ある日廊下で上級生とすれ違った時、友達のカナミが嬉しそうな声を上げた。
「わぁ、朝から幸村先輩とすれ違っちゃった! 今日も超かっこよかった、最高!」
『今の人たち、凄い背高かったね』
振り返って三人を目で追う。健康的に日に焼けた肌で眉の凛々しい男子生徒の横顔がちらりと見えた。
幸村先輩って、あの人かな。確かにかっこいいという感じはする。
「三人ともテニス部なんだって。みんな体格良いよね」
『ねー。それにオーラが違うって感じ』
「わかってるじゃん、いちか! 幸村先輩まじでかっこいいなぁ。
はぁ〜、好き。付き合いたい。……いやそれは流石にナイな。でもせめて、好きな物とか知りたい〜〜!」
『それだけで満たされるものがあるよね』
「そうそう。付き合えなくったって妄想してるだけで幸せだから!」
そういってカナミはけらけらと笑った。いつも明るく面白いカナミのために、私も何か役に立てたらいいのに。
まぁ、地味で臆病な私には無理だろうけど。

なんて思っていた数日後。文房具屋で、見覚えのある後姿を見かけた。
柔らかく緩やかにウェーブした黒髪。何とか記憶をたどると、あの時幸村先輩の隣を歩いていた人だ。
テニス部の人が、何でここに……? そっと様子を伺うと、何かを探している様子だ。
そういえば少し前に画材コーナーの売り場が変わった。困っているのかもしれないと、恐る恐る声をかけてみる。
『あの……、もしかして、何かお探しですか?』
「えっ? あ、うん、そうだけど……」
テニス部の先輩は少し驚いたようだったけど、私の制服を見て少しほっとしたように頷いた。
同じ学校の生徒だったら、話しかけても怪しくないもんね。
『もしかしてスケッチブックですか? それだったら、最近裏側に移動したんです』
「そうだったんだ、ありがとう」
『いいえ』
私たちは話しながら裏側の棚へ移動する。
一番下の段を指さすと、先輩は「こんなところにあったのか」と少し驚いた声を上げてしゃがみ込んだ。
先輩はいくつか取り出して材質やページ数を確かめていた。そんな先輩を、つい眺めてしまった。
幸村先輩より、私はこっちの先輩と仲良くなってみたいなぁ。穏やかで、優しそう。
なんて考えていたら、ふと先輩が顔を上げたからびっくりしてしまった。
先輩も私がこっちを見ていると思っていなかったのか、照れ笑いを浮かべながら立ち上がった。
「教えてくれてありがとう。ごめんね、俺はきみのこと覚えてないんだけど、声をかけてくれたってことはどこかで話したことがあるのかな? 同じ委員会だったっけ?」
うわ、今更だけど、そうだった!
『いいえ! あの、私が勝手に先輩を知ってて……。すみません』
あれ、これ全然弁解になってない。恥ずかしくて顔が赤くなるのがわかる。
「あ、そうだったんだ。ごめんね、恥ずかしい」
違う、先輩に勘違いさせた私が悪くて……! というかこれは、もしかして先輩と話すチャンスなのでは?
『ええと、あの。わたし、先輩と話してみたいって思ってて……!』
「え、俺と?」
『あの、先輩ってテニス部の人ですよね? 幸村先輩と仲良かったりしますか?』
「……えっと、あれ? あの、俺……。いや、確かに俺はテニス部だけど、」
先輩はすこし驚いた顔をしている。あれ、なんでだろう。なんか変なこと言ったかな。
いやでも、テニス部の先輩ということなら。これはぜひとも協力してもらいたい。
『友達が幸村先輩のこと好きで……! あ、好きって言っても、こう、告白したい!とかじゃなくて、尊敬とかあこがれみたいな、って感じみたいなんです!
だから、あの、好きなものとか知りたいって言ってて……』
「あ、ええと、そっか。ふふ。きみは友達想いなんだね。好きなもの……、テニスかな?」
『そんなにテニスが好きなんですか』
わざわざ好きなものとしてあげるくらい、テニスが好きなんだ。まぁ、確かにスポーツ大好きって感じはするけど。
「うん。そうだな……、あと、好きな食べ物は魚かな。焼き魚とか。あとは絵を描くのも好きだよ」
『なんか文武両道って感じがしますね! じゃあ今日はプレゼント選び……、とかですか?』
幸村先輩が絵を描くののが好きなんて。なんだか意外だ。ならばこれは、この先輩から幸村先輩への贈り物なのかな、なんて聞いてみる。
しかし私の予想は外れたようで、先輩は少し驚いたように小さく首を傾げた。
「あぁ、これ? これは……、自分用だよ」
『先輩も絵を描くんですね! へぇ……。先輩の方が似合いそうですね』
「幸村は何が似合いそう?」
先輩が楽しそうに聞いてくる。あの強そうな幸村先輩に似合いそうなもの……。
『うーん……? 剣道とか?』
「ははっ、なるほどね。それ、真田だよ」
『え? さな……?』
「あ、俺もう行かなきゃ。今日はありがとう。またね」
そういうと先輩は小さく手を振ってからレジのほうへ歩いていってしまった。

あれから「それ、真田だよ」の意味を考えてみた。
きっと、幸村さんは真田幸村先輩ってことなんだろう……。フルネームで歴史上の人物の名前なんて。きっと苦労してきたんだろうな。
そんなことを考えていると、カナミがやってきたので、先日のことを報告。
『そういえばこの間テニス部の先輩と話したよ』
「えっ!? 誰と?」
『あ、名前聞くの忘れちゃった。でも幸村先輩より背の低い人。でも先輩だったと思う』
「あぁ、じゃあ丸井先輩かな。で、何話したの?」
『幸村先輩、テニスと焼き魚が好きだって。あとは絵を描くのも好きらしいよ』
「おぉ……! 尊い……。 明日のお昼は焼き魚定食食べよ! ありがとねいちか!」
『ううん、全然。私も丸井先輩?と話せて楽しかったから』
「お? いちかもテニス部のファンになってきた? えっとね、丸井先輩はお菓子が好きなんだって。もし次ぎ合うことがあれば、話題とかにいいかもよ」
『へえ、そうなんだ。じゃあ……、今度お礼に持っていこう』
私がそういうとカナミは嬉しそうに「お互い頑張ろうぜ!」と笑った。

そんなことをカナミと話して、数日後。お菓子を作って、学校にこっそり持ってきた。
あの先輩は丸井先輩というらしいので、「丸井先輩へ」とだけ書いたメモもつけておいた。
直接渡せたらいいなぁと、放課後に下駄箱付近の階段で待ち伏せをすることに。すると丁度先輩が通りかかったので、そっと『せ、先輩』と声をかける。
丸井先輩は先日会ったのが私だったと気が付いたようで、私と目が合うと優しく微笑んでくれた。
柔らかそうな黒髪と、大きい黒目が今日も美しい。
「あぁ、きみか。どうしたの?」
『先輩。この間は、色々教えていただき、ありがとうございました』
「ううん、こちらこそ」
『あの、友達から先輩はお菓子が好きだって聞いたので、これ良かったら』
隠すように持っていた手作りのお菓子を丸井先輩にそっと差し出す。先輩はそれをみると間を丸くしたあと、ふわりとほほ笑んで受け取ってくれた。
好感触……! よかった。カナミの情報は間違ってなかった。
「わぁ、ありがとう。ね、そう言えばきみ……、」
「幸村くん! 何話してんの? あっ、お菓子じゃん! ん? 丸井先輩へ? ってことは俺宛か! サンキュー!」
突然現れた赤い髪の小柄な少年が、丸井先輩のお菓子に手を伸ばす。私は慌てて声を上げる。
『えっ!? ま、待ってください! これは丸井先輩に……!』
「え、だから、俺が丸井なんだけど?」
……ん? どういうことだ?
『じゃ、じゃあ、あなたは?』
私が丸井先輩だと思っていた、黒髪の先輩を見る。先輩は、少し困った笑みを浮かべていた。
あれ、そういえばさっき、この赤髪の先輩が、黒髪の先輩の名前を呼んでいたような?
「幸村くんだろぃ」
『!?!? あぁーーーっっ!!』

つまり私は、
真田先輩を幸村先輩だと思い、
幸村先輩を丸井先輩だと思っていたらしい。
なんだそれ……。全体的に恥ずかしい。くっ、出会ったのが制服じゃなくてジャージだったならば、名前が刺繍されていたはずなのに……!
……いや? 名札を見れば気が付いたのでは……? ううん、後悔先に立たずだ。それよりも私はいますぐにすべきことがある。
『本当にすみませんでした』
「いや、俺は迷惑は掛かってないから。それに俺もちゃんと確認しなくてごめんね。
俺が≪幸村≫だってわかってないのかなぁとは思ってたんだけど、タイミングを逃してしまってね」
正しい丸井先輩は、私が正しい幸村先輩に上げたお菓子が≪幸村先輩宛て≫だとわかると、納得して去って行った。
(勿論、「今度作るときには俺にもくれよぃ」という一言があった。確かにここまでお菓子好きなのは、まさしく丸井先輩だ)
そして私は幸村先輩に平謝り中だった。でもそんなに怒ってないみたいで良かった。いや良くない。
それに本人に向かってあれやこれや聞いてしまった。友達のためとはいえ、あまりにも慎みがない……! 本当に恥ずかしい。なんということだ。
一人で恥じていると、唐突に幸村先輩が言った。
「あ、そういえば俺、きみの名前知らないや」
『そ、そうでしたね! 遅くなってしまってすみません。木之本いちかと言います』
「そっか。木之本さんだね」
『は、はい』
優しい声で名前を呼ばれて、何というか、不思議な心地になる。胸があったかいような、むず痒いような。私が渡したお菓子を両手で包んでほほ笑む幸村先輩の笑顔が、まぶしい。
「お菓子ありがとう。お礼、何か考えておくね」
『そんな、お礼だなんてとんでもないです! 迷惑をおかけしたのは私ですから……。しかも重ね重ねご無礼を……』
「迷惑なんてかかってないって。あぁでも、強いて言うなら……」
『は、はいっ! なんでもおっしゃってください!!』
ぴしっと背を伸ばして、恐る恐る幸村先輩をみつめる。幸村先輩は相変わらず上機嫌そうに微笑んでいた。
「今度俺と会うときは、俺のことを考えながら俺の名前を呼んで欲しいな」
『……! は、はい!』
そうだ。私はずっと先輩の事を幸村先輩だと思わずに、幸村先輩って言ってたから。
「じゃあ、俺そろそろ部活に行かなきゃ。またね、木之本さん」
『あっ、はい! また会いましょう、幸村先輩!』
にこりと笑うと幸村先輩は去って行った。
えぇ……。もう、なにがなんだか……。
幸村先輩、幸村先輩。
そうか、しっくりくる。私が幸村先輩だと思ってた人よりも、幸村先輩は幸村先輩っぽい。
なんだろう、この気持ちは。あぁでも、名前を呼ぶことを許されたから。
今度会ったときは、幸村先輩って、声をかけよう。


Call me my name!

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