冬よりも、春の方がいいと思った。
 俺たちがこれから暮らし始めるマンションは、冬に下見をしたときより今の方がよっぽどよく見える。
 最初はせっかくの10階建てマンションでなぜ二階なのかと思ったが、今ようやく父親の思惑を知る。
 マンションのすぐ隣に、桜の樹があったのだ。窓を開ければ花びらが吹き込んでくるほどの至近距離で、綺麗に咲き誇っている。
 こんなにも美しくささやかな場所で、俺はこれから、鈴珠と二人で暮らすのだ。父親には感謝してもし尽くせない。
 あの雪の日を境に、鈴珠は母親のもとを離れた。母子家庭手当云々で騒がれるのもいやだったので親権はそのままにしてあるが、実際の金銭面などを世話するのは父親である。
 そして一人きりになった鈴珠のために、この春から新しい部屋で新しい生活を送ることにしたのだ。
「鈴珠おいで!」
 部屋で自分の荷解きをしているはずの鈴珠は、少し遅れてリビングにやってきた。隠すこともない不機嫌を顔に張り付けて。
「なに?」
「いや、桜すごいなって」
「そんなことでいちいち呼ばないで」
「つーか、機嫌悪くねえ?」
 指摘するとますます眉がつり上がった。
「悪くない、うるさい、帰る。もう呼びつけないで。あと部屋にも絶対来ないで」
 どこか念を押すような口調に、ようやく合点が行った。
「ちょいと失礼。部屋入るぜ」
 扉をふさぐように立っていた鈴珠を押しのけ、無理矢理に部屋へ入る。後ろで鈴珠が叫んだ。「今! 入るなって言ったのに! 死ね亜麻!」
 開いた扉の向こう、予想していた惨状。五個もない段ボールでどうしたらここまで散らかせるのかというほど、部屋が汚い。
「引っ越し業者が泣くな……」
 哀れ業者よ、綺麗かつ取り出す順に積んだ段ボールは破壊神鈴珠によってすべてが台無しだった。
「だ、大丈夫だってば! ちょっと崩れてきただけ!」
「明らかガムテープ引きちぎってあんぞ」
「……ひとりでできるもん」
 悔しそうに呟く鈴珠。
 時計を見てみると、あらかじめ宅配を頼んでおいた新しい家具が届くまで一時間を切っていた。届く家具の中にはもちろん、鈴珠のベッドやタンスなんかもある。
「うし、とりあえず必要最低限だけ残して、残りは一旦また段ボールに戻すか。鈴珠、今出さなきゃ困るもんなんだ?」
「ま……待って。わたし、ひとりでできるから、大丈夫だから」
「馬鹿、この大荷物があと一時間でどうにかなるか。ベッドとかくんだぞ、どうすんだ。このままじゃ入んねえぞ」
 ただでさえ鈴珠は体も小柄だし、それに加えて要領が悪い。賢く生きることを知らないのだ。
「それに、これからは二人で暮らすんだから、協力できるとこはしてこうぜ。なんのための兄妹だよ」
 目を丸くした鈴珠を残し、段ボールを開けるためのカッターをリビングへ取りに向かうと、後ろからばたばたと足音。
「亜麻!」
「はいはい」
 カッターを見つけて、振り返る。
 そのとき開け放った窓から桜の花弁を孕んだ春風が舞い込んできて、短くなってしまった鈴珠の髪先を揺らした。
「こ……これから、よろしくっ」
「――はい、よろしく」
 赤い頬の鈴珠を撫で、俺は目を細めた。
 これから二年後の春に起こることなんてまだ知らぬ、穏やかな始まりが、そこにあった。
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