小説 | ナノ
愛は小出しにせよ


 おれにもふと気まぐれで動きたくなるときがある。
 春眠をねじ伏せて部活がある時と同じ時間に起きて、目指す先は少し離れたばあちゃんの家。海があって山もあってとにかく広くて、だけど人は少ない。電車もそんなに来ないけれど、車やバスを使えば街にも簡単に出られるからド田舎とまではいかない。コンビニだってスーパーだってある。それでもなんとなく、おれの家の辺りとは空気がちがうような気がする。
 ゆったりした電車のなかではゲームをする気分にはなれなくて、窓の外をぼーっと眺めたり、時々うとうとしながらガタゴト揺られる。クロから「今日暇?」とメッセージが来て、ちょっとだけ嬉しいような、寂しいような気持ちになった。「出掛けてる」とだけ返して、それっきりスマートフォンもリュックの中にしまった。クロの誘いを断るなんて、いつぶりだろう。
 乗り換えをするごとに乗客は減っていく。目的の駅に着くころには列車内の乗客はおれ以外にはあと二人くらいしかいなかった。

 早起きのおかげで、昼前に到着することができた。
 ばあちゃんの家の最寄駅は無人駅。年季の入った小屋のなかに見慣れた自動改札機はなく、ICカードをタッチするためだけの機械が設置されている。初めて見たときはびっくりしたけど、もうすっかり慣れたものだ。
 駅から出たら、目の前に広がるのは海、山、そして畑。駅からは更に十分くらい歩く。二年ぶりくらいだけど、道順はしっかり覚えていた(迷うほど建物がないというのもある)。片側一車線の道路はたまに自動車が通るくらいで、ゲームをしながらふらふら歩いても良い具合に避けてもらえそう。
 ざあざあという波の音を聴きながら途中で山の方へ折れて、少し急な坂をのぼる。道の両側は雑草と、それから名前のわからない花で彩られている。そろそろ息が上がってきたな。そう思うころに、少しモダンなつくりをしたばあちゃんの家は現れる。
 丸っこい砂利をふんで、玄関の前に立って呼び鈴に指を伸ばして、おれはそんな段になってから躊躇した。突然ばあちゃんの家に行こうと思い立って、なんの連絡もせずにやって来たのだ。出てきたときは本当に何も考えてなかったけど、もし予定があったり、そもそも留守だったらどうしよう…。とりあえず、一度電話してみようかな。
 そんな風に考えてリュックを漁っていると、うしろから誰かに声を掛けられた。
「なにか家にご用でしょうか…?」
 ぎくりとして振り向けば、声の主は今まさにおれが電話をしようとしていたばあちゃんだった。しばらく会わないうちに、また小さくなった気がする。
「あ、ばあちゃん。ひさしぶり」
 ばあちゃんはひとつ間をおいて、それから大きな目を更に見開いて言った。
「あらあら、研磨じゃないの。もう。そんな頭してるから外人さんでも来たのかと思ったわ」
「ああ、これは…」少し黒が目立ち始めた、きしきしの金髪を弄る。学校の人にも親にも何も言われなかったけど、猫かわいがりしてくれるばあちゃんとなると少しばつが悪い。
「良いじゃない、似合ってて素敵よ」
「そう、かな」
 ほっとした。ばあちゃんはいつでもおれを褒めてくれる。くしゃくしゃの笑い顔を見ると、おれも自然に優しい顔になるのがわかる。

 リビングに通されて、程なくしておれが小学生のときに授業でつくったマグカップが出てきた。下手くそな絵が描かれたそのカップは、なぜかばあちゃんの家にずっと置いてある。そしておれがやってきた時にだけ役目を果たすことができるのだ。中身はいつも粉末のアップルティー。
「今日はお休みなの?」
「本当は部活だったんだけど、昨日急に言われて、休みになった」
「そうなの。ママ(というのは、おれの母さんのことだ)から聞いたんだけど、土日もびっちりなんでしょう?大変じゃない?」
「うん。でも最近は楽しいから、平気。そうだ、それより、いきなり来てごめん」
「ああもう、良いのよ気にしなくて。おばあちゃん、研磨に来てもらえてすごく嬉しいんだから」
「そっか」
 柄にもなく、気の抜けた笑い声が漏れてしまう。
 ばあちゃんと話すのは楽しい。離れて暮らしているからかもしれないけど、おれもばあちゃんの方も話題は尽きない。さすがにゲームの話はできないから、おれが話すのはほとんどが学校や部活のことだけど。周りのみんなは良くも悪くも個性的だから、話のねたなんてごまんとある。
 一方のばあちゃんは、庭のサボテンを枯らした話とか、テレビで見た料理を真似てつくって失敗した話とか、友達と山登りをした話とか、くるくる話題がかわる。ぜんぶ楽しそうで、羨ましいなあと思う。おれもいずれはばあちゃんみたいにのんびり暮らしたい。
「あ」山登りの話を自分で遮り、ばあちゃんは手に持っていたカップをそっとテーブルに置いた。アップルティーをすすりながらその様子を見ていると、ばあちゃんはまた話し始める。
「そうそう、おばあちゃんもね、研磨みたいになにか頑張ろうって思って、始めたの」
「へー。なにを?」
「和裁!」
「野菜?」
 おれの聞き間違いに、ばあちゃんは軽く吹き出した。
「野菜じゃないわよ、和服をつくりはじめたの」

 そわそわするばあちゃんに急かされてマグの中身を一気に飲み干し、仏間に連れて行かれた。
 おれが仏壇に手を合わせる間、ばあちゃんはなにやら押入れから物を取り出していて、振り返ってみると、それは裁縫道具とか、布とか、それから藍色の
「きもの?」
「ううん。これはゆかた。夏祭りでみんなが着てるのね。まだ教室に通い始めたばかりだから、仕立てあがってるのはこれしかないんだけど…」
「ばあちゃんがつくったの?」
「そう」
「すごいね」
 本当に、そう思った。さらさらした手触りのゆかたは直線も曲線もすごく綺麗で、気持ちのいい線でできている。お店で売っていても全然不思議じゃない。そう口に出せば、ばあちゃんはまだまだよと謙遜した。詳しい人から見たらそういうものなのかな。
「それでね、」おれの褒め言葉を恥ずかしそうに遮って、ばあちゃんは話をする。
「うん?」
「研磨のゆかたも仕立てたいんだけど、良いかしら?」
「おれの?」
「ええ。今始めれば、夏にはきっと間に合うから。…まあ、忙しくって着られないかもしれないけど。どう?」
 ゆかたなんて子供のころに着たきりだし、着方だってわからない。だからどうしようかと思ったけど、ばあちゃんがすごく楽しそうだったからお願いすることにした。

「研磨は会うたび大きくなってるわねえ」
「ばあちゃんは小さくなってる」
「そんなことないわよ」
 ばあちゃんは嬉しそうにおれの身体を測って、寸法をメモしていく。身長は測れなかったから、170センチと自己申告。着るころにはそのくらいはあってほしいっていう希望的観測。
 寸法をとったら今度は巻物みたいなものがいくつか入ったかごを持ってきてくれて、どれがいいかと問われた。くるくると巻かれたそれは和服を仕立てるための反物なのだという。おれに似合いそうなものを見つけるたびに無節操に買っていたと言われてびっくりしてしまった。
 かごに入っていたのは、織でひかえめに幾何学の柄が入った紺色と、ぐねぐねの縦縞が入った灰色、そして生成りの丸が縦線を描く抹茶みたいな色。他にもいくつかあったけど、あとはゆかたではなく着物を仕立てるためのものだそうだ。洋服も夏と冬じゃ生地が違うし、和服もそうなんだなってひとつ勉強になった。っていうか、こんなにつくる気でいるのか。
 そんな三種類の中から、おれは迷うことなく紺色を選んだ。いちばんシンプルだったからだ。だけどばあちゃんの好みではなかったようで
「本当に?」と訝し気な顔をされる。ばあちゃんの言うことは全部聞きたいけど、おれにも一応譲れないものがある。
「うん。これがいい」
「おばあちゃんは、こっちが良いと思うんだけどなあ」
 そう言って広げて見せるのは、おれが唯一「無い」と思った抹茶だった。昔から洋服を選んでくれることがあったけど、ばあちゃんが選んだものを「無い」と思うのは初めてだった。渋い人が着たら格好もつくのかもしれないけど、おれが着たら日曜日の演芸番組みたいになってしまいそうだ。それになにより、きっと目立つ。
「これはちょっと、派手だよ」
「そうお?まあ、当てるだけ当ててみない?」

 今度は隣にあるばあちゃんの部屋に連れて行かれて、広げた三種類の反物をかわるがわる肩にかけられた。姿見のなかで布まみれになったおれを見てばあちゃんはやっぱり抹茶が一番肌になじむとかなんとか言っているけど、おれには違いがさっぱり分からない。紺色が一番地味で無難で、おれにも合ってると思う。
 途切れ途切れにそう主張してもやっぱりばあちゃんの意見は変わらなくて、結局抹茶で仕立てることになった。時間があったら紺色の方も仕立てるから!なんて。
 ばあちゃんもその娘である母さんもこんな風にわりと強情なところがある。どれがいいかと問うてきても、もう抹茶のゆかたを着たおれしか見えていないのだ。ばあちゃんには頭が上がらないというのもあるけど、そんなに勧めてくれるならここは折れるしかないかなと思った。

 散らかしたばあちゃんの部屋と仏間をふたりで片付けて、昼ごはんの用意をした。普段は母さんの手伝いなんて全くしないくせに、ばあちゃんの家に来たときだけは手慣れてます、みたいな顔をして台所を動き回る。と言っても、テーブルを拭いたり食器を用意したりする程度なのだけど。
「なにも用意がなくてごめんね」と謝りながらばあちゃんがつくってくれたのは、具がたっぷり入ったホットサンドだった。きんぴらごぼうが入ったのと、きのこと豆をトマトで煮たのが入ったのの二種類。どちらの具も残り物だと言っていたけど、美味しくてぺろりと食べてしまった。
 それからソファでうとうとしたり、庭にある小さな家庭菜園を見せてもらったりして、帰りの時間はあっという間にやってきた。
「また来てね」玄関口で、ばあちゃんはちょっと寂しそうに笑った。バレーを始めてから、ばあちゃんの顔を見る頻度はめっきり減ってしまった。
「うん。また来る」
「ゆかたも、楽しみにしてて。おばあちゃん頑張るから」
「ありがとう。おれも頑張る…いろいろ。こんど家にも遊びに来てね」
「そうね」
 ひんやりした手で頭をぽんと撫でられれて、ちょっとだけ泣きたくなった。次はいつ会えるのかな。
 ばあちゃんは坂を下るおれの姿が見えなくなるまで手を振っていた。


 それからひと月くらい経って、ばあちゃんから宅配便が届いた。
 リビングで広げたダンボール箱のなかには、紙に包まれたゆかたと、そろいの巾着袋。そして雪駄と帯も入っていた。ゆかたのことはよく知らないけど、すぐに着られるんだろうなということは分かった。
 一針一針が丁寧に縫われた抹茶色を広げて、ちいさく唸る。反物だったときよりも数段派手に見えるのだ。上品で洒落てはいるけど、おれにはやっぱり似合わない気がする。
 それっぽく畳んで紙のなかへ戻そうとしていると、キッチンから身を乗りだした母さんが「着てみないの?」と言う。ぱたぱたと、スリッパの音が近づいてくる。
「んー、あとで」
「お母さんちょうどひと段落ついたから、今着てみましょ」
「あとでいいって」
「あんたのあとではいつだか分かんないのよ」
「ぐえ」
「せっかく縫ってもらったんだから」
 そんな風に言われてしまえば、反論なんてできる訳がない。無理矢理立たされて、ダンボールを持たされて、連れて行かれるのは父さんと母さんの寝室だ。おれの部屋には姿見なんてものはない。

 ぱりっとした抹茶の布地と自分の足を見つめたまま、ゆかたを着付けられる。男の子は楽だわ、なんて楽しそうにしながら母さんはてきぱきと手を動かす。腰に巻かれた紐をぎゅっと引かれ、身体がふらつく。「自分で出来るように覚えてね」と言われたけど、おれが覚えて出来るようになるよりも母さんにやってもらった方が絶対に早いと思う。
 あっという間に帯を巻かれ、きゅっと気持ちの良い音を立てて締められる。「完成!」と背中を叩かれた。痛い。だけど、背筋が伸びる感じがして、ちょっとだけ気持ちがいい。
 促されて恐る恐る顔を上げれば、鏡の中の自分の姿に驚いた。
「ほら、似合ってるじゃない」
 母さんが言うとおり、先ほどまで正直いまいちだった抹茶色が、不思議にしっくりきていた。あんなに派手だと思っていたのに、着てみると全くそんな風に感じない。極端な話をすれば部活の黒いTシャツよりも自然な気がする。これがばあちゃんが言ってた肌なじみというやつなのかな。
「こんな頭してるけど、なんだか優しそうに見えるわ」
「そうだね、結構良いかも」
 わしゃわしゃと髪をかき回され、普段ならうっとうしい褒め言葉も、まんざらでもなく。



 祭りのあとの静かな帰り道。ぺたぺたという二足の雪駄の音だけがちいさく響いている。
「そういえば」隣を歩くクロが唐突に口を開いた。
「なに?」
「珍しいな、研磨がそんな明るい色の着てるの」
「…そうかな」
「お前のことだし、黒とかグレーとか、そういう無難なので来るのかと思った」こんなの。と言って、クロは自分のゆかたをつまんでみせる。シンプルな紺色は、長身でしゃんとしたクロにはすごく似合っている。
「うん。おれも最初は、そういうのにしようと思ったんだけど…」
「あっ、でも」
「うん?」
「似合ってる」
 ばちっと目が合って、急に居たたまれない気持ちになった。目を逸らして俯けば、隣のクロも不自然な咳払いをする。ああもう、この空気どうすんの。変に照れるくらいなら、言わなきゃいいのに。「そういえば」って思い出したように切り出したけど、タイミング見計らってそわそわしてたの、おれにばっちり気付かれてるよ、クロ。
「うん、ありがと」
 まあ、そう返したおれの声だって、ちょっと上擦ってるんだけど。

 おれの家の前でクロをちょっとだけ待たせて、リビングでくつろいでいた母さんを引っぱり出す。仕方ないなあと面倒くさそうにしていたけど、ゆかたを着たクロを見てはしゃいでいる。
 ばあちゃんに送るからという名目で、クロと並んで写真を撮ってもらった。ばあちゃんには荷物が届いたときに電話でお礼を言ったきりで、肝心の着付けたところは見せられていなかったのだ。だってひとりで写真を撮られるのなんて、恥ずかしすぎる。
 さっき変な空気になったばかりだけど、クロはまるでそんなことなかったように余裕のピースサイン。おれも負けじと平静を装う。だけど母さんから見せられたスマートフォンのなかの顔は浮かれて、嬉しそうだった。ひとりで撮られるよりも、ずっと恥ずかしい。
 でもこれはおれじゃなくて、大好きなばあちゃんが縫ってくれたゆかたの効果なのだ。とくとくうるさい心臓だって、きっとそうだ、と言い聞かせる。
 クロが写真を見せろ送れとうるさいけど、絶対見せてやらない。この気持ちは、今はおれとばあちゃんだけの秘密。照れくさいのも勿論だけど、もうしばらくの間、そわそわしたクロを見て居たたまれない気持ちになるのも、まあ楽しいかなって思うんだよね。


2015/07/10


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