相良奈月が泣くところを、始めて見た。
「どうした」
「うっせ。話しかけんな」
階段に座り込んだ奈月は、立てた膝に顔を埋めていた。肩が震えているのは、寒さのせいだけじゃなかったと思う。
俺は少しだけ間を空けた隣に座って、待った。奈月が泣き止むのをか、それとも喋り出すをか。何を待ったのかは自分でもよくわからなかった。ただ、奈月を一人にする気は起きなかった。
吹奏楽部の微妙な演奏とサッカー部声。帰宅部な俺と奈月は、それを聞きながら、ただ、黙って座っていた。
「……ふられた」
奈月がようやくそう呟いたのは、俺の指先の感覚がなくなってきた頃だった。
「杉山だっけ」
「そう」
「泣くほど好きだったのかよ」
「違う!」
奈月は泣き顔を上げ、俺の肩を八つ当たり気味に叩いた。
「悲しいんじゃない、むかついてんの!」
「何に」
「あんなのと二か月も付き合ってた自分に!」
無人の廊下に奈月の叫び声が響く。冷たい空気の中に混じる、奈月の荒い息。
再び泣き出すまでに、さして時間はかからなかった。但し今度は膝でなく、俺の肩あたりに顔を埋めて。
こういうとき、俺たちの関係は曖昧だ。
ただのクラスメイトでも、恋人同士でもない俺は、どう奈月を受け止めてやればいいのかがわからない。
泣き喚く奈月をどうすべきか少しだけ迷った後、控えめに頭を撫でた。
「むかつく! むかつくむかつくむかつく! 二か月も付き合ってやってた、なんて言うような奴と付き合ってた自分が!」
「……杉山がそんな奴だなんて、みんなわかってただろ」
「知るわけない! 告白されるまで興味もなかったんだから!」
ていうか、と奈月は俺を睨み上げた。
「知ってるならなんで教えてくんないの!? もし賢人がその時止めててくれれば、今頃こんなことにならなかったかもしれないのに!」
杉山から告白されたと奈月から聞いた時、俺は何も言えなかった。付き合うのを止める権利が、俺にはない気がしていたのだ。
苦し紛れの言い訳は、掠れた。
「……友達に、止められてたろ。でもお前、やめなかったじゃねえか」
「賢人に言われてたらやめた! 私は、あんたの言うことだったら信じてた!」
返す言葉もなかった。俺は、奈月が寄せてくれていた信頼を仇で返したのだ。
中途半端な関係の距離を図りかねて。背中を合わせることしかできないもどかしさを解決せずに。
自分以外の男と奈月が付き合う不快感を、杉山だからと言い逃れて。
後頭部に手を添え、引き寄せた。奈月の濡れる眼球が驚きに見開かれる。
触れ合わせた唇は、酷く冷たかった。
奈月は抵抗せず、震える瞼をそっと下ろしただけだった。
数秒程度のキスを終えて、奈月をきつく抱きしめる。奈月は俺にもたれた。
「……悪かった」
「……なにが?」
「止めてやれなくて」
奈月は何も答えなかった。
「次はちゃんと止めるから。自分勝手な理由で、泣かせたりしない」
「……わけわかんない。もっとわかりやすく言って」
「好きだ」
驚くほど簡単に口に出た。ずっと前から用意されていたかのように。
「お前が好きだ。だから、もう泣くな。他の男のことでなんか」
「……ん。わかった。もう泣かない」
奈月は、私も好き、などとは言わなかった。
ただ、俺を抱き返して、涙を拭いた。