかないだろう。惚れた弱味、というやつである。まだ、前途多難なのかもしれない。


14.03.02

お疲れ様です〜

久々に神崎と寧々シリーズをアップできました!やったねw
てか久々の話がエロとか…
というか、剃毛ネタ書きたかっただけ

親が入院して、病院の空気吸ってそういうネタもいいかなって思ったんです。まぁ盲腸についてはネットでちょっと調べました。なったことないからどのくらい痛いとか分からんし。
話自体はベタですけど、女豹寧々とパイパン神崎ですか。ここまで寧々が押すのも珍しいけど。

本当はエロいシーンを書こうと思ったけど、途中でやめちゃいましたね。まぁ、フェラと手コキで終わるから。
分かり切ったものを書かんでも…と思ったわけです。見たい人いたら言ってー。書きたくなったら書くからww

つうか、神崎はどM受としか見えんなw
たぶんゴーストライター新垣氏と同じだぜw (違ッ



ちなみに、寧々みたいな肉食女子については「すげぇなー…やべぇなー」と思いながら書いてます。僕には無理w
ここまでできたら、何か人生変わるような気がしますよ。て、ただの痴女じゃんw
2014/03/02 10:21:55