今日も目が覚めると太陽は既に高くに上がっていた。いまいちはっきりしない頭のままでリビングにおり、水を飲む。冷蔵庫の中の朝食は申し訳ないけど今朝も食べられそうもない。逃げるように机の上を見る。
机の上にはいつもの花瓶と別に、ルネの観光パンフレットが置いてあった。そういえば昨日ミクリさんが「ルネがいかに綺麗な街」であるか色々話してくれた気がする。
ルネの南側にはおしゃれなカフェやレストランがいくつかあること、そして西側には教会があること。行ってみたらいいよ、と彼は笑った。
今日も質の悪い睡眠のせいで体がしんどい。でもどこにも行かない何もしないでは、この辛い昼間の時間を潰せない。夜になったら家からも出られないのだから、せめて昼間くらいは、と私は嫌々出かける支度を始めた。

玄関の重い木の扉を開け、更に家の外にある青い門も出る。ミクリさんの家は高台にあるので、門の前からでも街を見渡せる。
まだ五月だというのに、一歩外に出ただけで日差しと反射がすごい。この白い壁のせいだろう。ほぼ三六〇度から照り付ける反射光は、日傘だけでどうにかできそうもない。ないよりましかもしれない日傘は、残念ながら二階の寝室にある。次回があるなら持って来よう。
眩しさに目を細めながら、家を見失わないように道の突き当りまでだけ、恐る恐る歩いてみる。
家から続くなだらかな下り坂を歩く。視界の半分に白い街が、もう半分には青い海が見える。
街の西側に、確かに教会らしき建物が見える。距離としてはそう遠くなさそうだが、このルネは階段を登ったり降りたりしなければいけない。道も複雑にぶつかり合うし、体力的にも記憶力的にも行くに行けなそうだ。
目線を下に向ける。海に近い崖は白く塗られておらず、赤茶色の地肌がのぞいている。
南側の海辺には、カフェやレストランらしきものが点々と見える。パラソルの下で人がちらちらと動くのが見え、華やかで賑やかな印象だ。私はそこに行きたいとは、あまり思わないけど。

最後に視線を街の内側、海の中心に向ける。
海の真ん中には島があり、その島にはルネジムが建っている。
街からジムに行くまでに橋はないから、その都度船に乗るかポケモンに乗らなければいけない。なんでこんな不便なところにジムを作ったんだろう。
ミクリさんならなんて言うのかな。「それはもちろん、美しいからさ」とか……?
そんな美しくも不便なこのジムは、なんとホウエンで最後のジムらしい。つまり彼はジムリーダーの中で一番強いということだ。
それだけでなく「ジムリーダー・ミクリはジムバトルもコンテストもどちらも極めた多才な人」なんてパンフレットでは紹介されていた。
彼が持っているのは才能だけではない。人間性もだ。
私がこうして海や街をぼーっと眺めている今も、彼はきっとジムリーダーとして挑戦者と戦ったり、ジムトレーナーを鍛えたりしているのだ。なんて凄い人なんだろう。わたしはこんな小さな海も渡れず、ジムに足を踏み入れることすらできないのに。

そう、この街の真ん中にある海なんて、小さな小さな海だ。どこにいたって陸が見える。なのにずっと海を見ていると指先が冷え、頭がくらくらする。寒いとかここが高台だとかのせいではない。海が、怖いのだ。
私は何がそんなに怖いのだろう? そんなことをつい考えてしまい、不毛すぎて自嘲した。私は何もできない、どこにも行けない、何もかもが怖い、ただそれだけなのだ。


その日の夜、私は少しだけ家から出てルネを見たことを報告した。ミクリさんはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに「どうだった?」と聞いてきた。その期待に応えたいけど、応えられるほどのこともしていないので、ただ『海も街も、とても綺麗だと思いました』としどろもどろに答えた。
「どこかお店には入った? なにか食べたりとかは? それとも博物館や教会へ行ったのかい?」
『いえ、本当に全然そんな。家の周りをちょっと歩いただけです。建物とかには入ってないです』
「そうか。まぁ仕方ない、この家は観光地からは少し離れているからね……。それに一人で歩くには少し道が複雑かな。
そうだ、わたしのポケモンを貸そうか? わたしのポケモンなら家へ戻る道くらいなら案内できると思うよ」
ポケモンという言葉にドキッとした。私は慌てて首を横に振った。
『いえ! いいです。その、私にはちょっと難しいといいますか……』
「早苗ちゃんはポケモンと暮らしたり、育てたことはないのかい?」
少しオーバーに断りすぎてしまっただろうかと内心焦ったけど、ミクリさんは全く気にしていないように問いを重ねてきた。私はとっさに説明が出来ず『ええと……』と言葉を濁した。
なんて言おう、どう説明しよう。彼はのんびり飲み物を飲んでいる。
できれば、嘘はつきたくない。不誠実なことを彼にはしたくない。
昔のことを思い出す。最初は純粋にポケモンに憧れを持っていたこと、でも実際私がポケモンを持った時、その気持ちを私は持っていたのだろうか。
悲しいとも言えない罪悪感とも言えない記憶を思い出して、なんだか息が苦しくなった。
嘘にならないように、出来るだけ言葉を選んで。語り出した私の声は、想像以上に小さく暗かった。
『本当に小さい頃は、ちょっとだけポケモンと一緒に居たことも、ありました。でも自分のポケモン以外はその、人見知りというか……緊張してしまって』
でも、からなるべく声を明るくしてみたつもりだったけど、私は上手く笑えていただろうか。恐る恐るミクリさんを見ると、特に気にした様子はなく微笑んで頷いてくれた。
「そうか。そういえばきみはカナズミで暮らしていたんだよね。きみは女の子だし、都会暮らしだとポケモンとは縁遠くなるのかもしれないね。
わたしは小さい頃からポケモンと暮らしていたから、そういう暮らしってあんまり想像できないな。
休日はどんなことをしていたの? 友達と遊んだりとかかな?」
『そうですね、友達と遊んだり、家族と出かけたりしてました。家にいるときは、読書とか、料理とかが好きだったかも』
好きはちょっと盛ったけど。ミクリさんは嬉しそうに頷いた。
「きみも料理が好きなんだね。ふふ、それは良かった! わたしも料理が好きなんだ。
そうだ、明日の夕食は一緒に作らないかい?」
ミクリさんはどんな時も私が何を答えても、いつも落ち着いてどこか穏やかに幸せそうだ。今も何にも惑わされずに、不思議と満ち足りているように優しく笑っている。
ミクリさんはどうしてこうも、心地い人なんだろう。そんなことを考えながら、私は自然に頷いた。
『はい、私で良ければ是非』
「決まりだね。明日が楽しみだ」
彼はそう言って笑った。今日の彼はいつもより明るい気がした。私がルネの話をしたからだろうか、なんて。思い上がりだろうか。



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