朝になっても空は暗かった。正確に言うと頭上には青空が広がる綺麗な快晴で、空が暗いと感じるのは私の気分が晴れないからだ。
理由は推しの「炎上」。一晩考えたけど私は担降りすることに決めた。
昨晩ネットニュースが流れ始めた段階で友達から心配された。友達は昼休みに話を聞いてくれると言ってくれたので、それだけを頼りに私は何とか布団から這い出た。
家で泣いててもどうしようもない。無理やりにでも気分を変えてやろうと私は思った。

そんな気持ちで通学路を歩いていたら、背中を思いっきり叩かれ「よぉ!」と声をかけられた。
こんな絡み方をしてくる人は一人しか居ない。切原赤也だ。
億劫だなと思いながらも私は横目で彼を睨んだ。彼はきょとんした顔でこちらを見た。
「どーした木之本? 元気ねえな」
『……いや、大したことじゃないんだけどさ』
そう言った私の声は全然大したことじゃないなんて声じゃなかった。ため息交じりも良い所。全然本調子じゃない。眉をひそめてこちらを見る切原の顔も、どこか心配そうだった。それならもういっそ話してしまえばいいか。
『推しが炎上したから担降りしよっかなーと思って』
切原も適当に流すだろうなと思ってぽつりとつぶやいたが、意外にも切原は聞き返してきた。
「オシってなんだ? タンオリって?」
『推しっていうのは応援したい対象のことかな。担降りはそれをやめるってこと』
「ふーん? なんかよくわかんねえけど。お前はタンオリするから暗いわけ?」
『んー、そうだね。やっぱり推しって私の元気だったから。今まで推しに使ってた時間、これからどうしよう』
「なるほどね、話は分かった」
うんうん、と切原が頷く。いや絶対わかってないだろ。切原がこっちを見てにやりと笑った。
「じゃあ俺がアンタの推しになってやるよ!」

それに関する私の回答は簡潔だった。
『じゃあ審査期間を』
「なんだよ審査期間って!?」
『切原を推しにするか見極める期間ってこと。また炎上する人を好きになりたくないし』
「エンジョウってなんだよ?」
『浮気するような人は嫌だし、かと言ってあんまり塩対応なのも嫌だから、適度に私にファンサして欲しい』
「ファンサって?」
『握手してくれるとか、呼びかけに答えたりとか、目があったら笑って手振ってくれるとか?』
「要はアンタを特別扱いすればいいってわけね? そのくらいちょろいぜ」
『ふふ、それは楽しみにしてるよ』
なんかちょっと、楽しみになってきたかも?

正直この≪推しごっこ≫が1日も持つと思わなかった。
意外と切原は私の推しとしてファンサしてくれたり(遠くで目があったら手を振るとか、そもそも目が合う回数が増えた?)、前よりも登下校で出会うことが増えたとか。
まぁこれが推しかって言われるとなんというかちょっと違う気もするけど、楽しいからまぁいいかと言った所だ。

そんなある日、私は切原に助けてもらった。
夕飯の後にちょっとアイスが食べたくて、近所のコンビニに一人で買いに行った時だった。アイスを見てお菓子を見て雑誌を見て、その間中ずっと私の視界に入り続ける黒い服を着た男がいた。たまたま同じ商品棚を見ていた…? そんなわけないよね?
レジで商品を買ってコンビニを出る。コンビニを出て振り返ると、やはり男が付いてきていた。えぇ、どうしよう……!?
先に行って欲しい、そんな思いでコンビニの駐車場の端に寄る。男は、やはり私の方へ近寄ってきた。嘘でしょ!?
慌ててコンビニから遠ざかろうとしたら、見覚えのある人影が居た。
『き、切原!』
「あん? なんだよ」
私は切原に駆け寄る。そして切原の隣に並んでから振り返った。男はまだこっちを見ている。
「誰だあいつ。こっち見てるけど、お前の知り合いか?」
『違う。コンビニの中にいるときからずっとついてきてて……』
「は!? ストーカーかよ。おい、おっさん!」
切原が男に近寄る。男は走り出しどこかへ去って行った。まるで最初からあんな不審者いなかったかのように、私と切原だけがぽつんとコンビニの駐車場に取り残された。
「なんなんだよアイツ……。平気か、木之本?」
『えっと……、うん、平気』
プチパニックになっていたせいか、心臓がまだばくばくと鳴っている。取り繕うように笑ってみたけど、どうにも自然に笑えた気がしない。
切原はふーんとだけ返した。
「送ってく。木之本、お前んちどっち?」
『あ、あっち。ありがとう』
「ん」

夜道を切原と並んで歩く。不安は少しずつなくなってきた。ありがたいと思う反面、遠回りをさせてしまって悪いなとも思う。切原は無言だ。静かな夜道だとどうにも怖い。え、もしかして怒ってる?
確かに推しに助けを求めるなんて、ファン失格だ。私は恐る恐る口を開いた。
『あのさ、切原。今日はありがとう。今度からは大丈夫だよ、助けてくれなくて。推しは存在してるだけで価値があるから。私は推しに干渉されることを期待しないし』
「は? なんだよそれ」
切原が足を止める。私もつられて足を止める。こちらを向いた顔は声と同様に、怒ってることを少しも隠していない。私はつい切原から目を逸らした。
「俺、もうお前の推しやめる」
『えっ』
「だってお前自分勝手すぎんだよ! あれはしろこれはしろ、でもこれはやるなって!」
『そ、そお……』
まぁこんな日が来るとはどこか思ってたけど。切原の性格的にも偶像を背負うには難しかったし、そもそも人を推すというのはそんなに簡単なことではない。はぁ、ちょっと落胆してしまう。え、ん? 私今落ち込んだ? 私はずいぶん切原に期待していたのかぁ。
「反省した?」
少し冷めたような切原の声に私は顔を上げた。え、私いま、切原にたしなめられてる? 切原はまだ少し不機嫌そうな顔をしていたが、怒ってはいないようだった。
『反省って、なんのよ?』
「俺の気持ち弄んだだろ」
『弄んだ覚えなんてないけど』
「あーもー、お前も本当に鈍いな!」
切原が鬱陶し気に頭を掻きながらそう言ってきた。それだけは絶対切原に言われなくないよ。心の中では反論しながらも、私は聞き返すように首を傾げた。
「木之本、俺がお前の推し辞めたら寂しい訳?」
『……まぁちょっとは』
「そ。でも俺は推しやめるから」
『そおですか』
あんたこそ私のこと弄んでない?
思わずそう言いたくなったけど、切原は突然ニッと笑った。それは夜に不釣り合いな、快晴のような笑顔だった。
「だから代わりに、お前の『彼氏』になってやるよ」
『……へ? 彼氏?』
突拍子の無い彼の提案に私は思わず聞き返した。切原は自信満々に頷くと、思い出したようにこう問うた。
「お前彼氏いないだろ?」
『居ないけど』
「じゃ、ちょうどいいじゃん。彼氏でもお前にファンサしてやるし、俺は誰にも浮気はしない。彼氏ならお前のこと守っても心配してもいいだろ?」
切原はそう得意げに言った。私はまだ混乱しているので、責め立てるように気になっていた問いをぶつけた。
『あんたはそれでいいの? 推しとして束縛されるのが嫌なだけなら、推しをやめるだけでいいんじゃないの? 推しが嫌になったんでしょ? 推しも彼氏もたいして変わんないよ?
って言うか、切原私の彼氏になりたいの? 私のこと好きなの?』
「あーもーうるせーな! 好きじゃなかったら推しになんかならねーよ! 推しってよく分かんねーけど、お前の特別になりたかったんだよ」
切原は面倒くさそうに手を頭の横で振った後、ちょっと照れたように呟いた。あ、ちょっと可愛いかも。思わず頬がにやけた。
『そ、そうなんだ? じゃあ、あの。今日から切原は私の彼氏ってことで』
えへへと私が笑うと、切原も笑った。そしてニヤニヤ顔で「な、嬉しいか?」と聞いてきたので、私も『勿論!』と笑ったのだった。


切原赤也は『推し』になりたい!?

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