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窮鼠は猫を噛むか


『音駒のプリン』
それが僕らが彼を指すときの呼び名だ。音駒高校のセッターは、根元のだいぶ伸びた金色の髪を揺らしてやってくる。

僕のチームメイトは、プリンがプリンになる前は彼を一人の人間として認識してはいなかった。『音駒のセッター』というそれは、ただの記号でしかない。そのポジションについていれば、山田太郎だろうが鈴木次郎だろうが誰でも『音駒のセッター』になるのだ。
プリンを初めて見た時、その髪は黒かった。およそスポーツ少年らしくないだらりと長い髪と、ゲーム中のよく言えば落ち着いた、悪く言えば覇気がなくて暗くて面倒くさそうな様子。そういう要素から、僕はなんというか影キャラだったりおたくっぽい人だと思っていた。だから彼が金髪になっているのを見たときはとても吃驚した。
僕は彼が『音駒のプリン』になる前から彼の事を認知し、認識し、そして意識していた。プリンプリンと言っているが本当の名前もちゃんと知っている。彼のチームメイト達に呼ばれているのを聞いたからだ。声のよく通る主将は特に頻繁にプリンに声をかけている。だからもしかしたら僕以外のチームメイトも下の名前くらいは知っているのかもしれない。いや、知っているのだろう。しかし誰も、その名前を呼ぶことはない。


音駒は地味に強いチームだ。地味に、というのはそこまで華がないということ。試合を見ていればその強さの理由は直ぐに分かる。
繋ぐバレーで知られる音駒高校。誰もが一番初めに挙げるのはやはりレシーブの完成度の高さだろう。守備が専門のリベロは9メートル四方のコートの中を素早く、そして無駄なく動いて、どんなに重たいアタックだろうがその勢いを文字通り"殺して"しまう。勿論、リベロだけがレシーブをする訳にはいかない。リベロには及ばないものの、他の選手もあらゆるボールをさらりとセッターへ運んでみせる。時々試合に出ている一年生のリベロだって、僕のチームに来たら即戦力だ。フルスウィングで強打した剛速球も、意表をついたふわりとしたボールも、まるで吸い寄せられるように二本の腕のなかへ落下する。
パッと見た時に凄さの分かりやすい攻撃は、それほど威力がある訳ではない。しかしコースの選択とコントロールの巧さがそれを補っている。パッと見は拾えそうなのに、いざ向き合うと拾うことができない。
そしてうまい攻撃をつくる要素のもう一つ、そして一番の要となっているのが、セッターであるプリンのトス回しだ。ネットの向こうを掻き乱すのは決して気紛れなどではなく経験と観察によってはじき出された正解率のおそろしく高い答。
レシーブがしっかり上がるというのもあるが、トス自体もとても綺麗で。猫背で俯きがちな彼を初めて見たときは正直だらしのない人という印象を抱いたが、試合中、特にトスを上げるときの眼のうごき、すっと伸びてゆるい曲線を描く両腕、少し頼りない指先から放たれる直径210mmの誠実さに目が釘付けになった。その直後のアタックには全く意識がいかなかった。それがプリンのプレーに対してなのかプリン自体に対してなのかは分からない。けれど、その日から僕は体育館で赤いジャージの群れを見付ける度に彼を探してしまう。そしてそのなかに見つけた髪が変わらずきんいろであることを確認すると、少し残念なような、安心したような気持ちになるのだった。


僕は音駒高校には到底及ばない弱小チームの一年生。いつかプリンのトスを打ってみたいと夢みたいなことを思いながら今日も部活に励んでいる。
練習には勿論一生懸命取り組む。準備や片付け、荷物持ちだって率先してやるし、家に帰ってからはランニングと筋トレも欠かさずに行っている。高校入学時に比べて随分顔つきが変わったと人からは言われる。自分でもそう思う。でも、まだまだだ。
僕とは違いコートに立つのが当たり前のことになっている先輩達は敗北にすっかり慣れてしまっていて、レシーバーが弾いてしまったボールを最後まで追おうとはしない。乱れて打ちづらいトスはチャンスボールとしてくれてやる。自分たちに得点が入っても、相手に入っても同じ様にへらへらしている。口に出すのは真面目な目標だが、それに向かって我武者羅にやることを心のどこかで無意味だと感じている。どうせ出来っこないという諦めのような感情。

それは嫌だなと思いつつも、僕は自分とプリンの人生が一生交わらないことを頭のどこかで理解している。学校も違うし、なによりチームとしての格が違いすぎる。それに、15歳の僕にとってはたった一つの齢の差でも埋めようがない。プリンが音駒でバレーをするのは長くてもあと一年ほどだろう。時間は足りない。
それでも僕は、諦めたくないのだ。彼のトスを打つことは出来なくても、ネットを挟んで同じコートに立ち、プリンと向かい合いたい。ごく近くからあの綺麗なトスが上がるところを見たい。勝っても負けても、ありがとうございましたと言って握手をしたい。


その日の練習会には音駒も参加していた。月初めに配られる部活スケジュールの書かれたプリントを見た時から、この練習会をとても楽しみにしていた。参加校数はそこそこ多くて(でなければ僕の学校と音駒と一緒になることなど有り得ない)、だけどどの学校もなるべく全ての学校と試合が出来るように調整をするとのことであった。つまり自分のチームの応援をしているふりをしてじっくりと音駒を見ていられる機会があるのだ。
前日は異常に気分が昂ぶって、帰宅してからのランニングでは普段の1.5倍くらいの距離を走った。布団に入ってから眠くなるまで随分時間がかかったにも関わらず、寝覚めは恐ろしくよかった。

練習会の会場である体育館に到着し、二階の観客席に荷物を置いて着替えをする。春に買ったサポーターは少し破れて、その中のスポンジが覗いている。硬くてぴかぴかだったシューズもあっという間にくたくたになった。
壁に設置されたデジタル時計を見ると顧問が来るまではまだ少し時間がありそうだったので、先輩に声をかけて手洗いへ行くことにした。
二階にもトイレはあるが、少々神経質気味な僕はこの体育館ではあまり人気のない一階のトイレを使う事にしている。階段を下り、アリーナの外側をぐるりと囲む廊下の一番奥にそのトイレはある。
この体育館には何度か来ていて、毎回その一番奥のトイレを使っているが、今まで自分以外の人間が使っているのを見たことがなかった。だから今回も誰もいるはずがないと思っていた。呑気に鼻歌なんかを歌いながらドアを押す。
「うわ」
手を洗う予想外の人影に驚き、小さく叫ぶ。そしてドアを中途半端に開けた体勢のまま、猫の前の鼠みたいに動くことが出来なくなってしまった。自分以外の人間がいることに加え、それが音駒のプリンだったからだ。
彼は黒の混じった金色を揺らしてこちらを見て、すぐに手元に視線を戻した。間近で見るプリンは、意外に大きくてずっと男らしくて、その手指はちっとも頼りなくなんてなかった。何千回も、何万回もボールを触ってきて、そのことに矜持を持っている手だった。

「 」

思わず僕の口から漏れ出たプリンの本当の名前は、プリンが蛇口を捻る音に簡単に掻き消されて、水と一緒に排水溝へ吸い込まれていく。彼は軽く会釈をして、その場に立ち尽くす僕を避けてトイレを出て行った。
やっぱり一年の差はどう足掻いても埋める事が出来ないのかも知れない、とこのとき初めて思った。鏡にうつった僕の顔は彼のジャージみたいに真っ赤だった。


2015/05/11
2015/07/05


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HQってバレーの漫画だったんだ?!と気付いて書いた話。このあとモブがプリンを強姦するのが私のスタンダードですがそれはしませんでした。BLじゃないからです。
研磨は原作で「なんであいつがスタメン?って言われる」というようなことを言っていましたが、それはたぶん僻みとかもあってのことで、きっと殆どの人は分かっているだろうと思います。現に烏野メンバーはスゲースゲーと言っていた訳だし。
などと真面目に書いてもここがただのエロホモサイトなのは決して変わらないのであった<完>
お読み頂きありがとうございました。


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