サドルを、下げた。ようやくその時間が出来たのだ。
 朝七時過ぎ、登校時間には一時間弱ほど早い時刻。俺は昨日と同じ道を、昨日とは違う気分で走っていた。
 まだ朝露が滴っていそうな通学路は、爽やかに潤って俺の気分を高揚させてくれる。この時間帯ならばまだ暑さも到来せず、涼しい風で俺の肌は上機嫌。
 ちなみに昨日は忘れたが、今日は携帯持参。登校にかかる正確な時間を把握しておくためだ。それともう一つ、
「ほーら来た」
 この村に来てから一度も携帯電話の役割を果たしていなかったそれが、久しぶりに産声を上げる。
 本来自転車に乗りながらの通話は道路交通法違反なわけだが、威厳ある公務員の方々はこの一本道に現れそうもないので、プチ悪行として俺は携帯を片手で開く。そこに表示されているのは、東京にいた頃登録した『祖母』だった。正しくは、婆ちゃんの家の電話番号だけど。
『何でアンタいないのよ!』
 通話ボタンを押して携帯を耳に当てた瞬間、珍しいものが聞けた。雛乃さんが動揺している声など、この先一生聞けないかもしれないので貴重だろう。
「すみません、録音を忘れたのでもう一度お願いしていいですか? これからは今のを朝の目覚ましにしたいんです」
『うっせえ叔母フェチ!』
「誰がだ!」むしろ今まで散々絡んできたあんたのほうが甥フェ(以下略)
『今日はわざと遅く起きて「ごっめーん寝坊しちゃった、でもアタシと一緒だからいいよねてへっ」って作戦で行こうと思ってたのに! どうしてくれるのよ!』
「自爆テロまがいの作戦ですね」
 一旦携帯を耳から離して右上に記載されている時刻を確認すると、七時二十分。
 今起きたとするならば、昨日の夕食時に聞いた教師が本来学校へ到着しなければいけない時刻、八時には到底間に合わないだろう。
 洗顔歯磨きと朝ご飯の吸収だけで済む俺と違って、あのぼさぼさ髪のセットやらシミ対策の日焼け止めをしなければいけない女性は大変だなあ、と他人事ながらにしみじみ思う。
 まあ、今日は雛乃さんがいなかったために朝ご飯を摂取していないが。勝手に台所を使うのも気が引けたし。
 もう一度携帯を耳に戻す。
「まあ、雛乃さんが走り回っていないと安眠出来ないと婆ちゃんも言っていましたし、その観点からすれば雛乃さんは自分の母親の安眠を守っているということで」
『教師に刃向かったことを後悔させてやるからな……!』聞いちゃいなかった。
「そのセリフ、学園ドラマとかだとその後退職になる教師のセリフですよ。雛乃さんは自爆フラグを立てるのがお得意ですね」
『烏丸雛乃という人間に刃向かったことを後悔させ尽くしてやる』そっちはちょっと怖い。昨日の神崎とのアレを今度は叔母とすることになったらどうしようかと危惧してみる。
 それはそうと、呪詛のように『高校卒業と同時にアタシと結婚』コールが繰り返し垂れ流されてきてさすがに恐怖を覚えた。そろそろ打ち切ろう。
「思ったんですけど、電話してる暇があるなら準備したらどうですか? その電話、子機なかったですよね、確か。電話の前で突っ立ってるくらいなら顔でも洗ったほうが……あ、ていうか、俺も学校着いたんで切ります。検討祈ってますね。じゃ」
 早口で述べて、一方的に通話を絶った。そのまま時間を確認して、普通に漕げばだいたい二十五分ほどで着くことを確認してから、電源を落とす。また呪いコールがかかってこないとも限らないからな。
「……おや?」
 無人だと思われた学校内敷地には、人がいた。
 自転車置き場へ行くため、何より校舎にたどり着くために避けては通れない校庭を、女子が駆けていた。
 自転車に乗ったまま女子を無視して校庭を突っ切るのはさすがに気が引けたので、自転車から降りて少し眺めてみる。少なくとも、昨日会ったメンバーの中にはいない顔ぶれだった。
 女子は校門前にて立ち呆けている俺に気付いたのか、足に方向修正と減速処理を施して俺へ近づいてくる。向こうも俺の顔は初見なのか、首を捻っていた。
「見ない顔だな。もしかして、雛乃が甥だと言っていた転校生かな?」
 荒い息に爽やかな声を混ぜて、笑顔で問いかけてくる。黒髪を木葉よりか短くカットしてあるボーイッシュな女子。白いTシャツと膝丈のジャージからも見える小麦色の肌に黒髪が似合っていて、ぱっちりとした目が健康的な印象を残す。ここまでさっぱりとした見た目ながら、不思議と男らしさなどは見受けられない。
 その女子は俺までたどり着いても止まることなく、その周囲をぐるぐると歩き出した。最初は俺のことを360度から観察しているのかと思ったが、あくまで笑顔で目線は俺の顔に固定。
「……あの」怖いんですけど。
「ああ、すまん。走った直後は少し歩かないとクールダウンにならないんだ。呼吸が落ち着き次第停止するから、気にしないでくれ」
「なるほど。……ところで、俺が転校してきたのは昨日なんだけど……もしかしてもう忘れられてる?」そんなに影薄かったかな。俺すら予期しないインパクトを残したつもりだったけど。
「ああいや、昨日私は欠席していたんだよ。何だ、休まなければよかったな。転校生の貴重な自己紹介を聞きそびれた」
「あはは」聞かれなくてよかった。
「黒柳彰。高二」
 完結に自己紹介。
 俺の正面でようやく停止したその人は、清涼飲料水のCMからオファーが来そうな笑い顔で手を差し出してきた。その手を握り返す。久しぶりに見たまともそうな人に、少し感動を覚えた。
「柊彼方だ。よろしく、黒柳。私のことは柊でも彼方でも、好きに呼んでくれ」
「え、ああ……昨日の」
「ふむ? 何のことだ?」
「あ、いや」
 謎の新キャラもとい柊彼方は、スポーツ系健康少女だった。
 俺の反応をどう取ったか、ぽんと手を叩いて合点がいったように頷く柊。
「ああ、神音とかが私のことでも話してたのかな」
「木葉と仲良いんですか?」
「そりゃもう。その言い方だと黒柳もみたいだね。ってことは、これから一緒にいる時間も自ずと増えるみたいだ」
「ああ、よろしく、」「いやー、それにしても高二か。また後輩が一人出来て嬉しい限りだなー」「……お願い、します。先輩」先に言ってほしかった。
 柊先輩は一気に吹き出し、空に向けて爆笑を広げる。
「あっはは、黒柳はからかい甲斐があるな。天原と似てる」
「一緒にしないでくださいあんなのと!」
「ふは、っは、すまん、すまん。ていうか、あんなの呼ばわりっ……! あ、でも、呼び捨てもため口も、みんなやってるから、構わないぞ……っく、は」
 余程面白いのか、腹部を押さえてひいひいと苦しげな息を吐いている。……本当にまともか、この人?
「……柊先輩は、何で走ってたんですか?」
 柊先輩の提案を却下する意志を見せながら、話題の転換に試す。
 ひとしきり笑って落ち着きを取り戻した柊先輩は、乱れた前髪を直しながら答えてくれた。
「走るのが好きだから、かな? 走らないと朝の目覚めがよくないしね。さすがにこんな学校で陸上部なんて望めないから、永久自主練だ」
 肩を揺らして笑いながら、手を上空に翳す柊先輩。空に手を浸しているのをぼうっと眺めていたところで、
「びゅーん」
 自前の効果音と共に、木葉が俺と柊先輩の間へと自転車で突っ込んできた。行動の読めない奴である。
 柊先輩は軽々避けたが、俺は自転車という荷物があったため見事に轢かれかけた。というか、木葉がハの字に伸ばしていた足が俺のふくらはぎに直撃した。柊先輩が吹き出す。
「おはよ、彼方ー! それと彰ごめんー!」
「……おはよう」
「ぶ、くくっ……おは、よ……」
 若干の前傾姿勢になるほどに柊先輩が笑いを継続させる。聡明な見た目とは裏腹にかなりの笑い上戸らしい。
 木葉はそのままブレーキをかけることなく、校庭の隅に設置されている自転車置き場に自分もろとも突っ込んでいく。駐輪場にはエナメルバッグ入りの自転車が一つ、先に席を埋めていた。柊先輩のだろう。
 そういえば俺も自転車を保持したままだったので、柊先輩に軽く一礼して木葉に続く。手慣れた手つきで駐輪を終えた木葉は、一足早く柊先輩の元へ駆け寄っていた。
「一昨日ぶり、彼方!」
「相変わらずだな、お前は」
 木葉が飛びつき、それを受け止める柊先輩。くるくると回る先輩後輩は、実に爽やかで微笑ましい。そのまま木葉が吹っ飛んできそうで怖いが。
「昨日何で休んだのー?」
「妹が体調不良でな。急遽私が店番をしなきゃいけなくなった」
 ようやく鍵を抜き、会話に勤しむ二人のもとへ戻る。店番がどうのこうのと俺がよくわからない話をしていて、その疑問が顔にも出ていたのか、
「あ、彰は知らないよね。彼方んち、駄菓子屋さんなんだよー。彼方のお父さんとお母さんはお仕事の都合で東京にいるから、いつもは妹さんがお店番してるの」
 未だ手動メリーゴーランドでお楽しみの木葉が説明してくれる。「祖母もいるが、何せ今はもう寝たきりでな。御年九十五歳だ」と柊先輩が補足。「長寿ですね」と相づちを打っておいた。
「へえ……」ん?「……妹さん、何歳?」
「小学生。いわゆる不登校って奴だな」潔い答えっぷりだった。
「……わお」社会問題、ここにもあり。
 突出した憂いや落ち込みはなく、あくまで事実を伝えたという素振りの柊先輩。むしろ笑顔のまま、ジャイアントフルスイングを続行。
「まあ、勉強は個人でしてるようだし……学校に来てもここはあんまり変わらないから、私も祖母もうるさく言わないんだけどな。姉の私が言うのも何だが、不登校児という点を除けばなかなかにいい子だしな」
「彰にも紹介したいねー。彼方に似て妹ちゃんも可愛いしー……ていうか彼方、目回ってきた、た、た」
「おっと、すまん」
 だんだんと減速させ、木葉を地へ降ろす。十秒ほど木葉はふらふらとしていたが、慣れているのかすぐに直立へ戻る。
「そういえば昨日いなかったから彰は知らないかもだけど、柊彼方。あたしたちと仲良いんだよー。……って、もしかしてもう聞いた?」
「聞いた。ていうか木葉、何でお前こんな早いんだ?」
「ん? あたし、花壇の水やり係だから」
 木葉が指差したのは、玄関の左右にあるプランターの列。それから、と付け加える。
「彼方一人じゃ、寂しいでしょ」
 ぶい、と二本指と突き出してきた。何とも簡単な理由で、笑みが漏れる。
 やっぱり木葉は、そういう奴だった。
「寂しくなんてないけどね」と柊先輩も照れ笑いと苦笑の間で曖昧に笑った。


 もうひとっ走りすると告げた柊先輩と別れ、俺と木葉は校舎に向かう。
「ちょっと待っててね!」
「おー」
 教室に入って机に鞄を置くなり、すぐに今来た道へ引き返して校庭に出る木葉。
 窓から少し身を乗り出して見てみれば、じょうろを手に小走りで水道に向かうところだった。こちらに気付いて元気いっぱいに手を振ってきたので、振り返して顔を引っ込める。
 水やりの音を耳で確認しながら、目は柊先輩へ向く。狭い校庭を目一杯使ってリズムよく走っており、
「……てゆーか……」
 速い。
 ランニングだというのに、俺が普通に走るのと同じくらいのスピードはある。それなのにペースは緩むことなく一定で、持久力とスピードに感服した。
「……お?」
 すると、柊先輩がちらちらとこちらを気にする素振りを見せるので、あんまり見続けるのもあれかと目を逸らす。走る人間が走っているところを見られて恥じるというのもいかがなものなんだろう。って言うのはセクハラの詭弁みたいなので自重。
 そういや俺は学校の構造をほぼ理解していないことに気付いて、雛乃さんへの嫌がらせのためとはいえ無駄に出来てしまった空き時間を有効活用しようと教室を出る。
 ちょうど玄関まで戻ったところで、じょうろを靴箱横に置いた木葉と鉢合わせた。
「なになに? どったの?」
「んー、学校内把握しとこうかと思って……」
「じゃああたしもついてくー。もしいるなら案内とかするし! ……とかかっこいいこと言いたいけど、案内も説明もいるような校舎じゃないんだけどねー。正直言うとあたしも暇だし」
 というわけで、パーティーに木葉が加わった! 10分で終わるダンジョンだが。
 俺が前いた学校とは違う表記の部屋などがあったので、そこらへんの説明は木葉がしてくれて助かった。ちなみに学校に駐在している教師は雛乃さんを含めて三人だという。大雑把に分けて、指導教諭、養護教諭、事務教諭。よくこんな人数で成り立っているものだと逆に感心した。
「保健の佐村先生は探してもなかなかいないから気をつけてねー。たいてい保健室のベッドで寝てるか休憩室でコーヒー飲んでるけど……みんな怪我してもちょっとなら放っておいちゃうから、暇なんだって」
「……ほんと、よく成り立ってるな」
「あ、休憩室っていうのは本とかおっきな机とか、一台だけだけどパソコンとかある部屋ね。一般的に言えば図書室っていうのかな? 唯一扇風機とハロゲンがあるから、お弁当そこで食べる子もいるかも」
 だいたいの配置と部屋名はすぐに覚えた。何と言っても数が少なすぎるし、校舎は俺の家……というか婆ちゃんの家とどっこいどっこい、むしろ校舎のほうが狭い気さえする。
 音楽室と家庭科室があったことに軽く感動を覚えつつ、普通の学校ならばあるはずの部屋がないことに気付く。
「そういえば、職員室とかってねえの?」
「ないない、三人しかいないんだもん。それを兼ねてるのも休憩室。先生たちはそこでご飯食べたり、休み時間休んだりしてるの」
「ふうん……あ、これか。休憩室」
 森羅万象オールマイティーに活躍してくれるらしい彼の休憩室が現れたので、普通に扉を開けようとして思いとどまる。そういえばここは職員室も兼任してるのか。
「失礼しまー」………………「……す?」
 無人だった。不思議そうにする木葉を横目にポケットから携帯を出して時刻を確認してみれば、八時五分。教師はもう登校しているはずだが。
「何してるの? 彰」
「いや、先生いるのかもなーと思ったんだが……」
「あはは、いるわけないよー」
 面白そうに笑って、木葉は指折り折り。
「ひな先生はHRぎりぎりに来るし、佐村先生は歩いて五分のとこに住んでるから電話しない限り定時には絶対来ないし、東海林さん……あ、事務の先生ね。東海林さんはわんこの散歩と日課のラジオ体操が終わってからだからー……そうだね、10時くらいには来るかな?」
「駄目人間ばっかじゃねえか!」ていうか、職務放棄だろ。
 木葉は笑いながら休憩室に飛び込み、日陰を保っている席を素早く確保しながら扇風機のスイッチを入れる。
「というわけで、今の時間は独占出来るんだよー! って……あれ?」
「なに?」
「後ろ後ろ」
 後ろ? と木葉が指差す背後を振り返ってみると、
「うわっ」
「わっ……」
 俺が驚いて足をもつれさせた結果、気配もなく背後にいた神崎まで巻き添えにしてしまう。
 ぱちくりと目をしばたかせながら俺越しに休憩室を覗き込んでいた神崎は、その薄っぺらい体を後退させて廊下へと尻餅をついた。
「びびった……つか、悪い。大丈夫か?」
「うん、平気」
 手を差し伸べるべきか迷っている間にも、神崎はさっさと立ち上がってスカートの尻を払う。結局私服ではなく制服で登校してきていた。
 机の上に身を乗り上げた木葉は、無理やり扉の向こうにいる神崎を覗き込みながら手を振る。
「おはよ、真白! だいじょぶ?」
「平気。神音、おはよ」
「真白、お隣カモーン!」
「ん」
 俺の隣を通り過ぎ、木葉がぼんぼんと叩いて指示した椅子へ座る神崎。あ、神崎と俺の家のシャンプー一緒だ。やっぱ同じ店で買ったりするからメーカーも一緒なんかな。
「彰も彰も。彼方もそのうち、教室にあたしらいないの気付けばこっち来ると思うし」
 呼ばれるがまま、木葉の向かいの椅子へと向かう。途中、小さな自販機が休憩室の向かいに一つだけ設置されているのに気がついた。
「自販なんてあるんだな」
「あー、飲み物持ってきても遠い子とかだと来るだけでぬるくなっちゃったりもするから……彰買うの?」
「買っとく」
 すでにここまで漕いできて、喉の奥が乾燥しかけてきている。尻ポケットに突っ込んでいた財布を引っこ抜くと、凄く視線を感じた。いや感じてない。気のせいだ。感じてるけど。
「……なんですか」
 木葉と神崎が俺をガン見していた。木葉はにこにこと笑って、
「あたし、彰と同じのでいいよ」
「それじゃ、わたしも」
「もう俺が奢ること前提の会話になってる!」
 神崎まで便乗しやがった。神崎一人ならきっと言い出さなかっただろうが、木葉が言ったから何となく、といった感じだろう。意外と空気の読める奴である……が、何も今発揮する必要ないのに。
「まあいいや……コーラでいいよな」
 三百三十円を投入して、ペットボトルコーラを三本取り出す。ていうか今のご時世、ペットボトルが一本百十円って大丈夫か。
「………………」
 それから少しだけ迷って、もう百十円を自販機へつぎ込んだ。
 取り出し口から四本目のコーラを取り出した俺の思惑を一番に読み取ったのか、木葉がにやにやと笑みを浮かべる。その隣で神崎は「二本飲むの?」と的外れなことを言って首を傾けているが。
「彰、やーさしーい」
「公平を期した結果ですので」
 顔の熱さを隠しつつ、今この場にいない先輩のためのそれを木葉へ押しつけた。俺から渡すのは、羞恥心が耐えられそうにない。
 目を戻すとコーラが売り切れとなっていた。他にも売り切れがほとんどを占めているが、さっきの教諭の怠惰ぶりからして補充をしているかも怪しい。
「はいよ」
「ありがと。ほんとに買ってくれるなんて感謝感激ー。彰の株があたしの中で急上昇うなぎ登り右肩上がり」
「それはコカコーラ社の株じゃなくてか?」
 木葉はすぐにキャップを開けて、いい飲みっぷりで喉を鳴らす。二酸化炭素を勢いよく嚥下した木葉は、きっと甘くなっているであろう唇を舌で湿らせた。
「いつも思うんだけどー……コーラとかファンタ飲んだあと、奥歯擦り合わせるときしきしなるの何でだろ。炭酸好きだけど、そのきしきしだけは……うあぁ! やっちゃった鳥肌ばばばー」
「あ、それって歯が溶けてる証拠らしいぜ」
「嘘!」
「嘘」机の下で脛を蹴られた。
 自分のも開けながら神崎を見てみると、手に握ったままじっと赤いラベルのついたペットボトルを見つめていた。神崎の奇行には耐性がつきつつあるので、問い詰めることはしない。
「神崎、ホットコーラはまずいぞ」
「知ってる」
「じゃあどうした?」
「炭酸、辛いから……心を決めてるの」
 コーラを飲むのに心を決める奴がどこにいる。ここにいる。
「先に言えよ……」
「飲めないわけでも苦手なわけでもないから。辛くてちびちびしか飲めないだけで……味は好きだもん」
「それを世間では苦手と呼びます!」何でそこで見栄を張る。
 すでに自分のコーラを半分以上飲みほした木葉が、引き続きコーラから炭酸が飛ぶための念を送っている神崎を見かねてペットボトルを奪い取る。
 そしてあろうことか、それをシェイクし始めた。
「味は大丈夫で炭酸苦手なんだよね? じゃあさじゃあさ、振ったら炭酸飛ぶよね?」
「馬鹿だろ! お前馬鹿だろ!」ダメだこの天然!
「だって原理的には間違えてないよー。……よし、こんなもんで。うまくいってるかなー」
 木葉は満足げに、実に三十回以上振ったペットボトルのキャップを開けて、
「………………」
 あとはまあ、お察しの通りである。
 見事に爆発したコーラの中身は三分の一ほどがボトルの外へ飛び出て、主犯の木葉とその隣にいた神崎にまで被害が及んだ。木葉は上着とスカート、神崎はスカートと髪先に少し。
「……あれ?」
「あれ、じゃねえよ! 一回蓋開けない限り爆発するだろ常識的に考えて!」
 前髪に付着したコーラを指で梳き落としながら、木葉は暢気に笑う。神崎も特には気にしていないようで「茶髪になった」と自分の髪先をいじっている。
 すると走るのに満足したらしい柊先輩が休憩室へ入ってきて、二人の現状に軽く笑う。首に引っかけた薄緑色のタオルで汗を拭いながら、
「なにやら楽しそうだね」
「あ、おかえり彼方ー!」
「おかえりの前にその格好をどうにかしたらどうだ? べたべたになるぞ」
 苦笑しながらバッグを机に下ろした柊先輩は、それを開けて色の違うタオル二枚と、ついでに自分のであろう制服を取り出す。
「体操着に着替えないとな。制服と肌は外の水道で洗ってきたらいい」
 神崎と木葉の頭にタオルをかけた柊先輩は、ぽんぽんと頭を軽く叩いて二人を立たせる。いい先輩、というかむしろ保護者……と急いで休憩室を出て行く二人を見送る視線が自然と生暖かくなる。
「黒柳は大丈夫だったのか?」
「ええ、はい」
 ふと机を見ると、開放されていないペットボトルが一つ取り残されていた。俺が木葉に押しつけたはずのボトル。忘れていったのか、わざと置いていったのか。
「柊先輩、よければどうぞ」
 何気なさを装ってそれを差し出してみるが、俺の希望したような素早さでは受け取ってくださらない。ちくしょう。
 当たり前と言えば当たり前、瞬きの回数を瞬間的に増やして柊先輩が貢ぎ物の真意を見抜こうとする。この人ならば二つ返事で気軽に受け取ってくれるかと思ったのに。
「えーと……今財布を持っていなくてだな」
「俺の奢りですから」
 柊先輩の手に無理やり押しつける。疑問系な動きで首を傾げていた柊先輩だったが、一定時間を経過させたところで納得したように笑みを浮かべた。
「黒柳が好感度を上げるために頑張った証として受け取っておくよ」
「あなたもなかなかに性悪ですね」
 キャップを開けて腰に手を当て、ごっきゅごっきゅと男らしく……げふん、爽やかにコーラを貪る柊先輩の健康な色気。矛盾消去、思考修正。喉を伝う汗がまた、げほんげほん。
「ごちそうさま。残りはあとでいただくよ」
 まだ中身の残っているそれにキャップをはめ、鞄の中へとしまう。タオルで汗を拭き取る柊先輩を凝視していると先ほどの二の舞になりかねないので、俺の目線は机に置かれた制服へと移る。そこで疑問が生まれた。
「柊先輩の制服、みんなと違くないですか?」
 机の上にあるのは木葉たちが着ている標準服ではなく、ワイシャツとグレーチェックのプリーツスカートだった。高校生の制服が二種類あるというのは聞いていない。
「いや、どうも私はセーラー服が苦手、というか似合わなくてな……けれど制服なんて今の時代しか着られない希少価値モノだから、もどきでも着ておこうかと思って。謂わばオリジナル制服だな」
「なるほど」
 そんなのもありなのか、と思わずまじまじと見ていると、汗を拭き終えたらしい柊先輩がちらちらと俺の動向を伺ってくる。顔を上げると、僅かに頬を染めた柊先輩が、
「……黒柳」
「はい?」
「その、出来れば廊下にいてくれると嬉しい、んだが。……着替えたい。さすがの私でも、お前の前で着替えというのは、なんというか。あ、ほら、それにあいつらもそろそろ着替えに戻ってくるだろうし。な」
 ――もう一度、ちらり、と。
 俺はすぐさま教室の出入り口へ走り、老朽化の進む扉を無駄にがたがたと軋ませてから廊下に転がり出た。俺は紳士なのである。動揺しすぎ感が漂う紳士。
「あ、彼方着替えてる?」
 体操着を持った木葉と神崎も小走りに戻ってくる。そのスカートや上着が洗ったせいか濡れて肌に張り付いているのを本人たちはまったく気にしていな気にしろこの野郎。木葉は前髪もゆすいだのか、額に張り付く前髪を恥ずかしそうに指先で払っているが問題はそこじゃない。
「ごめん彰、すぐ着替えるからもうちょっとだけ待ってて!」
 中にいる柊先輩のことをまったく考慮しない堂々とした扉の開け放ち方をして二人が中に入っていき、中が一気に騒がしくなる。
 あえて無反応を貫いていたが、中から柊先輩の衣擦れ音が響いていただけに有り難い。健全な学校生活のためにも。
 そして俺は思う。
 そういえば、叔母に逆らった俺は今日も弁当なしなのだった。


 結局、俺はその日、みんなからなけなしの弁当を分けてもらうに至った。
 雛乃さんから笑顔で弁当箱を渡された瞬間俺の胸は期待に膨らむはずなんかもなく一番に恐怖を覚えて、おそるおそる蓋を開けてみれば、案の定そこには炊かれていないただの米粒たちがざらざらと転がっていた。おかずをくれとは言わない、せめて炊いてくれ。
 そうして昼飯を食いながら考えたことがある。
 今日も飯を食いに来るんだろうか。毎日は来ないと言っていたが、本当にきっかり一日置きで来るのかもわからない。
「………………」
 でもそこに俺がいる必要性はない。目を離すと危なっかしくてはらはらするだけで、完全に俺の杞憂。今までも婆ちゃんと雛乃さんの二人と食っていたわけだし、昨日のようなことももし俺がいなければどちらかが対応していただろう。
 とまあ、何で俺はこんなに神崎を気にかけているんだか、ということだ。
 やっぱ初っぱなのあれが原因なのか、それともまた別の何かか。
 ……まあ、100%前者か。そういうことにしておかないと、懸案事項が増えてしまう。
 とにもかくにも、俺は神崎のことを考えすぎだという結論に至った。すべてを忘却すると決めた以上、これは好ましくない事態だ。
 なので、
「ね、彰。よければ今日、村案内とかするよ? どうかな?」
 という木葉の誘いを、俺は二つ返事で受諾したのであった。
 その話をしている間は、なぜか神崎の顔を、俺は見られなかった。


 人生、思ったようにはいかない。
 自転車がなかったのだ。いや、俺じゃない。
「お前自転車持ってねえのかよ!?」
「うん」
 学校が終わって駐輪場、神崎は当たり前のように頷く。唖然とする俺の横を下校するクラスメートがどんどんと通り過ぎていく。
 ちなみに、木葉はまだ教室に残っている。毎週変わる掃除当番に当たってしまっていたらしい。なので掃除の邪魔にならないよう神崎と由鶴と世間話を交わしつつ駐輪場まで出てきたはいいのだが。由鶴は一足先に自転車へ跨り、柊先輩と同方向へ帰宅していった。
「でも、学校から彰の家行くの、慣れてるから平気。雛乃、夕方くらいまでは学校でお仕事あるから先に帰るの」
 学校から自宅までが俺より遠いという神崎は、あろうことか自転車を持っていなかった。毎日徒歩で登校して、俺の家に寄る日も徒歩で下校。
「昨日も俺の家まで歩きで来たのかよ?」
「うん。彰たちが帰ってからすぐわたしも向かって、そうめん出来るちょっと前に着いたの。頑張って走ってよかった」
 神崎、平然。というか、微笑む。動悸が激しくなったりはしていない、断固。というかもうわかっていたことだが、やはり神崎は世間の常識からずれている部分がある。
「何で最初から言わねえんだよ……」
「……言えば、彰の家まで乗せてくれるの?」
 神崎が期待のまなざしで俺を見つめてくる。うぐ、失言。
 一ノ瀬とふざけていてまともに掃除なんてしていない木葉が教室の窓から覗ける。俺は木葉を待って、そのまま一緒に村を徘徊するつもりでここに向かったはずだし、そう決めるまでにあれやこれやの決心があったはずなのだが。
 ここから俺の家まで歩いたら一時間弱はかかる。その距離を俺は自転車で悠々と帰宅、神崎だけを徒歩で帰らせるというのは……何というか、うん、あれだろ?
「あーもー……ちょっと待ってろ!」
 日差しの当たらない庇の下へと神崎を押し込み、他の生徒の邪魔にならないよう端に待機させる。こうでもしないと神崎は自転車に轢かれかねない。
「木葉!」
「あれ。どうしたの、彰。もうちょっとで終わるよ?」
 木葉は箒を持ったまま窓際に寄ってくる。教室の窓下にある花壇のせいで、俺はこれ以上近づけない。見上げる形のなる俺に、不思議そうな木葉。少し罪悪感が芽生えた。
「悪い、まだ部屋の片付け済んでないの思い出した。だからすまん、今日の約束、また今度でいいか?」
「うん、そういうことなら全然平気だよ。それより、彰一人で片付けられるのー? そっちのがあたしは心配だよー」
 爽やかな笑顔であっさり許容してくれる木葉に、罪悪感は膨らんだ。こんなことなら嘘をつかなければよかったかも、とようやく後悔。
 少しだけ軽口を交わして、窓際から離れる。駐輪場まで戻ると、神崎がタイヤ止めに座って目を閉じていた。すでに乾いた制服へまた戻った神崎は、放置された人形のように微塵も動かない。そよりと吹く風が、田舎の背景には合わない白い髪を散らせている。
 微動だにしないところから見て、眠りに落ちかけていると見た。よくもまあこんなところで睡魔を招き入れられるな。
「こら、寝んな。起きろ神崎」
「………………」
 夢の世界に埋没していたわけではないようで、若干重たげながらもすぐに瞼は押し上げられた。欠如した表情が俺をじっと見上げてきて気まずい。木葉に嘘をついた以上、おおっぴらに神崎を連れて出るわけにもいかないので、とりあえず腕を引っ張って立たせた。
「彰……?」
 神崎を無視してスタンドを上げ、校門まで出る。門で校舎が見えなくなるところまで行ってから振り返ると、案の定神崎はとてとてと後ろをついてきていた。何となく神崎の行動は読めるようになってきた。来いと言えば来なくて、来るなと言えば来る。しかもそれは無意識、悪意や特別な感情はなしに。
「後ろ乗れ」
「……神音と遊ぶのは?」
「雨天中止だ」
 澄み渡る空を見上げて不思議そうにしつつも、神崎は荷台へ跨った。だが俺は発車するわけにはいかない。
「………………」
「どうしたの?」
 何故前を向いて跨る。仮にも女子が、しかも膝上のスカートで。女子と二人乗りなんてしたことはないが、普通こんな乗り方しないだろう。
「神崎……横向いて座れ……」
「ん」
 素直に一旦降りて、横向きに座り直す。操縦はこんなに簡単なのに、何でいちいち予想外なことばかり引き起こすのやら。鞄が邪魔そうだったので、腕から引き抜いて籠に入れておいた。
「んじゃ行くぞー」
「出発しんこー」
 ようやく俺も乗車し、二人乗りの最難関でもある漕ぎ出しのために力をかけてペダルを踏み込む。が、神崎は予想外の軽さで、むしろ釣り合わない重心につんのめりかけた。その衝撃に揺らいだのか、今まで両手両足フリーダムにぶらつかせていた神崎が慌てて両腕を俺の腰、……に?
 腕が腰に回された。
「わわ……っ」
 思わずぐらついた車体に、神崎がますます身を寄せてくる。背中に控えめな何かが触れていたが、知らないふりをし出来るか。混乱も揺れも測定器をぶち割って大気圏に突入して燃え尽きて燃え滓となって俺の頭上に降り注いできたあたりで落ち着いた。落ち着いてないことがわかるくらいには落ち着いているから問題ないだろう。矛盾というより哲学くさい。今夜よく考えてみることにする。落ち着けよ俺。
 平衡感覚が元に戻って、血液の流れが正常の枠に収まると、密着している神崎の低めに設定された体温や、肉はないはずなのに柔らかい肌の感触が伝わってきた。それを理解出来るということは、本当に落ち着いた。鼓動は史上最速だが。
「彰、平気? 重くない?」
 ぐらついたのが自分の重さのせいだと思ったのか、不安そうに神崎が尋ねてくる。その吐息が背中にかかってるような気がしてならない。ああ、俺重症。
「神崎こそ落ちんなよ」
 東京でこんなことをしようものなら絶好のからかいの的なのだが、ここには気に留める奴すらいないらしい。見れば中学生の中にも何人か二人乗りをしている奴はいて、後ろにいる側の奴はみんな自転車がない組なのかもしれない。
 すぐに四方八方へ生徒は散っていって、道は俺たちだけになる。タイヤとペダルが連動して回転する音、夏の音以外が耳に届かない。神崎に抱きつかれている腰がじんわりと汗ばんでいくのがわかった。
「ね、彰。ほんとのこと言ってもいい?」
「本当のこと?」
「今日ね、学校行く前に夜ご飯の準備、家でしてきてたんだ」
 面白がっているようなイントネーションを含んで、神崎が足を揺らす。こら動くな。
「つまり?」
「だからね、本当は彰の家行く予定はなかったんだよ。今日はおうちで食べるつもりだったの。でも、やっぱり行くことにする」
「………………」自転車が揺らいだ。
「わ、わ、危ない、彰」
 ぎゅっと回される神崎の腕に、冷静を失う代わりに左右のバランスを取り戻した。神崎を振り返ってみると、ぴったりと俺の背に寄せた顔と上目な瞳がかち合う。「えへ」と反省が一割もなさそうな笑顔。
「でも、彰の家のもっと向こうにわたしの家があるのはほんと。自転車がないのも、毎日歩きで来てるのもほんと。だからね、送ってくれてありがと、彰」
 汗が滲んでいるであろう背中に額を擦り寄せて、神崎は微笑む。
 自転車がもう一度、大きく揺らいだ。


「木葉せんぱい、何見てるんですか?」
「ん? あ、えっとねー……彰、嘘下手だなーって」
「ん、え? あれ、黒柳せんぱいと神崎せんぱいですか? 二人で帰って……あ、お二人は一緒の方でしたっけ、家」
「うん、そー。真白自転車ないから、多分彰が送ってるんだと思う。別に隠さないで最初から言えばいいのに。ていうか彰は知らないだろうけど、あの角過ぎるともうここから丸見えなんだよね。それを彰に教えない真白も真白だけどさ」
「……黒柳せんぱいって、神崎せんぱいのこと好きなんでしょうか?」
「うーん……そういうのとはまたちょっと違う気がする。ほら、真白ってなんか、あたしらと同じ歳の割には凄い危なっかしいっていうか、放っておけない雰囲気あるでしょ?」
「ああ……私ですら神崎せんぱいは見てて怖いですよ、色々と……」
「でしょでしょ。だからつい、っていうか……あたしも最初はそうだったんだよね。真白って一人でいることも厭わないし、っていうか何とも思ってなさそうだから目離した隙にどっか消えちゃいそーでさ。掴んでないと、どこ行くかわかんないし。同情じゃないけど、この子は放っといたらだめだー! みたいなさー」
「それはわかりますけど……だからこそ、面倒見のいい木葉せんぱいと神崎せんぱいは親友なんですよね? だったらそれって、黒柳せんぱいと神崎せんぱいだったら、仲良くーじゃなくて好きにーってなっちゃうんじゃないですか?」
「……かもしんない。彰、なんだかんだで流されやすい上にお人好しっぽいしなー。真白って、こう、無意識に可愛いしね。ほら、見た目だけじゃなくて……喋ることも少ないし、かわいこぶってるわけでもないのに、自然に可愛いっていうか、放っといても人気者になるような」
「……木葉せんぱい、凄い立ち入ったこと訊いていいですか?」
「うん」
「木葉せんぱい、黒柳せんぱいのことお気に入りですよね?」
「………………」
「もしかして、好き、とか」
「違う違う、それはない! そうじゃなくて……彰も真白と似てるじゃんか。何か抱えてるくせに、絶対あたしたちには明かしてくれそうにない。真白もさ、本当は何か言いたいことあるはずなのに……何年一緒にいても、言ってくれないの」
「………………」
「それがさ、あたしは悔しくて。所詮真白にとってあたしはそんなもんなの、みたいな……でも真白、彰にだけは打ち解けてる気がする。何年も一緒にいたあたしたちよりずっと、彰になら何でも話してる気がして。何でかはわかんないけど。だからどっちかっていうと、あたしはそんな彰に嫉妬してるし……彰にあそこまで歩み寄れる真白にも嫉妬してるかもしれない」
「お二人の間って、何かがありますもんね。私たちには立ち入れない何かが」
「そう、それ。あたしは知りたいの。真白のことも、彰のことも。もちろん今宵ちゃんのことも。中心にいたいなんて傲慢なこと言わないよ。だけど、大好きな人たちのことくらい誰より何より知ってたいじゃん。みんながそれぞれ何か抱えてるのは知ってるよ。真白も今宵ちゃんも彼方も由鶴も夜宵も彰も、全員なんかあって、生きるのに必死なの。だからね、失いたくないの、今を。今の仲間を。夜宵と彼方なんか、あと一年もせずにこの学校からいなくなっちゃうんだよ。たった六年間、されど六年間。人生の中の六年間なんてちっぽけだけど、そこにあたしたちがいたことを忘れてほしくない。あたしも忘れたくない。だからあたしは必死なの。今を生きるのも、みんなを好きなのにも」
「………………」
「真白の危なっかしいとこも好き。彼方の頼りになるとこも好き。今宵ちゃんの可愛いとこも好き。由鶴の馬鹿なとこも好き。夜宵のシスコンなとこも好き。ひな先生の適当なとこも好き。岬さんのおおらかなとこも好き。クラスのみんなの優しいとこも好き。まだ出会ってちょっとの彰のことだって好き。そんな大好きなみんなと一緒にいれるあたしのことも、あたしは好き。この学校が、この白野沢が、大好き」
「木葉せんぱい……」
「あは、ごめんね。今宵ちゃんもいっぱいあるんだよね、たくさん。そう、みんなたくさんのことにいっぱいいっぱいなんだよね。そんな中で笑ってられるあたしはきっと、誰より幸せ者だよ」
「木葉せんぱいの言いたいこと、ちょっとわかった気がします。神崎せんぱいが誰を好きとか、黒柳せんぱいが誰を好きとか、そういうのじゃなくて……守りたいんですね、木葉せんぱいは」
「うん。きっとね、真白は彰が救ってくれるし、彰は真白が救ってくれる。あたしはそうやって二人が泣いた時、隣で笑ってあげられればいいなって。それだけなの」
「……そのときは私も一緒ですからね!」
「あはは、ありがと! もーかーわいーいなー、今宵ちゃんはー! もうぎゅっぎゅしてちゅっちゅしてあげるー!」
「さすがの女子でも今宵にキスすんのは俺を倒してからだ! 勝負、木葉!」
「せっかくいい雰囲気だったんだからおにいちゃんは入ってこないで!」
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