小説 | ナノ
化猫女郎


 怒鳴り声すら霞む轟音を切り裂くことが出来るのは、けたたましく鳴るベルだけだ。

 雨の降る、じめっとした夕暮れ時。
 油臭い身体もそのままに、黒尾は勤め先である小さな町工場を後にした。右手に黒い蝙蝠傘。左手には財布くらいしか入っていない鞄。安全靴が雨水を散らし、作業服の裾を濡らす。
 仕事は朝の八時半から始まる。ゆくゆくは自動車の一部となる金属部品を、機械の力を借りて加工する。何個も、何十個も、何百個も作らなくてはならない。何千、何万と作っても自分の自動車を持つ日は来ないだろうと考えながら。
 十二時の休憩でとる昼食は家にある残り物を適当に詰めた手弁当だ。同僚は皆最低限のコミュニケーションしか取ろうとしない。各々テレビや新聞をぼうっと眺めて、与えられた一時間を“潰して”いる。そうしてまた仕事をし、十七時きっかりにはねると着替えもせずにそそくさと帰っていく。黒尾も勿論同じだ。混み合う列車に乗って帰る先に、彼を待つ人はいない。
 煙草は喫わない、博打もしない。酒は呑めない訳ではないが、呑まなくてもいい。女遊びは極たまに。これといった趣味もなく、只管に無味乾燥な毎日を過ごしている。自分よりも、自分が働く工場にある数々の機械の方がよっぽど生きている感じがすると常々思う。
 それでも時々、気分が浮足立つ日もある。そんなとき彼は工場から十分ほど歩いたところにある大衆居酒屋へ向かう。狭いカウンターと、二人掛けのテーブル席が二つあるだけの小さな店だ。料理も酒も大したことはない。店主夫妻や他の客の他愛無い話をなんとなく聞きながらいつも同じものを飲み食いする。これが黒尾の唯一の気晴らしだった。

 等間隔に並んだ街灯が暗い道をぽつんぽつんと照らし、そこだけ雨水が直線を描いてきらめいているのが見える。
 別段視力の悪い方ではないが、それでも雨の夜は視界が悪くなる。地面を睨み付けながら歩いていると、後方からリン、と自転車のベルのような音がした。こんな夜に乗りまわすやつがあるか、と苛立ちつつも道の端に寄る。しかし鈴の音は止むことがなかった。リン、リン。…しつこいな。たまらず振り向くと、ぶち猫が先ほど通り過ぎた建物と建物の間に入っていくのが見えた。
 猫が入っていったのは、既に店仕舞いをした雑貨店と、塀に囲まれた民家の間。そこから、ぼんやりとした光が漏れている。明るさから考えて、民家の灯りが漏れているわけではなさそうだ。なにか店でも出来たのだろうか。しかし、裏手には河が流れているし、民家の裏に新しく建物をつくる余裕などないはずだ。
 彼は飄々としていると思われがちだが、それは興味のあること無いことにむらがあるからで、一度気になると自分のなかで納得がいくまで落ち着かない性分だ。踵を返し、件の光の方へ吸い寄せられていった。
 雑貨店と民家の間は、大人が二人並んで通れるくらいの小道になっていた。あまり見栄えはよくないが石畳も敷いてあり、人が通るための道であることを知らせている。こんな空間があったことにも驚いたが、それ以上に衝撃的だったのは漏れ出ていた光の正体だ。
 大小、素材も様々の灯籠が所狭しと地面の両端に並べられているのだ。木枠に和紙を張った見慣れたものから、西洋風の細工のされた珍しいものまである。子供の背丈程もある石灯籠、その傘の上にも小さな灯籠が置いてあり、とにかく沢山並べた、という雑多な印象を抱かせる。それらのすべてが、雨風に全く干渉されることなく煌々と火を灯していて、その明るさといったらまさに目が眩むほど。頭の奥がじりじりする。
 小道は民家の塀が終わるところで大きく右にカーブを描き、その先になにがあるのかは全く窺えない。特になにがある訳でもなく、民家か雑貨店の人間の少し変わった道楽かもしれない。それでも、その先にあるものをこの目で確かめたいと思った。
 さしていたこうもり傘を畳み(小道に屋根はないが、さしたまま歩くには少し神経質になる狭さだからだ)、光の海に足を踏み入れた。ちらちら揺れるあかりに囲まれ、なんだか身体が軽くなったような心持になる。全身を濡らす雨粒もさして気にならない。一歩一歩を惜しみながら進んでいく。

 道の突き当りにあったのは、一軒の小料理屋だった。『一品料理』と書かれた小ぶりの提灯が軒先でゆらゆら揺れている。小さな木造の建物はそこそこに古いものだが、きちんと手入れがされているために、いやな感じはしなかった。
 元々今夜は酒を飲むつもりであったし、馴染みの居酒屋にも少し飽きてきたころだ。それに無数に並んだ灯籠のことも聞いてみたい。今日はここで羽を休めることにしよう。緋色ののれんをくぐり、引き戸に手を掛けた。がたり、と一度ひっかかったものの、それ以降は音もなくするする滑る。
 狭い店内を埋め尽くす様にカウンターがある、小料理店にはよくあるつくりだ。六つ並んだ椅子は一つも埋まっておらず、また店の人間もいないようだった。店をそのままにして出ていくのは不用心だと思うが、まあすぐに戻るのであろう。濡れた上着を脱ぎ、奥から二番目の席に腰を下ろした。
 特にすることもないのでぐるりと店内を見渡す。カウンターの中の棚には酒器や小皿などの食器や、壱輪挿しなど面白味のないものしか並んでいない。カウンターに並ぶ酒瓶も、特段珍しい銘柄は無い。入口まで続いた灯籠の衝撃から変わった店を期待していた分、少しがっかりした。

 カウンターに頬杖をつき、荷物入れの奥に忘れ去られていた古新聞を読んで時間を潰す。一年も前のものだった。きちんと掃除をしているのだろうか。
 一年前の新聞となれば、どうでもいいことしか書いていない。ただでさえ無趣味なのだ。興味をひかれる記事はあらかた読んでしまった。
 左手首に光る腕時計を見やる。文字盤は工場を出てから一時間弱経っていることを示していた。工場から今いる辺りまでは歩いて十五分ほどなので、灯籠の海に足を踏み入れてから大体三十分とすこし経ったことになる。一体店の人間はいつ戻るのだ。このまま時間を無駄にするのも馬鹿馬鹿しい。あと五分だけ待って、それで人が来なければ馴染みの店に行こうと決めた。五分の猶予を与えたのは、やはりあの灯籠のことが気になったからだった。
 結局、五分待っても店の引き戸が開くことはなかった。ため息を吐き、椅子から立ち上がる。湿っていた上着もあらかた乾いている。
 狭い通路を抜け、引き戸に手をかけ、名残惜しさにもういちどカウンターを振り返る。すると、入口から見て左手に二階へ続いているであろう階段が見えた。決して分かりづらい位置にある訳ではない。第一、この建物はとても狭いのだ。しかし店に入ってから今までは全く気が付かなかった。
 歩み寄り、掛けられている玉暖簾をそっとめくる。階段は真暗だが、階上からうっすら灯りが漏れている。もしかしたら、店の人間がいるのかもしれない。声を掛けてみようかと考えていると、突然背中に気配を感じた。自分の真後ろ、二メートルも空いていないかもしれない。そこには確かにだれかが居るのに、それは声を発することもなく、只管自分を見ているような気がした。
 音を立てずに大きく息を吐く。そしてゆっくり振り向く。すると、真っ赤な着物を着た女が立っていた。
「わっ」その、あまり普通でない様子に、思わず肩が跳ねる。
 長身で、細作りな女だ。長い前髪から覗く肌は青白く、およそ日本人離れした琥珀色の瞳が、まっすぐ黒尾を視ていた。
 ――引き戸の開く音は、果たしてしただろうか。

 女は店をひとりで切り盛りする女将だった。お待たせしてごめんなさい。と少し掠れた低めの声で謝罪し、カウンターの中を慌ただしく動く。慌ただしく、といってもどこかとろく、どんくさい。しょっちゅうあちこちにぶつかったり、物を落としそうになったりする。そんな、涼し気な見た目の印象を大きく覆す様子を、猪口を傾けながら眺める。
 相変わらず自分以外の客が来る様子はない。馴染みの居酒屋はいつ行ってもがやがやと賑やかなので、たまにはこういう店で静かに呑むのも良いと思った。
「どうぞ」
 お椀に盛られた煮物が出てきて、彼女の慌ただしさもひと段落したようだ。「よければ」と徳利を掲げると、「どうも」と控え目に笑いつつカウンターの向こうから猪口を差し出された。正面から彼女の顔を見たのは先ほど階段の前で振り向いたときから二度目だ。不気味だと感じたのを申し訳なく思った。
 教科書通りの美人ではないが、なかなか器量の良い女だと思う。大きな釣り目に、つんと尖った鼻と、小さな唇。白い肌と黒い髪に琥珀色の瞳というのが異国的で、また魅力的だ。じっと見つめていると恥ずかしそうに目を逸らされて、なんとも気まずい空気が流れた。
 その空気を断ち切るように、彼女は「待たせてしまった分勘定のことは気にするな」と言った。勝手に待っていたのはこちらの方だ。少々気が引けたが、何度か問答を繰り返し、結局、その言葉に甘えてしこたま飲んだ。彼女もそこそこ強いようで、平気な顔をして何度も猪口を空にした。料理も馬鹿のように食った。彼女の一押しだという煮物は本当に美味くて、特に肉はこんな小さな小料理店で出すにはもったいない、とろけるような食感で、鍋の中身が空になるまでお代わりをした。
 料理がなくなると、彼女はカウンターから出てきて隣の椅子にそっと腰かけた。間近で見る琥珀はやはり美しく、吸い込まれそうな瞳というのはこういうことを言うのだと思った。
「名前は?」
「研磨。珍しいでしょう?」
「ああ…でも似合ってる」
「ありがと。ほら、もっと呑んでよ」
 酌をしてもらうときに、彼女のほっそりとした白い指が、油で黒ずんだ、黒尾の武骨な手に触れた。誰もいない店内でぼうっとした時間は確かに無駄だったが、その無駄があったからこそ、綺麗な女と美味い酒が呑めているのだ。そう思えば、なにも不満などなかった。

 勧められるままに呑んで、気付けばすっかり酔い潰れていた。ぱっと瞼を開ければ、研磨はじっと黒尾を見つめていた。目が合えば、ふっと逸らされてしまう。
「俺、寝てた? 電車…」
 外していた腕時計を見やれば、終列車などとうに終わってしまっていた。
「ごめんなさい、何度も起こしたんだけど」
「いや、いい。俺が呑みすぎただけだから」
 と言いつつも、黒尾は焦っていた。家まで歩いて帰ることも出来なくはないが、まだ酔いが醒めていない。頭がふわふわしている。自動車に乗る金も、どこかに宿をとる金も持ち合わせていない。かといって、このまま店に居座って女将の手を煩わせるわけにもいかない。
「よかったら、使う? 上…」
 彼女が指差すのは、先ほどの階段だ。それは黒尾にとっては願ってもない提案だった。
「休憩部屋。酔い潰れちゃったお客さんにもたまに貸してる。だから平気」
「でも…」
「そんな具合じゃ帰れないでしょ? 雨だって降ってるし。布団、敷いてくるから、待ってて」
 椅子から降りる研磨の髪が揺れ、うなじがちらりとのぞいた。真っ白なそこは、琥珀の瞳と同じように吸い込まれてしまいそうだった。

 階段をどのように上ったのか、皆目思い出せない。気付いた時には半端に広げられたせんべい布団の上で彼女に覆いかぶさっていた。
 酔いと期待のせいでまだ何もしていないのに息が上がっている。研磨は脚をじたばたさせ、口からは頻りにいやだ、やめてと拒否の声を発している。押さえつけた腕も必死に動かそうとしているのが伝わってくる。
「うるせえ」
 頬を軽く張る。黒い髪が散る。大きな瞳が見開かれ、黒尾は少しだけ後悔をした。女に手をあげるのは初めてのことだったからだ。しかもこんな、理不尽な理由で。
 自分が非道なことをしているのは分かっている。今までにこんなことをしたことはないし、そういう人間を軽蔑してもいる。だけど今はどうしたことか、止められないのだ。余すことなく白い肌に触れ、自分のものにしたい。低めの声が上擦るのを聞きたくてたまらない。
 はあと漏らした息は自分でも分かるほどに酒臭い。自分は今酔っている。そう、酒と美人に酔っているのだ。だから理性の箍が外れてしまうのは仕方がないし、こんな女を目の前にしてボンヤリ布団に入る方がどうかしている。据え膳食わぬは何とやら。
 ――どうかしているのは今の俺の方なのではないか?
 いや、そんなことはない。違う。間違ってはいない。俺は、俺は――
 自問自答を繰り返し、もう一度、研磨の頬を張る。
「お前が誘ったんだ」
 今度はぴしゃりという乾いた音が薄闇に響いた。それきり研磨は一切の抵抗をやめた。全身からくたりと力が抜け、声も出さない。もしかしたらひっそり泣いているのかも知れない。

 行灯のあかりで橙に染まる肌のあちこちに噛み付きながら、赤い着物を脱がせていく。己のむわりとした汗臭さを掻き消すように、白粉と、女のにおいがする。
 女も洋装をするのが当たり前になってから、和装の良さがようやく分かるようになった。肌をすっぽり覆うそれは、手首がちらりとのぞくだけで艶っぽく見えてしまうこともある。帯と、数本の紐だけで衣服として成り立っている危うさ。それらを解いてしまえば途端に気高さは消え失せてしまう。
 抱き起こした肩から着物と襦袢を抜けば、黒尾の胸が早鐘を打った。きっとそこも真っ白で、吸い付きたくなる柔らかさを持っているに違いない。
 そして露わになった上半身に、あ! と声が漏れた。研磨は少し驚いた顔をしたのち、ばつが悪そうに目を逸らす。
 研磨の胸はあまりにも平面的だったのだ。決して貧相なのではなく、それは―
「お前…」それは間違いなく、黒尾と同じものだった。
「気付いてるんだと思った」
 暫くの間を置いて、研磨はよそを向いたまま、ぽつりと言った。乳房の代わりをしていたのであろう数枚の手拭いが腰から間抜けにぶら下がっている。“かれ”はそれを乱雑に抜き取り、床に投げ捨てた。
「あの、その、」
「別に…嗤ったりしないから」
 掠れた声は、先ほどと変わらない。だけど今はもう、男の声にしか聞こえなかった。なんという間抜けだ。
「申し訳ない」
 動揺のあまり、理性を失うほどの酔いもすっかり冷めてしまっていた。まさか女装をした男に勘違いで欲情し、無理矢理犯そうとしていたなんて。先程までの勢いをすっかり失い、ひたすら謝罪を繰り返す黒尾に研磨はなかば呆れている。
「たまにあるから、気にしてない…」
「俺はすっかり、女だと」
「もういいって。でも…いいの? これ」
 研磨がそっと黒尾の下半身に触れた。
「おれにやらしいことするって考えて、こんなになっちゃったんでしょう?」
 つつうと白い指が滑る。端までいけば、また折り返す。ばつの悪さから黒尾はなんと返事をしたものか分からず、ただ目を泳がすばかりだ。
「別に、いいよ。手のひらくらいなら、貸したげる」
 妖しく弧を描く瞳に、ごくり。と喉が鳴った。据え膳食わぬは男の恥、である。

「おれも、別になんとなくで女の着物なんか着てる訳じゃないし」
 先ほどやだやだと言っていたのは演技だったのだろうか。研磨は人が変わったように積極的だった。
 黒尾の作業着の前ファスナーを焦らす様におろし、ちらちらと媚びるような目付きで様子をうかがう。期待に満ちた顔。この様子では結構な好き者に違いないと黒尾はまた喉を鳴らした。現れた性器はがちがちに硬くなり、忌まわしそうに下着を押し上げている。研磨は胸いっぱいといった様子でため息を吐き、布越しに性器を擦る。刺激を与えるというよりは形を確かめるような触れ方だが、たったそれだけでもそこはどんどん質量を増していく。
「すごい…まだ大きくなるの…」
「お前が、やらしいから」
「うれしい。どうしてほしい? もう、言ったこと、全部やったげる」
 研磨はうっとりそこに頬ずりをした。

 四畳半の部屋はあっという間に甘く濡れた空気に包まれる。宣言通り、研磨は黒尾の言う通りに動いた。一日中汗をかきっぱなしだった為に相当蒸れているであろう竿も、玉も、隅々までねっとり舐めた。咥えろと命じれば躊躇なく、そして美味しそうに咥える。
「スケベだな」
「そう?」
 声は平静を装っているが、腰がひくりと動いたのを、黒尾は見逃さなかった。そんな趣味はひとつも無かったはずなのに、淫らという言葉がぴったりの研磨にじりじり魅せられている。
 薄っぺらい布団に寝転ぶとほのかに白粉のにおいがした。甘い、研磨のにおいだ。先は散々いやだやめてと騒いでいたが、結局こいつは何度もここで喰われているのではないか。
 察しの良い研磨は黒尾を跨いで四つん這いになり、再び性器を咥えた。黒尾の頭を挟むのは脂肪も筋肉も大してついていない、言ってしまえば色気のない、男の脚。しかし体毛は極めて薄く、あかりできらきらと光っていなければ生えていることにすら気付かないであろう。
 引っ掛かっていた最後の腰紐を抜き去り、今度こそ着物を全て脱がす。下着はつけていなかったため、生の下半身がすぐに現れ、黒尾はその様子に目を見開いた。見慣れた黒い毛がひとつも生えていないのである。全て剃り落しているのだ。不快な引っ掛かりが一つもないため、抜いているのかもしれない。こいつはとんでもない“女”だと黒尾は思った。
 黒毛のないペニスは既に腹に当たるほどに反りかえり、快楽を待ちわびて涙を零している。黒尾はその様子を見て確かに興奮していた。
「おい、なんだこれ」
 本来毛の生えている筈の部分をかるく掻いただけで、研磨は面白いくらい身体を震わせた。その動きに合わせて、彼のペニスも小さく揺れる。研磨は咥えていた肉から口を離し、切なげに鳴いてこちらを見た。
「ぅ…」
「ここ、掻かれるだけで好いの?」
 詰るように問えば、こくりと頷いた。黒尾は物珍しさもあり、そのまま雄の周りをかりかりと爪の先で嬲った。
「ぁ、あ、ア、」
 研磨の腰はがくがく痙攣し、顔は黒尾の腹にくずおれ、尻だけを突き出す格好になる。
「ほら、ちゃんと舐めろ」
「ン、ごめんなさ…あ、」
「何でもするって言ったのはお前だろ?」
「はぁ、っん…」
 たったこれだけの刺激で口が留守になってしまうなんて、一番敏感な部分に触れたら一体どうなってしまうのだろう。研磨が悶える様を想像し、黒尾はまたごくりと喉を鳴らした。ちいさく震える先端をそっと握れば、研磨はひっと悲鳴を上げて、黒尾のものから再び口を離してしまう。
「出来ないなら、もうどこも触らない」
「やっ、嫌…するから…」
「ちゃんと咥えて、そう、奥まで。俺が良いって言うまで離すなよ」
 目を潤ませて頷くのに満足し、黒尾は研磨をのペニスをまた嬲った。辱めた分だけいやらしい蜜が溢れ、黒尾の腹にまで垂れてくる。今触れているのは間違いなく自分にも付いている男のものだ。それなのに、女の卑猥な部分を見るよりもずっと劣情を掻き立てられる。つい先ほどまでは、勘違いで男を犯そうとしていた自分にがっかりしていたというのに…。
 男であれば面倒もないし、研磨は今まで抱いたどんな女よりもずっといやらしい。そしてそれが、すっかり自分の言いなりになると言う。自分でも気付かぬうちに、黒尾は笑みを浮かべていた。

 つるりとした下腹とぬるつくペニスでは飽き足らず、はくはくと呼吸をする菊の花にも指を滑らせる。研磨は堪らないといった様子で動きを止め、黒尾はやはりここも使えるのかと感心する。触れる度に尻が大きく揺れ動くが、それでも目の前の熱に舌を這わせることはやめなかった。
「えらいえらい」
「はふ…っむ、ん」
 小さな菊花はきゅうきゅうと収縮し、花弁の中心を暴かれるのを今か今かと待ちわびている。研磨が零したとろみを塗りつけ、指の先を小さく出し入れしていると徐々に解れ、美味そうに呑み込んでいく。
「ここ、挿れてもいいの?」
 黒尾は意地悪く問う。しかし愚問である。研磨は全て黒尾の言う通りにすると言ったのだから。小さな口から雄を引き抜いてやれば、漸く解放された研磨が軽くむせていた。それでも
「もう嫌?」と意地悪く問えば
「幾らでも舐めてられる」と体液で汚れた顔で嬉しそうに返してくるのだから、呆れてしまう。

 後ろを慣らすように命じれば、研磨は布団に座り、大きく脚を広げて指を出し挿れさせた。微塵も萎える気配の無いペニスがとめどなく涙を零し、後孔を溶かす指までぬらりと卑猥な軌跡を描く。ちゅぷちゅぷと濡れた音を立てるそこは、行灯に照らされて女のそれのように淫靡に見えた。
「女みたいだな」
「ン、そんなのより…こっちのが、好い…」
「それは、お前のがんばり次第だろ」
「ふふ、期待して、いいよ…」
 言いながら、足袋を履いた爪先で黒尾のそれを撫ぜる。そこは研磨が自分で慣らすところを見ている間も、一向に萎えることがなかった。


「あっ、あぁ…」
「本当だ、女より、ずっと具合がいい」
 立ち上がり、後ろから犯した。研磨のそこはずっぽりと黒尾を迎え入れ、きゅうきゅうと蠢いて悦んでいる。入口はぱっくりと開いているのに、中はよく締まる。研磨は窓の桟に手を着き、貧相な尻を突き出す。少し揺すれば、動きに合わせて窓ががたりと音を立てた。
「ふ、ぅ…言った、でしょ」
「すげえな、何本咥えてきたんだ」
「あ、うぅ、」
 背中に覆いかぶさり、白いうなじをぺろりと舐める。甘い。腕をまわした胸にはやはりふたつの膨らみはない。しかしその中で唯一主張をする小さな果実を捏ね回せば、そこが好いと女のような嬌声が上がる。それにまた、欲情した。
 仕事の疲れも消え去った。腰を動かし、ずくずくと雄を出し挿れする。前後だけではなく、左右にも。時々はぐるりと円を描いてみる。抜けるときも挿しこむときも、研磨はひっきりなしに声を上げている。
「ん、い、ぁあ、もっと、して」
 予測のつかない中の動きと、いやらしい声。揺れる髪。その間からのぞくうなじ。研磨のあらゆる部分が黒尾を煽る。普段ならば萎えてしまう甘えた科白も言うのが研磨となると興奮してしまう。
「言われなくても、する…よ」
 身体にしっかりしがみ付き、肉のぶつかる音がするほど激しく突き入れた。泡だった体液が黒尾の下生えを白く染める。欲望のままぶつかり合う様は、もはや動物の交わりだ。窓はがたがた喧しく、研磨の嬌声はどこまでも大きくなっていく。
「はあ、ここ、…っ、締まる」
 黒尾の吐息にすらも研磨は感じてしまい、華奢な肩が震える。
「ぁあああああ、そこ、もっと、ン、あ、」
「…っく、はぁっ…」
「うぅ、いい、もっと、擦って…はぁ、ああ…」
「ああ、もう、出そう。中に、欲しい…?」
「んんっ、出して…あぁ、奥に、だしてっ…」
 二人は気の済むまで繋がり、研磨は身体の中に飛沫が注がれる刺激だけで欲を放った。壁に飛び散ったそれを舐めろと言えば、煽るように腰を揺らし、猫を思わせる動きで舐めとってみせるのだった。

 瞼の裏を焼かれる感覚に目を覚ませば、火が入ったままの行灯が目に入った。不用心だな、と思いつつも一つ欠伸をする。まだ口の中に違和感が残るものの、酔いは完全に醒めていた。呑気なものである。研磨は隣で襦袢を引っ掛けただけの格好で眠っている。というか転がっている。最中にもどこか女と致しているような感覚があったのに、今ではもう自分と同じ男にしか見えない。
 下半身に感じる重みに、身体が小さく震える。手洗いに行きたい。研磨を起こさぬようにそっと立ち上がれば、きゅっと足首を掴まれた。
「起こしたか。悪いな」
「ううん、ちょうど起きたところ」
「そうか。便所は下?」
「ああ…そんなの、ここですればいい」
 首を傾げる黒尾の足元に、研磨は膝立ちになった。そして黒尾の脚の間にぶら下がっているものをぱくりと咥える。その意図を理解し、黒尾は戦慄した。
「…正気か?」
 研磨は当然だという顔で頷き、黒尾の下腹をぐいぐい押し始めた。早くしろと下生えを弄って急かしてくる。そういう趣味のものもあると話に聞いたことはあったが、まさか自分が出くわすとは…こいつは本当に底が知れない。頭を引き剥がそうとすれば、しがみ付いてくる。きっと出すまで許して貰えないのだろう。これは悪い夢だと言い聞かせながら、黒尾は努めて身体の力を抜いた。
 全てを飲み干しても、研磨はそこから口を離さなかった。そればかりか先端をちろちろと舌で嬲ってくる。
「もう何も出ないから」
 黒い髪を押し退けようとしても、研磨は頑として動かない。太腿にしがみ付き、ゆっくりと顔を上下させ始める。時折口を窄め、もっと出せと吸ってくる。
「ッ…」
 それが緩く芯を持ち始めたところで、研磨は「まだ出るでしょ?」と笑い、漸く口を離した。銀糸がたらりと口の端に垂れる。
 黒尾は割に淡白な質である。研磨にはかつてないほどに昂ったが、それでも何度も続けては出来ない。
「疲れたよ。それにもう帰らないと。風呂も、入りたいし」
「駄目」
「汗臭い、だろ」
「好きだからいい。雄臭いの、すっごい好き…」
 今度はじゅぷじゅぷと音を立てる口淫をされ、黒尾はもう降参するしかなかった。脚を震わせ、くぐもった声を上げて欲を吐けば、「ほら、出た」と舌に乗せたどろどろのそれを見せつけられる。舌から掬ったそれを指で弄び、臭いを嗅ぎ、ふにゃりと目を細める。
 もう満足しただろうと、今度こそ「もう帰る」と言えば、また「駄目」と引き留められた。
「まだ、いいでしょ? 休日は仕事ないって、言ってたじゃん」
 衣服を身につけようとする黒尾に後ろからしがみつき、研磨はひたすらに妨害する。はあはあと熱い息を漏らしながら首筋に舌を這わせ、両手は振り払われるのにもめげず下半身に刺激を与え続けている。腿に擦りつけられるものはもちろん熱く昂ぶっている。
「邪魔すんなって、もう出来ない」
「嫌、帰んないで」
「無理だって。疲れたし」
「なにもしなくて良いから。ね?」
「う、わ」
 突然後ろに引っ張られ、尻餅をつく格好になった。研磨はすかさず上に乗り上げ、男の腕力で黒尾の肩を突き飛ばす。頭を強かに打ち付け、一瞬だけ視界がゆらめいた。
「風呂なんて、入らなくていいよ…」
 研磨は片手で黒尾の両手を床に押し付け、もう片方の手で黒尾の頬を捉えた。押えられた腕は酷く痛むのに、かち合った瞳はまた女の色を醸していた。
「俺は、嫌なんだって」
「ぜんぶ舐めてあげる。おれが綺麗にしてあげる」
 ゆっくり顔が近付いてきて、唇が触れ合った。黒尾が唇を結んで抗議するも、その舌はしつこくそこをこじ開け、侵入ってくる。苦くて、厭な味がした。
「ンむ…はぁ……ん、んっ…」
 ちゅ、ちゅと音を立てて舌を絡みあわせるうち、研磨の身体からは力が抜けていったが、黒尾は両腕が解放されても研磨を退けることはしなかった。徐々に身体が熱を持ってくるのが分かり、目の前にいる魔性の威力に他人事のように感服する。退けなかったのではなく、できなかったのだ。
「誰が、もう出来ないって?」
 研磨は唇を離し、熱くなった黒尾の性器を指で弾いた。
「クソ、この色きちがい」
「褒め言葉でしかないから。それ…」
 先の宣告通り、研磨は黒尾の肌を舐め始めた。顔、耳、首筋、うなじ…。焦らすようにゆっくりと、動物が毛繕いをするように丁寧に舐めていく。言っていた通り男の臭いがかなり好きなようで、太い毛の繁る脇は随分丹念に舐められた。時折唇で毛を引っ張り、唇を揺らしては嬉しそうにしている。筋肉のついた腕も、硬い手のひらも、節くれだった指と指の間も全て時間をかけて舐めていった。絶妙な舌使いと濡れた表情に、黒尾の性感が高まる。しかし舌が下りて行っても、そそり立ち、蜜を零す黒尾の雄には全く触れることがなかった。そこだけをあからさまに避けて、ざらざらの舌で舐め続ける。ついに足の指まで舐め終われば、身体をうつ伏せにするようにと言われた。
 どさくさに紛れて黒尾がそっと自身に触れようとすれば、目ざとく見つけて咎められる。「全部綺麗にするまで駄目」と。
 肩、背中、脇腹、と研磨は休むことなく汗臭い身体を舐め続ける。息は上がり、時折濡れた昂ぶりを黒尾に擦り付けて遣り過ごしている。
 研磨の舌が尻の割れ目に差し掛かったところで、黒尾は漸く抗議の声を上げた。
「ちょっと、そこはやめろよ」
「だめ。ぜんぶ舐めるって、言ったじゃん」
「汚ねえだろ、おい、ぁ…う」
 くいと肉を割り開かれる感覚に、がくりと項垂れた。熱く濡れた舌が、皺の一本一本を伸ばすようにそこを舐め、時折吸い付く。
「なあ、やめろって…っあ、」
 むず痒いような、初めての感覚。恥ずかしくてたまらない。しかし、性器に触れられるのと同じくらいの快感を得ていたのも事実だった。
「はぁ…やっぱりここが一番すき…」ぢゅっと態と大きな音を立て、研磨はしばらく執拗にそこばかりを味わっていた。

「疲れた? 寝てていいよ」
 全身を文字通り隈なく舐められて、精神的にぐったりとする黒尾に研磨は優しく言った。うんざりした顔で返す。
「挿れるんだろ?」
「当たり前じゃん」
 焦らされ、半分くらい萎えてしまったものをきゅっと握られる。熟れた菊は二、三度指を出し挿れしただけで黒尾をすっかり呑み込んでしまった。ゆるゆるとした抜き挿しを繰り返しながら、細い腰を左右に振って甘い声を上げる。だらり寝転ぶだけだった黒尾も徐々に煽られ、快楽を求めて身体が動き始める。
「ア、ほら、いやよいやよも、なんとやらって…」
「この、淫乱が。…ッ、詰られて、締め付けやがって」
「だから褒め言葉なんだ、って、言ったでしょ、ン、あぁ、好い、…見て、昨日のやつが、漏れてきてる…」
 研磨が指差す先を見れば、卑猥な窄まりから白と透明が混ざった液体が猥褻な音を立てて溢れ、黒尾の幹へ伝っていた。少し上に視線をずらせば、子どものようにつるりとした薄桃のペニス。
「ふふ、大きくなった…いやらしい。ねえ、また出して? あぁ、ぜんぶ、出して……」
「好きにして良いって、言ったのはお前だろ?」
「うん…好きに、して、」
「望み通り、出してやるよ、クソッ、」
「あァ、あっ、…あ、あ、嫌、あ」
 そうして欲をたっぷり注いでやっても研磨はまだ本当の満足には至らないようで、出したばかりのそこを咥え、「もっと出して」と吸った。

 もっともっととあまりにしつこいので、暴力的に犯した。口に汗臭い靴下を捻じ込み、手足は手ぬぐいで縛り、白い皮膚が畳で擦り切れてしまうのではというくらいの勢いでものを突き挿した。薄い肌を力一杯打って、抓った。小さな胸の突起を千切れるくらいに引っ張った。毛のない雄を、袋を容赦なく乱暴に握った。それでも研磨は大きな瞳とペニスから熱い涙を零し、身を震わせて喜ぶだけだった。そしてそれが終わればまたもっととねだってくる。もう何度も欲を吐き出したというのに、ねだられれば身体は熱くなってしまう。出来ないと口に出す前に、身体が反応してしまう。
 研磨の身体はやわらかく、どんな体勢で犯しても全身で快楽を受け取った。
 前からでも後ろからでも同じように喘ぐが、胡坐をかいた上に乗せてやるのが一番好い所――小さなしこりに当たりやすいようであった。通常時でも締め付けは申し分ないが、そのしこりを雁首でひっかくと特にきゅっと締まるのだ。締められれば、身体は熱くなるばかりである。
 白いうなじを舐めながら、こんな時間も中々悪くはないかもしれないと黒尾は少しだけ思い始めていた。

 交わることに疲れ、良いと言うまで咥え続けるように命じたときもあった。研磨が自分のものを慰めることは決して許さず、そして少しでも手を抜けば彼のペニスを踏みつけて仕置きをする。
 止まることをなく溜まっていく白濁は全て顔に向けて放ち、滴り落ちたものも掬って塗りつけさせた。小奇麗な顔が惨めに汚されても尚、研磨は悦んでいた。

 汗が不快だと言えば黒尾の全身をねっとり舐め上げ、便所に行きたいと言えば全てを口の中に出せと言う。喉が渇けばその逆をされた。
 際限なく湧き上がる欲を淫靡な身体を全て好きに使って発散することができる。こんな楽園はない。それでも、黒尾には帰るところがある。
 何度目かの絶頂で我に返った。この部屋へ来てもう何度達したかも分からない。身体はくたびれ、汗臭さも体液にまみれた身体のべたつきも流石に我慢の限界であった。
 いつも部屋から出る前に引き留められて流されてしまうので、どれだけの時間が経ったのか知れない。腕時計は階段を上がる時に落としてしまったようで見当たらなかった。今が昼なのか夜なのかも分からない。行灯の灯だけが黒尾の光だ。
 雨音は止まない。部屋がかびるので窓は開けるなと言われている。ふと顎をさすれば、伸びた髭がちくちくとあたる。一方の研磨は髭も下生えも全く伸びていない。
 懐紙で汚れを拭い、下着を穿きながら研磨に言った。
「もう流石に満足しただろ? 仕事がある。帰らないと」
「駄目。ずっとここにいて」
「お前…。もう俺は付き合いきれない」
「やだ。おれに全部ちょうだい、全部…」
 小さく舌打ちをし、下着を穿いただけの格好でこの部屋唯一の出入り口である引き戸に向かった。とにかくこの閉めきった空間から出なければならない。ここで少しでも甘やかせばまた絆されてしまう。
 ――がたり。
 音を立てるものの、襖は開かなかった。つっかえ棒でもされているかのように。
「おい、開かないぞ」
「…行かないで」
「いい加減にしろ」
 腕に縋りつく研磨を突き飛ばせば、女のようなか細い声を上げて尻餅をつき、羽織っていた襦袢が床に広がる。ぶつぶつ文句を垂れているが、俺の知ることかと襖との格闘を続ける。「まだ足りない」「もっとして」と最中には興奮する甘い台詞にも苛立つばかりだ。引いても蹴っても体当たりをしてみても、木でできた引き戸はがたがた音を立てて揺れるばかりで開く気配がない。鍵は取り付けられていなかった。
「どうなってんだよ、これ」
「もう開かないよ」
 研磨は突き飛ばされた恰好のまま、鼻で笑う。腿を伝う黒尾の欲を指ですくい、うっとり眺めている。
「あぁ、こんなの久しぶり…絶対帰したくない」
「意味が、分かんねえよ。出せよ」
「だから開かないんだって。おれに全部くれるまで」
 指を咥え白いものを味わいながら身体を起こし、肩に顎を乗せてきた。指先は黒尾の腰のあたりを這う。
「まだ…いっぱい出るよ」
「何言ってんだよ」
 ちゅっと可愛らしい音を幾度も立て、首筋に吸いつきながら甘い匂いの身体を擦り付けてくる。

 音と、匂い。それだけの刺激で黒尾の下腹はずくりと重くなった。
「ほら」
「嘘だろ…」
 研磨がにいと口を歪めるのが分かった。
「はぁ…料理、おいしかった?」
 研磨が言うのは、店で出された煮物のことだ。とろけるような美味い肉が入っており、こんな小さな店で出すにはもったいないと思ったものだ。それももう、なんだか随分昔のことに思える。さては、と黒尾は思った。
「…何か盛ったな?」
「変なものは入れてないよ。でもね、肉がいいの」
「肉…?」
「うん。…***の肉」
 黒尾は反射的に背中を戸に向けた。がたりと一際大きな音を立てるが、やはり開くことはない。
 目の前にいる研磨が、恐ろしいものにしか見えない。
「おいしかった?」
 琥珀の瞳に捉えられ、衝撃と恐怖のあまりその場に腰を抜かしてしまう。女にしては長身だ、と思った研磨は、男としては並み程度の身長しかなく、大柄な黒尾よりもずっと小さい。なのに纏う空気だけは途方もなく大きくて、その上ずしりと重くて、押しつぶされてしまいそうだった。
「***って…本当…か?」
 へたり込んだ黒尾を、研磨が見下ろす。
「おいしかった? ってきいてるの」
「っ…」
「ねえ、おいしかった?」
 口元は笑っているが目は氷のように冷たい。きっと、機嫌を損ねてはいけない。黒尾が魚のように口をはくはくさせながら何度も頷くのを見て、研磨は満足そうに目を細めた。一方の黒尾は件の肉の味と、生きている***の姿を鮮明に思い出してしまい反射的に口を抑える。が、しかし長い呼吸の音以外になにかが出てくることはない。食べたものはすっかり消化されている。そしてこの部屋に来てからは研磨の“出すもの”以外口にしていない。
 黒尾の頭のなかで、工場で毎日聞いたベルの音が木霊する。しかしそれは始業や終業ではなく、非常事態を告げる音だ。早くここから出なければ。と黒尾は思った。自分は***ではないが、同じようにされてしまう可能性だって全くないとは言い切れない。快楽に流されるあまり自分の置かれている状況や、身体の異常すらも分からなくなっていたのだ。普通ではない。研磨も、この部屋も、きっと自分がいるべき場所ではない。足を踏み入れてはいけなかったのだ。ここは――
「ねえ、入口に並べてある灯籠がなんなのか、分かる?」
 ここにやってきた切っ掛け、光の海を思い出した。店で酒を呑む間、尋ねる機会はいくらでもあったはずなのに、頭のどこかへすっかり追いやられてしまっていた。
「わ、からん。…何、なんだ?」
 研磨は至極嬉しそうに笑い、黒尾の頸にぎゅっと腕をまわした。

「あれはね、おれが喰った人間の数だけあるんだよ」

 耳元で囁かれ、背筋がすっと冷えるのが分かった。こいつは一体何なんだ。ただの色情狂、それだけなのだろうか。真っ赤な着物、白い肌、黒い髪、琥珀の瞳。そんなものが走馬灯のように目前に浮かび、消えていく。
 ――こいつが店に入って来た時、果たして引き戸の開く音はしただろうか。
 肩に軽く噛みつかれて、情けない悲鳴が漏れた。
「やめろ、やめてくれ、俺が、俺が悪かったから、…誰にも言わない、絶対言わないから、命だけは…」
 鋭い目からじわりと滲む涙を、研磨は慈しむように舐めた。
「ふふ、本気にしないでよ。別に取って食ったりしないし。でも…」
 ――また、したくなってきたでしょう?
 演技ばった声でそう問われれば、途端に身体中がかっと熱くなった。研磨は黒尾をゆっくりと押し倒し、なにもしなくていいから。と何度目か分からぬ台詞と共に、筋肉質な腹の上に乗り上げた。肩に掛けただけの襦袢がするりと落ちればすぐに、薄く、青白い肌が現れる。平らな胸には桃色の飾り。それを見ただけで、黒尾の性器は芯を持ってしまう。
「なにもしてないのに、もうこんなになってる…おれが助平だから?」
 黒尾に自分の雄を擦りつけながら、妖しく笑う。ああ、すぐそこには引き戸が、逃げ口があるのに。
「そ、そうだよ、全部お前が…」
「責任、とらなきゃね」
 黒尾の最後の強がりも、研磨はさらりと受け流してしまうのだった。


 雨音なんてとっくの昔に止んでいる。
 黒尾は病人のような顔をし、腹の上で喘ぐ研磨を眺めていた。頬はこけ、目はすっかり落ち窪んでいる。均等に筋肉がついていた身体はひとまわりもふたまわりも小さくなった。
もう、ここに来てどれくらい経っただろう。締め切った雨戸が開けられることは一瞬たりともなく、部屋を照らすのは行灯の灯だけだ。しかし無理に開けようという気力も起こらない。それくらい身体が疲弊しているのだ。黒尾の身体はもう指の一本も満足に動かない。
 腹が減るという感覚がもう分からない。喉が渇いたと言えば研磨が顔の上に跨って小便をし、それを飲まされる。研磨の小便はなんとも表現出来ない味がして、だけどとても美味い。果たして養分があるのかは分からないが、今ではそれが唯一の栄養源だ。勿体ないので顔に飛び散った分も研磨の舌で口の中へ運んでもらう。さすればまた雄が熱を持ち始め、研磨を喜ばせる。
 気絶するように眠るとき以外はずっと研磨と繋がっている。いや、もしかしたら眠っているときも繋がっているのかもしれない。研磨の寝顔をとんと見ていない気がする。
 痩せた身体は布団に貼りついたように動かないのに、茎だけは常に硬く勃ち上がっている。何度達しても白い欲が枯れることはない。身体の全ての熱量がそこに集中しているのかもしれない。
 しかし、あの焼けるような快感はもうない。そこがなにかあたたかいものに包まれている、と言った程度の感覚しか感知することができないのだ。欲を放つときも同様。
 一つも動かず排泄物を垂れ流す―そしてそれらは全て研磨の口におさまる―廃人のような黒尾を見ても研磨は欲情するようで、ただ只管に性器を出し挿れし、自身も欲を放っている。黒尾そのものは初めからどうでもよく、彼の性器と、それが吐き出すものに欲情しているのかもしれない。
 そんな、色に狂う化物でも、どうしてだろう、まだ綺麗だと感じてしまうのは。ぼんやりする頭で黒尾は思った。

「ちゃんと見て、おれのこと…」
 白い肌は日に日に艶がよくなり、その色香は増すばかりだ。ああ、と答えたかったが、もう首を絞められたような音しか出なかった。

 ふわり、視界がゆらめく。
「あ、もうだめか」
 どこか遠くで研磨の声がした。ああ、もう駄目なのか。


 暗転。





 研磨が店先に新しい灯籠を並べていると、それを背後から呼び止める男が一人。
「また喰べちゃったんですか?」
「うん…やっぱり駄目みたい。今度のは結構いい感じ、だったんだけど…」
「もう諦めればいいのに。俺なら一生付き合えますよ」
「お前は駄目、下手くそだから。でも…新しいお客さんがくるまでなら、いいよ」
 物は上等だから。すっとそこを見られ、男は苦笑いをするばかりだった。
「本当に好きですね。それにお客じゃなくて獲物でしょ?」
「違うよ、おれは本気で、もてなしたいって思ってるんだから」
 研磨は拗ねたように頬を膨らませ、たった今置いたばかりの灯籠をそっと撫でる。和紙の向こうで、灯されたばかりの炎が小さく揺れていた。

 緋色の暖簾は風に靡き、今日もお客を呼んでいる。屍の森の、その先で。



2015/07/02
2015/08/16



・・・・・・・・・・・
研磨って水木しげる顔だよなあ…→妖怪的な話が書きたい→猫の妖怪やらを調べる→化け猫遊女いいやんけ!と書き始めたものです。
本来ならこっそり猫の姿に戻って食べ物をつまみ食いする程度の存在みたいですが、伝統芸能妄想大爆発+腐ィルター効果でこんな性別受けくさい話になりました。一生分のエロシーン(半分以上が濡れ場です)を書き、もう這う這うの体です。
あと「***の肉」のくだりですが、前に書いた「山猫冒険譚」と同一時間軸の話というマイ設定があります。一次創作でやれというやつ。

そして誤解されそうな終わり方なので蛇足しますと、死ネタではありません。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -