『あれ、ハンカチ落としたかも』
「え、やばくない? 3限化学だったし、化学室じゃない?」
『そうかも、私ちょっと見てくる!』
授業と授業の合間の10分休憩はとにかく時間がない。そんな中なのになぜこうも慌ててしまうかというとそれは理由があるのだ。
化学室へ向かうために教室を出ようとしたとき、すれ違いざまに声をかけられた。
「木之本、」
気持ち的には無視しようと思った。しかしそうもいかなくて、私は慌てて足を止め振り返った。その男子生徒の声には聞き覚えがあり、それどころか私の片思いの相手徳川君だった。
徳川君に声をかけられてラッキーという気持ちと、落としたハンカチの行方が気になって焦っている気持ち、正直半々だった。
しかしそれも彼が片手に持ったものを見た瞬間吹き飛んだ。それは私のハンカチだった。嘘でしょ。
「化学室に落ちていた。お前のじゃないか?」
『あ、えっと、その……ありがとう』
本当は『私のじゃないよ』と言いたかった。言いたかったけど……!
私は徳川君からハンカチを受け取った。彼は用事は済んだとばかりに自分の席へ戻ってしまった。
ハンカチを片手にすごすご自席に戻ると、友達も先ほどの私と徳川君のやり取りを見ていたらしい。
哀れみの表情がすべてを物語っていた。どうやら私の片思いは、終わったようだ。

私の学校にはいくつかのジンクスがある。その中で恋愛にまつわるものは一つだけ。「異性にハンカチを拾われると縁が切れる」というものだ。
随分昔からあるジンクスらしいけどその効果は現在も発揮されているようで、数年前にも「野球部のマネージャーと部長が付き合ってたけど、部長がマネージャーのハンカチを拾ったから別れた」とか「校内恋愛していた教師が結婚寸前で別れたらしい。これもハンカチを拾ってしまったことが原因らしい」とか色々聞いたことがある。
高校生の男女というのは意外とそういうものに気にするもので。男子はハンカチを持ち歩かない人がほとんどだから落ちているハンカチは大体女子のものだけど、拾った生徒は直接本人に手渡すことはせず、教卓に置いておくとかそういう事がほとんどだ。それほどまでにこのジンクスは学校に浸透していた。
ジンクスが適応されるボーダーラインは全く分からないが、今回の私の場合は確実にアウトだ。直接手渡されてるし拾ってくれたのも徳川君っぽい。どうしようもない。
片思いをしている相手と話せたのに、ハンカチを拾ってもらえたのに、こんなジンクスがあるせいで全然嬉しくない。
こんなジンクスなければよかったのに。

そんなじめじめした気持ちで1日が終わり一人で帰路を辿っていたら、小さな段差に躓いて転んだ。うわ、高校生にもなってダサ。
慌てて手をついて起き上がったものの意外と膝が痛くて、私は一旦近くの花壇に腰掛けた。痛む膝を見たらすりむいていたし肌の色も赤くなっている。痛そう。っていうか痛い。今日は運が悪いなぁ……。
学校まで引き返して膝だけ洗おうか、靴下に血が付くのも嫌だし。あぁでも面倒だなぁ……。
そんなことをゆるゆる考えていたら、ふと足音が私の近くで止まった。
誰だろうと顔を上げると、そこには学校の外周をランニング中だったのかジャージ姿の徳川君が私を見下ろしていた。
『え、徳川くん……?』
「転んだのか、大丈夫か?」
『だ、大丈夫』
「血が出ているな、保健室で消毒してもらった方がいい。歩けるか?」
『歩けるよ! 大丈夫!』
私は慌てて立ち上がった。途端にいままでぼーっと座り込んでたことが恥ずかしくなってきた。『じゃあまた』と言って校舎へ逃げるように歩き出した私だったが、意外にも徳川君は私の隣を歩き出した。
え、どういうこと?
私は今、校舎に向かって徳川君と並んで歩いている。それだけで私はひどく緊張してしまって、正直足の痛みは吹っ飛んでしまった。
なんで彼は私の隣を歩いてるんだろう。聞こうと思って隣を見上げたら彼と目が合った。目が合った、というか、徳川君は私を見ていた?
え、なんで? 何? どういうこと??
慌てて徳川君から目を逸らしたら、頭上から小さく笑う声が聞こえた。なんで?
どうしたらいいかわからないけども、もう一度隣を歩く彼を見上げてみた。やはり少しだけ笑っていた。目が合うと彼はごく自然に喋ってくれた。
「すまない、思ったより元気そうだと思って」
『え? 私はいつも元気だけど』
「いや、今日のお前は元気がないように見えた。何かあったのか?」
えっ。まさか失恋の相手の徳川君にそんなことを聞かれるとは思ってなかった。あー…と一瞬言葉を濁したものの、まぁ縁も切れてしまって最後だし、と私は話し始めた。
『徳川君って、ジンクスとか信じる?』
「ジンクス……? 迷信みたいなものか?」
『そんなかんじかな。どう? 信じる?』
私がそう再び聞くと、徳川君は少し考えるように前を向いて瞬きをした。でもすぐにまたこちらを向いて、彼の答えを聞かせてくれた。
「俺は信じないな。自分が積み上げた努力を、よくわからないもので見失ったりはしない」
『……そうだよねえ』
そういえば、徳川君はテニスの高校生日本代表だと聞いたことがある。普段はそんなかんじはあんまりしないけど、本当の彼は一流のアスリートだ。自分を信じる力を彼は持っているらしい。流石だなぁ。
いや、でも意外というよりは、納得かも。私は徳川君のそんな自分を見失ったりしない、真っ直ぐ前を見る横顔に恋をしたのだから。
「お前が落ち込んでいる原因はそれか?」
『え?』
うつむいた私の頭に、そう問いかける彼の声が降ってきた。顔を上げると彼は今、私を真っ直ぐに見つめていた。
「お前はお前自身の努力より、根も葉もない迷信を信じるのか」
『……、』
「俺は、お前は自分自身を信じられると思っていた」
その声に僅かに落胆が混ざっていて、私は少し焦った。
縁が切れるってこういう事かという気持ちと、今ならまだやり直せるのではないかという気持ちがせめぎ合っている。
わたしの考えがまとまる前に徳川君の足が止まった。いつの間にか私たちは昇降口に到着していて、彼は「また明日」と言って踵を返した。
私は慌てて『待って!』と声をかけると、徳川君は意外とあっさり振り返って「なんだ?」と言うようにこちらを見た。
彼の黒い瞳に見つめられて、私は今更何を言おうとしていたのかわからなくなった。頭は真っ白で、今日はこんなんばっかりだ本当についてない、なんてどうしようもないことばかり頭を過る。
私は思いのほか徳川君に買われていたみたいだけど、私なんて全然だ。全然普通だし、自分のことを信じるとかよくわかんないし。
でも、徳川君のことは尊敬してるし信じているし、彼のことを好きだから、彼の信じる私を信じたいと思った。
そんな勢いから出た私の言葉は、こうだった。私は顔を上げた。

『徳川君、好きです』

私の言葉に、徳川君は目を丸くした。穴が開きそうなほど私を見た後「なにをだ?」と困惑した声を漏らした。え、えぇ……!?
今のってそういう流れじゃなかったの!?
もう気持ちを告げてしまったんだ。ハンカチのジンクスの話、今日の私と徳川君の話、それから先ほどの徳川君の話を聞いて私の気持ちが変化した話。
徳川君は一通りを聞き終えると「そうか」といつもの真顔で頷いた。なんというかいたたまれない。振るなら早く振って欲しい。どうせこんな勘違い女、彼は眼中にないのだから……、そう思っていたけど徳川君の返答は「NO」ではなかったし、長い沈黙の後に再び口を開いた彼の声は優しかった。

「お前が、俺の期待通りの人で良かった。やはりお前はそうでないと張り合いがない」
『えっと、どういう事?』
「迷信の話より、木之本が思ったことを俺に伝えてくれてよかった。そうでなかったら俺はお前の気持ちに気が付かないところだった」
そうでしょうね。徳川君、女子とか興味なさそうだものね。
「全く興味がないというわけでは無い。お前のことは知っていた」
『そうなんだ』
「あぁ。明るいなと思っていた」
それは騒がしいから目立っていたというのでは? 嬉しいやら恥ずかしいやら、よくわからない気持ちで徳川君の話をうんうんと聞く。
で、結局お返事は?
そんな気持ちでちらりと見上げたら目を逸らされた。えっ……!
徳川君も目を逸らすとかあるんだ、というかもうそれが答えってこと? 泣きたい。つい私も目を逸らすと小さく咳払いが聞こえた。

「先に断っておくが、俺は恋愛というものがよくわからない」
『そう、だよね』
「だが、お前のことをどうでもいいとは思っていない」
『……、ん?』
思っていない? 想定外の文末に、私は顔を上げた。
徳川君はいつもと違う、戸惑ったような顔をしていた。そうか、さっき目を逸らしたのは、もしかして照れていたってこと?
やがて意を決したように私と目を合わせると、彼はいつのも真剣な表情で言った。
「お前が一人で振られたと思って俺に対して距離を取ったら、多分俺は残念に思うだろう。だから、なんというか……、その。友達から頼む」
『は、はい……! よろしくお願いします!』
私の返事に対して「硬いな」と言って徳川君は笑った。そう言った徳川君だってさっきまで硬い顔をしていたくせに。二人で笑いながら、私は新発見だなと思う。意外と彼は笑うらしい。
彼にこんな一面があるなんて知らなかった。それもこれもジンクスのおかげであるし、彼がジンクスを信じない人であったからだ。
私は乙女だし、突然ジンクスを全部信じるのをやめる、とかはできないけど、彼の彼らしい生き様を真似てみたいと少しだけ思った。


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