終章


 俺の足が治るのに、二週間がかかった。
 今度こそ完治するまで絶対に動くな、と一番合戦先輩にきつく言いつけられ、一週間は自宅監禁、その後は学校登校こそ果たしたものの、一尺八寸やきのみさん付きの介護生活である。
 そして今日は遂に、俺と鈴珠の結婚式。
 控え室に入るという直前、鈴珠が最後の悪あがきとばかりに喚いた。
「あーもーすっごいいや」
「マリッジブルーか」
「それはない」
「じゃあなに?」
 一瞬の間の後、鈴珠は平静を装う。
「亜麻の配偶者になるなんて」
「……よくもそこまで色気のない言い方できるな、お前」
 すると学長室の扉が内側から開き、中から五十公野高校学園長――田舎館悠が、顔を出した。
「なんだ、来ていたのなら声をかけろ」
 後ろで綺麗に結った黒髪と、ボディラインにぴったり添わせるマーメイドドレス。どこかで見たようなその美貌も含めて、今日も学長は年齢不詳だった。
 俺と鈴珠の挙式は、今日、学校で行われる。
 学長は、直々に鈴珠の衣装やヘアメイクを担当してくれるらしい。
「そうだ、式の前にこれ渡しとく」
 鈴珠を学長に引き渡す直前、ふと思い出して、俺は用意していたものを鈴珠に手渡した。
「……なにこれ」
「指輪。安もんだけど、婚約指輪の代わりにしといて」
 一万円前後で買える程度の、安いプラチナリング。今の俺にはこれで精一杯だった。
「婚約指輪って……超後付けじゃん」
「そうでもしないと、全然実感ねえんだもん。記念に取っとけ」
「ふーん。右でもいい? 左だと目立っていや」
「好きにしろ」
 右手の薬指に嵌める鈴珠。七時半の朝日に掲げて、鈴珠がまんざらでもなさそうにする。
 それを眺める俺に気付いたのか、鈴珠がかっと頬を染めて学長室に入っていく。
「じゃ、またあとで」
「おう」
 鈴珠と別れ、裏生徒会室に向かおうとしたところ、学長に呼び止められる。振り返ると学長は若干芝居がかった仕草で、恭しく頭を下げていた。
「本日は誠におめでとうございます。愛してるぜ」

「結婚おめでとー」
 裏生徒会室へ入った瞬間、顔面に水をかけられた。ステレオでやる気なく祝福を寄越す双子の手に、大きめのグラス。
「……なんで水?」
「クラッカー買うお金なかったからー」
「水なら水道汲むだけだしー」
「兄さん、クラッカーを水に変えたらもうそれはただのいじめだと思うよ」
「まま、記念すべき日なんだから怒らないでねー」
 嘆息しつつ濡れた顔を拭う。久しぶりに着た制服が、さっそくびしょ濡れだった。
「それにしても、意外と似合うな、そういうの。普段からそうしてりゃいいのに」
 双子はいつもの学ランやジャージとは違い、可愛らしいミニ丈の色違いワンピースを着ていた。俺の褒め言葉などはあっさり「さんきゅー」と流して、物集女を代わりに押し出してくる。
 物集女もまた、膝丈程度のワンピースに白いショールを羽織った格好。
「亜麻、本当に着替えんくてええの?」
「メインは鈴珠だからな。ネクタイとジャケットだけ貸してくれ」
 それを差し出してくれたのは、もっともフォーマルなスーツとドレスを着た和先輩たち。
「あーくん、ネクタイつけたげようか」
「やめとけ出雲郷。首絞められんぞ」
「あたしがやるよ」
 横からネクタイを奪い、俺の首もとから元のネクタイを引き抜く白先輩。挙式用のネクタイを手際よく結ぶ。ゴシック調の真っ黒いドレスが白肌によく似合っていた。
「じゃあジャケットはわたしが着せてあげる」
 俺の黒いジャケットを手にしたきのみさんは、ゆったりとしたラインのくるぶし丈ワンピース。袖を通しながら、二人に礼を述べる。
「終わった? なら俺が仕上げね」
 スーツを緩めに着こなした見槻先輩が、いつもの香水を俺に振りかける。
 最後の人物へは、俺から声をかけた。
「お前、そうしてると完璧に本職の方だぞ」
 真っ黒いスーツを着こなした一尺八寸は、苦笑いを返す。
「自覚してます」
 そのとき、扉が荒々しく開いた。予想はしていたのでさして驚きもせず顔を向ける。
 露出度高めのドレスと派手な色をした巻き髪、異様なほどに白い肌と不健康にやせ細った体。息を乱して現れたのは、紛れもない俺たちの母親だった。
「鈴珠は……っ」
 手には学長が今朝送りつけたという招待状。だが母親のその格好は俺らの式のためなどではなく、あくまで今日予定されていた見合いのためのもの。
「鈴珠は、どこ!?」
「ここ」
 答えたのは、開いた扉の向こうだ。落ち着いた声に誰もがそちらを向く。
 そこには、真っ白いウェディングドレスを着た鈴珠がいた。学長に施してもらった薄く綺麗なメイクと、二つ結びを解いて緩くウエーブさせたロングヘア。
 そんな鈴珠の横に並ぶ一番合戦先輩は、灰色の髪を後ろで一つに纏め、この場にいる男の誰よりも美しくタキシードを着こなしていた。
「亜麻」
 呼びつけられるがまま鈴珠の隣に並ぶ。母親が激昂した際の護衛として一尺八寸もさらにその隣へついた。鈴珠を取り囲むようにして、三人。
 絶句する母親に向けて、鈴珠はそっと頭を下げる。顔を上げた時、鈴珠は微笑んでいた。
「お母さん、今までありがとう。わたし、亜麻と幸せになるね」

「なんで私が父親役なんだよ」
 タキシードを緩めながら、一番合戦先輩がそうぼやいた。
「見槻か一尺八寸にやらせろ」
「癪じゃないですか、やらせんの。鈴珠と並んで歩くなんて俺ですらやらないのに」
 屋上の風に晒されて、一番合戦先輩の髪がぱたぱたと揺れる。俺の緩めた襟元から風が入り込んでくる。夏へ向かうこの日差しの中では、それが心地よかった。
 母親が茫然自失といった様子で帰った今、階下の裏生徒会室では軽い祝勝会が行われていることだろう。そんな中、俺と一番合戦先輩だけが抜けてきている。
「それよりどうだよ、あの女は。またこんな騒ぎ起こされるのは御免だぞ」
「多分もう大丈夫ですよ。学長が婚姻届まで見せたことですし」
「まあ、それも偽造品だけどな」
 結婚式、婚姻届。それらはすべて学長と俺らが用意した偽物だ。
 実際のところ俺と鈴珠は結婚などしていない。
 あの日鈴珠が俺に託した願いは、引き分けてほしいという旨のものだった。婚姻届は学長に提出する、式も学校でならする。だが、それらはすべて母親を欺くためだけに使ってほしい。それならばすべてが元通りに戻れる。鈴珠はそう言ったのだ。
 だがすでにあの女から親権は奪い取っている。親権の剥奪は今後こういうことがないように、見せつけの式は今回鈴珠を諦めさせるために。もう母親が手出しできることはないだろう。
「これでよかったのか、出雲郷は」
「鈴珠に母親がいなくなったってのはちょっとあれですけど、まあ仕方ないですし」
「それじゃない。結婚したかったんじゃないのか」
 割合真面目な問いかけに、苦笑を返す。
「したくなかったって言えば嘘ですけど。でも結局、引き分けなかったとしても婚姻届は学長止まりですし。第一、有効なのは高校三年間だけでしょう?」
「まあ校則だからな。社会に出たら校則は通用しない」
 最初から、結婚にあまり意味はない。もし俺らが兄妹でなかったとしても、だ。
 永遠の幸せなど、誰にも誓えはしない。
「それに、なんていうか……同棲は最初からしてるし、名字も昔は一緒だったし、指輪は一方的ですけど渡したし、結局、結婚ってなんなんだろうなって」
「結婚なんてそんなもんだろ。正式な意味での『結婚』は紙一枚で終わってるんだ」
「夢ないすね」
 軽く笑う俺を、一番合戦先輩がちらりと見る。
「でも、まあ、お前らがどっちも幸せならいいんじゃないか。それでも」
「鈴珠はともかく、俺は幸せですよ。色仕掛け目的とはいえキスしてもらえましたし」
 互いに顔を見合わせて、ふ、と頬を緩める。なんというか、だめだめだ。
 何も変わらず、何もない日常に戻ってきたこと。それだけが俺らの結婚で動いた事実。それだけで、俺たちの結婚に意味はあったと信じたい。
 すると屋上の扉が開き、物集女が顔を出した。
「あの……せっかくみんな面白い格好してるから、写真でも撮りませんかって右京と左京が。それで、亜麻と鼎さんも……」
「ああ。戻りますか、一番合戦先輩」
「写真はいいが……面白い格好は私と京双子だけだろうに」
 ぶつぶつ言いながらも、一番合戦先輩が階段を降りていく。その後ろを着いていく俺の袖を、物集女がついっと引っ張った。
「亜麻……裏生徒会、やめたりしないよな?」
 不安げに眉の下がった顔。軽く笑って団子を握った。
「こんな面白いとこ、やめるわけないだろ。もっと仲良くなりたい人もいるしな」
「……ほんまに?」
「訊いといて疑うのか」
 吹き出しながら階段を降りる。ようやく信じたのか、物集女は嬉しそうに俺を追いかけてきた。その様子にまた笑う。
「ね、話したい人って誰?」
「うーん、きのみさん」
「うそ!」
「嘘。本当は白先輩」
「そ、それは……ほんまにほんまっぽくて、嫌やなぁ……」
 唸り始めた物集女と共に、裏生徒会室へ入る。するとすでに撮影の体勢についていた純白姿の鈴珠が、現行犯、と口を動かした。それに気付いて、爆笑する。
 安物のプラチナリングが、その手で光っていた。
 夏の兆しを見せ始めた五月の初め。もう求めるものはないはずの裏生徒会室。
 ここから、また、すべてが始まる。
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