チン、とセットしたタイマーが鳴る音がして、私はオーブンを開けた。オーブンのライトに照らされたスコーンの表面がキラキラしている。これは大成功で間違いないのでは? ふわりと香るバターの匂いに、私は一人で満足げに笑った。
朝9時。昨日私の家に泊まりにきた新之助君がそろそろ部屋から出てくる頃だ。彼には昨日の夜から『朝ごはんは私が用意するから、9時になるまでキッチンには来ないでね!』と言ってあった。ちょうどその時、ゆるいスエットにいつもより無造作な頭の新之助君が顔を出した。
「いい匂いがしますね、なにを作ったんですか?」
『えへへー、スコーン!』
美味しそう、と新之助君が口元を緩ませた。私は自信満々の笑みで『もうすぐ準備できるから、楽しみにしててね!』と言い切った。

が、食べてみたら不味かった。スコーンの生地が、なんかしょっぱい? なんで!? 無塩バターじゃなくて有塩を買っちゃったかな、強力粉の期限が切れてた? お菓子作りに知識のある新之助君が「ベーキングパウダーの量はあってますか?」と聞いてくる。
『もちろんだよ、大さじ一杯45グラム入れたもん』
「先輩、待ってください。大さじ一杯は15グラムですよ」
『……』
絶対それじゃん。「ベーキングパウダー 入れすぎ」で簡単に携帯で調べてみる。適切な量を摂取する分には問題はないらしい。ただ変な味がするくらい(規定量の3倍)は、どう考えても不適切な量だ。健康に問題があっては元も子もない。
『ごめん、新之助君。食パン食べよ。何枚食べる? 1枚?2枚?』
「いえ、俺、これ食べますよ」
『駄目です! 健康を害す恐れがあります! はい全部回収!!』
さようなら、卵、ヨーグルト、砂糖、強力粉、そしてたっぷりのバター…。バターの香るふかふかでいい色のスコーンを、小さな袋に入れて縛り、私はゴミ箱にさよならをした。普段食べ物を無駄にしない私と新之助君だけど、流石に舌がピリピリするようなものは食べれない。と言うか食べさせられない。事前に材料を揃えて、朝早く起きて作ったのに。悲しい気持ちでトーストした食パンをもそもそと齧る。舌に違和感はなく、ほどほどに美味しい。正面に座った新之助君が困った笑みで私を励ます。
「落ち込まないでください。今度は一緒に作りましょう?」
その優しい言葉にも、私の気持ちはまだ晴れない。じっとりと湿った声で私は愚図るように呟いた。
『……女の子として、新之助君にいいところを見せたかったの』
「その気持ちが十分嬉しいです」
ふにゃりと新之助君が笑う。この人は、本当に私に甘い。
食パンを食べ切ってご馳走様をし、2人分のお皿を流しに下げて、洗い物でもやっちゃおうかとエプロンを手にしたら、ソファに座った新之助君が私の名前を呼んだ。
振り返るとハグを求めるように新之助君が両手を広げていたので、お皿なんかどうでもよくなって、私はその腕の中に飛び込んだ。私の家に置いてある新之助君の寝巻きは、当たり前だけど私の家の匂いがする。シャンプーもボディーソープも私のものを使ってるのに、何故か今日の新之助君も、私とは違う匂いがする。この匂いに安心するようになったのは、いつからだっけ。
私の頭を撫でながら、新之助君が小さい声で言う。
「落ち込んでる先輩も、か、可愛いです」
『新之助君は、そうやってまた私を甘やかす……。私のこと大好きすぎでしょ』
「はい、大好きです」
抱きしめられたまま新之助君を見上げると、彼は想像通り赤い顔で微笑んでいた。そんなことを言われたら、今日のミスなんて大したことないと思ってしまう。まぁ新之助君からしたら、大したことないのだろう。
朝早く起きたと思っていたのに、いつのまにかもうすぐ10時だ。今日の午前中は大したことができなかったなぁなんて新之助君の腕の中で思うけど、新之助君が不意に「こうやってゆっくり過ごす朝もいいですね」なんてご機嫌そうに言うから、もう私は何をする気が起きなくなってしまって、新之助君の胸に顔を埋めて『今日はゴロゴロしようか』と提案したのだった。

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