7


「真白、これは?」
「あ、いらない。捨てちゃっていいよ」
 あれから一週間が過ぎ、再び週末。
 せっかくの休みにもかかわらず、俺はまた肉体労働に勤しんでいた。
 その内容は――真白の引っ越し手伝い。
 あれから色々話し合って、真白はあまりに手狭なこの家を出ることになった。どうせ一人だし、と最初は渋っていた真白なのだが、木葉たちや婆ちゃんたちの圧力によって、最後は頷くこととなったわけだ。
 まあ確かに、こんな陰気くさいところに一人というのはよろしくない。今までの真白ならよかっただろうが、今の真白にはいかんせん不似合いだ。美のつく女子高生が、母親の仏壇と見つめ合うスペースしかない家に住んでると聞いたら、全国の男たちが涙で枕を濡らすことだろう。
 ただし、だ。
「爪切りとか、彰の家にあるよね? そういう系のは全部捨てちゃっていいかな。細々してて邪魔だし。あ、あとドライヤーも……って、これはどうせ使ってないけど。お母さんのを捨て損ねてただけ」
 ――その引っ越し先が、俺の家なのは如何だろうか。
 もちろん最初は大反対した。けれど真白が自腹でどこか家を買えるわけがないし、第一白野沢に安い賃貸住宅なんてものがあるわけないから、不可能なのである。じゃあどこかへ居候という形しかないだろうという話になったのだが、家が大きいということで一番に白羽の矢が立ったのは予想通り俺の家だった。
 婆ちゃんは二つ返事で許可し、雛乃さんは「とりあえず、彰に襲われたらアタシに報告しろよ。逐一アタシと風呂に入っていただくから」と遠回しに承諾した。賛成2、大反対1で、この案は可決されてしまったわけである。主張がどれだけ強くてもすべては数な民主主義、反対。
 だが結局雛乃さんにありとあらゆる説得という名の嫌がらせを受け、俺も承諾するに至った。最終的には荷物整理まで手伝ってしまっている。
「……あ、おい。真白」
「ん?」
「これどうすんだよ。おまえの母親の仏壇。婆ちゃんとかに言えば持ち込ませてくれると思うけど」
 かなり小型のものだし、あれだけ部屋が有り余っているから、頼めば真白の自室とはまた別室に設置してくれることだろう。だが真白は迷うこともなく、首を横に振った。
「ううん、いい。お母さんの家はやっぱりここだと思うから、これはここに置いていく。その代わり、こまめに来るし。これがお母さんのお墓代わりってことで」
「……そうか」
 本当に変わった、と真白の笑顔に吊られてしまう。口数も増えたし、何より、人間らしくなった。前まではミステリアスさしか生み出さなかった白い髪も、今では発光体のように、真白を輝かせる効果を担っている。
 そして、もう一つ。
「神崎ー! これ何の段ボール?」
「真白真白、この本捨てるならもらってい? 絵本好きー!」
「ちょっとおにいちゃん、何で私のとこ軽いのばっかしか残してくんないの!」
「当然の処置だ」
「いや……そうだとしても、お弁当袋だけって酷いだろこれ。せめて弁当箱入れろよ」
「ああもう狭いから入ってくんなおまえら!」
 こんな小さな部屋一つの引っ越しに、全員が奮ってご参加しているということだ。とてもじゃないが三人も入れば酸素が足りなくなるほどの狭さなので、ほとんどの奴は外に出てもらっていたのに、今になって全員が押しかけてきた。
「口動かしてる暇があるならさっさと運びな。ほら、特に男! 天原と一ノ瀬なんて体力有り余ってるだろうが」
「婆ちゃん人使い荒いって! レンタカーとか借りて雛乃さんに運転させようよ!」
「アタシが運転とかしたら二秒で近くの電柱が折れ曲がるけど、それでもいいなら」
「よくねえ!」
 雛乃さんはともかく、婆ちゃんまでだ。散歩ついで、と言ってはいたが、真意はわからない。真白が心配だっただけなのではないか、とも思っていたりする。
 そう、真白のためにこれだけの人数が集まったのだ。しかも誰かが収集をかけたわけでもなく、俺がこの前ぽろっと「週末に真白の引っ越し」と漏らしただけでこの有様だ。凄いんだか暇なんだかわからない奴らである。
 教科書の入った段ボールを外に運び出しながら、衣類の入った段ボールを持ってきた真白に目をやる。今日は動くためか、ラフにTシャツ着用。
「つか真白、今更だけど本当にいいのか?」
「ん……なにが?」
「いや、婆ちゃんと雛乃さんがいるとはいえ、俺と同じ家とか……」
「うん。彰ならいいよ」
 ……訊かなきゃよかった。
 熱くなった耳たぶを冷ますため、外の開放感に身を委ねる。本格的な夏の気配が忍び寄ってきていて、俺が初めて白野沢に来た時より、風は格段に暑い。
 狭い部屋での荷造りによって節々が痛んだ体を伸ばすと、尻ポケットに入れていた携帯が腰に突き刺さって痛かった。中学の修学旅行で買ってきた八つ橋ストラップを指に引っかけてポケットから携帯を取り出し、フリップを開く。
 メール、着信、なし。まあ、そりゃそうか。サイトなんかは全部解約して、メルマガとかは全部止めたし。
「なあ、由鶴」
「はいはーい?」
「おまえさ、もし今親に『携帯やるよ』って言われたらどうする?」
「え? 何いきなり? ……携帯か、うーん……」
 入り口の真ん前で突っ立って考え始めたせいで、柊先輩に「邪魔だぞ」と遠慮なく蹴飛ばされながら、由鶴はそれなりに真面目に結論を出そうとしている。けれどすぐに何も考えていなさそうな笑顔になった。
「俺、今はいらないって言うと思う。ここ電波の繋がり悪いし、第一、使わない気する。ほら、今日のテレビがどうちゃらーとか、明日の授業がどうでさー、とか話すの、ここにいるみんなだから、学校に行けば会えんじゃん。メールとかまどろっこしいことするくらいなら、会いに行っちゃうと思うし」
「ふーん……」
 一ノ瀬に手伝いを要請されて駆けつけた由鶴を見送り、考えてみる。まあ、確かにこうして休日でも俺たちは何だかんだで会ってるわけだ。転校してきて二週間くらいは経ったけど、俺はここにいる誰かと一度も電話をしたことがない。あ、雛乃さんは何回かあるけど。
 遊びに来るときも直接来て(拉致して)遊びに連れて行ったし、確かに今の状況で必要とは思えない。
 ということで。
「彰、何してるの?」
「過去とさようならしてる」
 携帯の中からSIMカードを取り出し、それはポケットへ。
 そして本体は、崖下へと投げ捨てた。
「……えっ?」
 真白が目を見開いて、崖の下を覗き込む。けれどそれは派手な音を立てて、ソファから僅かに外れた場所で木っ端微塵になった。
「……いいの?」
「どうせ今の俺には必要ないし」
 いつかもし万が一、東京に戻ることがあればその時また買えばいい。どうせあの中は空っぽだった。引っ越したら一個も連絡はないような、ただの電子箱。それが悲しいなんて思わないけど、いかに俺が怠惰な人生を送ってきたかがわかって、嫌だった。
 真白とは、同居までするわけだし。
 白野沢にいる間は、時計としてしか使わないような代物だ。それだったら、あそこに使われている無駄な料金をみんなで食べるスイカにでも回したほうがいい。
 あ、別に携帯嫌いなわけじゃないし、現代社会での携帯の普及率を憂いているわけもないけど。
 ただ、俺の選んだ幸せは、携帯で繋がる友達や家族よりも、カレーやスイカで繋がる友達や家族だったってだけだ。雛乃さん理論で行けばどっちも幸せなんだけど、俺は実際に体験してみて、後者のがよかった。それだけの話。
 青い空の下、白い幸せに包まれて。
「彰」
「ん?」
「今日もいい天気だね」
「……そうだな」
 幸せな世界の空は、今日も綺麗に晴れ渡っていた。
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