03
慶応三年十二月上旬ーー。
あの油小路の変から、後少しで一ヶ月になろうとしている。
あの後、一君も平助も新選組に戻ってきてくれたけど……、新選組は、元には戻らなかった。
隊内は暗く、張り詰めた雰囲気に支配されている気がしたし……。
鬼たちが屯所を襲撃した時、亡くなった隊士も多い。
負傷した人はもっとたくさんいた。
……平助も、その一人だ。
あの夜、平助が重傷を負っていた姿は、一般の隊士も目にしている。
だから、平助は表向き死んだことにされ、【羅刹隊】の一員となった。
一君は無傷だったけれど、今は一般隊士たちから陰口を叩かれている。
一度は離隊して伊東一派につきながら、不利と見るやそれを裏切って新選組に舞い戻ったと思われているのだ。
事情を明かせば、口さがないことを言う隊士も減ると思うのだけど……。
局長や副長に批判の矛先が向かないよう、一君は頑なに口を閉ざしている。
彼は土方さんのはからいで、ほとぼりが冷めるまでしばらく屯所を離れることになった。
今は、紀州藩の公用人である三浦休太郎を警護する為、天満屋に滞在しているそうだ。
ーー夜。
玄関を出た所には、総司の姿があった。
彼はぼんやりと佇んだまま、一人、空を見上げている。
何を見つめているのだろうか。
何を想っているのだろうか。
その背中に声をかけることを、ついためらってしまう。
どこか気まずくて、踵を返した時。
「……千華、いるんでしょ?そんな所にいないで、こっちにくれば?」
『……ハイ。』
勧められるまま、総司の隣へ進んで肩を並べる。
星明りに照らされた横顔は、いつもより青白く見えた。
顔色が悪いのか、それとも暗がりの中にいるせいなのかはわからない。
『……身体の具合、どう?』
総司の顔を見ることができなくて、彼から視線をそらしながら聞く。
「それは、胸の病の事?それとも、羅刹になった身体の具合?」
『…………』
「ああ、ごめん。困らせるつもりはなかったんだ。そうだなあ……昼間起きるのは無理だけど、体調自体は日ごとに回復してるみたい。養生してれば、またこれまで通り剣も振るえるようになるって。」
その言葉にまるで、自分に言い聞かせているみたいな響きが込められていた。
『……そろそろ、中に戻らない?もう冬だし、夜に空を見てたら身体に障るわよ。』
「別に。これくらいの寒さ、どうってことないよ。ずっと寝床にいると気が滅入るし。そっちの方が、よっぽど身体に障る気がするしね。」
『そうかもしれないけど……京の冬の冷え込みは、特に厳しいからね。』
「ああ、それは確かに。上洛してきたばかりの頃、皆が文句言ってたのを思い出すよ。千華も言ってたよね。」
確かに私も言ってた。
【こんなの耐えらんない!】って。
まあ、今ではもう慣れたものだけど。
「……僕は、この寒さ、嫌いじゃないんだけどね。」
『……確かに、身は引き締まるような気がするけど。』
「……うん。」
『これだけ寒いと、雪が降りそうね。』
「そうだね。」
『…………』
冬の寒さに唇が凍ったように、言葉が出てこなかった。
総司もまた表情を消して、凍てついた星空を見上げている。
***
そろそろ寒さの限界がきて、私は総司に言って中に入ろうとすると、止められるように手を握られた。
「……ねえ。」
『え?なに?』
「僕が自分で選んだことなんだし、千華が気にする必要なんかないんだよ。」
『えっ……何を?』
普段のように優しい表情と声音に、戸惑いながら問い返す。
「気にしてるんでしょ?僕があれを飲んだこと。」
『いや、別に……』
「気にしてないんだったら僕のこと避けないでしょ。相変わらず千華って、嘘つくの下手だよね。」
『…………』
確かに、総司の顔を見るのが気まずくて、避けていたのは事実だけど。
「本当に気に病むことはないよ。僕が決めたことだし、僕自身は悔やんでないんだから。」
何か言おうと思ったけど……。
何を言いたいのか、言えばいいのか、自分でもわからない。
「……それから、本当なら君はもう僕に関わらない方がいいと思うんだけど……」
『えっ……』
突然の言葉に、頭の中が真っ白になってーー何を答えればいいのかわからなくなる。
「ーーだけど、それは僕が嫌なんだよね。」
『え?』
「千華の傍にいられないって考えるだけで、胸が苦しくなる。君が他の人の傍にいるって想像するのも嫌なくらい。」
『総司……』
「小さい頃から千華の隣は僕だったから。それを他の人に渡すのは絶対に嫌だ。もう生きてすらいない僕の傍にいてもらうのはーー」
死人……。
その言葉はなんか聞きたくて、私は総司の言葉を遮った。
『何言ってるのよ……総司はこうしてちゃんと動いて、私と話をしてるじゃない。』
「そうだね。でも……こんなの、人間じゃない。」
『そんなこと……』
「いいんだよ。……あの薬を飲んだ僕自身が、一番よくわかってるから。」
『…………』
「……あれからね、咳も出なくなったんだ。傷や病が治るっていうのは本当らしいね。その代償かな。昼間動こうとするとね、すごく辛いんだ……これで病気が治る、また近藤さんの役に立つことができると思ってあの薬を飲んだのに。昼間動けないんじゃ、巡察にも出られない。近藤さんの敵を斬ることだってできやしない。僕はもう……、何一つできない。役立たずなんだよ。」
総司が、こんなに弱々しい心情を吐露するところを目にしたのは、久し振りだった。
近藤さんの役に立つことは、総司にとってこれほどまでに大切なことなのだ。
その気持ちは、わかる気がするけど……。
『……近藤さんは、総司が役に立つから傍に置いてるわけじゃないと思う。ねえ、総司。人の気持ちなんてね、ずっと一緒にいたってわかるもんじゃないのよ。だから近藤さんの気持ちがわかるかって言われたら、【無理】って答えるけど。でも、少なくとも私が知っている近藤さんはーー生きていたって、死んでいたって、たとえ人間じゃなくたって、総司は総司だって……、そう考える筈よ。生きていてくれて良かったって、思ってくれてるはず。』
その言葉を、総司はどこか呆然とした表情で聞いていた。
だけど、やがて……。
「……本当に、そう思ってくれてると思う?剣を取れなくなっても、近藤さんは、僕のことを必要としてくれるかな?」
『ええ、もちろん。幼なじみの私が言うんだから、絶対にそうよ。……総司の目に映ってる近藤さんは、どう?』
すると総司は、少しだけ空を仰ぎ、昔の出来事を振り返るような表情で……。
「…………そうだね。あの人、本当、お人よしだから。多分、僕が本当に役立たずになっても、絶対に見放したりしないだろうな。」
その表情には、少しだけ生気が戻っていた。
総司がようやく、ほんの少し前を向いてくれたことに安堵する。
『……近藤さんのこと、大切にしなくちゃ駄目よ。やむを得ない決断だったことは、近藤さんも理解してくれてると思うし。それでも、総司が変若水を飲んでしまったこと……近藤さんはとても、悲しんでる筈だから。』
「……うん、わかってる。」
その総司の言葉を聞いて、ふと思う。
私はそもそも、人ではないけど……。
たとえば総司のような決断をした時、以前と変わらず想ってくれる人はいるんだろうか。
「……千華、どうしたの?」
『え?あ、ううん……何でもない。』
「何でもないって顔じゃないでしょ。言ってみたら?慰めたり励ましたりするのは苦手だけど、聞いてあげることはできるし。」
不器用ながらも、ちゃんと私のことを見ててくれている幼なじみの言葉に、私はほんの少しだけ笑みを浮かべる。
『……近藤さんみたいな人が傍にいる総司のことが、うらやましいと思って。』
増悪と怨恨が込められた薫さんの瞳が、脳裏をよぎった。
『私は……普通の人間じゃないし、義弟にも、あんな風に……』
苦い思いが湧き出して、知らず知らずのうちに唇をかみ締めてしまう。
「ああ、そうだったっけ。すっかり忘れてた。……千華が人間だとか鬼だとか、そんなこと考えたこともなかったし。」
それは酷くない?
でも、その言葉で、張り詰めていた心が、少しだけ和らいだ気がした。
総司は、私が人ではないことを気にせずにいてくれる……。
やがて彼は、星明りに目を細めながら付け加える。
「それに、義弟がどうとかって言ってたけど……所詮は他人でしょ。千華が自分で選んだ相手じゃない。生まれた時、家のこと同士で知り合っただけなんだから。千華は何一つ、気にする必要なんてないと思うけど。」
『え……』
思いも寄らない一言に、私は返す言葉を失う。
確かに薫さんとは家のつながりがなかったら知り合うこともなかったただの他人だ。
自分で選んだ相手じゃないから、気にしなくてもいいって……。
こんな慰めの言葉が、あるだろうか。
だけど、総司がかけてくれた一言で、心のどこかが確かに楽になった感覚があって……。
『…………ありがとう。』
胸の奥から、温かいものがこみ上げてきた。
多分、この言葉をかけてくれたのが他の誰だったとしても……。
きっと、こんな気持ちにはならなかったと思う。
『ね、総司。また、こうして一緒に話してもいい?』
「……千華が、僕のこと避けないならね。」
『あんた結構根に持つのね。』
確かに私が悪かったけど……。
「まあ、千華が隣にいないのは嫌だし、僕の傍にいてくれるんならいいよ。」
『……傍にいてほしいって望んだのは総司なんだから傍にいるわよ。』
ぎゅっと繋がれた手に力を込めながら、私はそう言ったのだった。
揺れ動いている新選組。
【羅刹隊】は……そして、新選組はどうなってしまうのだろう。
羅刹になった人、仲間が羅刹になるのを見ているしかなかった人……。
皆の気持ちもばらばらになってしまっているような気がする。
そして、数日後。
王政復古の大号令が下された。
王政が復古する。
それは、武士の時代が始まる前の姿ーー朝廷が政治を行っていた時代に還るということ。
幕府が、将軍職が廃止され、京都守護職、京都所司代までなくなってしまう。
新選組が信じてきたものが、大きく音を立てて崩れ始めようとしていた。
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