大学2年生の夏休みを利用した3週間のアメリカ留学は、私の世界をがらりと塗り替えた。
最初の数日は英語がうまく話せなくてしんどい日々だった。
もやもやしながら日本語で愚痴っていると、一人の青年に声をかけられた。これが、リョーガとの出会いだった。
それからの日々は楽しかった。リョーガにアメリカ中を案内してもらって、美味しいハンバーガー屋さんに行ったりバーでお酒を飲んだり、ミュージカルや映画を見たり、スポーツを観戦したり。色々なところへ連れて行ってもらった。
リョーガに出会わなければ、ずいぶん退屈だっただろう。彼に出会えたおかげで本当に楽しいアメリカ留学になった。
最終日、リョーガは空港まで見送りに来てくれた。とても別れを惜しんでくれて、「今度は俺がいちかに会いに、日本に行くから」と言ってキスをしてくれた。
まぁ、もちろん、そんなのは口約束なわけで。
あれから丸一年が経った。大学4年生になった私は、就活・卒論に向き合わなければいけない時期になっていた。
それでも気晴らしに、と今日はインカレで仲良くなった他大学の人と出かける日だった。
これがデートかどうかは判断に迷う。付き合っては無い、はず。
別にリョーガがどうとかではなく。一年音信不通だったし、彼とも付き合ってるかどうか、判断できる言葉は無かったし。
男の子が好きそうな品のある服を選ぶ。スカイブルーのレースのシャツに、白のベルト付きフレアスカート。
7センチのピンヒール。この靴は足が疲れるからあまり好きではない。
とはいえ、可愛いのためには、そんなこと言ってられないのです。

他大学の人と合流して、普通の会話をする。
頭いい学校の人ってプライドだけ高くて、話し合わせるのに疲れるんだよな。うまく話を合わせられないと、すぐつまんなさそうな顔するし。
これだったら女友達と遊んでた方が楽しかったなぁ、なんて思ってた時、ふと手を掴まれた。えっ?
「いちか! 見つけた!」
爽やかな声の方を向くと、そこにはリョーガが居た。ぱちりと目が合う。笑顔のリョーガは私をぎゅっとハグしたときに、気が付いたらしい。私と歩いていた男の人の存在に。
「えっと……、いちかちゃん、これは……?」
『あ、あー…! えっと……、』
他大学の人の困った声を、リョーガの腕の中で答えを迷っていると。
ひょいとリョーガは私から離れた。そしてちょっと申し訳なさそうな顔で「悪い、人違いだった」と言うと手を振ってから人ごみに紛れていった。
ちょっと……! 思いっきり私の名前読んでたし! 人違いなわけないじゃん…!
この空気、どうしろと……!? 

いや。悪いのは全部私だ。布団の中で私は考えた。
話が面白くないインカレの彼も、リョーガも悪くない。
どっちも曖昧にしてた私が悪い。いや、まぁリョーガもここ1年音信不通だったじゃない……!と、詰れることには詰れるけども。
インカレ、居心地悪くならないといいなぁ。まもなく卒業と言っても、悪い噂がうっすら流れたら嫌だ。
今までは上手く見つからずに多人数と関係を築けてたんだけどな〜! こんなあからさまになってしまったのは初めてだ。はぁ。
まぁいいか。就職したらそこでまた相手を見つければいいわけだし。
ただ、心配なのは。リョーガと本当にここで関係が終わってしまうということだ。
アメリカの日々は楽しかった。ずっと続けばいいと思うくらいに。
でも、その日々だって、本当にずっと続いても……。私は家にも社会にも認められない存在になるだろう。
それこそ、破滅かもしれない。
なんて電気をつけたままベットの中で考えていたら、コンコン、と窓がノックされた。窓。ここは二階だ。
嘘でしょ……!? 窓から来る人が不審者じゃない訳が無い。さっと血の気が引く。
あ、いや、でも。一人だけ、いるか。そっとカーテンを開ける。
窓の向こうで軽く手を上げて笑うリョーガが居た。うっわぁ……!
鍵を開けて窓を開け、リョーガを招き入れる。
『夜! 窓! ここ二階……!』
「しー! 近所迷惑だろ?」
リョーガが唇に人差し指を当ててそう言う。いや、正論なんだけども。
その後に付け加えられた「雨戸閉めたほうがいいぜ? 女子なんだから」という言葉も、まぁごもっともだ。
適当なビニール袋を渡して、片手に持った靴を入れるように言う。リョーガは大人しくそれに従ってくれた。
窓とカーテンを閉める。うわ、リョーガが私の部屋に居るって、変な感じ。途端に自分の部屋が狭く感じる。
何を話したらいいものか。私は寝間着のまま腕を組んだ。
先に口を開いたのは、窓枠に腰かけたリョーガだった。
「昼間のあいつ、彼氏?」
あまりに率直な問いに、少し答えに窮したけど。私はリョーガのほうを見たまま、首を横に振った。
『そういうんじゃないけど』
「俺、いちかと付き合ってると思ってたんだけど?」
リョーガのちょっと困った顔。その表情に、罪悪感が湧いた。
分かってるんだ、彼は。私がリョーガを待っていなかったことを。過去にしたことを。
『いや、その……、えっと……』
「ま、いいや」
小さく肩をすくめた後、リョーガはひょいと窓を開けて枠を乗り越えた。
靴をベランダに落としてさっと履くと、一度だけ振り返って「じゃあな」とだけ言った。
『あっ、リョーガ!』
弁明の言葉も思い浮かばないまま、リョーガはベランダから飛び降り夜の闇に消えていった。
これでよかったのかな。開いたままの窓と揺れるカーテンを見ながら思った。

次の日、目が覚めて思った。うん、良い訳がない。やっぱりリョーガに会いに行こう!
一晩考えたけど、まぁ多分、私は大人しくしてるとか性に合わない。
親とか知らん。私はリョーガと一緒に居るのが楽しいと思う。そうしたいと思う。以上。
短いエコレザーの黒のスカート、アディダスのごつい腕時計。
走りやすいスニーカーに、髪は巻かずに一つに縛って、キャップを被って家を出た。
足取り軽く町中をひたすら歩く。リョーガの居そうなところはっと……。

リョーガは案外すぐに見つかった。隣駅の線路脇のテニスコート。
フェンスに背を預けて、紙カップの飲み物を飲んでいた。
まだ日本に居たんだ。ほっとして、声をかける。
『リョーガ!』
「……え?」
予想外、というようにリョーガが丸い目で私を見る。
そして私は駆け寄る途中で、足を止めた。リョーガの影から、一人の女の子がひょいと顔を出したからだ。えっ、誰。
大きめのキャスケットの下からくりくりの釣り目が覗く。
黒髪ショートカットで一見男の子っぽいけど、低い背丈や華奢な肩はどう見ても女の子だ。
リョーガとその女の子の顔を私は交互に見比べる。昨日と全く同じ状況過ぎる。
きょとんとした後、リョーガは振り返って女の子を見た。
女の子はリョーガと親し気に顔を合わせる。あ、いやだ。見たくない。
胸がざわめいて、立ち去ろうと後退ったとき、大きいため息が聞こえた。女の子のものだ。
「俺、先帰ってるから」
「あ、おいリョーマ!」
「貸しイチだから」
やけにハスキーな声の女のだな、とか、二人で遊んでたんじゃないの?とか。
私の疑問はよそに、女の子は私の横をすり抜けていった。えっ、えぇ……?
『い、いいの? 今の子……、』
「あー、ま、いっか。可愛いだろ? あいつ」
え? 今なんつった? 可愛いだろ?
顔が引きつりそうになった。が、次の言葉を聞いて、私は安堵することになる。
「俺の弟。リョーマって言うんだ」
リョーガがはにかむ。あぁ、そういう事か。その言葉もその笑みも、弟へのものなのね。

「……で? どーしたんだ、いちか?」
さっきリョーマ君が居た位置に収まると、そうリョーガに聞かれた。
あー、えっと。罰が悪くて私は僅かに躊躇った。でも、言わなきゃ。
『あのね、リョーガ。ごめん』
「ん? なにが?」
何でもないというリョーガの顔。その顔に、私はどうしたらいいかわからなくて狼狽える。
普通に意味が分かっていないのか、昨日の事はもうどうでもいいのか。
まぁ、でも。踏み込まないと駄目だ。そのために、私は来たのだ。
覚悟を決めて、体ごとリョーガに向き合って見上げる。リョーガはフェンスにもたれかかったままこっちを見た。
『昨日あの場所で、リョーガが彼氏って言えなくて、ごめん』
「あー、その事? 別に気にしてねーぜ」
『あの人ね、付き合ってないから』
「ふーん?」
割とどうでもよさそうに、軽く返された。
私が言葉を止めると、リョーガはぼーっと正面を走る電車を眺めていた。
悲しいかな、もう私には興味がなさそう。でもそれならそれで、振り向かせるしかない。
『私さ、考えたんだけど、やっぱりリョーガと一緒に居たい』
「ん?」
隣に並んだリョーガが斜めに俯くようにして私を見る。
何を考えてるのかよく分からない、僅かに口角を上げて私の話を聞くその表情。
そんな顔、初めて見たなぁ。私の前でリョーガはいつも心の底から楽しそうに笑ってたから。
私がこんな顔をさせてるのか。悪いことをしたな。けじめを、つけなければ。
『5年10年先の事とか考えるのは、やめる。私は今、リョーガと一緒に居たいの。
付き合ってって言葉でリョーガを縛れる気がしないから、お願いするね。
リョーガ、私のそばに居てくれない?』
「……へ? それ、本気で言ってるのか?」
信じられない顔でリョーガが私を見る。私は真剣な顔で頷く。
ぱちぱちと数回瞬きをして、ふとリョーマが目を細めた。猫みたいな笑みだ。
そしてくっくっと小さく笑いだす。そして腹を抱えて笑い出した。
「いやぁ、いちか、お前ってさ、本当正直だよな」
『……うん? そこに笑ってたの?』
こっちは真剣だったのだけど。今までの適当な私をやめて、リョーガ一筋を表明したつもりだったのに。私が正直だと笑う? なぜ?
「俺とお前に先は無いって分かってるのに、それでもそうしたいなんて、変だぜ?」
『それは……、分かってるけど』
リョーガはこう、根無し草って感じがする。対する私は、親に結婚を決められるタイプの娘だ。
私がいくら真剣であろうと、未来は無いと言えば、無い。
いつか引き裂かれるのは、うっすら想像ができる。
「そっか、でもいちかは、俺と居たいのか」
『そう。ね、リョーガの答えは?』
リョーガがいいと言えば、それでいいのだ。今は、それで。
私の問いに、リョーガは機嫌よさげに目を細めた。
そして大きな掌が私にのばされて、ぎゅっと抱きしめられる。
「勿論! お前と一緒に居たいに決まってるだろっ!」
『っも〜〜〜〜!!! そう思ってるなら早く言ってよ!』
不安になったじゃん、と呻いて、私もぎゅうと腕を回した。
ほっとした。胸が温かくなる。よかった。
随分久しぶりに聞くリョーガの楽しげな声、温かい対応。
そうだ。私は大人になるよりも、もっと子供で居たいのだ。
胸躍る出来事、安心する居場所。物わかりがいいなんて、寂しいだけだ。
だから、もう少しだけ。私は自由気ままに、この人生を楽しんでいたい。

It's a Wonderful Life!!

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