好きになるということは、大切にしたいということだ。
「なんだそれ」
 俺は、思わず頓狂な声を上げた。亮太の開く雑誌を横で流し見ていたら、そんな一文が目に飛び込んできたのだ。気怠げにページを捲っていた亮太も手を止める。
「おい亮太。この雑誌、適当だぜ」
「雑誌なんかに正当性を求めんなよ」
 苦笑した亮太が、カラーページの間に挟まれる、その下らない恋愛特集に目を落とす。
「でもこれ、結構的を射てると思うんだけど」
「マジで言ってんの?」
 亮太はこんな雑誌に感化されるような人間ではない。それどころか、普段はカラーページしか読まない。ということはおそらく、本気で言っている。
「亮太、彼女いたよな。やっぱ、大切にしたいとか思うもんなん?」
「まあ多少は。ていうか、お前は相良のこと大切にしたいとか思わねえの?」
 相良奈月。高校からの付き合いで、示し合わせたわけでもないのに、大学も学部も同じ女。告白は、お互い未だにしたことがない。だから、キスはデートより先だった。
「奈月を大切にしたいとか、微塵も思ったことない」
「うわ、最低」
「いや、俺らってかれこれ五年以上一緒にいるじゃん。しかも俺も奈月もインドア派だからあんまデートとかしねえし、だからなんていうの、兄妹みたいな感覚」
「あー。それはまあ、ちょいわかる」
 普段の俺と奈月を思い出したのだろう。亮太は得心したように頷いた。
「お前らがキスとかセックスしてるとこ、全然想像できねえもん、俺」
「それはしなくていい」
「つーかお前ら、ちゃんとしてんの、セックス。まさかしたことねえとか言わねえよな」
「それはないけど。つーか、セックスセックスうっせえよ。中坊かお前は」
 体をぶつける。亮太は軽く笑いながら、ぽんぽんと俺の肩を叩いた。
「まあ、一回相良に訊いてみれば? 内心では超してえかもよ」
「うるせっつの」
 肩に乗せられた亮太の手を抓る。ちょうどその時チャイムが鳴って、亮太はさっさと講義へ向かった。そこに、開きっぱなしの雑誌が忘れられていた。追いかけようかと顔を上げるが、もう姿は見えない。
「……明日返せばいいか」
 俺は仕方なく、その雑誌を鞄に押し込んだ。

 講義を終えて帰ると、俺の部屋に奈月がいた。ベッドに寝転がって雑誌を読んでいる。
「おかえりー」
 俺に目を向けることすらせず、足の指をぐにぐにと動かすことを代わりとしている。玄関横の靴箱上に合鍵が置いてあることを確認してから、俺も中へ入った。何でもかんでも物を放る癖のある奈月は、しょっちゅう自分の家の鍵やらここの鍵をなくしたと騒ぐのだ。
「午前だけ?」
「そう。それよか賢人、お昼どうした?」
「今亮太と食ってきたけど。食ってないんなら出る?」
「んー……」
 腕が疲れたのか、仰向けからうつ伏せに体勢を変える奈月。
 こういう時、優柔不断な奈月は決めるのに時間がかかる。その時間を俺は、緩いデニムがずり下がって見える奈月のふくらはぎを何とはなしに眺めて過ごす。
「動くの怠いからいいや。さっき冷蔵庫にあったハムとアイス食ったし」
「おい、なに俺のハーゲンさんに手出してんだよ」
「ハーゲンは私の方がいいってさ。お前のことはもう過去なんだよ。……あ、ていうかさ、今日と明日泊めて。お母さん今日から友達と旅行行っちゃうの」
「へー。どこ?」
「沖縄。いいよなー、私も行きたかった」
 奈月は雑誌を読みながら、片手でスマフォを弄っている。俺はまだパカパカ携帯である。
「夜はどうする。買う? 食う?」
「外出るのめんどい。賢人作って」
「作るにしても買いだし行かないと。貴重な食料であるハムをお前が食ったから」
「あったら何が作れたん?」
「ハムトースト」
「じゃあハムなしで」
「代わりにマヨネーズかけときますね」
 結局何も決めないまま会話が終わる。夜になればどうにかなると思っているから、俺も奈月も無理に決めようとはしない。気分屋な奈月のことだ、例え今決めたところで夜になればころっと意見が変わるだろう。
 奈月を足で押しのけ、昨日買った短編小説を持ってベッドへ割り込む。ソファなんて洒落たものを置く金もスペースもないため、座る場所がここしかないのだ。
「ちょっとぉ。美少女を足蹴にしないでくれる?」
「えっ、美少女どこにいんの」
「可愛い彼女って言い直してあげてもいいよ」
「あー、可愛い彼女が欲しい。紹介してくんない?」
「抉れろ」
「抉れてんのはお前の胸だろ」
 蹴られた。大した威力でもなかった。
「何でこんなのが彼氏なんだろう……もっと優しい人にすればよかった」
「あ、そうだ。今ので思い出したんだけどさあ、お前って、俺の彼女なの?」
「はあ? 何言ってんの、今更」
 持参していたらしいスマフォの充電器をコンセントに刺し、奈月は一笑に伏した。
「それとも何、セフレとか言い出すの?」
「女の子がセフレとか言うんじゃありません」
 ただでさえ狭いベッドに二人も乗っているため、自然俺の太腿に乗っていた奈月の足を軽く叩く。雑誌をベッドに置いて、スマフォを持った奈月が仰向けになった。
「第一、セフレってほどヤってねえだろ。お前が嫌がるから」
「だってあれ後々めんどいし……ていうか、え、なに? 賢人エロいことしたかったの? ヤることでしか愛を感じられないとか言っちゃうアイタタ系の人だったの?」
 スマフォから視線を外して、丸い目で奈月が俺を見る。今日初めて奈月と目が合った。
「言っちゃう系ではねえけど、まあ、ヤりたくないっつったら嘘になるな」
「……マジで? やっばい、今急に身の危険を感じた。泊まるのやめようかな」
「心配すんな、お前だけは絶対に襲わねえから」
「じゃあ誰襲うってんだよ。この浮気男」
 自分の間違いに気付いた時には、奈月は上半身を起こしていた。
「浮気は別にしてもいいけど、病気とか移されたくないからエロいことはさせないかんね。ていうか何だ、好きな奴でもできたんならさっさと吐け」
「あいたたたた」
 俺の鼻を摘む奈月の口調こそは軽いが、その表情は不機嫌丸出しだ。
「違うっつーの! これ見ろこれ!」
 結構な力で鼻を引っ張り上げる奈月の額を押しのけて、鞄から先ほどの雑誌を取り出す。開き癖のついているページを鼻先に突きつけてやると、指先の力が微かに弱まった。
「……恋愛特集? ていうか賢人、雑誌なんて読まないっしょ。買ったの?」
「亮太の。つか、離せこれ」
 試しに引っ張ると、意外にも簡単に奈月は手を離した。雑誌に目を通す奈月の顔はもう平温に戻っている。怒りが持続しないのは奈月の長所だ。
「それ見てて、俺らってデートとかあんましねえし、告白もしたことないしで、マジで彼女なのかなーと思っただけ」
「あー、私ら、キスから入ったかんね。デートはセックスより後だったし。ていうか、賢人、デートとかしたかったの?」
「いや別に。ヤりはしてえけど」
「でも賢人、無理やりはしないよね」
「まあ、泣かれながらヤる趣味ねえからな」
 奈月は一週間のうちの六日ほどをこのアパートで過ごしているし、しょっちゅう泊まりもする。だが俺はその中で、奈月に事を強要したことは一度としてない。
「じゃあ、合ってんじゃんこれ。したいけど、一方的には絶対にしない。それって十分大切にされちゃってると思うんだけど、私」
 どこか嬉しそうに笑う奈月に、俺も顔が綻んでしまう。冷めてるかと思えば、今度はこれだ。大人なんだか子供なんだかわかりゃしない。
「お前、そんなんでいいのかよ。安上がりだな」
「何も、毎日手繋いでデートしてキスすることだけが大切にするってことじゃないでしょ。賢人、私が飲み会とかで酔っぱらったら迎えに来てくれるし」
「途中でのたれ死なれたら困んだよ」
「素直になっちゃえよー。好きなんだろ、相良奈月ちゃんのことがよー」
 調子に乗ったのか、奈月は俺の足に跨ってくる。俺はその緩んだ笑顔に感化されて、触れさせるだけのキスをした。
「好きだよ、悪いかよ」
「……やっばい、惚れそう」
「惚れろ惚れろ。存分に惚れろ。そんでエロいことさせろ」
 軽いキスを返した奈月は、珍しく真正面から抱きついてくる。間近で揺れるセミロングの髪から香る、シャンプーの匂い。今夜は俺と同じになるのだ。
「おいしい夜ご飯食べさせてくれたら、いいよ。朝まででも付き合ってあげよう」
「よっしゃ、何でも食わせてやる。何食うか決めとけよ」
「肉食いたい、肉」
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