02
『ーー総司!』
私が彼の部屋に辿り着いた時、総司は既に戦いの体勢を整えていた。
刀を腰に差し、今すぐにでも討って出ると言わんばかりに。
「……遅かったね。誰も呼びに来てくれないから、自分から行こうと思ってたところなんだ。」
『動いても大丈夫なの?』
「当たり前じゃない。近藤さんの仇を取れないのは悔しいけど、他に活躍の場があるってことだしーーうっ……げほ、ごほっ!」
『あ……』
私ーー、何て馬鹿だったんだろう。
総司の病状で刀を取れる筈がないことぐらい、わかりきってるのに。
『総司……、無理はやめなさい……って言っても聞かないよね。』
「よくわかってるじゃない。さすが千華。」
『そんな褒めるように言わないでよ。あんたねえ、今自分の身体がどうなってるのかぐらい、わからないわけじゃないでしょ?』
「平気だよ、これぐらいなら。別に、腕が衰えたわけじゃないんだから……!」
「……せっかく心配して下さってるのに、むげにするような真似は良くありませんよ。」
この声は……。
『か、薫……、さん……?』
ん?
目の前にいる人の顔は、確かに薫さんだけどーー。
でも、結い上げられていた黒髪はばっさりと肩の上で切られていて、つややかな着物姿は、黒い戦装束に変わっていた。
これでは、まるで……。
「これが、私本来の姿。訳あって、性を偽っていたことはお詫びします。」
「へえ、君、男だったんだ。……なるほどね。」
どうでもいいと思っているのか、それとも気付いていたのか……。
総司は、さほど驚いた様子もない。
『え、何、どういうこと……?』
私の声に彼女……いや、彼は、場に不似合いな微笑を浮かべてみせる。
「性別を偽ったのも、今日この場に現れたのも、全ては唯一の目的の為。そうーー。私は妹と義姉を救うためにやってきた。」
『……義姉?妹?』
「あなたのことですよ、千華姉さん。」
『えーー?』
いやいや、千鶴ならまだしも私と薫さんとでは全然顔立ちも似ていないのだけど……。
しかも姉さん呼びって……。
『い、いやいや、でも、そんなさあ……!』
「わからないのも無理はない。我々の一族が倒幕の誘いを断って、滅ばされた折ーー千鶴は綱道さんに連れ出され、私は土佐の南雲家に引き取られて、我々の一族と親交していた汐見家とは離れ離れになってしまったから……」
『生家……?』
それに、【千鶴】【綱道】さん【汐見家】って……。
「……綱道さんは、千鶴がもう少し大きくなってから伝えるつもりだったんだと思うけど。千鶴は、綱道さんとは血が繋がっていないんだ。私たちの両親は、故郷を……雪村の里を滅ばされた時に亡くなってしまったからね。」
『…………』
突然明かされた事実は、あまりに衝撃的で、どこか現実離れしていて……。
薫さんが千鶴の兄……?
いや待てよ、雪村家と汐見家が親交があったのはじい様からこの前文で教えてもらい知っていた。
私は、幼い頃に千鶴と薫さんと会っているってこと?
だけど薫さんが本当に雪村家の者なのか信用できない。
やがて薫さんは、千鶴と瓜二つな己の頬を撫でながら言った。
「この顔だけでは信じられないか?……では、この刀を証としよう。」
『それって……』
「私の【大通連】は、千鶴の持つ【小通連】の対となる刀。……これも、かつて分かたれた物の一つだ。千鶴がこれを知らないのも当たり前だ。綱道さんは、いずれ妹に伝えるつもりだったんだと思うから。……人間共に虐げられた、辛い思い出と共にね。」
こうして見せられても、まだ実感が湧かないけど……。
でも、以前千姫が言っていたことと符合するのもまた事実だ。
「汐見家と親交のあった私たちの家に、よく千華姉さんは遊びに来てくれた。私も千鶴も、あなたのことを本当の姉さんみたいに慕っていたんだ。」
…………全然覚えてない。
何せ里を出たのはだいぶ前だ。
その頃の記憶も幼過ぎて断片的にしか覚えていないし。
「じゃあ、君も鬼なんだね?」
千鶴と薫は同じ血を分けた兄弟だという。
そして汐見家とも親交があったとなると、彼も鬼に違いない。
「はい。……冷静ですね、沖田さんは。」
「まあ、僕にとっては他人事だからね。あの子のことなんか。」
『……私のことは?』
「千華は別だよ。鬼である君に、ひとつ聞いていいかな。君の目的は風間と同じで、千華を利用すること?」
『え……』
一瞬にして、場の雰囲気が張り詰める。
戸惑う私をよそに、薫さんは、目を細めて微笑んだ。
「……そんなつもりはありません。ですが、私からも質問させてください。先程の問いに肯定したら、あなたはどうします?病に冒されたその身体を引きずってでも、私を止めますか?」
一瞬だけの沈黙。
そして紡がれたのは……。
「千華の反応次第かな。君らの事情に口を挟むつもりはないし。」
うわ、予想通りの答え。
「そうですか……」
『正直かよ、総司。』
いやまあ、わかってはいたけどさ。
もうちょっと幼なじみなんだから気にかけてくれても……。
「……そこ、どいてくれる?」
「いえ、どきません。今のあなたは、戦えませんから。」
「……何を言ってるのさ。僕は、まだ戦えるよ!」
「どうしても戦いと言うのですか?ならばーーこれを。」
薫さんが言葉の代わりに突きつけた瓶には、見覚えがあった。
綱道さんが犯した、罪の証ーー。
『っ……!』
辛く、苦しい思い出が蘇る。
『なんで、そんなものを君が?』
「綱道さんから頂きました。」
『綱道さんから……?』
だけど、今ここでこれを出すということは、薫さんは……。
「この薬は……」
「私は、確かに鬼です。身を置いている藩同士の事情で、風間たちに協力するように言われています。」
やがて薫さんは少し視線を落として、切々と言葉を漏らす。
「ですが……大切な私と千鶴の義姉を、ただ子を産む為の道具としてしか見えないような奴らに、渡す気にはなれません。」
「……だから、変若水を僕に与えて、義姉を守らせようってわけ?なかなか自分勝手な理屈だね。」
「……無責任な言い方でごめんなさい。でも、選ぶのはあなたです。今のように起き上がれないまま、【戦いたい】とただ叫ぶだけかーー、これで羅刹となるか。新選組の一番組組長ともあろう方が、布団の上で血を吐きながら死ぬことをお望みですか?大切な幼なじみを守ることもできずに。」
「…………」
『駄目よ、総司!』
総司は、苦しむ羅刹の姿をその目で見てきた筈。
夜にしか出歩けず、血に酔い狂う、人外の生き物。
総司まであんな風になってしまったら、私は……!
『もし総司が羅刹になったらーー、近藤さんが、どれだけ嘆くと思ってるの!?』
「近藤さん……」
『総司は、近藤さんのことをとても尊敬してるんでしょう?お願いだから、近藤さんを悲しませるようなことなんてしないで!』
その言葉に、総司は唇を噛む。
だけど、薫さんはーー。
「……あなたが胸を患ってから、新選組の局長さんは何度、思ったことでしょうね?【もし、この場に総司がいてくれれば】……って。今日だって、そんな状態でなければ、間違いなくあなたに命が下った筈ですのに。」
「…………」
『薫さん!なんでそんなことを!あなたが私の義弟で、私のことを大切に思っているのならーーどうして総司に、そんな物を渡すの!?』
私が叫んだ、その時だった。
ーー人の形をした何かが、戸を蹴破って飛び込んできた。
「羅刹隊か……!」
『わあ、なんて間が悪い……!』
飛び込んできた四人の瞳に血の色を見て、総司はとっさに腰の刀へと手を伸ばす。
ーーけれど、稲妻のような反応の早さについてこられたのは心だけで。
抜き放とうとした刀は、空しく音を立てて床へと転がり落ちる。
私はそれを横目に刀を抜いた。
「これが……今の僕か……。新選組一番組組長、沖田総司か……」
そんな己の無力さが悲しかったのか、悔しかったのか、腹立たしかったのか。
総司は、次の瞬間、薫さんの手から瓶をもぎ取っていた。
刀を構えながらそんな彼の様子を横目で見ていた私は、思わず声を上げる。
『!! 駄目よ、総司!それを飲んでしまったらーー!』
向かってきた羅刹を刀で食い止める。
『邪魔なんだけどっ!』
間合いを取るように、刀を受け流して羅刹の身体を蹴り飛ばした。
羅刹を睨む総司の瞳には、自分の未来の姿が映っているのだろうか。
総司は一度だけ、私の方を向いてくれた。
どこまでもいつも通りの……、少しだけ意地悪な微笑を浮かべて。
「まったく、千華はこんな時までーー」
総司の喉が鳴ったと同時、薫さんが妖しく微笑むのが見えた。
血に飢えた羅刹が、次々と飛び込んでくる中、私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
……血の降る音を聞きながら。
人を捨てた白髪の羅刹が、血の雨を降らすのを感じながら。
「く、うっーーあぁあああっ!」
……あれが、人としての生を捨て、ただ戦うための鬼。
羅刹と化した、総司の姿ーー。
彼は雪を孕む嵐みたいに白髪をなびかせ、次々と羅刹を屠っていく。
乱入してきた羅刹が全て血の海に沈むまで、ほんの一呼吸もかからなかった。
呪いの証のような総司の白い髪先から、ぽたりぽたりと鮮血が滴り落ちている。
「……これで満足かい、南雲薫?」
「はい。……ご立派でした、沖田総司さん。本当にあなたには、感謝の言葉もありません。」
ぱちぱちと薫さんは拍手を送る。
そしてその優しげな表情が、一瞬にして酷薄な笑みへと変じた。
「……まんまと俺の思惑に乗ってくれて、ね。」
「何っ……!?」
限界がきたのか、糸が切れたように崩れ落ちる総司を私は辛うじて抱き止めた。
カランッと音を立てて私の刀が転がる。
「千華……」
『総司!?しっかり、しっかりして!どうして……!なんで、あんな……!』
総司の髪に、色が戻ってきた。
それがたとえ、羅刹の本性を隠す擬態だとしてもーー。
少しだけ安堵してしまう私は、心が弱いのだろうか。
「千華姉さん……あなたはさっき、聞いていたね。なぜ、あなたの義弟である私があなたが大事に想う沖田に変若水を与えるのかって。」
『……?』
意図を読めず眉をひそめると、薫さんはゆっくり微笑んで……こう告げた。
「……全然わかってないね、あなたは。俺は姉さんの親しい人間にだからこそ、変若水を渡したんだよ。く……、あはははは!」
『薫さん……!?』
ありったけの怒りを込めて、私は、義弟を名乗る人を睨みつける。
『何が……、何がおかしいの!』
だけど薫さんは心地良さげに、ますます笑みを深くした。
「おかしいんじゃない、うれしいんだよ。俺と違って、周りにいる全員から愛されて育った義姉に、そこまで苦しんでもらえてうれしいんだよ!」
口調がさっきまでと全然違う。
そして、表情も。
得体の知れない生き物と相対しているような恐怖が、私の背を駆け抜けた。
彼の瞳は、羅刹以上の狂気をはらんでいる。
「俺が引き取られた南雲家は、子を産ませる女鬼が欲しかったらしくてね。双子の兄妹でハズレを引いて、大激怒さ。その結果、俺がどれだけ虐げられても仕方ないよね。子を産めやしない男なんて、所詮【価値が無い】んだ。」
きっと彼自身が幾度と無くぶつけられた言葉を、薫さんは歌うように繰り返した。
そこに込められた虚無にーー。
「ま、そんなこと言ってくれた奴らは、とっくに全員地獄に落としたけど……」
ーーそして、そこに込められた怨讐に、私は思わず、総司を抱きしめる腕を強めた。
『っ……』
「俺と妹は同じ顔をしていて、同じ血を継いでいるのに、たかが性別の違いで俺ばかり冷遇されることになったのは……誰のせいだと思う?」
妹分と思っている千鶴と同じ面立ちをした彼の笑顔に、心底ぞっとする。
千鶴でもあんな表情を浮かべるのかもしれないなんて、信じたくなくて……。
私は顔を歪めて薫さんを見た。
「可愛い妹と同じ顔をした人間が笑うのが、ムカつくか?……俺だってそうさ。千鶴が幸せそうな顔をしているのが、ムカついてしょうがなかった。そしてそんな千鶴の顔を見ながら微笑んでいる姉さんが一番ムカついてしょうがなかった。」
ーー言葉と同時に、薫さんの手が私の首に伸びてきた。
『……っくっ……!』
恐ろしいほどの力が、私の喉にかかった。
「その幸せそうな顔が崩れた時ーー沖田が出来損ないの鬼になった瞬間の表情を、俺の顔で再現してあげたいくらいだけど……さすがの俺にも難しいかなあ、あれ。わざわざ親しい人間を狙ってやった甲斐があって、想像してたよりずっと可愛い顔だったから!」
『!! げほ、っ……あん……たは……』
「姉さんは俺と千鶴の大切な義姉なんだ。だからそんな姉さんを傷つけないためにも沖田に守ってもらわなきゃ。」
この人はまさか、私が苦しむのを見る為……。
そして私を傷つけさせない為……。
その為だけに、総司を……!?
私の首から手を離し、咳き込む私に言い放ってから、薫さんは背を向ける。
闇に消えるとき最後に残した表情は、初めて会った時のような、妖艶な微笑。
……そして、哄笑だった。
「汐見千華様。俺たちの大事な姉さんに傷がつかない為にせいぜい沖田に守ってもらうことだね……なんてね。あははははははは!!」
『…………っ……』
……涙が止まらなかった。
私が知らないところで、私のことをこんなに憎んで、違うかたちで思っている人がいたことに。
そして何より、私と義弟との確執に人を巻き込んでしまったことにーー。
『……総司……っ……!』
意識を失った彼を支える手に、力を込める。
ーー私が総司と関わりを持っていたせいで、巻き込んだ。
『ごめんなさい……、ごめんなさい……!』
伊東さんの暗殺、そしてその後の御陵衛士への襲撃は、後に油小路の変と呼ばれるようになった。
この事件で、新選組と御陵衛士双方にとって予想外だったのは、鬼が同行する薩摩藩の介入。
両者共に薩摩の罠にはまって、戦場は乱戦となり、平助が瀕死の重傷を負わされてしまった。
……平助は、生き延びる為、あの薬を飲まざるを得なくなった。
ーーそしてもう一つ。
その事件の間に起きた、風間千景による屯所の襲撃。
羅刹隊の投入で混乱した戦場においてーー。
総司もとうとう、羅刹として戦う道を選んでしまった。
山南さんだけでなく、平助、総司。
綱道さんが持ち込んだあの【薬】が、少しずつ新選組を蝕んでいくみたいで……。
私の心を、不安の風が抜けていった。
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