10
辻斬り騒ぎがあってから、数日が経ったけれど……。
あれ以降、山南さんが妙な行動を起こす様子はなかった。
とはいえ、彼はとても聡い人だから油断はできない。
夕飯の膳の支度をしながら、私はこっそりと山南さんの様子を窺う。
「……汐見君、私の顔に何か付いていますか?」
『あ、いや、そういうわけじゃ……!』
「他意があるわけでもないのに、男の顔をちらちらと覗き見るのは感心しませんね。それとも、何か気になることでもあるのでしょうか?」
『いや、別に……』
私は助けを求める為、平助へと視線を送る。
「あ、えっとーーこいつさ、きっと不安なんだよ!もしかしたら今日の飯が、山南さんの口に合わねえんじゃねえかって。山南さんって舌が肥えてそうだろ?だからさ……!」
「……汐見君が作る食事を口にするのは、これが初めてではありませんが?」
「あっ、その……まあ、それはそう……だけどさ……」
平助は懸命に場を取り繕ってくれるけど……。
場数が違うと言えばいいのか、山南さんをごまかすのは難しいようだ。
「まあ、いいでしょう。それではいただきます。」
『いただきます……』
隊士たちが甲府に向かう前は、皆で賑やかに食事をとることが多かったから……。
こうして静かな中で夕食をとるのは、何だか違和感がある。
「ふむ……腕を上げましたね、汐見君。」
『えっ……?』
「この、菜の花の胡麻和えですよ。絶品です。」
『そ、そう?ありがとう……』
「うん、すっげえ美味い!新八っつぁんも左之さんも、残念だったよな!こんなに美味い物を食えねえんだから。……甲府に行った皆は、ちゃんと飯食ってんのかな。」
『平助……』
そういえば出立前、土方さんが言っていた。
もしかしたら今回の戦は、勝てないかもしれないと。
「……心配は要りませんよ。土方君は、そういった手回しが得意ですからね。」
「まあ、そうだよな。あの人、そういうところは手抜かりないし。千鶴もいるし、何とかなってるか!今回は近藤さんが指揮を取るらしいから、負け戦なんてさせるわけねえよな……千華、ご飯のお代わりいいか?」
『うん、ちょっと待ってて。すぐによそうから。』
私は、近くに置いてあるおひつを開け、ご飯をよそった。
これだけたくさん食べてくれると、私としても作りがいがある。
『はい、どうぞ。おかずのお代わりもたくさんあるから、遠慮せず食べてね。』
「おう、ありがとよ!」
平助は、新たによそったご飯をかき込もうとしてーー。
ふと、何か思い出した様子で箸を止めた。
『どうしたの?』
「ん?いや……こうやって飯だけで腹を満たすことができれば楽なのにな、って思ってさ。」
『あ……』
「あーーごめん!別に、変な意味はねえんだ!」
『ううん、私の方こそごめんね。変なことを聞いちゃって。』
場の雰囲気がぎこちなくなりかけた、その時……。
「ご馳走様です。私は、そろそろ失礼しますよ。」
『もう、いいの?お代わり、まだあるけど……』
「さすがに、これ以上は食べられませんよ。私は、食が細いもので。」
そう言った後、山南さんは膳を抱えて立ち上がる。
『そのままにしておいていいわよ。膳だったら、私が後で片付けておくから。』
「いえ、これくらいなら自分でできますよ。君は、ゆっくりくつろいでいてください。他の隊士がいる所だと、何かと気詰まりでしょうからね。……お互いに。」
意味深な言葉を残した後、山南さんは広間から立ち去ってしまった。
足音が遠ざかったのを確かめてから、私は平助にこっそりと告げる。
『……山南さんの様子、いつもと変わらなかったわね。』
「まあ、あの人は物事に動じねえたちだしな。オレたちが疑ってることも、多分、見抜ているだろうし。」
『そうよね……』
「さてと……ご馳走様。オレ、膳片付けてくる。」
『あっ、私がするよ。平助は休んでて。』
「いいって。山南さんの様子を見てくるついでだし。おまえはここで待っててくれ。……よいしょ、っと。」
平助は膳を抱え上げ、そのまま、広間を後にした。
平助が戻ってくる間、私は銀狼の身体を撫でる。
『…………』
不思議そうに二つの目がこちらを見上げてくるのをじっと見下ろしながら見つめる。
何も考えることなくじっと見下ろしていると。
「そいつ、困ってるぜ。」
声が聞こえて見てみれば、彼が再び戻ってきていた。
平助の言葉に銀狼を見ると、困ったように羽を羽ばたかせていた。
苦笑しながら銀狼の身体から手を離すとほっとしたように身体を伸ばして私の肩へと移動する。
いや、どんだけ私銀狼と見つめ合ってたんだよ……!
『お帰りなさい。……どうだった?山南さんの様子。』
「何か、資料みてえな物を読んでたぜ。多分、綱道さんの所で見つけたやつじゃねえかな。」
『そう……。それじゃ今夜は、外出しないのかな?』
羅刹たちが起こしていた辻斬り事件が、山南さんの意向によるものだったのかは、まだわからないけど……。
彼が屯所にいるということは、少なくとも今夜は犠牲者が出ずに済むということだろう。
「どうだろうな。警戒しておくに越したことはねえんじゃね?」
『そうよね……』
やがて会話が途切れ、私たちの間に一時の沈黙が流れる。
外からは、虫の鳴き声が聞こえてきた。
近頃は夜風もだいぶぬるくなって、過ごしやすい日が増えてきた。
「…………なあ。」
『何?平助。』
「おまえ、こっちに戻ってきからどこかに出かけたか?」
『う〜ん、特には……。この前、平助たちと一緒に千鶴の家に行った時ぐらいかな。後は土方さんの使い走りや情報集めで出歩くくらい。』
「何だよ、久し振りの故郷なんだし、色々見に行ってくればいいじゃねえか。」
『色々って、たとえば?』
「この間、瓦版で読んだんだけどさ、浅草の花屋敷ってとこ、すげえらしいぞ。花がいっぱいあるんだってさ。おまえ、そういうの好きだろ?」
『ええ、花は好きよ。』
「浅草なら近くに芝居小屋もあるし、行って見てくればいいんじゃね?」
『確かに、興味はあるけど……一人で行けって?平助は?』
「オレは……」
平助の大きな瞳に、不意に悲しげな色が宿る。
やがて、自嘲めいた笑みを浮かべながら。
「……馬鹿だな、行けるわけねえだろ。オレ、夜しか出歩けねえし。」
『平助……』
確かにそうだけど……。
『私は……、平助と一緒がいい。花屋敷も芝居小屋も……、一人じゃきっと楽しくないし。平助が一人で屯所にいることを考えたら、私だけ楽しむなんて、とても……』
「千華…………。……そんなこと言ったって、どうしようもねえだろ。オレだって、おまえと一緒にーー」
言いかけた言葉を、平助は喉の奥に呑み込んでしまう。
「…………いや、何でもねえ。」
彼はそのまま、顔をそらしてしまった。
まるで、これ以上立ち入られたくないと言わんばかりに。
再び沈黙が戻ってきて、虫の声だけが響き始める。
「……オレさ、あと何回、こうやって夜を過ごすことができるんだろうな。」
まだあとけなさが残っている瞳には、寂しげで虚ろな色が宿っていて……。
快活だった頃の彼ーー本来の平助の表情を知っているからこそ、胸が痛くなる。
『……できるわよ、きっと。山南さんが羅刹になってからもう、三年は経ってるけど……でも、山南さんはまだ元気だし。羅刹になって寿命を削られてるとはいってもーー平助が思ってるほど、多くの寿命を削られるわけじゃないかもしれないじゃない。』
「……そうだといいけどな。」
私の言葉に、平助は微笑んでくれたけど……。
多分、今の言葉を信じて受け入れてくれたわけじゃないと思う。
もっと、彼の心に寄り添いたいのに……。
他人事のような言葉しかかけてあげられないのが、申し訳なかった。
空に浮かぶ星を見上げながら、私は強く願う。
ーー夜が、明けないでほしい。
太陽も、戦も、時の流れであろうとも……。
平助と共に過ごせる時間を、これ以上奪わないでほしいとーー。
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