「ごめん、おれ君のこと知らないから」
出水君はそれだけ言うと、靴を履き替え去ってしまった。私は彼が消えた後も、しばらく薄暗い下駄箱に佇んでいた。そうだよね、出水君は私のことを知らない。でも、私は知ってるんだよ。そして、好きになったんだ。
もう二度と表に出すことは無いだろう恋心を隠すかのように、指先で震える薄いピンク色の封筒を、私は静かに自分のカバンに仕舞った。

出水君と私はクラスメイトだ。でもただそれだけじゃなくて、私のバイト先の常連さんと店員でもある。私は駅前のコーヒーショップでバイトをしていて、彼は月に数回足を運んでくれる。うちのお店は居心地のいい空間を作ることを心がけているので、お客さんなら常連さんでも初顔さんでも簡単な会話をよくする。
出水君は話しやすく、店員の間でもちょっとした人気のお客さんだ。話しやすいし、笑顔がかっこいい。それだけでも大変上客なんだけど、先日面倒なクレーマーに当たったとき、彼はさりげなく助けてくれた。

期間限定の商品が売り切れることはどうしてもある。それに対して『大変申し訳ございません』と謝罪するも、3件回ったらしい中年のご婦人の怒りはなかなか収まらない。二つあるレジの一つはその客のせいで、混雑する時間帯なのに数分ふさがりっぱなしだった。ドリンク作りを担当しているバイトリーダーからの視線が静かに痛い。列をなしてるお客さんにも申し訳ないし、正面からぶつけられる怒りにお腹が痛くなりそうだった。
そんな時、ご婦人の後ろから「ちょっといいですか?」と軽いテンションで声をかけてきたひとが居た。金色の髪、出水君だった。
「あなたの飲みたい期間限定のやつはもうここでは買えないってわかりましたよね? それで、どうするんすか? 買うの、買わないの? おれたち買うつもりで並んでるんですけど」
ちょいちょいと出水君が列を指さす。列をなした客の視線がご婦人に突き刺さる。ご婦人はやっと自分がアウェーなことに気が付いたのか「もうこんな店、二度と来ませんから!」とキレ散らかして店から出て行った。ちくりとくる捨て台詞に胸が痛くなるけども、こういうお客様は二度と来てくれなくていい。
口を閉じたまま小さくため息をつき、ふと顔を上げたら、出水君が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「大丈夫っすか?」
『あ、大丈夫です! すみません、助かりました。ありがとうございます』
「いいえ。あぁいうのって店員さんが言うと角が立っちゃいますからね〜」
そう言って出水君はへらりと笑った。その理解がありがたすぎる……!
バイトリーダーがさりげなく「レジ代わるよ」と申し出てくれたので、彼が頼んだ持ち帰りの飲み物を作る。飲み物を作り終える前にリーダーがさりげなく寄ってきて「内緒で渡してね」とクッキーの入った小袋を渡してくれた。
リーダーの心遣いに感謝して、私も出水君にこっそり『お店からの感謝です。内緒で食べてください』と一言添えた。彼は目を丸くした後照れくさそうに笑って「内緒っすね、了解です。おれこれ好きなんすよ。また買いにきますね」と受け取ってくれた。

あれから一週間。出水君のことを考えない日はなかった。告白、とまではいかないけど、お礼くらいは伝えてもいいんじゃないだろうかとしたためた手紙は、先ほど受け取ってもらえなかった。その手紙はカバンの中に入ったままで、いつも通りバイトに来て、いつも通り仕事をこなしているけど、内心滅茶苦茶ブルーだ。
受け取ってもらえなかった手紙って、どうすればいいんだろう。取っておくのも未練みたいだし、ここはシュレッダーにかけて捨てるのがいいのだろうか。でもそれって出水君への気持ちを傷つけるみたいで、なんというか鮮明過ぎる。もっとふんわりと捨てられないかな……なんて考えながら接客をしていたら、自動ドアが開いて彼が入ってきた。
数時間ぶりに会う彼に対して、気まずいのは私だけだ。どうか私の方のレジに来ないで。そんなことを想ったけど運悪く出水君は私のレジに来た。
切り替えろ切り替えろと自分に言い聞かせて、私はいつも通り営業スマイルを浮かべた。注文の合間にいつも通り何気ない会話をする。ふと出水君が少し声のトーンを落として、心配そうに言った。
「今日、いつもより元気ないすね。何かあったんですか?」
『えっ……』
見抜かれた。表に出すつもりは無かったのに。図星で恥ずかしいやら嬉しやら困ったやらで、私は言葉に詰まった。お客さんにサービスと気遣いをするのは店員の役目なのに、私が心配されてどうする。内心慌てつつも、意識して元気そうな笑顔を作り直す。
『いえ、そんなことないですよ。お気遣いありがとうございます』
言えない、言えるわけがない。さっきあなたに振られて落ち込んでます、なんて。今この格好であの手紙を渡したら受け取ってもらえるのか、そんな無意味な事すら考えてしまう。表情と心がちぐはぐのまま必死で絞り出した私の言葉を、出水君は知ってか知らずか素直に頷いてくれた。
「そっすか、じゃあおれの思い込みかも。気にしないでくださいね」
そういつものように軽く言ってくれた出水君にほっとしながら、注文を聞いて会計をする。レジを操作しながら出水君の言葉を思い出して、折角心配してくれたのに、余りにも心を閉じた対応だったかなと今更反省してしまう。その分心をこめて『ありがとうございます』という言葉と一緒にレシートを渡した。
受け取る時の出水君は、どこか表情が暗かった。ぽつりと何かを言った気がしたけど、私は聞き取れなかった。
「……おれが相談に乗れたらよかったんすけどね」
『? 何かおっしゃいましたか?』
「いいえ!」
私が聞き返すもそれには出水君答えず、いつものように笑って「新作楽しみにしてますね」と言って受け取り口の方へ歩いて行ってしまった。

次の日の放課後。私はまだ悶々としていた。どうやって出水君を諦めるかを考えていたのだ。諦めると言ってもバイトに行けば彼と会う。あの笑顔を見るたびに、あの日の記憶と恋心を思い出すに決まってる。もうバイト辞めようかなぁ。それが早い気がする。
そんなことを考えていたら、私の横をシャトルが過ぎ去っていった。そしてさらに運悪く、そのシャトルは体育館の扉を覆うためにかけてあったネットの隙間を通って、非常階段のほうへ転がって行った。『ごめん、とってくるね』と私は一言断って外へ出た。
体育館の中に居ると天井から照らす蛍光灯の光が明るくて分からなかったけど、外に出るともう日も落ちかけていた。蒸し暑い体育館から出ると外は涼しく心地よかった。
これからもっと暑くなると、よりバイトも混むんだろうなぁと考えて、一人苦笑してしまう。そうだ、シャトルを取りに来たんだった。どこだっけと非常階段を下りて食堂前をきょろきょろすると、丁度それを拾い上げる人影が居た。柔らかそうな金髪、出水君だった。
彼はそれを拾い上げて「どこから飛んできたんだろう?」と言わんばかりに小さく首を傾げていた。ど、どうしよう。シャトル一個くらい無くなっても部活的に支障は無い。でもそのシャトルをそのままにしたら、出水君は体育館に届けるのだろう。それは彼に手間をかけしてしまう。胸の少し下あたりが緊張で気持ち悪いけど、私は勇気を出して『出水君』と声を出した。
出水君が顔を上げる。バトミントンのラケットを片手に学校指定のジャージを着た私を見て「あぁ」と納得してくれる。
『拾ってくれてありがとう』
「ん」
出水君の両手が届く範囲まで近寄って、彼からシャトルを受け取る。それだけのことにドキドキした。出水君と話せて嬉しいという気持ちと、でも彼は私の事好きじゃないからなという悲しい気持ちが混ざり合って、変にドキドキする。受け取る時も顔が見られなくて、私は掌のシャトルを見ていた。
出水君なら前と同じで先に立ち去ってくれるだろう。私はそんなことを思っていたけど、彼は動く様子がない。私は気になって顔を上げる。ぱちりと、出水君と目が合った。出水君の蜂蜜色の瞳が私を見ている。えっ、なに、どういう事?
『出水君……?』
「おまえ、この前手紙くれようとした子? 雪野、だっけ」
『うん、そうだよ』
え、なんで今蒸し返すの? 私の返事を聞いても、まだ出水君は疑問があるらしい。首を傾げたままの姿勢でじっと私を見つめている。
「それ以外で、どっかで会ったことある?」
『え、ええと……?』
同じクラスですけど……? そういう事ではない? なんとも答えられない私に、出水君は眉を寄せる。えぇ、なんだろう。彼の求める答えがよく分からない。取り敢えずシャトルをポケットに入れる。私が俯いたその時「あ!」と彼が声をあげた。
「駅前のコーヒーショップの店員さん!?」
『え? は、はい、そうですけど』
「うわ! 知らない人じゃないじゃん……。悪い、おれあの時酷い事言ったな。てか年上だと思ってた……」
『あぁ、バイトの時は化粧してるから』
そうかなと思ってたけど、成程。出水君の中で「クラスメイトの私」と「店員の私」は別だったのか。確かにバイトの時は化粧をして髪を結んで前髪も流していたけど、手紙を渡そうとした時はすっぴんで髪は結んでいなかったし前髪も下していた。今は部活のために髪も結んで前髪もピンでとめていたから、それで気が付いたんだ。そっか、私ってそんなに違って見えるんだ……。
というか、もしかして私失望させた? ちらりと出水君を見ると、口に手を当てて顔を背けていた。うわ、現実を見たくないってこと……!? 申し訳なさすぎる。ちょっと泣きたいような悲しい気持ちになり、早く立ち去ろうと一歩後退った。
『あの、ごめんね』
「あ、ちょっと待って!」
出水君の手が私の腕を掴んだ。腕をがっちりつかんだ大きな手にびっくりして、彼の顔と腕を見比べる。
「もうおれの事、好きじゃなくなった?」
『えっ!?』
思わず声が裏返った。ちょっと困った顔で出水君が「えっ、て何?」と呟くけど、こっちも混乱しているので許してほしい。私、出水君に告白したっけ? いや、私の感情としては間違ってないんだけど。そうか、あの手紙。あの手紙を彼は告白だと思ったんだ。内容はそこまで書いてないけど、私の気持ちとしてはそうだから、その認識で正しいと言えば正しい。
そのことに関して何と説明したら良いか分からないけど、でも私の気持ちは決まっているので、私は彼の問いに首を横に振って答えた。
「え、ホントに?」
半信半疑という顔で出水君が私を見る。私の腕を掴んでいた手からも力が抜ける。私はこくこくと頷いた。
「そっか、よかった。なんかよく分かんない順番になっちまったけど、これからよろしくな、雪野! って、今部活の最中だったっけ?」
『あ! そうだった』
体育館を振り返ると、友達の顔が開いたままの扉から見えていたが、私たちの視線に気が付くと彼女たちはすいっと体育館の中へ消えていった。う、うわぁ。これはばっちり見られてた。流石に声は聞こえてなかったと思いたいけど。
『えっと、じゃあそろそろ戻るね』
「ん、また明日」
ひょいと手を上げた出水君と目が合う。うわあ、私いま、出水君と挨拶したんだ。バイト以外で初めて会話をしたことに感動してしまう。私これから大丈夫なんだろうか? 何が起こったのか信じられない気持ちで体育館へ戻る。
そして不意に引き出しの中に仕舞ってきたラブレターのことを思い出す。あれ、どうしようか。折角だし書き直そうか。今の私たちの関係に、ぴったり合うものを。


書き直しラブレター

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