翌朝も、ぴんと張り詰めた空気が町を包んでいた。
「ジョーカー」
「ん……ん?」
 揺り起こされて、ジョーカーは目を覚ます。目の前にはひっくり返ったユリアの顔があって、「変な顔」寝起きの顔をユリアは軽く笑う。相当顔を洗ったのか、真っ赤に腫れ上がるかと思われた目元は無事だった。
「おはよ。背中痛くない?」
「……いてえ」
「だよね。ごめん、ベッド使っちゃって」
「いや、いいけど」
 ゆっくりと起き上がると、床で寝た弊害として背骨がバキバキと鳴った。
「ジョーカー、ヴァレン様が呼んでたよ。早く来いって」
 そういえば服のまま寝てしまったな、などと思っていた矢先、ユリアから悪魔の言づてが伝えられる。ジョーカーは顔を歪めた。
「嘘だろ」
「本当。五分以内に来なかったら、なんだっけな、今度は家を押し潰すとか何とか」
 ヴァレンタインならやる。きっと実行する。
 空恐ろしさを覚え、ジョーカーは身震いした。
 そんなジョーカーを見て、ユリアは薄く微笑んだ。とんとジョーカーの背を押し、入り口へと足を運ばせる。
「おい?」
「ほらほら、早く行っておいでよ。魔女様たち怒っちゃうよ」
「ユリアっ……」
 顔を俯かせているため、ユリアの表情はわからない。
 ユリアはいつから、こんなにも自身の感情を押し殺すようになったのだろう。自分をひた隠して、ジョーカーを優先するようになったのはいつからだろう。
「いってらっしゃい」
 いつから、泣きそうな笑顔をつくるようになったんだろう。
「ユリア」
「へ?」
 ジョーカーはユリアの腕を掴み、そのまま外へと引っ張り出した。あまりの寒さに二人してとたんに鼻を赤くし、ユリアに至ってはがたがたと震えている。
「なにっ……? 寒いよジョーカー」
「屋敷まで耐えろ!」
「……屋敷って。魔女様たちの?」
 頷くと、ユリアは困惑しきった顔になる。
「だ……だって、呼ばれたのはジョーカーだけなんだよ? あたしは、」
「ヴァレンタインたちがおまえを追い返すわけないだろ! 一人がいやだってんなら、おまえが来い! ユリアが逃げてたんだろ!?」
 寒風を押し返さんばかりに、凍りそうな口を動かして怒鳴りつける。ユリアはジョーカーに引きずられるがまま。
「で、も……」
「でもじゃねえ!」
「……なによう! 今までずっと気付かなかったくせに! 魔女様たちが来てから、全然あたしに構ってくれなかったのはジョーカーでしょ!?」
「だったらそれを言え! わからねえよ! 俺が気付いてなかったら、怒鳴ってでも殴ってでも振り向かせろよ!」
「勝手だよ!」
 掴んでいたユリアの腕が、すり抜けていく。振り向けば、はあっと荒い息をつくユリアがジョーカーを睨んでいた。
「あ、あたしが、どんな思いでっ……あたしがどんだけ我慢してたか、ジョーカーにはわかんないよ!」
 乱れた息をつく度、お互いがお互いの吐息で白く霞む。
ユリアの眼球が濡れていることに気付いて、ジョーカーは吐息しかこぼせない。もっとも。ユリアに怒鳴る権利なぞ、ジョーカーにありはしないのだ。
 ジョーカーは長く息を吐き出す、と。
「ユリア、悪かった」
 深々と、頭を下げた。
「……ふえ?」ユリアはぽかんとしている。
「俺、おまえのこと全然考えてやれなかったな。ユリアが言うんじゃなく、俺が気付かなきゃ意味ないよな。ごめん」
「わ……かってるなら、いい、けど」
 謝られるとは思ってなかったのか、ユリアは目を泳がせる。
「それでな、ユリア。頼みがある」
「ん……内容によるけど」
 ばつの悪そうな顔のまま、ユリアは首を傾ける。ジョーカーは顔を上げると、赤い鼻のまま口角を上げた。
「屋敷に行って、ヴァレンタインの世話焼いてくれないか? 一緒に遊んでくれ」
 どういう意味が、込められているか。
 ユリアはそれを理解すると、頬を赤らめて顔を逸らした。
「べ、別にいいけど……どうしてもって言うなら」
「おー、どうしてもだ。ほら行くぞっ」
「ひあっ」
 ユリアの肩を抱き、引っ張っていく。困ったように笑って「仕方ないなあ」とユリアはいつも通りの嘆息を落とした。
「ジョーカーはあたしがいないとダメだね。あたしもジョーカーがいないとダメ」


 屋敷は、人であふれかえっていた。
「お兄! お姉まで!」
「二人も遊びにきたのかー?」
 わらわらと集う子供たちの最奥、ひときわ派手な二人が見える。その中でもさらに派でなほう、ヴァレンタインがジョーカーたちに気付いた。
「ようやっと来たか。遅いぞ」
「ヴァレンタイン、何だよこれは。集会所か?」
「うむ……少年が屋敷内を覗いておったものでな、近う寄れと言ったところ一人じゃなかったらしいのじゃ。後ろに数十人とおってな。おかげで、今じゃこの雪崩よ」
 そう言いつつも、ヴァレンタインはまんざらでもなさそうだ。顔が緩んでいる。
「ぬ? 今日は娘もおるのか」
「あ……と、おはようございます」
 ユリアが慌てて頭を下げると、「よいよい。ぬしはひれ伏せずともよい」と寛容な笑い声が返ってくる。どうもヴァレンタインはユリアが気に入っているようだ。
 主に少女に囲まれていたイヴと、目が合った。イヴはジョーカーへと笑いかけると、ひらりと手を振った。だがすぐに「お姉ちゃん、聞いてる?」と袖を引かれたため、視線は下へと落ちる。
「相変わらず人気だな、おまえらは」
 苦笑いでそう言ってやれば、ヴァレンタインはにんまりと嫌な笑みを浮かべた。ユリアに背を向けてジョーカーの肩を掴むと、こっそりと囁く。
「ぬしも相変わらず女泣かせよの。あまり娘を弄ぶでないぞ」
「ち、っ……がうっ!」どういう誤解をしてるんだ。
「ふん、誤魔化さずともよい。ぬしはともかく、娘の恋情など目に見えてるではないか。ぬしはそれに気付いてて無視をしておるのか、気付くはずもなかったのか……」
 ユリアが怪訝そうにするのもお構いなし、ヴァレンタインは柔らかいところへと乱暴に侵入してきた。
 人の気持ちに敏感なくせに、こういう時は責め立てるのがヴァレンタインなのである。
「どちらにせよ、ぬしは酷な奴よ。娘も哀れというものぞ」
 くくっと笑いながら、肩を解放された。嫌悪に似た感情で顔をしかめながら、ジョーカーはちらりとユリアを盗み見る。ユリアはその視線に気付くなり、首を傾げながら苦笑を浮かべた。ヴァレンタインはその反応こそを楽しむように笑う。
 それを見守ってから、ヴァレンタインは子供たちに向けて両腕を開いた。
「さて、せっかくこれほど集まっているのだし、何か遊戯を提案してたもれ。暇な白昼、享楽に興じるのもまた一手よ」
 ヴァレンタインのその一言を皮切りに、屋敷のあちらこちらから叫び声が上がる。
 ユリアとジョーカー、それから再び顔を上げたイヴは、お互いに顔を見合わせてははにかんだのだった。


 ユリアは、気付いていたはずだ。
 だから急に慣れない手作り弁当なんてものを持ってきたし、都会へ出向く時以外はずっと大切にしまっておいてあるはずのフリルワンピースを引っ張り出してきた。置いて行かないでと、離れるなと、泣いた。
 ジョーカーが、イヴに惹かれつつあることに気付いて。
 本人でさえ自覚しえなかったくらいの淡い心を、ユリアは見透かして釘を刺しにきた。所詮イヴは魔女で、千年に一度の奇跡で、こうしていれること自体が有り得ないことなくらいなのだと。
 だが、それは逆効果だったといってよかった。放っておけば、単なる憧れで終わったかもしれないジョーカーの気持ちを、ユリアは覚めさせてしまった。わざわざ、おまえは魔女に惚れているんだ、だからもうやめておけ、そう、伝えてしまったのだ。覚醒させ、意識させて、単純なジョーカーを煽った。
 それに、ユリアは知っていたはずだ。
 ――そう、そうなんだよ、ユリア。
 今まで一番近くにいたユリアが、誰よりもわかっているだろう。そんな制止を受ければ受けるほどに、燃え上がるジョーカーの性格を。
 これ以上負けるわけには、いかない。


「エース、エース」
「んぁ? 何、リアン」
「こっちこっち」
 少女に呼ばれ、少年はそちらに歩いて行く。怪訝そうな顔のまま。
 先ほどまで騒がしかった屋敷も、今は少し落ち着いた。ゆったりとした時間が流れ、それぞれがそれぞれ、好きなことをして過ごしている。
 そんな中、もっとも騒がしかった魔女たち四人組はというと。
「ほら、見て」
 人差し指を唇の前で立てながら、少女はある場所を指差す。それを見たとたん、少年と少女は顔を見合わせてぷはっと笑った。
 少女が指差した先には、人間二人と魔女二人が無防備にも寝転んでいた。
 ベッドの上、トランプのカードやらチェスの駒やらが散乱している中で、四人は寄り添うようにして眠りこけているのだ。
 それはまるで、ゲームの国に紛れ込んだようにも見える。
「リアン、兄ちゃんたちの手繋いじゃおうか」
「うんっ」
 少年たちの悪戯。魔女も人間も、みなが手を取り合わされる。
 だがある二人は。
 少年と漆黒の魔女は、引っかけ合うようにしてすでに手指を絡めていた。呼吸音さえ確認出来ないほど穏やかな眠りの中で、結び合っていた。
 少年はまっすぐに。少女は優しく。黄金の魔女は美しく。漆黒の魔女は愛らしく。それぞれが、眠っていた。それぞれが、生きていた。
 それはもしかしたら、家族にさえ見えて――。
 きっと今この時、この場所が世界で一番暖かいのだろう。

 きっと今この時、この場所が世界で一番幸せなのだろう。
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