アネモネを咲かせて 白は手折られる
アメリカのSPW財団施設の周辺での行方不明者が増えている。忽然と姿を消したのは一般人だけではない。調査に行った財団員までもが行方を眩ませた。誰かが行方不明になって約一ヶ月が経つと、財団施設の周辺にその遺体が棄てられた。棄てられる位置はばらばらだ。林の中、住宅街、そしてある時は財団施設の目前へ――まるで見せしめのように放置される。
そんな事件を放っておけるわけがない。私はその調査に名乗り出た。 この事件は情報が少ない。遺体が街中で発見されることは少なくないというのに、目撃者は一人としていないのだ。特別な方法で棄てているのか、核心に近付いた者も同じように始末されているのかもしれない。 それでも私は引く気はなかった。財団を牽制しているつもりなのだろうが、していることは挑発と受け取った。財団に売る喧嘩は、ジョースターへ売る喧嘩と同義。私とて、ジョースター家のために設立されたともいえるSPW財団の構成員の端くれだ。味をしめた犯人がどんな行動に出るかわからない以上、私の大切な彼等に被害が及ぶ前に取り除かなければ。 そのために財団へ入ったのだから。
情報収集を始めて一週間もしていない。それなのに、あまりにも早すぎる。 事件の中心となっている施設に訪れていたときだ。一人になった瞬間、昏倒した。 目を覚ますと暗い部屋の中だった。冷たいコンクリートの床。明かりの差し込む窓はひとつもついていない。地下室なのだろう。いったい、どこの。場所の手掛かりになるようなものは見つけられない。それでも財団施設の周辺だと考えられる。被害者を監禁してから遺棄する間に、大きな移動をする必要性はないからだ。 起き上がろうとするが出来なかった。手と足には枷が嵌められていて、芋虫のように体をくねらせることしかできない。
「はじめまして、みょうじなまえさん」
錆びた扉が開く音がして、私は光に照らされる。暗闇になれていた目を細めると、声を発した人物のシルエットが見えた。 細身の男がひとり。手口の巧妙さと大胆さから複数犯だと予想していたが、まさか単独犯だったとは。 名前を知られているということは、調査員の情報は調べあげているのだろう。
「人間を飼って楽しむのも良かったが……」
こつりこつりと足音が近付いてくる。逆光で男の顔は見えない。
「君みたいなペットを可愛がるのも良さそうだ」
見えないはずなのに、その表情が愉しげに歪められたのがわかり、背筋を冷たいものが流れていく。 男はすぐ側まで来ると私の胸ぐらを掴み体を起こさせた。
「――――っ!!」
振り上げられた掌は容赦なく私の頬を打つ。
「長い付き合いになる……仲良くしようか」
この程度の痛みで屈していられない。目の前の男を睨み付けた。
どれだけの時間が過ぎているのだろう。太陽の動きがわからない地下室では日付を把握することができない。不規則な時間に食事を与えられていて、一日に三食食べているのかどうかもわからないので日数を数えられないのだ。 肉付きが薄くなっていく身体を眺める。男が気が向けば気のすむまで暴力を振られている。痣ができては消え、また新しい痣ができた。小さな傷痕ならたくさん残っている。女の身体とは思えない。 殺すつもりはないようで、大きな傷を付けられたことはない。それは「つまらない」ことなのだろう。
私はいくら身体を傷付けられても、女としての尊厳を貶める行為をされても。屈することだけはしたくない。私は外へ出て、この男へ制裁を与えて、平穏を取り戻さなければならない。
もし、私の力で出ることは叶わなくても。 きっと――彼ならきっと、私を見つけてくれるはずだ。どんな逆境も覆して己の味方にしてきた、彼なら。気付いてくれる。何も言わずに出てきてしまったけれど。
彼は――承太郎は、希望を背負っている男だ。だから無駄な危険に晒したくなくて、私は財団に入ったのだ。 彼はピンチには颯爽と現れるヒーローのような男なのだ。私がいくら弱っていても、希望だけは揺るがない。 この事件の調査を受けた時点で死は覚悟していた。けれど私が死んだら、誰が承太郎の盾となるのか。 誰にもできないなんて思っていない。私以外の人間が彼に一番近い存在でいることが堪えられないだけ、ただの我が儘だ。 当たり前に傍にいて、当たり前に守られて守って。その関係を失いたくない。私は彼の隣に立っていたい。
ある日、男は殊更に口元を緩ませながら、一枚の写真を私の顔の近くへ放った。その時は特に執拗に殴られた後で意識が混濁していた。男の後ろから差す光を頼りに写真を覗き込む。 写っているのは長身の男の後ろ姿だ。隣には着飾った女が立っている。 後ろ姿でも誰だかわかってしまう。承太郎だ。
「近いうちに結婚するそうだ。代わりはいるようだな」
その言葉に、身体の力が抜けていく。 あぁ、私がいなくても、承太郎はちゃんと幸せになれるじゃないか。もう私がいなくても大丈夫。 ただひとつ、私を支えていた希望はいとも容易く手折られた。
ここから出なくちゃ。でも、どうして? やらなくちゃいけないことがあったはず。何を? 思い出せない。仕事? 違う。仕事はそのための手段だったはずなのに―― 自問自答を繰り返しても本当の答えには行き着けない。何かが欠落している。けれど、それが何だったのかすらもう思い出せない。
外へ出る、それだけを考えていたとき、扉が開いて男が入ってきた。 それからの記憶はあまり覚えていない。気付けば男が血を流して倒れていて、そのポケットから鍵を出して枷をはずした。そして私は開いたままの扉から逃げ出した。覚えているのはそれだけだ。 しかし思いの外、体は衰弱していたようでろくに走れもしないまま意識を失った。
---------- 〇アネモネの花言葉 「はかない恋」「恋の苦しみ」「見捨てられた」「見放された」
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