三章


   『生徒会長 無花果鈴珠
    副会長  一尺八寸私市
    会計   和和・和
    書記   白紅娘
    庶務   二千六百年きのみ

           以上を、今年度の生徒会とする。』


「この会計は何なんでしょうね……わわ・わ? まず名前ですかこれ」
「出雲郷」
「あ……それなら多分、双子さんやと思う……二年生か三年生か、忘れてもうたけど……」
「出雲郷」
「んで、名字が和(かのう)でさ」
「出雲郷」
「名前が、和(しずか)さんとー」
「和(なごみ)さんていう人たちですよねー」
「出雲郷」
「へえ。一番合戦先輩も知ってます?」
「ああ、結構な変わり者だ。ところで出雲郷」
「……なんすか」
「いい加減現実から目を逸らすな。お前が見るべきは生徒会長だろう」
「見たくない認めたくない!」
 一番合戦先輩が掲示板の一つからむしり取ってきたというそれは、あまりにも残酷だった。
 生徒会不信任議案が可決された木曜日が過ぎ、土日を挟んで俺たち新入生もぼちぼち授業が始まってきた頃だ。金曜、新生徒会の会長に立候補した女子がいると聞いた時、興味を持たなかったわけではない。少なくともいずれ戦う相手なのだ。気にならないわけがない。
 なのに、だ。
「ラスボスが自分の嫁て! どこのミステリー小説だよ!」
「妹と言わない辺りお前の狂気を感じるな」
「金曜から鈴珠の様子がおかしいとは思っていたんですよ! 俺に話しかけてくれたり笑いかけてくれたり! 天使かと思った!」
「……それくらい、近所のおばちゃんでもやってくれるけどー」
「……あのおばちゃんは天使だったのかー」
「ていうかそれ、典型的な色仕掛けじゃん。気付けよ亜麻……」
「だって見槻先輩! 高一にもなって幼児体形な鈴珠に色気なんてないんですよ!」
「お前は妹が好きなのか嫌いなのかどっちだ」
 プリントを指先でつまんだ一番合戦先輩は、顎に手をやって頷く。
「まあ、立候補したのが出雲郷の妹だと私は金曜から知ってたわけだが」
「勝負だ一番合戦!」
「落ち着け出雲郷。お前が倒すべくは私じゃなく妹だ」
 それが問題だというのに。
「それに部外者かつ知り合いでもない――ましてや敵である私がなんと言ったところで、お前の妹は意見を変えなかっただろう? それは例えお前が言っても同じだったと思うがな」
 もっともな意見に俺は黙るしかない。鈴珠が頑固なのは俺が一番知っているのだ。
 と、スマートフォンを見ていた見槻先輩が、顔を上げた。
「鼎。そろそろ」
「わかってる」
 こんこん、と会室の扉がノックされた。一番合戦先輩に顎で指示された見槻先輩がドアマンのように恭しく扉を開き、訪問客が明らかとなる。
「鈴珠!?」
「こんにちは、出雲郷さん」
 相も変わらずきちっとブレザーを着た鈴珠に微笑みかけられ、鳥肌が立った。
 そんな鈴珠の後ろには、男女入り交じった五人の生徒。
「わざわざこちらまで出向いてもらってすまなかったな、生徒会長」
「これも生徒会長の努めですので。お気になさらず」
 今までに聞いたことのないトーンで一番合戦先輩と握手を交わす鈴珠と、高校一年生の平均身長を悠に十五センチほどは下回っている鈴珠を文字通り見下す一番合戦先輩。
 お互い振り払うかのように結び手を解除する。一番合戦先輩が教室の右側へと歩いたので、俺や他のメンバーも自然とそちら側へ動く。自動的に、下手である左側に鈴珠を初めとした複数人が陳列する形となった。
「何事やの……?」
 ただならぬ空気に怯え、俺のパーカの肘を掴んできたのは物集女だ。
 そう、パーカ。どうにも一度私服で登校してしまうとその楽さに引きずられ、ブレザーのクリーニングが終わった今も、俺はずるずると私服で登校してきてしまっている。
 一番合戦先輩は言わずともがな原色系ファッション継続中だし、見槻先輩はカーディガンの色やアクセサリーは変えてくるものの基本は変わらず、双子はいつでもどこでも学ランにジャージでぶれない。最後の砦である物集女ですら未だにセーラー服を着ている。
 要するに、現時点での裏生徒会は、誰一人制服を正しく着用していないのである。
 その中でもまだ制服らしき面影を残している見槻先輩――正確にはこの人も一つたりとも規定のものは身につけていないが、ともあれ、見槻先輩である。
「恒例行事。生徒会が変わると、こうやって生徒会と裏生徒会は顔合わせしなくちゃならないんだよ。俺たちは去年もやったし」
 わざわざ俺を乗り越えてまで、二つ隣の物集女へと律儀に言葉を返す見槻先輩。
 この三日間で学んだことは、見槻先輩が眼鏡着用時の物集女にとことん甘いということだ。
 一番合戦先輩曰く下半身が爛れている見槻先輩にとって、ようやく入ってきてくれた普通の女子なのだろう。気持ちはわからなくもないが。
「そうなんや……」
 イケメン面で微笑む見槻先輩から物集女を隠しつつ、向こうの面々を改めて眺めてみる。
 鈴珠を含めて女子が四人、男子が二人だ。男女比はこちらと同じ。
「まずは自己紹介から行くとしよう。どちらからにしようか」
「では、こちらから。生徒会長の無花果鈴珠です。どうせ黙っててもそこのが言いふらすと思うんで自分から言っときます。残念ながら、遺憾ながら、恥ずかしながら、そこの変態面した人がわたしの双子の兄です。以後忘れておいてください」
 鈴珠が終わり、その隣にいた副会長へと紹介が移る。
「副会長の一(か)尺(ま)八(づ)寸(か)私市(きさいち)。一年」
 おそらく生徒会の中では、今後一番の脅威になると予想されるのがこの一尺八寸という男だった。後ろに撫でつけた真っ黒の髪と恐ろしく響く低い声。白いシャツの上から上下揃いの黒いジャージを着ているのだが、それがまた似合うのだ。何より畏怖すべきは、おそらく百八十越えのその巨体。決して太っているわけではなく、どちらかといえば細身の部類に入る体形だ。にも関わらず、その体は威圧感に満ちている。
「な、なんか、怖い人やね……」
 物集女が俺に縋るのも無理はない。それがましてや、三十センチも差がある鈴珠が隣に並んでいるとなると、まるで――
「お嬢のことは、俺が全力で守ります。なんで安心してください兄貴」
「誰が兄貴だ気色悪い! 鈴珠以外の兄になるつもりなんざこれまでもこれからもこれっぽっちもねぇわ! つーか、いい加減鈴珠離れしろよ一尺八寸ぁ!」
 ――まるで、極道娘の護衛のようだ。
「……おい出雲郷。この極道紛いと知り合いか?」
「知り合いもなにも、一尺八寸は中学時代から鈴珠に付きまとってるストーカーですよ!」
「お前が言うのか」
「亜麻は生まれる前から付きまとってるストーカーだけどね」
 初めて一番合戦先輩と鈴珠の気が合っていた。
「俺、お嬢が生徒会長に立候補したと聞いて、副会長立候補の奴に直接交渉してまで交代してもらったんすよ」
「それがストーカーだ! つか、お前のは交渉じゃなくて有無を言わさぬ暴力だろうが!」
「お嬢のためならそんくらいできるってことで」
「いらんわ!」
 俺や鈴珠の前ではこうもへりくだっている一尺八寸だが、その本性は見た目そのままの極道野郎である。とりあえず暴力、主に暴力、ついでに暴力。そういう奴だ。
 ただ、昨今のちゃらちゃらとした雰囲気の不良ではなく、どちらかといえば一昔前の不良といった感じではあるが。黒いジャージも一尺八寸には妙に似合う。性格も一本筋の通った奴で、そこは評価してやってもいいの、だが。
「すんません兄貴。お嬢の望みなんで、今後の勝負に置いては一切手加減しません。兄貴であろうと、お嬢には指一本触れさせません」
「だからいらんわ!」
 こいつも、魔王城――否、俺と鈴珠の結婚式場の前に立ちはだかる敵なわけだ。
「もういいもういい。ストーカー同士で言い争うな。先に進まん」
 呆れた様子の一番合戦先輩が手を振り、俺と一尺八寸は一旦退いた。一番合戦先輩の静止だけならともかく、鈴珠までもが俺らを睨め付けてきたのだ。止まるほかない。
 次、と一番合戦先輩が顎で指したのは、先ほど噂にもなっていた和先輩たちである。
「会計の和和(かのうなごみ)。二年で、姉」
「同じく二年の会計、和和(かのうしずか)。二卵性双子の弟の方」
 姉と名乗った女子の方は、全身からほわほわとしたオーラが漂ってきている。肩に触れる程度のふわっとした薄茶の髪もそうだし、春先では暑いだろうにブレザーの中に着た淡い色のカーディガンもそうだ。
 逆に弟である男子の方は、この春先ではまだ寒いだろうに腕まくりをしたシャツ一枚の姿。髪は綺麗な焦げ茶色。さっきからずっと笑んでいる姉と違い、温度をあまり持たない表情。
「姉ちゃん、俺が言う?」
「うん、言って」
「おや。明かすのか、和双子」
「どうせ一番合戦が言うだろ」
「ごもっとも」
 半笑いの一番合戦先輩が肩を竦めて引っ込む。弟は真面目な顔をして、
「俺と姉ちゃん、本当は逆だから」
 首を捻ってしまった。意味がいまいち理解できなかったのだ。
「無花果と同じく、どうせ知ることになるだろうから先に言っといた」
「あの、逆ってどういうことですか」
 訊ねると、弟は軽く笑った。
「だからつまり、本来俺が『なごみ』で姉ちゃんが『しずか』ってこと。名前入れ替えてる。もっと言うと、俺が女で、姉ちゃんが男。全部入れ替わり。わかった?」
「和双子はこの入れ替わりを許可してもらうために、一日だけ裏生徒会に在籍していたことがあってな。『男子は女子の、女子は男子の制服を着用することを許可する』という内容のものを締結させた途端出て行ったが」
 和先輩たちの端的な説明に、一番合戦先輩が補足する。
 つまり、姉が男で、弟が女。目眩がした。
 そこで、物集女がとあることを囁きかけてきた。もっともだったので、物集女を前に押し出す。物集女の抱いた疑問は至極当然だった。ならばそのくらい自分で問え。
 物集女はちらちら俺を見ていたが、俺に助ける気がないというのを悟ると、恐る恐る訊ねた。「あの……なんで、そないなこと……?」
 言うがすぐさま俺の背後に戻ってきた。これに答えたのは、姉弟同時だった。
「ホモだから!」
「百合趣味なんで」
 先が姉、後が弟である。
「もうちょっと綺麗に言えないの、姉ちゃん」
「ホモはホモじゃん? 他になんかある?」
「薔薇とまでは言わないけど、せめてBLとかさぁ」
「人前でホモ談義すんなや!」
 姉が普通に可愛いだけにダメージも大きい。見槻先輩の目は、悟りきっていた。
「まあとにかく、そういうわけだから。お互いこっちのが行動しやすいんだよね」
「ナンパとか誘惑とかねー」
 つまり俺の目の前には、本来『なごみ』という名の女好きな男装少女と、本来『しずか』という名の男好きな女装少年がいるわけだった。
「はいはい、もーいーから先進めるよ」
 ここで舵を取り直したのが、首にかけたヘッドフォンと耳についた大量のピアスが特徴的な、可愛いよりも美人よりの顔立ちの女子だ。
「二年の白(いちたらず)紅(てんとう)娘(むし)。白って書いていちたらず、紅の娘って書いててんとうむし。変な名前でしょ。入れ替えたら紅白娘。でも当のあたしはぜーんぜん」
 自称するだけあって、白先輩に色味というものはほぼない。サイドで結った黒髪といい、双子と同じく黒のスカートを選択した制服といい、ブレザーを着ずに腰に巻いたグレーパーカといい、黒いヘッドフォンといい、すべてモノトーンで纏められている。
「ちなみに軽音部。ギターとボーカルやってんだ。今度聴かせてあげよっか」
 気さくそうな笑顔を俺や物集女に向け、ギターを掻き鳴らすふりをしてみせる白先輩。
「白先輩って、もしかして」
「ん?」
「まともな人ですか?」
「……あんた、あたしをなんだと思ってたの?」
「いや、だって……」
 このメンバーの中にまともな人がいるとは思いもしなかったのだ。
「ああ、これ? や、よく怖そうとは言われるけどさ、こんくらいふつーふつー」
 白先輩は言葉に詰まった俺を間違ったふうに解釈し、ピアスに触れてみせた。まあその量は普通ではないだろうが、どうやら白先輩自身は本当に普通の人らしかった。
 残るは俺と同じ、庶務である。その女子は白先輩に背を押されて、ようやく顔を上げた。
「んー? なに?」
「自己紹介です」
 二年の白先輩が敬語を使うということは、三年生だろうか。
 長めの前髪と一部だけを結んだ無造作な長髪、青とも紫ともいえない微妙かつ淡い色をしたカーディガン、ネクタイをつけていないシャツ。どこか全体的にぼんやりとした女子である。
 なおも紹介を口にしようとしないその女子に代わり、白先輩が歯切れ悪く、
「二千六百年(ふじむね)きのみ先輩。いや、先輩って言っても一応は一年生……なんだけど。あー……なんていうか、この人複雑で。三回留年してるんだよね……」
 微妙な表情の白先輩とは裏腹に、二千六百年と呼ばれた女子はあっけらかんとしていた。
「先輩って呼ばなくていいよーってずっと言ってるのに。なんで白ちゃんはそうやってわたしを差別するかなぁ」
「差別っていうか……だって二千六百年先輩、ご自分が今いくつか覚えてます?」
「十八……あ、違うや。先週誕生日だったから、十九」
「………………」
 そういうことだから、と白先輩が肩を竦めてみせた。当の本人である二千六百年先輩――二千六百年さんは、「きのみって呼んでねー」などと手を振っていた。
「それじゃ、こっちも行くぞ」
 一番合戦先輩がこちら側の自己紹介を始めようとしたところ、鈴珠がそれを遮った。
「大丈夫です。もう把握してますから」
「……ほう?」
 さすがの一番合戦先輩も気に障る部分があったのか、つっと目を細めた。鈴珠は飄々とした態度のまま俺たちを流し見て、
「学内きっての自由人、一番合戦鼎。学内屈指の女誑し、美人局見槻。学内史上初、入学式を追い出された双子、京右京、京左京。学内唯一の関西出身、物集女粉。学内最高で最低の変態シスコン、出雲郷亜麻。……合ってますよね?」
 一番合戦先輩はそれを聞いて、にっこりと笑ってみせた。
「全部合ってるよ。さすが、出雲郷には詳しいな」
 叶わないことは望まない主義であるので、特に突っ込みなどしない。
 互いの紹介が済んで、一番合戦先輩と鈴珠は共に歩み寄った。振りかぶるような勢いで再び握手を交わし、笑みを浮かべてみせる。鈴珠の笑顔を久々に見たが、これは嬉しくない。
「これだけ学内トップの方々がいらっしゃるなんて、恐縮してしまいます」
「いやいや、それを言うならそっちこそ逸材ばかりだろう。それより無花果」
「なんでしょうか、一番合戦先輩」
「敬語というのは、敬う語と書くんだ。故に、お前は私に敬語を使うべきではないな」
「なら、呼び捨てでも?」
「どうぞお好きに」
 一番合戦先輩が鈴珠の手を振り払うと同時に、鈴珠も一番合戦先輩の手を叩き落とした。仲悪すぎないか。
「じゃあ、鼎」
「なんだ鈴珠」
「わたしたちがなんのために今日ここに来たのか、わかってないわけじゃないでしょ?」
「自己紹介のため、ととぼけたいところだな」
 冗談、と鈴珠は鼻で笑ってみせた。思うに、鈴珠は俺にも俺以外にももう少し敬いを持って接するべきだ。腐っても先輩に対する態度とは思えない。
「今日は、この対生徒会用反因習的文化向上委員会の組織の解散及び生徒会活動妨害に酷似した独自活動の停止を要求しに来ました。自身の保身、または個人的嫌悪感を解決するべく、以上の事柄を速やかに受諾して頂きたく思います」
「まったくもって何を言ってるかわからん。お前が普段出雲郷に使っているような口調で、もっと簡潔に伝えろ」
「不快だから、解散してほしいんだけど」
 フォローの仕様もなければ、その気すらも失せるほど、ばっさりとした口調だった。
「潔いな。潔きは良きことだ。だが、良いことが正しいことだとは限らない。私は昔から正しくあれと躾けられてきたものでな、私にとって正しくないことは良いことではない」
「鼎のどこをどう見れば正しいのかは知らないけど、鼎こそもっと簡潔に言えば?」
「断る」
「あっそ」
 一番合戦先輩と鈴珠――の隣にいた一尺八寸が、お互いの目の前にある机を蹴り上げたのは、ほぼ同時。空中で二つの机が真正面からぶつかり合う。恐るべきことに、押し合いで勝ったのは、一番合戦先輩の蹴った机だった。
「鈴珠!」
 軋み合いながら落下する机の真下には鈴珠がいる。自分の立場も忘れて、思わずその下に潜り込もうと跳ねた。「亜麻!」と物集女が咄嗟のように俺の肘を掴んだが、振り払う。
「兄貴」
 足の裏で机を蹴り飛ばすと、その下にあるものが見えた。
 そこにあるのは、鈴珠の怯えた顔などではなく、一尺八寸の笑みと拳。
「もし俺が兄貴を倒したら、お嬢とのこと認めてくださいね」
 俺は未だ空中で、避ける術を持たなかった。鈴珠はあくまで勝負と割り切っているのか助ける素振りすらない。
「……死んでも認めるかよ」
「俺の屍を越えていけってことすか。格好いいっすね」
 一尺八寸の一発を食らう覚悟をして目を閉じる。だがその拳は俺に当たらず、響いたのは硬い物同士のぶつかる痛々しい音だった。
「亜麻は、倒させへんよ」
 聞こえた声に目を開くと、そこには眼鏡を外した物集女。物集女の手から真っ直ぐに伸びる棒が、一尺八寸の拳に直撃していた。
「どうしてもって言うなら、まずはわたしを倒していき」
「……あんた、かっけぇな」
 物集女が握るのは細く長い鉄の棒だ。先ほど響いた音からして、おそらく小突いた程度ではないのだろう。であれば、いくら頑丈な一尺八寸と言えど手に何かしらの負傷をしていて当たり前だし、最悪骨折にまで至っているはず、なのだが。
「お嬢より先に会ってりゃ、あんたに惚れてたかもしんねぇ。あんたみたいないい女とはもっと違うふうに出会いたかったもんだ」
 一尺八寸はそれでも平然とした顔で、殴られた方の拳を振るうのだ。物集女は物集女で、その拳を受け流しながら笑ってみせる。
「わたしは今ここでこんなふうに出会えて、凄く嬉しいけどなぁ」
「へぇ?」
「あんたのおかげで、わたしは亜麻を守れる」
 拳が空を切る音。物集女の前髪を掠って、一尺八寸が微笑んだ。
「あんた、マジでいい女だな」
「ありがとさん」
 物集女がわざと俺から離れた位置へと一尺八寸を誘導していくため、自然取り残される形となった俺へと見槻先輩が手を差し出してくれる。その手を掴んで起き上がってから訊いた。
「物集女のあれ、なんすか。あの棒」
「前生徒会が片付け損ねて放置してった、スクリーンとかを引っ張り出すやつ。で、これね。物集女は亜麻の管轄だろ。任せた」
 見槻先輩が指先でくるくる回していた物集女の眼鏡を受け取る。それをあらかじめ預かっておいた物集女の眼鏡ケースに入れた上で、ポケットへ仕舞う。
「ちょっと、見槻先輩、すんません」
 指先だけで見槻先輩にひらひら見送ってもらってから、鈴珠の元へ向かう。鈴珠は一尺八寸の後ろで事態を眺めていた。
「鈴珠!」
「あら出雲郷さん。なんでしょう」
「そのキャラもういいから。それより、どういうことだよこれ」
「解散命令権。生徒会が新しく就任した場合、裏生徒会に解散命令を出せるの。学期末にも同じ権利がわたしたち生徒会には与えられる。拒否した場合は、そのまま交渉対決突入」
 そんなことより、と鈴珠は俺を睨み上げる。
「こっちからすれば亜麻のほうがどういうことなんだけど。あの子、粉。なんなの?」
「なにってなんだよ……書記だって言ったろ」
「そうやって誤魔化すの? じゃあ質問変える。粉は、亜麻のなんなの?」
「……前に、助けたから、その恩だろ」
 苦し紛れに答えた俺に、鈴珠は無言で一際きつい睨みを寄越した。すぐさま振り切るように俺から離れていく。
「出雲郷!」
 その時、目の前が真っ白に染まった。すぐにその白がさらに白く白く滲みを見せながら広がる。つんとした痛みが鼻腔を襲う。
 それが引きちぎられたカーテンだと気付くのに、数秒かかった。
「悠長に喋ってる場合じゃないだろ! 死にたいのかお前!」
 不格好にちぎれたカーテンのかかる窓辺で、一番合戦先輩が怒鳴り声を上げた。一番合戦先輩が戦闘中に笑うどころか怒るのなんて、初めてだ。
 どうやら一番合戦先輩がカーテンをこちらへ飛ばした直後、何やら水のようなものがかけられたらしい。濡れて濃く染まった白を見ながら、ようやく理解する。
 そしてそのカーテンの向こう側にいるのは、
「――二千六百年がいるんだぞ!」
「だから、きのみだってば」
 ぽやっとした笑顔の二千六百年さんが、ガラス瓶を手にしていた。
「……あたしが言うのもなんだけどさ、二千六百年先輩ってマジで危険だから。一番合戦や美人局は知ってるだろうからともかく、出雲郷。気をつけなよ」
 二千六百年さんの隣にいた白先輩が肩を竦めた。出口である扉の方へと歩いていきながら、ひらりと手を振る。まるで喧噪から遠ざかるかのように。
「出雲郷。二千六百年先輩の怖さは、『わからないこと』と『わかってないこと』だよ」
「って……白先輩、どこ行くんですか」
「あたしはどこも行かないしなにもしない。ただ歌うだけ」
 微笑だけを残して、白先輩は部屋を出て行った。逃亡にも見えるそれを咎める生徒会役員はなぜか誰一人としていない。その行動の意味を図りかねていると、再び一番合戦先輩が叫んだ。
「馬鹿、見槻! 白を止めろ!」
「は、なに……っあぁ! そういうことか!」
 見槻先輩が慌てて部屋を出て行く。それを追いかけようか悩んでいると、首がもげそうなほどのとてつもない重圧を後頭部に感じた。二連続で。
「ごめん亜麻ー」
「今踏んだっぽいー」
「ぽいじゃなくて踏んだろ今!」
 双子が俺の頭を踏み台として跳ねていく。何から逃れているのかと首を捻った瞬間、俺の手の甲がちりっと鋭い熱を受け取った。凄まじい勢いで俺の手を掠っていったものは、壁にぶつかって床へと転がる。それは、テニスボールだった。
 それを放ったのは、和先輩たちだった。弟がサッカーボールをリフティングし、姉がテニスのラケットを手にしている。俺に当たったことに弟が小さく舌打ちをし、すぐさま標的は双子へと戻る。
「あや、出雲郷くん怪我してる。だいじょーぶ?」
 姉が放ったテニスボールにより擦り傷を起こした俺の手の甲を見て、二千六百年さんがてこてこと寄ってきた。
「擦過傷だねー。わたし今、消毒液持ってるんだけど、使う?」
「いや、気にしないでください。こんくらい大丈夫なんで」
「敬語じゃなくていいって、同級生なんだしさ。きのみでいいよん。で、ほっといたらばい菌入るからだーめ。ちょっと待ってねー」
 長めのスカートのポケットをまさぐり、小さなボトルを取り出す二千六百年さん。傷口にその中身をかけようとする二千六百年さんの手から、俺は咄嗟に自分の手を引き抜いた。
「……出雲郷くん?」
 俺を反射にも近い素早さで動かせたのは、不思議そうに首を傾げる二千六百年さんの真横だ。
 先ほど一番合戦先輩が投げたカーテンの濡れた部分が、ぼろぼろになっていた。あれがなければ、今頃ぼろぼろになっていたのは――。
「……二千六百年さん」
「きのみだってば」
「じゃあ、きのみさん。……それ、なんすか?」
 きのみさんが手にしている小さなボトル。今まさに俺の手に掛けられようとしていた物。
「なにって、オキシドールだよー。保健室にも置いてあるでしょ? ……あ、でもー」
 今まさに思い出したように手を打ったきのみさんは、天使のような笑顔で、
「ごめん、そういえば薄めてないや。オキシドール――まあ、この場合は過酸化水素水かな。過酸化水素水って、3%くらいに薄めないと劇薬なんだった。うっかり忘れてたよー」
「………………」
「ちなみに過酸化水素水って、日常的に使われてる上に無色だしあんま匂いもきつくないから危険って感じあんましないんだけど、実際はちょー強力な酸化剤なんだよねー。もし高濃度のが肌についたら痛いし手真っ白けになるよん。あとはまあ、レバーにかけたら酸素が発生するってくらいかな? あ、肝臓ならもちろんどんな動物でもオッケーだよん。人間とかね」
 途端饒舌となったきのみさんは、間を置くことなくこう続けた。
「ちなみにさっきぶちまけたのはみんな大好き塩化水素、通称塩酸ちゃん! 薬品界のイチローみたいなもんだよね。こっちはさっきのいい子ちゃん気取った過酸化水素水とは違って、みんなが恐れる危ない系の子だよー。でもでも、実力ありきのイチローと違うのは塩酸はあくまで名が知れてるってだけであって、肌にちくっとついてもすぐに洗えば結構なんとかなっちゃうんだよね。まあ衣類とか布についた場合はぼろぼろになっちゃうけどさ。でもやっぱ、硫酸や硝酸に比べたらまだまだなんだよねー。四天王の中では最も最弱ーみたいな」
 楽しそうに薬品の解説をするきのみさんの表情には、なんの悪意も悪気もなかった。
「あ、そだそだ。そういえばさー、無花果ちゃんって、出雲郷くんの妹さんなんでしょ。凄いね、無花果ちゃん。四つも年下なのに、わたし尊敬しちゃう。戦わないで勝って、なおかつそれで他の上級生の人たちなんかも操ってるんだから」
「……戦わないで、勝つ?」
 慌てて振り返ると、既に鈴珠の姿は教室内になかった。それどころか、現在教室の中にいるのは俺ときのみさん、一番合戦先輩、一尺八寸と物集女のみ。
「あ、それじゃあわたし行くね。わたしも用あるんだー」
 きのみさんまでそう言って教室を出て行ってしまい、残りは四人だけとなる。
「一番合戦先輩、双子たちは!」
「右京は鈴珠の捜索、左京は白を止めに行った。……が、おそらく間に合わない」
 苦い顔で、風通しのために開け放っていた窓を次々と閉める一番合戦先輩。
 だがその閉め切った窓が、外側から飛び込んできた何かによって次々と割られていく。その破片を避けながら飛来するそれを視認した。二種類のボールだ。
 窓に駆け寄ると、案の定真下には和先輩たちが見えた。
「判断を見誤ったな、一番合戦」
「……どういう意味だ」
 弟の言葉に、一番合戦先輩がきつく窓のサッシを掴む。姉がラケットを緩く振って答える。
「イッチーの捜索じゃなくて、こっちに人員を割くべきだったんだよ。ガセちゃん」
「美人局と京左京一人きりで止められるはずないだろ。こっちには俺と姉ちゃん、それから二千六百年までいんだから」
「きのみだよーん」
 上履きで外へ出てきたきのみさんと共に、和先輩たちは中庭の奥へと歩いて行く。渡り廊下で分断された中庭の奥、すべての窓が見渡せるほど開けた場所。
 そこに、白先輩がいた。ギターを抱えた姿で。
 まるで路上ライブのようにドラムやマイクスタンドが設置されたその場所に、白先輩と数人の男子生徒。簡単な構成としては、白先輩がギター兼ボーカルとして中心に、他三人の男子生徒がそれぞれベース、ドラム、ギターと割り振られている。
 ただし、そこにいるのはその四人だけでない。他にも大量の生徒がそこに沸いているのだ。その人数はとてもじゃないが野次馬という量ではなく、クラスに換算すれば二クラスぶんほどはいる。その中に埋もれるようにして、見槻先輩と左京が見えた。
「ごめん、鼎! 無理だ!」
「人多すぎて動けないですー」
 白先輩たちにたどり着けず人の波に押し戻され、ようやく最前列へ出たかと思えば和先輩たちときのみさんが立ちはだかる。特にきのみさんの構える正体不明の薬品ボトルが、二人の強行突破を許させない理由であろう。
「……一尺八寸」
 窓に背を向けたまま、一番合戦先輩が低く囁く。「なんだ」と一尺八寸。
「白を追いかけさせることも、その隙に無花果を逃がすことも、白と鈴珠で戦力を分散させることも、最初からわかってたのか」
「ああ」
「最初から、お前一人で私たち三人を相手取るつもりだったのか」
 這い上がるような一番合戦先輩の声に臆することもなく、一尺八寸が小さく笑う。
「三人じゃねえよ」
 被るようにもして、窓の外から爆音が聞こえた。その音の正体はすぐに理解した。
 白先輩たちのバンド演奏が始まったのだ。
 校舎に囲まれた中庭という場所の問題上、どこに逃げようとこの音は追ってくる。もし窓を割られなかったとしても、薄いガラス一枚でどうにかできるようなものではなかっただろう。
 力強い演奏に加え、うっかり聞き惚れてしまいそうなほどの白先輩の透き通った歌声は、強く真っ直ぐにここまで届く。耳に、肌に、感覚に、痺れて伝わる。
「……物集女」
 振りかぶった体勢のまま静止してしまった物集女を引き寄せ、腕の中に抱え込む。物集女は抵抗することもなく、静かに手から棒を取り落とした。
 誰よりも鮮明に強烈にその音を受け取ってしまって、物集女はもう戦うことなど不可能だ。
「眼鏡、いるか?
 物集女は小さく首を振る。予想以上の弱々しさに、俺は口を噤んだ。
 例え視界を明瞭にしたところで、今度はその視界が障害となるだけの話だろう。周りが見えて一尺八寸が見えて、その上で武器を振るうなど、物集女には到底できない。
 一人で集団を相手取れる一尺八寸があえて物集女との戦闘を引き延ばしていたのは、これが目的だったのだ。物集女自ら、戦闘不能に陥らせることが。
「……お前は、こういう奴だったな」
「っす。どんな理由があろうと、女殴るなんざ男として最低すから」
 結構な時間を戦っていたというのに、物集女には傷一つない。一尺八寸は、最初に殴られた拳が赤く腫れ上がっていた。
「兄貴、」
「謝るなよ、一尺八寸。これでお前が謝りゃ、お前は間違ったことをしたことになる」
 釘を刺すと、一尺八寸が開きかけていた口を閉じた。伺うように確認した物集女も同じようで、目をそっと伏せるだけだった。
「待てよ一尺八寸」
 今まで黙りこくっていた一番合戦先輩が、割れたガラスでだろうか、血の滲む手で一尺八寸の胸ぐらを掴み上げた。一尺八寸はそれを動じることなく見下ろす。
「お前、物集女さえ戦闘不能にできりゃ私と出雲郷はどうにかなるとでも思ったのか?」
「んなわけねえだろ。正体も知らねえあんたはともかく、兄貴を舐めてるつもりはねえ。ただ三人より二人のがいい。そんだけだ」
 はあ、と溜息をついた一番合戦先輩は、そのままきつく拳を握りしめた。
「舐められたもんだな、私も」
 一番合戦先輩の振りかぶった拳を、一尺八寸は避けようともしない。いくら一番合戦先輩とはいえ、自分が振り払えば怪我をする可能性があるからだろう。一尺八寸はそういう男だ。
 だから、その声が聞こえるのと、俺が一番合戦先輩の拳を掴むのはほぼ同時だった。
「やめてください、一番合戦先輩」
「やめて、鼎」
 一番合戦先輩が振り返る。ずっと姿の見えなかった鈴珠が戻ってきていたのだ。
 鈴珠が二人の間に入る。なおも拳を進めようとする一番合戦先輩に、眦を強めた。
「鼎、殴りたいならわたしを殴って。考えたのも指示したのもわたし。私市は関係ないから」
「……逃げ帰ってきた分際で、格好いいこと言ってくれるじゃないか」
「まーね。ていうか、言い訳をさせてもらうとすれば、わたしは逃げてない。わたしってめちゃくちゃ弱いから、私市の足手まといなんかにならないように隠れてただけ。それにこれはどれだけ相手側の役員を倒したのかじゃなくて、会長が降参すれば終わりなんでしょ? だったら、わたしが最初からいなければいいだけの話じゃない。だからわたしは、戦わない」
 出雲郷、と声をかけられて、勢いのなくなった一番合戦先輩の手を離す。少しだけ警戒して鈴珠の前に歩み出るが、一番合戦先輩は薄く笑うだけだった。
「すまない。私が悪かったよ」
「それはわたしじゃなくて私市に」
「違う。一尺八寸にはまた改めて謝らせてもらうよ。この謝罪は、降伏の意だ」
「な、っん……!」
 手で制され、俺は止めるタイミングを失ってしまう。物集女は元より既に発言する気力もないらしく、静かに事態を見守っているだけだ。
 一番合戦先輩は笑顔のまま、あっさりとこの状況を打ち切る。
「参った。私たちの負けだ」
 だから、と続けた一番合戦先輩に、鈴珠と一尺八寸は眉すら動かさなかった。
「次は負けないように精進させて頂くよ」
「あっそ。それじゃー帰ろ、私市」
「っす」
「あ、その前に双子ときのみと紅娘呼んできといてね」
 鈴珠は悪戯めかせて笑うと、わざとこちらに聞こえる声で言った。
「チュートリアル戦、勝ったよって」

「解散命令権なんて、ない?」
「ああ。学期末には確かにあるが、生徒会引き継ぎ後はない」
 不遜に足を組んだ一番合戦先輩は、そう重々しく頷いた。ひび割れたテーブルと割れたガラスが撤去されたため、お互い椅子だけを向かい合わせるという形での反省会である。
「私と見槻は最初からそれが鈴珠のハッタリだとわかっていたよ」
 軋ませながら背もたれに寄りかかった一番合戦先輩の後を継いだのは、見槻先輩だった。
「生徒会は解散命令以外に自主的に戦闘を行うことはできないからそういう嘘をついたんだろうね。さすがに生徒会が校則で認められてもいない喧嘩を堂々とはできないだろ。今回の戦闘は本来校則違反だから、そのまま学園長に告発すれば就任一日目にしてあいつらはリコールされていただろうけど、鼎はそのハッタリに乗った。その方がこちらにとってもメリットとなったからだ。そうだろ?」
「ああ。だからもしもこの騒ぎを問われたら、私がふっかけたことにするさ」
 一番合戦先輩は片方の肩を持ち上げて微笑んだ。見槻先輩が継ぐ。
「今回の向こうの狙いは、敵状……つまり俺たちを探ることだ。無花果は自己紹介の時に何でも知ってる言い方をしたが、本当は名前以外のことなんてほとんどわかってなかったはずだよ。思い出してみ。無花果が言ってたことは、ほとんどの生徒が知ってるようなことばっかだ」
 一番合戦先輩の自由人ぶり、見槻先輩の誑しっぷり、双子の武勇伝、物集女の身の上。見槻先輩や双子のそれは嫌でも耳に入ってくるほどの噂だろうし、一番合戦先輩と物集女に至ってはあの場にいれば誰でもわかることだ。俺については言わずもがな。
「ああして優位に立ってみせることで、情報量を多く持っていると誇示しておく。戦いにおいて情報は強力な武器だからね。だが実際は俺たちの戦闘スタイルを把握してたのかと訊かれれば、そうでもなかったはず」
「いいや。それはそうとも言い切れない」
 一番合戦先輩が見槻先輩の説明を遮る。「どうしてです?」と双子。
「言うべきかどうか迷っていたんだが……生徒会、変わってるんだよ」
「……どういう意味ですか?」
「いいか、この学校の生徒会は極端に立候補が少ないから、基本的に生徒会選挙なるものは行わないんだ。立候補順で決まっていく。だが、私が木曜――鈴珠が立候補する前に確認した役員立候補者と、今日発表された実際の役員はほぼ全員が入れ替わっていた」
 ゆったりと瞬きを一つして、更に続ける。
「これは私の憶測だが、おそらく鈴珠はまず一番に中学からの知り合いである一尺八寸を引き込み、そこから他の役員にも交渉に行った」
「一尺八寸が他の候補者を脅したっつーことですか?」
「まあ、それも微塵もないとは言い切れないが。だが、立候補を辞退させるだけなら暴力でどうにかなるだろうが、立候補を強要させるのは暴力では無理だ。無理強いした結果が今日のような連携だとも思えないし、第一和双子や二千六百年は暴力に屈するような性格ではない」
 つまり、鈴珠自身が何人もの先輩たちと直接交渉をして、受諾させた。
「そこで出雲郷、確認のために一つ訊きたいんだが。この土日、鈴珠は外出していたか?」
「いや、ほとんど二人で家にいましたよ。スーパーには行きましたけど、そん時も俺一緒でしたし……あいつ極度の方向音痴なんで、基本一人じゃ外出られません」
「そうか、なら確定だ。鈴珠は立候補期間である金曜から月曜――ただし土日を除く――つまり、金曜と月曜の二日間きりで立候補者ほぼ全員に交渉して辞退をさせ、新たな候補者の捜索、また、立候補の説得に行ったわけだ。しかも上級生を含む、な」
 見知らぬ相手を説得し、引き込み、戦わせ、勝利させる。それらすべてを、鈴珠は三日間でやってみせた。それも、自分は戦わずして。
「あのー、でもそれって、向こうがこっちを知ってるってことと関係あるんですかー?」
「ただ単に強めの人と入れ替えたってこともあるじゃないですかぁ」
 双子の最もな意見にも、一番合戦先輩は予想していたかのような素早さで返した。
「だから、ほぼ変わってないと言っただろ。変わってないのはたった一人、白だ。あいつはあんな見た目をしてはいるが、根は真面目でお人好しな奴だからな。枠が埋まってないから、なんてどうでもいいような理由で生徒会に立候補していてもおかしくない。つまり、鈴珠は白がバンドをやっていることを知っていて、なおかつ物集女の弱みであるあちらを立てればこちらが立たずの視力と聴力のことも知っていた。戦闘能力的には決して高くない、むしろ音楽くらいしか取り柄のないような白を残したのは、完全に物集女対策だ」
 戦闘が終わってからもずっと俯いたままだった物集女が少しだけ顔を上げた。すぐに眼鏡がかかった顔は下を向く。
「今日そちらに大量の人員を割いていたのもそれが原因だろう。物集女がかなり強いことを知っていたから、戦場をがら空きにするような真似を犯してでも白を優先させた。まあ、結果的にこれは向こうの予想通りかなりのダメージを負わされたわけだ」
「……ごめんなさい」
 顔を伏せたまま、物集女が小さく謝罪する。一番合戦先輩が首を振った。
「謝るな、物集女のせいじゃない。これはむしろ私と出雲郷の責任だ」
「えっ、俺すか!?」
「当たり前だ。むしろ私一割、お前九割だ」
「なんで!」
 驚愕する他ない俺に、一番合戦先輩が呆れた目を寄越した。
「物集女ならず私たちの情報を向こうに流したのは、出雲郷、お前だろう」
「はあ? そんなわけ――」
 ねえ亜麻、裏生徒会ってどんな人たちがいるの? うん、うん。あ、へえ。一番合戦先輩って凄いね、強いんだ。え? 物集女も同じくらい強い? 物集女って、今日わたしたちが助けたあの子? へえ、そうなんだ。耳が物凄いいい剣士? うん、わかる、確かに強そう。ジャンプの主人公みたい。亜麻、もっと聞かせてよ、その裏生徒会っていうのの話。漫画みたいで面白いし、何より、亜麻の話聞くの面白いから。うん、いや、その笑顔はちょっときもい。それで、副会長はどういう人? 会計の人はどんなことが得意なの?
「――ありました」
「色気のない色仕掛けに引っかかるというのも珍しいな」
 組んだ自分の膝に頬杖をつきながら、一番合戦先輩が溜息をついた。
「つまり出雲郷が色仕掛けだか無色仕掛けだか知らんが、とにかくそれに引っかかって鈴珠にべらべらこっちのことを喋ったわけだ。だから鈴珠はこっちの戦闘スタイルを知っていた、と」
「あぁ、それで耳のいい粉には音楽の紅娘先輩で、素早さ特化系のあたしたちには飛び道具の和先輩たちって感じにぴったり配役が決まってたわけですかー」
「でも、それだと他の三人は誰対策になるんですかー? 妥当に行くと、鈴珠が亜麻で一尺八寸が会長、きのみさんが副会長って感じですかねぇ?」
 これに答えたのは見槻先輩だった。
「いや、多分だけど一尺八寸が亜麻、無花果が鼎、二千六百年はオールマイティーにって感じだろうね。多分俺の対策は取られてないよ」
 薄笑いで答えた見槻先輩に、「私も見槻と同じ見解だ」と一番合戦先輩が同意する。
「一尺八寸は出雲郷にとって一番のストッパーになる。鈴珠も副産物的に一尺八寸に保護されて、メリットだらけだろう。つまりここはどう見てもペアだ」
「まあ、そこはわからなくもないですけどー」
「副会長の対策が取られてないっていうのは、どういうことですかー?」
「どうもこうも、見槻は対策の取りようがないんだ」
 一番合戦先輩の含みのある笑みに、双子が見槻先輩を見る。それほどまでに強かったのか、と期待するような視線に、見槻先輩は苦笑いで手を振った。
「多分、お前らが思ってるようなんじゃないよ。むしろ俺って、戦闘においては多分無花果並みに弱いね。本能とか反射で咄嗟に動くくらいはできるけど、鼎やお前ら双子みたいに元々のスペックが高いわけでも何か特化したものがあるわけでもない」
「でも、見槻は負けたことがない。かくいう私も見槻は相手取りたくないしな」
 首を傾げる俺と双子に、見槻先輩が微笑みかけた。
「俺っていうのはさ、基本女の子口説くことしかできないんだよね。若干なら情報戦もできるかもだけど、そこまで頭がキレるわけでもないし。武器を使うわけでもなし、特化した能力もなし。だから俺には対策ができないんだよ。まあ、ここまでそれぞれにぴったり対策を取ってきただけに、この俺の『弱さ』は無花果にとっても厄介だったろうね。そこの穴を補うために誰を敵に回しても優位に立てそうな二千六百年を引き込んだんだろうけどさ。ほんと、よくここまでわざわざ集めたもんだ」
 つまり、弱いこと自体が見槻先輩の武器なのだ。対策を取らせないこと、取りようもなくさせることが、見槻先輩唯一の武器。
「そして、それが私の弱点でもある」
 床に目を落とした一番合戦先輩が、吐き捨てるように言った。見槻先輩は空気を読んで押し黙ったが、双子はあくまで能天気に問いかける。
「会長に弱点なんてあるんですか?」
「だって正直、鈴珠はめっちゃ弱いですよー」
「そう、鈴珠は弱い。だから私は、今回勝てなかった」
 一番合戦先輩は、重々しく言い放つ。
「言ったろ、私は見槻を敵に回したくないと。その理由は友人だからでも個人的好意があるからでもなく、見槻が弱いからだ。私は弱いものに対して弱いんだ。鈴珠は今日なにもしなかった。だから私は鈴珠になにもできなかった。なにもしない相手とどう戦えというんだ。今からこのビニール袋を倒してくださいって言われてできるか? それと同じだ。それに第一、なにもしない相手と戦うなんてこと、私にはできない。だからといって、無抵抗で無関心で無感情な弱い相手を死ぬまで殴り続けられるような人間だったなら、それはきっと意味がないんだ」
 誰もが沈黙したのは、傲慢かつ最強である一番合戦先輩の弱点を知ってしまったからでも、そんな人間にはなれないなりたくないと理解してしまったからでもない。一番合戦先輩の言葉は暗に、鈴珠には絶対に勝てないと言っているようなものだったからだ。
「自分が戦わない限り、鼎は絶対に手出しをしてこないって、無花果はそこまで見通してたわけか。……亜麻、お前の妹、確かに凄いよ。行動力も計算力も、並大抵じゃない」
「……でも、見槻先輩。俺、どうしても一つ気になることがあるんです」
 神妙な俺の声色に、見槻先輩だけならず一番合戦先輩や双子、物集女までもが俺に注目する。なんだ、と掠れた声で一番合戦先輩が促す。
「その鈴珠のエネルギー源って……俺と結婚したくないから、なんですよね……」
 先ほどとは違う種類の静寂が場を包んだ。
「……だからなんだよ」
「や、どんだけ嫌なんだよと思って。さすがにちょっと傷つきませんか」
「知るかよ!」
 一番合戦先輩に椅子の脚を蹴られた。双子からは脇腹を殴られる。
「それは今どうしても言わなきゃならんことだったのか出雲郷!」
「俺にとっては超重大なことですよ! なんのために俺がここにいると思ってんすか! 本当なら今すぐ一尺八寸をはっ倒して鈴珠の隣であるポジションに収まりたいのを結婚のためと言い聞かせながらぐっと我慢してここにいるというのに!」
「今すぐリコールしてやろうか!」

 しばらくして、心なしか疲弊しきったような表情の一番合戦先輩が舵を取り直す。
「つまり鈴珠は私たち自身のことは知らないが、人づて――主に出雲郷とか出雲郷や出雲郷から聞いた戦闘スタイルについては把握していたわけだ。その上で校則を犯してまで私らに勝負を挑んできたのは、やはり実戦に勝るデータもないと思ったからだろうな。自分の仲間たちが実際にどれだけ動けるのか見たいの言うのもあったんだろう。堂々とチュートリアル戦、つまり入門戦と言うだけのことはある」
「そこまでわかってて、なんで勝負受けたんですかー?」
 傲慢さを取り戻したのか、ステレオに対して一番合戦先輩は口角を上げてみせる。
「言ったろ、こっちにも相応のメリットがあると。違反戦とはいえ降参をしてまで戦闘を受けた甲斐はあった。戦うということは、こっちのデータを入手できるぶん、向こうも手の内を晒すということだからな。それどころか、向こうがすでに私たちのデータを複数持っているのに対し、私たちはまったくのゼロから始まった。つまり結果だけで言えば、私たちのが得るものは多かったんだ。まあ、本当にあくまで結果論だがな」
「ああ、なるほどー。確かにあたしたちは名前すら知らなかったですもんね」
「今日の戦闘で、結構向こうの情報ももらえましたよねー。これで亜麻が晒した情報とプラマイはゼロくらいになりましたかね」
「そうだな、おそらくではあるが遅れはかなり取り戻したつもりだ。だからこれ以上は晒す必要も戦う必要もないと踏んで、さっさと鈴珠を引きずり出してから降参したわけだ」
 一尺八寸の件で急に激昂したり沈静化したりしていたのは、すべて演技だったらしい。その演技のためにまで手を自ら切ったのだと考えると、空恐ろしいものがあるが。
「補足として、見槻や右京が手間取ったあの人混み。あれはおそらく他の委員会たちだ。生徒会と委員会は持ちつ持たれつ、直接戦闘に関わらない限りは校則違反でもない。幾らでも生徒会のご機嫌取りをするだろうな。まああの人数からすると、一尺八寸の仲間や授業をサボるほど純粋で熱狂的な白たちのファンなんかも混ざってたんだろうが」
 そこで一息ついた一番合戦先輩は、それぞれを見回した。
「今日の成果としてはこんなもんだな。以降は分析と対策に移るが、その前に気付いたこと、疑問に思った点、何かある奴はとりあえず言ってみろ。なんでもいい」
 まるでHRかのように投げかけた一番合戦先輩のそれ。真っ先に手を上げたのは、意外や意外、今まで謝罪以外ではひたすら閉口していた物集女である。
「あの……わたしの相手は、白さんなんですか?」
「私はそう思っているが。なんだ、不満か?」
「いえ、そうじゃないんですけど……白さんが相手っていうのは、あくまで拮抗関係にあるってだけで、実際に戦うのは違う人なんやないか思て」
 それはそうだ。一番合戦先輩が言った通り、音楽しか取り柄のない一般生徒である白先輩が物集女と直接戦うとは思いがたい。ギターを振り回すわけでもあるまい。
「そうだな、だから物集女には出雲郷のアシストについてもらおうと思っているよ。いくら出雲郷でも一人で一尺八寸を相手取るのは少々きついだろうからな。和双子たちは遠距離攻撃という性質上、射程範囲内に入らなければいけない物集女には向かないだろう」
「やっぱり、そう、ですか」
 眉を下げて口角を上げるという微妙な笑顔らしき表情を形取った物集女は、そのまま黙りこくってしまう。団子を避けて物集女の頭を撫でると、微かに微笑みを向けられた。
「それじゃあ、物集女以外は質問等がないということでいいな。先に進めるぞ。まずは、生徒会役員の分析。そしてそれぞれへの対策だ」

 その日反省会が終わったのは、もう日も暮れかけてきた頃だった。明日までに荒れたこの部屋の復旧はしておくと宣言した一番合戦先輩が、すれ違い際俺にこう囁きかけてきた。
「物集女のフォロー、しとけよ」
 それを聞き取ったのだろう見槻先輩も爽やかな微笑で俺の肩を叩き、一番合戦先輩と共に教室を出て行く。「そんじゃーお先にー」と双子も出て行き、残りは俺と物集女のみ。
「あ……それじゃあ、わたしも……」
「待てって。どうせなら校門まで一緒に行こうぜ」
 逃げるようにして出て行こうとした物集女の隣に無理やり並ぶ。物集女は多少狼狽えたが、結局すぐに早めだった歩調が緩んだ。
 物集女は一番合戦先輩に質問をして以来、かなり重苦しい雰囲気を纏っていた。物集女が戦闘後からずっと暗い理由も何となく察しもついている。だが簡単にフォローなどと言ってくれるが、どう切り出していいのかが迷い物だ。
「……ごめんね、亜麻」
 沈黙を破ったのは物集女からだった。俺は無言で、滑るようにして廊下を歩く。
「亜麻を守る、なんて言っておいて、結局わたし何もできんくて……しかも最終的には一尺八寸くんと亜麻に守ってもらって……ほんと、役立たずで」
 今日の議論で一番きつく――というか、最も無理難題を押しつけられたのは物集女だった。
 既に向こうに特性を知られてしまって、対策を取られてしまっている以上、どうにかレベルアップを果たさなければならないということ。役員がすでに決定しているのだから、逆にいえば白先輩の物集女対策を上回るレベルアップを為せれば物集女は無敵だということ。
 ただ、それをこなすための具体的な策は設けられていなかった。一番合戦先輩はさらりと物集女を追い詰め、何事もないかのようにその話を終わらせたのだ。
「謝んなって。俺はああ言ってくれたこと自体が嬉しかったよ」
「でも、このままじゃ……」
 確かに、このままじゃいけない。そんなことは誰にでもわかっているのだ。だからむしろ、それをはっきりと言ってのけた一番合戦先輩は正しい。
 物集女がした質問の意図。あれは戦う人物を知りたかったわけではない。ただ、怯えていたのだろう。今日完敗した一尺八寸をこれからも相手取らなきゃいけないということに。そのためには、その内気な性格をどうにかしなければならないということに。視力と聴力が相反することなど、物集女が眼鏡を外して周りが見えなくなることの副産物でしかないのだから。
 物集女が今必要なのは、白先輩対策などではなく、眼鏡をかけた状態で自分より遥かに大きく強い一尺八寸をしっかり見据えて戦うということだ。
「仕方ないだろ。一番合戦先輩はああ言うけど、物集女の目が悪いのなんかはお前のせいでもなんでもない。つーか第一、俺がお前に守ってもらうってこと自体が情けないんだよな」
 ただそれは、物集女にはどう考えても無理だ。視力を落とす代わりに聴力を上げるというのも立派な物集女だけの特性だし、それを白先輩がいるからといって切り捨てるのは些か勿体ない。だからといって、視力も聴力も、なんてことはもっと不可能なのだが。
「ちゃんと俺一人で一尺八寸は何とかすっからさ。物集女は心配しなくていいって」
「……でも、亜麻。多分気付いてはいると思うんやけど……亜麻の相手は、一尺八寸くん一人では済まないと思う……」
「……まあな」
 一番合戦先輩に代わって鈴珠の相手をしなければいけない場面も多々あるだろうし、特定の相手がいないが故に自由自在に動き回るきのみさんの相手を見槻先輩だけに押しつけるわけにもいかない。物集女のためを考えるのならば白先輩の演奏も阻止しなければならないし、さらに言ってしまえば和先輩たちのターゲットが必ず双子になるとも限らない。
「やっぱり、わたしのせいで……」
「そのループもうやめろって。ぶっちゃけ言えばさ、物集女はもう服装許可も下りたし、裏生徒会に所属してる理由もないわけだろ。鈴珠との結婚なんて明らかに俺の願いなんだから、物集女が必死になる必要はねえよ」
 夕陽に染まった廊下で、物集女が少しだけ眉を下げた。その表情を見てようやく俺は自分の発言を後悔した。これではまるで、物集女がいなくてもやっていける、と言ったみたいだ。
 だが物集女は俺の発言をさらりと乗り越え、
「……わたし、あの日、亜麻たちが助けてくれたの、凄く嬉しくて。無花果さんと亜麻は、見ず知らずのわたしのことを無条件に守ってくれて……亜麻なんて、お礼も言わなかったわたしを追いかけてきてくれた。だからわたしも、亜麻の役に立ちたいんよ。だから、守らせて」
 頑張るから、と付け足して、物集女は微笑んだ。相変わらず自信はなさげな笑みだったが、その目は真っ直ぐに前を向いている。
「わかった。俺こそ悪かったな、変な言い方して」
「ううん、大丈夫。気にしてへんから」
「つかさ、ずっと言いたかったんだけど、お前今日眼鏡外してから俺のこと呼び捨てだよな」
 眼鏡を外して強気な時だけなのかと思えば、性格が元に戻っても呼び方はそのままだった。
「えっ、う、嘘やん! わたし、出雲郷くんって呼んでへんかった!?」
 物集女は自覚がなかったのか、顔を赤く染めながら慌てふためく。
「ずっと亜麻亜麻って呼んでたぜ。昨日までは出雲郷くんだったけど」
「や、え、なん、どしよ、ええと……とりあえず、ごめんな亜麻……! あっ、今また亜麻言うた!? あかん、癖になってる……待って、直す、すぐ直す!」
 発熱した頬を押さえながら「出雲郷くん出雲郷くん出雲郷くん!」と繰り返す物集女につい笑ってしまう。「なんで笑うん!?」動揺するその姿すら面白い。
「いや、別に亜麻でいいけど。出雲郷くんって文字数多くてだるいから無意識に亜麻って呼んでたんじゃねえの。一番合戦先輩以外みんな亜麻だし、俺は別に構わねえよ」
「で、でも……男子のこと呼び捨てるなんて初めてやし……」
「もう抜けないだろ、どうせ。無理やり直さなきゃならないことでもないし」
「……わたしなんかに呼び捨てされても、うざない……?」
「全然。そうしろって」
「……うん。亜麻が言うなら、そうする」
 よし、と頭を撫でる代わり、団子を手でバウンドさせる。物集女は夕陽と勝負できそうなくらい顔を赤くしながら、へへ、と笑ってみせた。

 校門を過ぎてからも途中までは一緒だった物集女と別れ、角を曲がると、そこに鈴珠がいた。
「現行犯」
 鈴珠は俺を見るなりそう突きつけた。俺はその意味をうっすら察して、冷や汗を流した。
「……なんでいるの、お前」
「今日鍵忘れてきたから。学校で待っててそっちの役員に会ってもやだし。そしたら見ちゃった、亜麻が粉と帰ってくるの。だから現行犯」
「現行犯って……浮気したわけでもないのに」
「じゃあなんで一緒に帰ってくるの?」
「だから、」
「言い訳しないで」
 答えようとした瞬間、全力で平手打ちをされた。鈴珠の理不尽かつ不条理な暴力などは今更なので、憤慨も反論もしない。
「なにか言うことは?」
「今日の晩飯なにがいい?」
「怒るよ」
 言いながらすでに俺を殴ってきていた。
「他に言うこと!」
 こうなったら鈴珠はもう俺の話など聞きはしない。謝罪をすれば無視、反論をすれば暴力。通称馬の耳に念仏モードだ。
 俺は鈴珠の膝裏に手を差し入れ、もう片手を首裏に添える。そして、鈴珠が暴れ出す前にと素早く抱き上げた。所謂お姫様抱っこだ。鈴珠はしばらく凝固していたが、状況を理解すると激しく暴れ出した。
「ばっかじゃないの! 下ろして恥ずかしい!」
「騒ぐと人来るぞ」
「誰のせい! ほんとなんなの! ばかじゃないの! 早く下ろして!」
 手にした鞄で顔を殴られながらも、鈴珠を落とさないようにと腕に力を込める。いくら小柄で華奢な鈴珠でもこれだけ暴れられれば抱えにくい。
「落ちるぞ」
「下ろしてって言ってんの! てゆーか、ほんとに、っ……し、下、見えるから!」
「下?」
「す、スカートの、中! はいて、ないの!」
 怒りかそれ以外か、顔を赤くしながら叫んだ鈴珠の言葉に、俺は目を見開いた。
「穿いてない、って……」
「そうだってば! だから下ろして!」
「鈴珠、パンツ穿いてねえのかよ!?」
 鞄の角で眉間を殴られた。鈴珠の顔面はマグマ並みに熱く燃えている。
「ばばばっかじゃないの! 下着の上に何も穿いてないってことに決まってるでしょこのド馬鹿! しかも大声でパンツとか言わないで!」

 帰宅後、俺が小一時間ほど外に放り出されたのは言うまでもなかった。

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