09
隊士たちと千鶴が甲府へ発った夜、里からの文に返事を書こうとすると……。
ふすまの向こうから、数人の足音が聞こえてきた。
『……!?』
この足音は、一体……?
不思議に思った私は、彼らに気付かれないようこっそりと後を追うことにした。
そして建物の外に出た所でーー。
「……千華、こっちだ。」
平助に手招きされ、私は物陰に身を隠す。
『平助、どうしてここに?』
「羅刹隊の奴らの様子がおかしかったから、先回りしてここに隠れてたんだ。」
『じゃあ、さっきの足音は羅刹隊の奴らの……?』
「……ああ。あいつら、これからどこかへ出かけるみてえだな。」
『山南さんは、どうしてるの?』
「部屋で、書き物をしてたのを見たぜ。」
『ってことは、今回の羅刹の行動は山南さんは無関係ってこと?』
「……どうかな、まだわからねえ。それより、あいつらが市中に出て何をするつもりなのかを確かめねえと。ついてこい、千華。オレの後ろを離れるんじゃねえぞ。」
『ーーええ。』
私は気配を消しながら平助と共に羅刹たちの後を追った。
そして、その途中ーー。
「ぎゃああああああっ……!」
叫び声と共に、肉を切り裂く音がこだまする。
これは、まさかーー。
「千華、急ぐぞ!」
私は平助の背を追って、走り出す。
そこに広がっていたのは、無惨絵をそのまま現実にしたような凄惨な光景だった。
「くっ、くくく……ぐふふ……!」
「くくくくくっーー!あはははははっ……!」
白い髪を持つ羅刹たちは、もはや物も言わなくなった骸を滅多刺しにし、なぶっている。
そのたびに鮮血が飛散して、生臭い匂いを辺りに振りまいた。
血まみれになった骸の髷や着物は、明らかに武士ではなく町人のものだ。
「おまえら、本当に……血をすする為だけに……不逞浪士じゃない、普通の町人を……殺してやがったんだな……!」
平助の右手が、小刻みに震えている。
彼は、きっと……。
同じ羅刹隊の皆が血を得る為辻斬りをしているなんて、信じたくなかったに違いない。
「くくく……!」
血まみれになった口元を歪め、羅刹は平助の方を振り返った。
その瞳にはもはや、正気の名残すら残ってはいない。
ただ、血に対する狂熱と渇望があるだけーー。
「……もう、血に狂っちまってるな。生かしておくわけにはいかねえ。」
平助は唇を噛みながら、刀を引き抜いた。
「千華、物陰に隠れてろ!いいって言うまで、出てくるんじゃねえぞ。」
『え、でも平助ーー』
「わかったな!」
いや、私も戦おうかなって思ったのに!
私は仕方なく平助に言われるまま、物陰へと身を隠したけれど……。
……本当に、大丈夫なのだろうか?
昨日まで同じ屯所で寝起きしていた彼と同じ羅刹隊の人たちを斬ることなど、本当にできるのだろうか?
「ひゃはははははっーー!」
羅刹の一人が、狂った笑い声を上げながら平助へと飛びかかった。
「くっ……!」
平助はその動きを見切り、続けざまに見舞われる斬撃を払う。
「うぉらっーー!!」
そして彼は、羅刹が体勢を崩した隙を見逃さずーー。
大きく踏み込んで、鋭い刺突をその左胸へと浴びせる。
「ぐぁああっ……!」
羅刹は悲鳴をあげ、後ろへ下がった。
わずかに急所を外しているのか、すぐに絶命はしない。
そして、次の瞬間ーー。
「ひゃはははははっ!」
近くにいたもう一人の羅刹が、平助へと襲いかかった。
「ーー!」
平助はとっさにかわそうとするが、避けきれずーー。
「がっ……!」
大きく斬りつけられた肩口から、血が噴き出す。
『平助!』
「ーー駄目だ、来るんじゃねえ!!」
肩に傷を負いながら、平助は迫りくる斬撃を薙ぎ払う。
「どうってことねえさ。これぐらいの傷なら、すぐふさがっちまうから。」
平助の言葉通り、肩の血はすでに止まりかけているみたいだけど……。
でも、大丈夫なのだろうか?
羅刹の力を使ったり、傷を癒せばそれだけ寿命を削られてしまうと、千姫は言っていたのに。
しかもーー。
「このっ……!往生際が悪いぞ、てめえら!」
平助は幾度となく羅刹を斬りつけるが、羅刹たちになかなか致命傷を与えられない。
「ひひひひ……」
負わせた傷はすぐにふさがってしまい、平助の方にも疲れが見え始める。
いえ、もしかしたら……。
そんな事を思った時だった。
「一体、何を遊んでいる?寸足らずの子犬といえど、この程度の相手に手こずるほどひ弱ではなかったはずだが。」
この声は、まさかーー!
そう思った矢先、白い刃が星明りを照り返すのが見えた。
そして、次の瞬間。
「うがぁあああっ!!」
「ぎゃあぁあああっ……!」
断末魔の叫びが、続けざまに響き渡る。
羅刹たちはそのまま地面へと突っ伏し、動かなくなった。
……間違いない。
羅刹たちを一瞬のうちに斬り殺す人間離れした剣技の持ち主が、そうそういるはずがないもの。
「風間、天霧……!おまえら、どうしてここに……」
「江戸市中の動静を探る為、こうして足を運んだまでですが。」
「あのまがい物共は、貴様ら新選組が飼っている連中だな?なぜ、奴らが辻斬りを働いているのだ。貴様らの命令か?」
「そんな命令、するわけねえだろ!オレは、あいつらを追ってきたんだよ!」
平助は反論するが、風間と天霧は疑いを含んだ眼差しで彼を見つめるばかり。
「……江戸の町を騒がせている辻斬り事件は、昨日今日始まったものではないと聞いています。」
「貴様は承知しておらぬとしても、あのまがい物の頭目ーー確か、山南という名だったか。奴は、こやつらが狼藉を働いていることを知っているのではないか?」
「……!」
「八瀬の女鬼に免じて、貴様らに手出しはせぬが……血に狂ったまがい物を野放しにしておくほど、我々は寛容ではない。」
「……あなた方は元々、京の治安を守るという役目を仰せつかっていたはずです。血を得る為、江戸の人々を殺めることがあなた方の本意なのかどうか……今一度、考えてみては?」
風間と天霧はそう言い残し、夜の闇の中へ姿を消してしまった。
「……わかってるよ、そんなことは。」
苦い表情で彼らを見送った後、刀を鞘へと納めた。
『平助、肩、大丈夫?』
「あ……、傷なら平気だよ。もうふさがっちまったから。それよりも、さっき風間が言ってたことだけど……」
『……羅刹たちが辻斬りしてたことを、山南さんは承知してたかもしれないってこと?』
「実際、どうかはわからねえけど……山南さんって、頭は回る人だからな。羅刹隊の奴らが屯所を抜け出して辻斬りを働いてたことに、今まで気付かなかったはずがねえんだ。」
『じゃあーー』
「……とりあえず、屯所に戻ったら本人に直接確かめてみよう。素直に答えてくれるかどうかは、わからねえけどな。」
『……そうね。』
とりあえず人が駆けつけてこないうちに、ここを離れなくては。
『平助、この羅刹の人たちは……』
そう尋ねると、平助は悲しげに目元を曇らせる。
「……ここに置いていくしかねえ。隊服を着てねえから、町の人に新選組隊士だってことを気付かれることはねえはずだ。」
『そう…………』
羅刹を始末した後に幾度となくこういうことには直面してきたから平然としてきたけど。
平助はずっと、慣れることができないままだったのではないだろうか。
悲しげな彼の表情を見て、私はそんなことを思ったのだった。
それに……。
『……ねえ、平助。』
「ん?」
『さっき風間が言ってたけど……羅刹を斬るのをためらうのは、どうして?』
「あれはーー…………油断してただけだよ。あいつら、素早かったからな。」
平助はまるで、心の中を覗き込まれまいとするかのように目をそらし……。
「そんなことよりほら、戻るぞ。」
そう呟いて身を翻し、そのまま歩いて行ってしまった。
『…………』
彼の態度は、腑に落ちなかったけど……。
私もそのまま、屯所に戻ることにした。
そして屯所に戻ってきた平助は、早速、山南さんに先の一件を報告する。
「……なるほど。羅刹隊の者が、血を得る為に辻斬りを働いていたと。迂闊でしたね。彼らをもっと厳重に監視しておくべきでした。」
「……山南さん、あんた、本当に知らなかったのか?あんたほどの人が、あいつらがやってたことに気付かなかったなんて、あり得ねえと思うんだけど。」
平助は、真剣な声で問うけれどーー。
「買いかぶり過ぎですよ。私は神でも仏でもありませんからね、不意を突かれることもあります。」
山南さんの表情に、狼狽の色はない。
この言葉が、真実なのか、それとも私たちを欺く為の言葉なのか……。
今の状況では、判断できなかった。
「話は、それだけですね?では私はそろそろ失礼させてもらいますよ。」
『あっ……』
山南さんはそのまま立ち上がり、自室へと戻ってしまった。
「……ごまかされちまったな。まあ、真正面から聞いて答えてくれる人だとは思ってなかったけどさ。」
『これから、どうするの?』
辻斬りを働いていた羅刹たちは死んでしまったから、しばらくは、事件も起こらないだろうけど……。
「山南さんを問い詰めるとしたら、言い逃れできねえよう現場を押さえるしかねえだろうな。」
『でも、そんなことできるかしら……』
「……わからねえ。とりあえず土方さんが戻ってくるまでは、山南さんから目を離さねえようにしようぜ。」
『……うん、わかった。』
「さてと、もうすぐ夜も明けちまうし、そろそろ休むことにするか。さすがに眠くなってきちまった。」
『そうね。私、布団の用意してくるから。』
「……おう。あのさ、千華。」
『何?』
「……ありがとな。山南さんのこととか、羅刹のこととか……多分、オレ一人じゃ抱えきれなかったと思う。」
『お礼なんて、水くさいじゃん。私なら平気よ。』
そう告げて、私は平助の傍を離れたけど……。
彼がかけてくれた【ありがとう】という一言が、温もりとなって胸に留まっているみたいで。
こんな状況ではあるけれど、とても安らいだ心地になれたのだった。
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