小説 | ナノ
お母さん、
いい加減あなたの顔は忘れてしまいました


 黒尾鉄朗には孤爪研磨以外にも幼馴染がいる。
 二つ年上の女の子。明るく活発で何かと気が合った。家で大人しくしていることは少なく、外でばかり遊んだ。短い髪を揺らして駆け回る彼女は、いつも黒尾の少し先にいた。彼がバレーボールを始めたのは彼女の影響だ。
 面倒見も良く、人の気持ちを理解することにも長けており、黒尾が同じく幼馴染である研磨の扱いに悩んだ時も親身に話を聞き、アドバイスをしてくれた。彼女がくれるアドバイスはいつも的確だった。三人で遊んだことは何度かあったが、研磨が黒尾に「あの子とは遊びたくない」と小さく言ったことで、それ以降は全く無くなった。理由は分からなかったが、研磨のことだ。女子が苦手とかそのくらいの些細なことだろうと黒尾は思った。皆が仲良くするなんて土台無理な話だとは分かっている。しかし、自分の大好きな友達同士が仲良くなれないのは少し寂しかった。
 彼女は高校に上がると勉強に専念する為に小学校から続けてきたバレーをやめ、短かった髪を伸ばすようになった。よく男の子に間違われていた少年のような風貌は急速に女性らしさを纏っていった。整った顔の見える面積が減ってしまうのは残念だったが、耳に掛けた髪が身体の動きに合わせてたらりと落ちるのは妙に艶っぽかった。きっとこれから彼氏が出来て、俺の遊び相手をしてくれる時間も減るんだろうなと黒尾はなんとなく感じた。
 黒尾が中学三年の時、ついに長年見上げてきた彼女の身長を追い抜き、今までとは逆に少しだけ見下ろすようになった。成長期を迎えた彼の成長速度は凄まじく、あっという間に頭ひとつ分の差が開き、顔を合わせるたびに二人して驚いた。ずっと大きくて頼りになる存在だった彼女は小さく、男の腕力にはとても敵わないと一目でわかる普通の女の子だった。身長を追い抜いてそれに初めて気付いた。異性として意識し始めたのもその頃だろうか。

 研磨と外で遊ぶ時間は純粋な楽しさを、彼女と過ごす時間は優越感のようなものを黒尾に与えた。年上で、器量もよくて、頭もまわる。完璧である。同級生からお前の仲良くしている先輩は誰なのかと尋ねられる度、面倒臭そうにただの幼馴染だと答えたが、内心はそんな彼女と幼馴染であることを自慢してまわりたくて仕方がないのだった。
 彼女が積極的に外で遊ぶような年頃でもないのを理解した黒尾は、受験生であることから勉強を教えてもらうのを口実に彼女の家に上がり込むことを思い付いた。結構な頻度で訪問しているが彼女もその両親も毎回快く迎えてくれた。
 蝉の声を聴きながら、今日も見慣れた家の玄関戸を引く。

「お、鉄朗」
 出迎えてくれたのは彼女だった。いつもは彼女の母親がスリッパをぱたぱた鳴らしながら出てくるので、不意打ちを食らった気分だ。高校の制服のスカートを穿き、部屋着らしいゆったりしたTシャツを着ている。外では制服をきちんと、だけど野暮ったくなく着こなしているので、ラフな姿を見られるのは家に行った時だけだ。中学の三年間は制服よりもジャージで過ごしている時間の方が遥かに長かったため、何度見ても新鮮だった。
「なあ、数学教えて。来週テストなんだ」
「えー、これからゆっくりDVD見ようと思ってたのに。でも鉄朗の頼みなら仕方ないな」彼女は悪戯っぽく笑った。
 二階にある彼女の部屋へ向かうとき、他の部屋からは物音ひとつしなかった。大体は彼女の母親が居間に寝転んでテレビを見ているか、台所で夕食の支度をしている。自分の家も往々にして賑やかなので、家という場がこんなに静かであるのは落ち着かない。
「おばさんは?」
「ああ、お父さん休みだったから、夫婦水入らずって二人で出掛けちゃった」
「へえ」

「んじゃ、やりますか」
 彼女の部屋はいつでも少し散らかっている。ゴミが床に投げられているとかそういうことではないのだが、本棚の本は作家の名前順でもタイトルのあいうえお順でも版型別でもない彼女にしか分からない不思議な法則を守って納まっているし、勉強机の上のペン立てには筆記用具だけでなく爪やすり(マニキュアは塗っていないが、彼女の指はいつでもつやつや光っている)なんかも挿してある。端的に言えば大雑把なのだ。クッションやぬいぐるみがごちゃごちゃ並べられた床にエナメルのバッグを置き、脱いだ練習着やタオルの中から勉強道具を掻き出して小さなテーブルの傍に腰をおろした。
「とりあえず自力でやってみて」
 向かいに座った彼女が、机に広げられた黒尾のテキストを覗き込む。肩にかかった髪がさらりと落ちて、Tシャツの広めのえりぐりからベビーピンクの下着がちらりと見えた。繊細なレースがふんだんにあしらわれたそれは、快活で大雑把な彼女のイメージからは少々外れていた。その小さなズレが、黒尾を惹き付ける。見てはいけないと己に言い聞かせるほど、視線はそちらに吸い寄せられた。
 テキストの問題を解き、彼女が答え合わせをするいつも通りの流れ。なのにいつもと同じに出来ない。目の前にあるのは数字と記号の羅列された紙で、それを目で追っていても脳裏に焼き付く彼女の下着がちらつく。見た事なんてないのに、その中のものまで鮮明に見えた。顔は俯いたままちらりと目だけを動かせば、白い首筋とピンクの肩紐が視界に入る。慌ててテキストに視線を戻す。紙にのったインクがどんどん溶けていき、数字の一つもまともに読むことができない。指先が震え、頭も火照った様にボーッとしてきた。
「鉄朗、どした?」彼女が半笑いで言う。
「なんだ、ボーッとしてきた」
「部活終わりだし疲れちゃったんだね。休憩しよっか」
「…ん」

 二人で横並びになってテレビを見た。目と耳に同時にくる刺激で黒尾はだいぶ気を紛らわすことができた。再放送されていた彼女お気に入りのドラマを解説させたり、短い通販番組で紹介される便利な商品に本気で感心したりした。それも終わり、ニュースキャスターがもうじき黒尾の家で夕食が始まる時間であることを告げる。学校から直接来てしまった上、母親には何も言っていないためそろそろ帰らなければならない。勉強は進んでいないが、今日の事を口実にして、また明日か明後日にでも来れば良いのだ。
「あ、俺帰るわ。テレビ観てたらよくなったし」
 そう言って立ち上がろうとするのを、彼女の腕が引き止めた。驚いて彼女を見れば、ぱっちりした瞳に捕らえられて動けなくなる。
「お父さんとお母さん、たぶん夜中まで帰って来ないの。鉄朗のお母さんには後で私が謝る」
「え、何」
 胸をとんと押され、黒尾は彼女に押し倒される格好になった。脚がテーブルに当たってしまい、テキストがばさばさ床に落ちた。腹の上に跨った彼女はそんなことには気付かない様で、頬を紅く染めて続けた。
「ねえ、私、鉄朗のせいで変になっちゃった。さっきずっと見てたでしょ?」
 そう言ってTシャツをたくし上げると、黒尾の目の前にベビーピンクのひらひらが表れる。先に黒尾の理性を滅茶苦茶に翻弄した物体である。見たい、見たい、でも見てはいけない。ぎゅっと目を瞑り顔を背け、な、な、と意味を成さない声を上げる黒尾を見て彼女は軽く吹き出した。
「鉄朗も同じなんでしょ?かわいい。ね、目あけて、こっち見て」
 恐る恐る瞼を開けて目を合わせると、にっと笑った小さな顔が近づいてきた。ああ、昔から可愛かったが、どんどん美人になっていく。ごくりと生唾を飲む。唇に柔らかいものが触れて、黒尾はまた瞼を閉じた。

 その後は、なし崩し的に進んだ。初めてであるという不安は若さと彼女の経験値が掻き消してくれた。彼女と向き合って座り、息を荒くして指示された通りに動く。Tシャツを脱がせ、舌を絡ませる下手くそなキスをし、自分にはない大きく柔らかな乳房を優しく揉む。下着越しでも分かる重量感に、期待で胸が高鳴る。
「…柔らかい」
「んふふ、もっと触っていいよ」
 少し苦戦して背中のホックを外し、露わになった乳房を今度は遠慮せず激しく揉み、舐め、吸いついて、時々噛み付いた。女の身体はこうも丸くて柔らかいものなのかとひどく興奮した。乳首だけ硬いのが面白く、そこを意地悪く突ついた。さすれば彼女は身をよじり、ヤダと甘ったるい声を漏らす。嫌じゃないのだと思ったのでやめてやらなかった。押し倒して、舌で優しく嬲った。彼女は汗と、女の子のにおいがした。

「ね、ここも触って?」
 胸ばかり触っていた右手が導かれたのはプリーツスカートの中。脚の間の一番奥のところが、ブラジャーと揃いの下着を湿らせて黒尾を待ちわびていた。
「濡れてる…」
「鉄朗のせいだよ」
 自分の身体とは勝手が違うため感覚が分からず、恐る恐る下着の上からそっと撫でた。艶やかな唇からはあと悩まし気なため息が漏れる。前から後ろ、後ろから前に、ひたすら往復する。
 微かな起伏のなかに、一箇所だけすこし硬い突起のようなものがあった。指がそこを通る時、彼女は特に腰を震わせていた。単調な往復をやめ、その突起を中指でふにふに押す。先程と同様にヤダヤダと言い始めたので、今度は二本の指で挟んですり潰すようにした。彼女は指を噛んで震え、下着はさらに湿り気を増していった。
「これ、気持ちいいんだ」
 にやりと笑みを浮かべ、そこばかりを責めながら言うと、彼女はさっきまで余裕のある振る舞いをしていたのが嘘みたいな、今にも泣き出しそうな顔をして頷いた。
 下着をずらし、隙間から内に指を挿し込めば、さして痛がることもなくすんなりと入ってしまった。彼女が黒尾の知らぬ間に大人になっていたことを突き付けられ、少々悔しかった。中指が濡れた暖かさにつつまれる。耐え切れなくなった彼女が黒尾の首に腕をまわし、抱きついてきた。第二関節をくいくいと曲げる動きに合わせて、あ、あ、と嬌声が上がる。耳元で繰り返されるそれに黒尾は大層気分を良くした。過去にどんな男に抱かれていようと、今彼女の頭をいっぱいにしているのは間違いなく自分自身なのだ。

「ねえちゃん、俺もうやばい、無理」
 よく我慢したと思う。限界が近いのを伝え、濡れた指を引き抜いてベルトに手をかけた。早く脱いで解放したいのに興奮で手が震え、慣れたことなのに上手くいかない。彼女は先ほどまでの余裕をたたえた表情で、そこを焦らす様に撫でながら片手で器用にベルトを外し、スラックスを脱がせてくれた。染みのついたボクサーパンツが下ろされると、パンパンになった性器が勢いよく飛び出す。すごい…とうっとり言われ、ぴくんと揺れた。細い指で裏筋をつつうとなぞられ、腰が震える。
「ちょっ、本当に、やばいから」
「ごめんごめん、鉄朗もきもちくなろうね」

 衣服も下着も取り払い、一糸纏わぬ姿になった二人が浅い呼吸を繰り返していた。外を賑わすサイレンも、テレビから垂れ流される大袈裟な笑い声も、軋むスプリングの耳障りな音も、なにも二人の耳には届かない。万が一彼女の両親が早めに帰って来たってきっと気付きはしない。今の二人には互いの存在しかない。
「あ、ねえちゃんのなか、やばい」
「わたしも、鉄朗の、あ、そこダメ」
 暫くはただ我武者羅に腰を振るだけだっただが、反応の良いところを見付けてからはそこを狙い、緩急をつけて動いた。彼女はかぶりを振って悶え、一層の締め付けに黒尾も更に昂ぶった。
「すご、ここ当てるときゅうきゅうする」
「そういうこと、言わないで」真っ赤な顔で睨んでくる今の彼女に年上の威厳なんて微塵もない。
「ね、ちゅーしていい?」
 返事は待たず、柔い唇に口付けた。舌を入れれば、ふうふうと一生懸命に呼吸をし、甘い声を漏らしながら絡ませてくる。親に甘える子供みたいで可愛い。
 快感と、年上の女を征服しているという満足と、幸福感が湧いてきて、溢れそうになって、握り合った指にぎゅうと力を込め、意味もなく彼女の名前を呼んだ。いつもはねえちゃんと呼ぶ。けれどどうしても呼びたくなったから名前で呼んだ。凛とした彼女に似合う響きを声に出す度、中が締まって気持ちが良い。彼女も応えるようにてつろう、てつろうと何度も繰り返した。言葉と一緒に気持ちいいとか嬉しいとかちょっと切ないとか様々な感情が零れて鼻の奥がツンとする。
 汗が頬を伝っていき、ぽたりとシーツに落ちた。彼女は一際大きな声を上げ絶頂し、黒尾も低い呻きを漏らしながら薄いゴムに欲を放った。

 事が終わって暫くの間、黒尾は呆けたようにベッドに寝転んでいた。
 セックスしてしまった。ただの幼馴染みだったのに。異性として意識していたのは思春期であるが故のものだと黒尾はながらく信じて疑わなかった。だけど最中の、名前を呼び合った時のあの気持ちは、間違いなく恋とか愛とかそういう類のものだった。彼女を抱いたであろう男に嫉妬もした。間違いなく、恋をしていた。じゃあ終わった今は?―今は、特に何とも思わない。普通。…何だこれは。間抜けな自問自答に脱力する。
 順序は逆だけど付き合おうとでも言うべきなのだろうか。好きかどうかも分からないのに。そうしたら彼女はどう答えるだろう。もしそれで付き合ったとして、俺たちの関係は何が変わるのか。
 いつか別々になる可能性もある恋人になるより、友達や幼馴染みと言う関係の方が絆は遥かに強いと思った。でも友達とセックスするのはどうなんだろう。セックスしたらもう友達ではいられないのか。なにか別のものになってしまうのだろうか。
 狸に化かされたみたいに思考はぐるぐると同じ場所を幾度もまわる。ぼんやりとコンドームを外し中身の多さに他人事のように感心している黒尾を尻目に、彼女は手際良く衣服を身に付け、約束通り黒尾の家に電話をかけてくれた。勉強を教えていたこと、自分が無理に引きとめてしまったことなどを適度に砕けた調子で話していた。黒尾は家の方針で高校に入学するまで携帯を持つことが出来ない。
 黒尾が衣服を整え、じゃあまた。と部屋を後にするまで、彼女との会話は一切なかった。薄暗い階段を降り、玄関を出たところで大きなため息を一つ吐く。そして、自分がほっとしているのに気付いた。もし彼女に、好きだとか付き合おうだとか言われたらどう答えようという懸念があったのだ。友達とか、恋人とか、そんなの結局ただの呼び方でしかない。無理にこだわらなくてもいい。結局その日はそういう結論に至った。自分でも都合のいい考えだと思う。普通に家に帰って汗くさい身体を洗い、母親の用意した夕食を普通に食べた。

 流し台で洗い物をする母親が、背中を向けたまま話し始める。
「鉄朗、あんた帰って来たときすごい汗くさかったけど、それでお姉ちゃん家行ったの?」
 米粒をつまんだ箸が空中で動きを止めた。背筋がすうと冷え、一秒がやけに長く感じられる。
「え、いや、まあ…」
「行くなとは言わないんだから、シャワーくらい浴びてってよね。もう子供じゃないのよ」
「あー。気を付ける」
 母親の様子はいつもと変わりないように思われたが、万が一勘付かれていたらどうしようと気が気でなかった。放っておいてもらえるかも知れないが、決して褒められたものではない。味のしない米粒を味噌汁で流し込み、逃げる様に食卓を後にした。

 周りにちらほらいる童貞卒業組は、初めてセックスした翌日に物凄いテンションで行為について話していたが、しかし黒尾はそんな気分には全くなれなかった。相手が幼馴染という後ろめたさと、彼女のいやらしい部分は自分だけが知っていれば良いという独占欲がそうさせたのだった。
 もう子供じゃない。母親の一言を何度も反芻しながらその日は眠りについた。次の朝は寝坊してしまい、研磨を迎えに行くことが出来なかった。
 昼休みに、廊下でたまたま研磨に会った。じっと黒尾の顔を見た後目を伏せて、なぜ今朝は迎えに来なかったのかと文句を垂れる。黒尾は研磨が自分に甘えていると解釈し、少しだけ嬉しくなった。

 黒尾と彼女の関係はその後も続いた。
 二度目は腹の探り合いをしながらも、我慢の効かなくなった黒尾が彼女を抱き締めた。三度目は、彼女が何てことないように唇に噛み付いてきた。それ以降は、目を見るだけで相手が何を思っているのかが分かるようになっていった。瞳の奥で揺らぐ、線香花火みたいな小さな灯。きっかけは、そんな小さくて、すぐに消えてしまいそうなもので充分だった。
 勉強を教わるという名目で彼女の家に行き、セックスをする。階下に彼女の両親がいてもお構いなしだった。黒尾は止めたが、彼女がねだるのだ。必死に声を抑える彼女も色っぽくて、というか彼女は何をしても色っぽく、黒尾を昂ぶらせた。もう気持ち良ければ何でもいいと煩悩に塗れていく自分を恥じつつも、それすらも快楽に変換されるようになっていった。
 彼女と身体の関係が出来てから、彼女といる時間をより多く作るのに奔走した。秋が来て部活を完全に引退してからそれは一層顕著になった。自分と彼女はなんなのかという疑問は相変わらず晴れなかったが、そんなことを気にするよりは愉しいことだけを考えていたかった。

「クロさ、彼女できた?」
 話の流れをぶった切るのは研磨の癖だが、進路について真面目に話している時に投下されたその一言はあまりに唐突であった。じとりとした目で急かされ、黒尾はなんで?と答えるので精一杯だった。
「あんまり家来なくなったから。朝も」
「あー…。部活引退したらお前と時間合わなくなったし、勉強教えてもらってんだよ、ねえちゃん家で。よく行ってるけど…別に、付き合ったりとかはない。そもそも、そういうんじゃねえし」
「ふうん」
 なにか言いたげな目はすぐ足元に落とされた。何となく気まずくなって、無言のまま電車に乗り、研磨の家に着くまでそのままだった。

 テスト前の部活動停止期間。家で勉強しないかと誘ってきたのは研磨の方だった。なんとなく一緒に帰ったり、そのままどちらかの家で過ごすことはあったが、口に出して誘われるのはとても珍しいことだ。研磨の家は無人だった。仕事が忙しく家に居る方が珍しい父親はともかく、母親は出掛けているのだろうか。
 階段を上り、通い慣れた研磨の部屋に入る。最低限の家具に、物がすっきりと納められている。無駄がなさ過ぎて殺風景だなあと黒尾は来る度思う。
「クロ、数学教えて」
「いいけど。俺もそんな得意じゃねえぞ」
 時計は決められた速度で針を進める。静かな部屋には紙とシャープペンが触れる音しかしない。今日は何時まで研磨と居るか決めていないが、もし早めに終わったら彼女のところへ行こうと考える。一週間近く会っておらず、大分ひと肌が恋しい。

 静かにテキストの問題を解いていた研磨がふいに口を開いた。
「おれ、クロがあの人とただ勉強してるだけじゃないの知ってるから」
 “あの人”は間違いなく彼女を指している。
 勉強だけじゃないというのはどういう意味か。変に勘繰ってカマをかけられているのか、それともどこかから自分たちの関係が明るみに出てしまったのだろうか。今日の研磨はなにか変だ。万が一下世話な噂が立っていたとしても、そんなものを信じてわざわざ本人に尋ねてくるような下品な奴ではない。そもそも、人の私的な部分に首を突っ込むのはするのもされるのも嫌いな筈だ。
「何言ってんだ?」
「誤魔化そうとしても無駄だよ。何なんだろう、勘みたいな。昨日したんだろうなって、なんとなく分かる。クロ以外の人も。…本当は付き合ってて、隠してるのかなって思ってたけど、彼女いないって言ってたのは別に嘘じゃなさそうだったから」
 誤魔化してなんていないとか、言ってる意味が分からないとか、言う前に全て暴かれてしまった。研磨は知っている。自分と彼女のことを知っている。動揺で手を止めた黒尾を気にせず、シャープペンを握った研磨の手は変わらずテキストの上を滑る。
「だったら何なんだよ?…たしかにあいつとはやった。でも、無理強いした訳じゃない」
「別に、おれはそういうことが言いたいんじゃない」
「なら何が言いたいんだよ」
「何って、うーん…。好き、なの?」
「た、多分、違う」
「ふうん。…おれは、おれもクロとあの人みたいになりたい」
 信じられない科白に頭がくらくらする。
「研磨お前、自分が何言ってるのか分かってんの?」
「大丈夫、あの人とじゃなくてクロとって意味」
「はあ?余計意味が分かんねえよ。研磨、お前は男が、俺が好きなのか?」
「ううん。クロはあの人の事、別に好きじゃないんでしょ?それと一緒だよ」
 顰められた黒尾の顔を見ても、研磨はいつものように平然としていた。黒尾には研磨の言うことが全く理解できなかった。幼馴染が幼馴染と不純な関係になっているのに気付き、本人に指摘する。そして自分も同じことがしたいと言う。訳が分からない。自分が異性である彼女に邪な感情を抱いてしまうのは、それなりに多くの人から理解を得られると思う。しかし研磨はなぜ、同じ男の自分に。

「目、瞑って。クロはあの人で、おれはクロだから」
 こじ開けるように入ってきた舌が黒尾の口の中を蠢く。動きはたどたどしいが、確かめるようにちろちろうごくそれに少しだけ気持ちよさを感じているのも事実だった。瞼を閉じれば今までの彼女との行為が蘇る。
 絆されて、結局また流されている。『寂しい』の一言を物凄く遠回しに言う研磨がいじらしくて、気付けば暗示を掛けられたようにベッドの上に移動させられ、ごくごく自然な流れでこんなことをしていた。唇が離れて、唾液の糸が二人を繋いだ。
「ぷは、クロとしてるってだけで、おれ…」
 閉じた瞼を開けたら現実と平常心はその瞬間から戻ってくる。ちらりと視線を下ろせば研磨のそこは緩く勃ち上がっており、黒尾は少々引いてしまった。
「なあ、おかしいだろ、こんなの…」
「おかしくてもいいじゃん」
 キスの続きをしながら研磨が黒尾のネクタイを解き、シャツのボタンを外していく。自分で着たり脱いだりする時でものろのろしているのだから、よく見えていない今は一つを外すのにも随分時間がかかる。面倒になったようでボタンを全て外すのは諦め、その代わりにひんやりとした手がはいってきた。胸をまさぐられ、乳首が硬くなるのが分かった。それは快感ではなく、指先の冷たさのせいだと必死に自分に言い聞かせた。

「下、脱がすね」
 カチャリとベルトが外され、脚が外気に触れた。そして直ぐに腹から太腿にかけての辺りだけが暖かさを取り戻す。目の前にある光景に黒尾は絶句した。紺色のプリーツスカートを穿かされていたからだ。浅黒く筋肉でゴツゴツとした脚には不釣り合いなそれは、蛍光灯の光を浴びて控え目な光沢をたたえている。
「うわっなにこれ、マジかよ」
「これ穿いたら、色々思い出すかなって」
 いや、おかしいだろう。
「研磨、変態だな」
「クロも一緒なんだよ。おれと一緒」
 スカートの中に手を入れられ、下着の上から扱かれて性器は熱を帯び始めた。わくわく顔の研磨に溜息が漏れる。
「よかった。もし勃たなかったらどうしようって、心配だった」
「勃たなかったらやめてくれんのか?」
「やめないけど」
「ああ…」
 もう、悔しいけれどこのまま適当に一発抜いてもらって、それで俺も研磨のを抜いてやれば満足するんだろう。そんな黒尾の考えは甘かった。研磨が尻の割れ目を撫で始めたのだ。最悪の可能性に背筋が凍る。
「研磨、なに、すんの」
「おしり、慣らさないと痛いよ」
「え」
「クロがあの人で、おれがクロって言ったよね。今更怖気づいても、おれは止められないから。ごめん。でもちゃんと気持ち良くするから、大丈夫。たぶん」
「…流石にそれは無理、勘弁して」
「んー、あの人としたとき、突いたらすごくよくなっちゃう場所、あったでしょ。ああいうの、おれたちにもあるんだよね」
 確かに、あった。そこに黒尾の性器が触れた瞬間、彼女の身体は中も外もびくびくと震えて、声は一際甲高くなり、黒尾をきゅうきゅう締め付けてきた。その時の彼女はとろけそうな顔をして、ひどく気持ちよさそうだった。
「クロ、気持ち良いの好きだよね?」


 研磨の指が割れ目を優しく滑る。くすぐったい。しかし性器を弄られていることもあり不快感はなかった。
「パンツ、じゃまだね」
 濡れた下着を脱がされ、股関節を大きく広げられた。膝は立たされ、絶対に見られたくないところもきっと全て見えている。スカートが邪魔で、そこがどうなっているのか黒尾からはなにも分からない。研磨はそこをじっと見て頬を赤らめ、ごくりと生唾を飲んだ。雰囲気とかそういうものにあまり興味がないのだろうか。どうにも居心地が悪い。
「やるなら早くやれよ」
「あ、ごめん」
 黒尾の穴の周りをくにくにと刺激しながら、研磨は自分の中指を口に咥えた。ちゅぱちゅぱと頭の悪い音を立てながら抜き差しを繰り返し、時折黒尾を見上げる。いやらしいというよりは動物みたいで愛くるしい。ちゅっと音を立てて口から指を抜くと、唾液がだらりと布団に垂れた。
「いれるね」

「ン、あ、うぅ」
「はぁ…三本、入ったよ。見てみる?」
「けんま、もうむり」
 唾液だけで足りる訳もなく、黒尾のそこはローションでどろどろに濡らされていた。痛みはそこまででもないが違和感が物凄い。指を三本入れてこれなら性器は無理だと黒尾は思った。
「もうちょっと慣らしたら、平気になるよ」
「う、やだ、もうやりたくない、きもちわるい」
 正直に告げれば、研磨はとても悲しそうな顔をした。それは黒尾のプライドを著しく傷つけるものだった。
 研磨を傷付けるのは下衆のすることで、自分はそれから研磨を守り、研磨にとってたった一人の、絶対的な存在でいたいと黒尾は心のかなり深い部分で望んでいた。しかし、生来のお節介焼きな性分から研磨を気にかけているものだと勘違いをしている。一番の下衆は自分自身だ。己の歪んだ愛情に気付くことは恐らく一生ないのであろう。止めようとした手を引き、顔の前で組んで投降の意思を示した。それが間違いであることも黒尾には多分、一生分からない。
 スカートを穿かされ尻を弄られる幼馴染を見て、研磨は心底幸せそうだった。研磨も研磨で歪んでいたからである。
「ちょっと、辛いかもしれないけど」
 男にしてはごつさの少ない綺麗な指が更に奥まで入る。なにかを探す様に動き回り、黒尾は更に気分が悪くなる。
「けんま、ほんとにそれ…あ、あ、」解放されたくて身を捩ると、身体が反射的にびくりと動いた。下半身がきゅんきゅんと切なくなり、足の指はそれに耐えるようぎゅっと握られる。
「当たったんだ。…今のが、さっき言ったところ。もういっかい」そう言って研磨が指をくいくいと曲げれば、黒尾の身体は意思に反してびくびく震えてしまう。
「ア、ぁ、あ、やばい、やばい」
「よかった、きもちいでしょ?」
 身を乗り出して優しく黒尾の髪を撫でながら、指先だけはえげつない動きで刺激を続ける。先ほどまでへたりと萎えていた性器はぴんと硬さを取り戻し、先端から透明な液体をとろとろ零していた。中も、良い具合に緊張が緩んできている。
「ねえ、良い?」
「そんなの、聞くな…」

 熱い息を吐きもたもたベルトを外す様子に焦れて、黒尾は壁に預けていた身体を起こした。研磨の硬くなったそこを二本の指で挟み、緩く擦りながら片手でベルトを外してやる。甘く、くぐもった声が黒尾の背中を擽った。スラックスの下から現れたグレーのボクサーブリーフは一部だけ色を濃く変えており、視線を少しずらせば彼に穿かされた紺色のスカートが目に入る。本当に初めてセックスした時みたいだと黒尾は思った。

 脱ぐことを諦めたシャツをだらしなくひっかけた研磨が、脚の間に入ってきた。性器を握ってはあはあ言いながら震えている。
「ねえクロ、スカート捲って持ってて」
 今更恥じらいなどもないので言われた通りに片手で大きく捲る。
「それ、すごいえろい。もう無理、むり、いれる…ッ」
 顔の割に立派な(というのは黒尾の精一杯の強がりである)性器がゆっくりと黒尾の中を抉っていく。今まで自分が散々突っ込んできたものが自分の中にずるずると入ってくる。
 ふと、セックスしているときの彼女の感じ入った顔が頭に浮かんだ。目に涙を溜め、唇は震え、赤くなった頬を汗が涎が濡らす。髪は乱れ、見ているだけで射精するのではと思ってしまうくらいのいやらしい顔だった。自分もいまそんな顔をしているのだろうか。幼馴染の男に性器をいれられて。そんな事を考えたら、萎えるどころか下半身がかっと熱くなってしまった。
「クロの中、すごい」
 全てを埋めた研磨はとても気持ちよさそうな顔をしていた。バレーをしているときも、ゲームをしているときもこんなに満たされた顔は見たことがない。これを見ているのは自分だけということが黒尾は嬉しかった。辛くないかと問われて首を縦に振った。セックスの時だけ、研磨は饒舌になるのだと知った。
「クロ、あの人とした時と今と、どっちがきもちい?」
 ずっ、ずっ、
「今きゅってなった。まあ、いれるのといれられるのじゃちょっと違うよね。おれはいれるの初めてだけど、どっちも好き」
 ずっ、ずっ、
「ねえクロ、クロは今あの人なんだよ、だから恥ずかしがらないで、もっと、女の子みたいな声出して良いんだよ。…大丈夫、母さんなら遅くまで帰らないから」
「ちょっ…けん、ま、お前、うるさい」
「クロが、静かすぎるんだ、よ」
 良いところを勢いよく突かれ、黒尾の口から悲鳴のような声が漏れる。スカートを握っていた手を離して口に当てたが、一度箍の外れたものはもう止めることが出来ない。
「ん、あ、あ、けんま、やめろ」
「やらしい、クロ、すっごい、やらしい」
 筋肉のついた腰を何があっても離さないと言わんばかりにがっしり掴み、無遠慮に腰を振る研磨に、黒尾は無意識のうちに欲情して、もっと激しくして欲しいとすら感じていた。自分より年下で小さくて、自分がいなければ何も出来ないと思い込んできた、ずっとそうであって欲しいと願ってきた存在に蹂躙され、すっかり征服されている。スカートを穿かされて阿呆みたいな恰好で尻の穴に性器を受け入れて、腰をくねらせ恥も外聞もない媚びた声を上げる。目の前の研磨はそれを嗤うことはなく、全てを受容し、さらなる気持ちよさを与えてくれる。先ほど研磨に指摘された通り、自分は気持ちいいことが好きなのだ。プライドもあっさり捨ててしまえるくらい好きなのだ。今は好いところを突き上げて、与えられないと気持ちよくなれない。だから、全て享受しよう。相手との関係とか、性別とか、そんなのもうどうでもいい。
 快楽に我を忘れる、幼馴染の彼女の姿が自分と重なる。自分は彼女の全てを受け入れてきた。逆転した立場に立ってみて分かったが、全て許されることはひどく気持ちがいい。カウパーでどろどろの性器を突然握られ、甘えた声を上げながら研磨を思い切り締め上げた。


 黒尾はセックスのあとの布団が好きだ。色々な液体で汚れていても、普通に寝転ぶときよりずっと優しく暖かく感じる。それは心が満たされているからなのか、身体が疲れているからなのか。
 黒尾に背を向けて寝転ぶ研磨が口を開いた。
「気持ちよかった?」
「…聞くなよ」
「おれは挿れられるほうもできるし、あの人と違って面倒もない。またしようね」
「しない」
 研磨の意味深な発言が引っ掛かったが、研磨も自分と同じく気持ちよさに抗えないタイプのかわいそうな人間なのだと思い、追及しないことにした。
 もう、諦めるしかないのかもしれない。自分にはごく一般的な貞操観念がそもそもないのだと開き直るべきなのかもしれない。他人に迷惑をかけている訳ではないし、愉しいことは素直に愉しむ方が絶対に得だ。事実、余計なことを忘れて研磨に犯されているときの快楽は心身ともに至上のものだった。
 きっと次に研磨の家に来るのは、バレーをしようと誘う時でも、勉強をするときでもない。研磨か俺か、あるいは両方がセックスしたくなった時だ。俺は間違っている。そう分かっていながらも、間違える事をやめられないのであろう。
 黒尾は溜息を吐き、思った。
 今ここに彼女を呼んで三人でセックスしたら、研磨は彼女の事を少しは好きになってくれるだろうか。


14/10/16
15/06/28


・・・・・・・・・
研磨誕に随分ひどいものを上げていたんだなあとしみじみ読み返しました。
最初に書いたものが既にそうだったんですが、私の書くモブはモブというよりオリジナルキャラになってしまいます。
このモブ子は80年代アイドル(のグラビア)のむちっとしてて健康的にエロい!みたいなイメージで書きました。


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