──最後くらい、足掻いてみてもいいじゃない。




 下駄箱で靴を履き替え、例年通り葵も寧々も下履きは置いたまま、この校舎から去る。わざと遠回りで歩き校庭を通り校門から出る。そこで、見慣れた後ろ姿が葵の目に映る。細身の二人組の黒いシルエット。先の話なんて忘れたように、寧々は葵に耳打ちする。
「男鹿っすよ、姐さん」
 言われるまでもなく理解している。目の先にいるのは男鹿と古市だと、きっと、寧々よりも先に気づいていた。黒と銀の髪。一人は赤子をおぶった背中で、どちらもほっそりした体格の二人組。寧々の言葉は胸に沁み入る。彼に言いたい言葉はある。けれども、彼に好きとか付き合ってほしいとか、そんな言葉は邪道だ。そんなことはわかっている。でも、学校で会える最後の日という今日に伝えたいことがあるのもまた事実。もやもやがひしめくこの胸のなかのことなんて、男鹿当人はまったく考えもしないのだろうけど。
 と、そのとき、葵たちの気配に気づいた古市が足を止めて振り返った。足を止めているので、男鹿に置いていられる格好になっていることを、古市は知らない様子で、ぼんやりといった調子で寧々と葵の二人が歩いてくる様を見ている。どことなくマヌケな姿だ。そんな古市は満面の笑みを浮かべている。当然か、彼は女という性が好きなのだし、彼女たちが来る意味を理解し
ている。ある意味では、深読みまでしても。そう、待っていたわけでも、下校時刻を合わせたわけでもない。けれども同じ時間になったことと、葵の男鹿への思い、帰宅。すべての可能性について瞬時に、聡い古市は理解したと考えるべきで、それこその笑みなのだろう。
「邦枝……先輩」
 古市の声がなにかの合図になったみたいに、男鹿もサッと振り向いた。葵と寧々はそのまま突き進んだ。先に感じた、祈りにも似た、男鹿への思いと恋心への別れ。そんなものがただの気の迷いでもあったかのように、霧が晴れるように思いも明らかになっていくのが分かる。高校が終わっても、きっとこの気持ちは終わらない。
「大森先輩」
 古市は寧々と視線を合わせ頷く。男鹿はその隣で口を開きかけてやめた。寧々と葵はもう二人に追いついた。呼ばれた寧々はここまで近づいてからようやく返事をする。
「どうかした?」
「話があるんです。ちょっと、横道それませんか」
「え……? それってどういう…」
 ここまで言うと寧々の側が狼狽える。それと同時に、葵もなぜか狼狽える。つまり、葵は瞬間的に悟ってしまったのだ。寧々と古市がいなくなるということは、残されるのは葵と男鹿ということになる。二人で帰る。二人きりで帰ることになるのだということだ。理解すると緊張してきた。また同時に、古市は寧々に用があるとは思えない。要は気を利かせるつもりなのだろう。葵の気持ちを汲んで。それを思うと、男鹿に気持ちを伝えないのは逃げなのではないかとも思った。こんなときの寧々は聞き分けがよく(もちろん、寧々も今となっては男鹿とのことを応援してくれているからなのだけど)、古市は機転が利くのだった。強引に古市は寧々の手を握って、言葉どおり「じゃな」とだけ言ってサッサと脇道に逸れてしまった。葵と男鹿がそこに残される。ぽつん、としたのもつかの間、男鹿が葵にいう。
「俺らも行っか」
「アーイダー!」
「え、う…うん」
 帰り道はドキドキ。けれど今ほど永く長く続けばいいと思ったことはない。一歩がもったいないと思う日がくるだなんて。冬の影は夏よりも長いのに薄い。そんなどうでもいいことを葵は思っていると、うまく自分の気持ちというものが言葉にならない。むしろ言葉にすることがどんどん遠くなっていくみたいな心持ち。葵は必死に頭のなかで言葉を探す。ぐるぐるぐるぐる駆け巡る言葉たちはなんの意味も成さない。どういえば男鹿に伝わるのだろう。今の気持ちも、これからのことも。そんな気持ちなど男鹿は知る由もなく、葵に聞く。今気づいたばかりと言わんばかりに。
「ガッコ、いつまでだっけ」
「え、と……き、今日、かな」
「今日かよ?! スッゲータイミング」
 合わせたわけじゃないけれど、本当は合わせたのかもしれなかった。諦めきれない思いをなんとかしようと一番していたのは、もしかしたら葵自身だったのかもしれない。無意識のうちの意識だったりしたら、それはほんとうにすごいし、やっぱり意識しすぎた結果ということになる。偶然と言い切れない心の迷いに首を横に振りながらも釈然としない思いを抱える。
「ケッコーおもしろかったな」
「うん。私、さいきんよく思うの。会えてよかったなあって」
 急に話が飛んだように思い、男鹿は言葉を途切らせて葵に目をやる。続く言葉を待っている、その視線が痛い。
「会えて、よかったよ。みんなに、男鹿に。」
 葵にしてみれば、せいいっぱいの含みを持たせたつもりだったが、男鹿はその言葉に動じることなく相槌だけで返す。会えてよかったというのは葵の本心だ。昨年、葵の一年上の東条、神崎、姫川らがこぞって卒業したときの喪失感。そして今年はここを去るのだという胸にポッカリと穴が開いたような空虚感。どちらも似て非なるものだと葵は感じる。だが、どちらも言葉にするにはどこか儚い。きっと彼らも来年になると分かるのだろう。こんな葵の気持ちが。──否、この男鹿という男にそれが理解できるなどとはとても思えない。葵は男鹿の腕を強引に掴んで身体を葵のいる方へ向かせた。急なことで男鹿もされるがままだ。



「好きです」
 手を握ったままいう。それを言うのは男の側からだと決めていた。むしろ、目の前の彼女は高嶺の花だとも感じていた。レッドテイルの、レディースの総長となってからは平素のサバサバっとした明るさに加え、長い髪の女らしさやプロポーションの良さ、アネゴ肌な性格も相まって、彼女はするすると男からの人気も、女からの人気もあっという間に得た。それだけの魅力があるのだから、高嶺の花と言い切るのは容易だ。だが、彼女は目の前でそんなことを言われては口をパクパクさせて狼狽えていた。なぜこのタイミングで言われるのか、また、彼からこんなことを言われるだなんて予想もしていなかったのである。顔が真っ赤だ。
「ちょ、ちょちょちょちょお待ち」
「どうしたんですか大森先輩」
「今日は姐さんが主役じゃないのさ。姐さんと男鹿の、告白の話なわけだからさ」
「そういう書き手の願いとかの話じゃないですよ、俺が言ってんのに」
 寧々が古市の顔を見ながら固まる。こういう急に乙女チックになるところはとても可愛らしい。いつものキリッとした態度からは想像できないが、たまに見られることがあった。赤く染まった顔を見ながら、その下にある豊満な胸が特攻服のなかに隠されている。それだけで古市の胸も弾む。寧々とは意味が違うけれど。その視線の意味を汲んで、寧々はその場でパワーを抑えること一切なしに古市に思いっきりビンタした。小気味良い音があたりにこだまする。誰もいないことを、よろめきながらに確認しながらも、男鹿のそれよりは効き目がないので頬を押さえながらも向き直った。女性というのは下心を読み込む天才なのだ。空気を読むよりも数千倍も数万倍も容易いらしい。
「うるさいッ! キモ市でモブ市のくせに」
「モブはひどいじゃないっすか
 先の言葉はないみたいに薄っぺらく、二人は口裏を合わせるでもなく空を見上げた。まだ明るい時間であるのは、まだ葵たちにも時間があるのだと言われているようで、すこしだけ心が温まる。今日という日がこれほどまでに意味を持つ。それだけが今の現実。
「アタシは、姐さんが後悔しないようにやってほしいって思ってるだけ」
「……先輩らしいっすね。ま、それには俺も賛成だし、手助けしたいって思ってますけど」
 葵の恋心はどこまでもまっすぐなのにこれほどまでに届かなかった。あの押せ押せな蛇崎ですらも玉砕して。
「あの、男鹿だしなあ」
「ホンット……」
「ソッチがちゃんと結果でたら、俺、また言いますから」
 きょとんとした寧々の目をまっすぐに見据えて古市は赤面もせずにスッパリと言い放つ。彼女のそんな表情はあまり見ることはかなわないだけに、いつもとは違った魅力で彩られている。アネゴじゃなくて、大森寧々という、その人の本質を抉った気がして。
「好きですって。ちゃんと、これから、どういうふうにしたいかって。俺ちゃんと言いますから。それまで二人を応援しましょ、ね?」
 そんなことを真顔で言われて、頭がパンクしないでいる女はバージンなんかじゃないよなぁと下世話なことを思いながら、また寧々は顔を真っ赤に染めた。せっかく外気が彼女の熱をようやく冷ましてくれたのにも関わらず。



「スキ、だらけ…じゃない」
 長く伸びた影は、風で樹々に隠れて見えなくなった。その間、男鹿の腕には柔らかな女性ならではの男にはないふくらみと、あとは今までに感じたことのないふんわりした感触のものがくちびるに触れたことと、視界が目の前の人で遮られて暗くなったこととが、一気に一瞬のうちに男鹿の身に降りかかった。その後、離れた葵の顔は、暗いところから急に明るくなって目がチカチカしている今ではよく見えない。見えないうちに葵は俯いて、さらに見えなくなった。ただ、やわらかいのはしあわせなことで、とても頭がぽやーっとして、ふわふわと気持ちが舞い上がるようなことなのだと、初めて男鹿は知った。
 一瞬のスキをついて、葵が与えたことは、男鹿にそんな思いを抱かせていたのだった。男鹿は、葵が俯いたままで歩くそのあとを、ゆっくりとついていった。二人は縦に並ぶばかりで、横に並ばないで歩く格好になる。今のできごとがまだ男鹿の頭のなかで処理しきれていない。ただ、ざりざり、とわざとらしく足を引きずって歩くことで足音だけが高い。それで後ろに男鹿はいるのだと、振り向かずとも葵にはわかる。そう、男鹿はなにがあっても、逃げ出すことはない。ちゃんと葵を向いていてくれている。それは、いったいどういうつもりなのだろう? 葵には男鹿の気持ちが分からなかった。
「なあ、邦枝…、卒業式出んだろ?」
「……私、…でない」
「ふーん」
 またざり、ざり、という男鹿が靴の底を砂がひっかく音が耳障りだ。だがそれがあるから振り向かずにいられる。遠くなれば音も遠くなるからすぐ分かる。彼はついて歩いている。だが、それはどこかおかしいように思えて、葵にはならない。どうして今こんな会話をしているのか。先のことがまるでなかったことになっているかのような、音だけが高い平穏。
「じゃあ今日で終わりかあ。いいな、俺も早く卒業してー」
 勉強などなくて、ただ通えばケンカしているだけでも卒業できる学校だ。卒業なんて簡単なことを分かっていてそれを言うのはどこか滑稽に思われるが、それだけに通うのも面倒ということなのだろう。そんなことは葵にとってはどうでもいい。この居心地の悪い空間と、男鹿との距離感について。なんだかイラつく。
「男鹿…? イヤだった、んだよね。…さっきの」
「イヤ? さっき……の、って…?」
 どくどくと鼓動が高鳴るのを抑えられるはずもない。葵は足を止めて、後ろを向くがまだ男鹿の足元あたりしか見ることはできない。そして、気まずいほどの沈黙が、男鹿と葵との間に広がる。
 そして、待つ。──待つ。──…待つ。────待つ。
 答えも、続きも、なにもない。待てども、なにもない。しかたがない、葵は意を決して男鹿の顔を見た。そのときの男鹿の顔は、鳩が豆鉄砲を食ったような、間の抜けた、なにがなんだかわからないといったような顔で。あまりに、拍子抜けした。だが、葵だけが火の噴きそうな真っ赤な顔をしているものだがら、男鹿はそれを見て、そして指差してゲラゲラと笑った。
「なんだよその顔っ、ゆでダコか」
「ちょっ……!? なんで笑ってんの? 分かってないの、本当に?!」
 理解できていないということに驚くばかりだ。葵は思わず口にしてしまう。信じられない気持ちで。普段なら自分からそんなことなど口にできない、そんな心の弱いというか、恥ずかしがりというか、そういう性格だというのに。あまりの驚きと苛立ちで、人の性質まで変えてしまうものなのか、と己で思うほどに、出た言葉はストレートだった。
「さっき私、腕引っ張って、それで……キス、したんだよ? スキだらけだったから。男鹿が、スキだらけだから悪いんだからね?! 分かってないワケ!?」
「………ハ? キ、…キ、ス…?」
 男鹿の頭のなかにあのやわらかさが蘇る。くちびるに触れるそれが葵のくちびるだったことに、今度は男鹿が顔から火を噴く番だった。で、腕に触っていたのは葵の胸だったわけだということを、またすぐに理解した。だが、行動が理解できたからといっても、その真意にたどり着くまでには遠い。男鹿はゆでダコみたいな葵に目をやり、ゆでダコみたいになっているであろう自分のことをも理解しながら、だが、言葉は驚きと恥ずかしさのあまりに言葉を発せずにいる。ただ、二人は見つめ合うような格好のまま、そこで停止。まるで、このまんま近づけばキスしてしまう、かのような。
「今も、スキだらけ……じゃない」
 先に言われた言葉とかぶるその言葉は、あまりに先の感触を男鹿の記憶に蘇らせようとしているみたいに、彼の脳内に立ちはだかって避けようとしない。間近にある葵の顔と、男鹿の顔。先のやわらかな感触を思い起こさせる既視感。既視感、という呼ぶのは間違っているのだろうけれど、触れないそれがどこか懐かしい。またあのやわらかさを感じることは、きっとない。なぜなら、男鹿はそこから踏みとどまったまま一歩を踏み出すことはないだろうから。キスという過去が、まだ脳内処理しきれていないから。だから、後押しするのは葵の方からで。
「邦枝……おおおおおお、おま」
 かなり動揺している。しかも、今までに見たことのないほど滑稽なぐらいのレベルで。葵に軍配が上がったようだ。赤面の熱も取れた上に、男鹿のナイーヴさとウブさについては葵以上のものであったと瞬時に結論づけて、葵は優位に立つ。もはや手綱は握られたまま。誰が予想するだろうか、こんな二人の未来を。
「キスの意味、わかってる…?」
 いつだって逃げられるほど触れ合っていない状況で男鹿は足をすくませる。こんなに逃げ腰な彼を見たのは初めてのこと。そして、ケンカならば絶対に見ることがかなわないであろうこと。葵は半歩だけ、そんな弱気な男鹿に近づく。顔と顔が触れてしまいそうなほどに間近にその人はいて、それは胸をザワつかせるものなのだと、理由もわからずその事象だけを男鹿は理解する。返す言葉もどこか弱気な印象を受ける。
「し、……知るかよ」
「じゃあ、教えてあげる」
 もう一度、キスをすればきっと分かる。愛とか恋とか、そんな抽象的なものについて理解できていなくても、それを感覚として受け止める準備はきっとできるだろう。そう思いながら葵は言葉を紡ぐ。
「───スキってことよ」
 ギャグのつもりもないけれど、結局答えはこんなくだらないほどに足りないレベルの語彙でなければきっと、男鹿には伝わらない。
「キスするくらいの、キスしたいくらいに、……スキ」
 伝わっていればいいなあ。そんな思いに身を焦がしながら葵は男鹿に抱きついた。身をよじらない彼はきっと、それを理解してくれているのだろう。言葉ではなく、感覚として。


 それがこれからの未来、どんなものを生むかだなんて葵にも男鹿にも知る由もない。ただ、スキがそこにあるだけ。受け入れてもらえる幸せと、そばに来いと言える安心が共存して、きっと、二人の想いはつながるのだろう、きっと。





16.06.28


えー、まずこれはだいぶ前に書いてた(シリーズ、というには細いですが、お題ったーのやつでした。
あおいへのお題:誰か過去形にしてください/「ほら、おいで。」/なくしたものを数えてばかり
http://shindanmaker.com/122300 )一応今回で最後になります。
で、葵ちゃんへのお題なのは最初から決まっていたので、時期は外れてますが卒業と絡めたものを書こう!と思ったときに、相手は誰?というかありがちなネタ構成なだけに、「自分らしいものを書く」というより「書きたいものを書く」つもりで書きました。
どーせ、というのもアレですが、オリジナリティもネギらしさもないと思ってますw そして面白いわけでも泣けるわけでもない。自分で言ってて虚しい………

最近は男鹿と葵ちゃんが付き合ってる設定で書いてた(深海にてシリーズだったもんで、、)のでこういうのは原作になるべく沿わせたつもりで新鮮だったんではないでしょうか?
一応、自分が書く以上はこれがしっくりくるかな、と思いながら書いてました。
付き合ってない以上、葵ちゃんはとにかく飢えてます。あ、やらしい意味じゃないよ念のため。とにかく不安なんです、片思いだし。でも周りは後押ししてくれます。男鹿は鈍すぎるから。

あと、なぜか古市が暴走しましたね、ゆる〜〜〜く。
ただ、まじめな告白じゃないと思ってます、書いてる側としては。言葉はまじめなんだけど、気持ちはそこまでな感じはしてません。
なんというか、いくら女の子好きでも、男鹿の恋愛ごとに乗じて告ったりはしないと思うんですよね。そういう姑息なことはしないというか。それなら負けるケンカ挑むんじゃないかと思う。そのくらいの男気はあると思う。古市は。


この続きはありませんが、なんか原作寄りのラブストーリーの始まりみたいな感じで書けだかなぁと思う。
さすがの男鹿でも、ヒルダとのキスで〜って原作の話でかなり動揺してたんだから、しちゃえばいけるんじゃないかと思いながら書いたのもありw




2016/06/28 18:22