04
大坂城に向かっている間を、森の中で過ごしていたせいだろうか。
私は、自分が思うよりも、ずっと疲れていたみたい。
ようやく大坂城に辿り着き、平助と共に新選組の本隊と合流した後、私は倒れるように眠り込んでしまった。
久々の床の上に安堵を覚えて、目を覚ましたときはもう夕暮れだった。
慌てて広間に顔を出してみても、そこには誰もいなくて……。
『平助や土方さんは、どこに……?』
ぼんやりと呟いた、その時だった。
ガラッ。
『−−一君!よかった、一君も無事だったのね!』
「千華。どうやらあんたも無事だったようで何よりだ。」
『ええ。……ねえ、他の人たちはどこに?私、合流してすぐ、とりあえず休むように言われたから、まだほとんどの人と会ってないの……皆、無事なの?』
「……全員が無事とは言い難いな。特に山崎は重症を負ってかなり危険な状態だ。局長と総司は、あの戦いに参加していないから怪我の心配はないが……局長はともかく、総司の病状は良くはない。」
『……そう……なの……』
「…………それに、源さんは……」
『……うん。源さんのことは、大坂城に着いてすぐに聞いた。』
「……そうか。」
昨日、大坂城に着いた私たちを待っていたのは、源さんの訃報だった。
あの優しい笑顔も、穏やかな声も二度と聞けないと思うと、胸が苦しくて仕方がない。
それに、山崎君まで重症だなんて……。
『……一君、新選組は、これからどうなるの?』
「隊士が少しずつこの大坂城に集まっている。人数が揃えば、江戸に戻ることになるだろう。だからあんたも、今のうちに身体を休めておくといい。」
『ええ、わかったわ……平助を見なかった?』
「平助か?先程、一人で外に出て行ったようだが。」
『え?まだ日が出てるのに……?』
…………。
『……私、心配だから少し見てくるね。』
羅刹となってからの平助は、私から見てもかなり不安定な状態にある。
今の平助を一人にはしたくなくて、頷く一君にお礼を言うと、私は外へと歩き出した。
***
大坂城の本丸から外に抜けると、綺麗な夕日が城壁を染めているのが窺える。
平助はそこにいた。
「ん?ーーああ、千華か。」
赤く染まる世界の中、全身を緋色の陽光に染めたまま、静かに空を見上げて。
「よ、おはようさん。この時間でおはようっつーのも変だけどさ。」
『うん、でも私もさっき起きたから、やっぱりおはようでいいんじゃない?それより平助、大丈夫なの?その、今の平助の体に日の光は……』
変若水を飲んで羅刹となった者は、日の光に弱くなってしまう。
それは平助だって例外じゃないはずだ。
心配する私に、彼は小さく苦笑いして見せた。
「辛くない、っつーと嘘になるかな。今も、夕日がオレの目を焼いてる。身体もぴりぴり痺れが走るし、さっきから少し吐き気もしてるよ。」
『じゃあどうして、無理して外に出てるのよ?』
「体の痛みなんてどうにでもなるって。……本当に怖いのは、世界が今までと違って見えることなんだ。」
『違って……?』
「……おまえには、ここから見える夕日、綺麗に見えるだろ?」
『え、ええ。』
「オレもそうだ。……いや、そうだった。でも、今はもう、この夕日の赤より、血の赤のほうが綺麗に見える。それが、たまらなく怖い。」
『……平助……』
「……そんな心配そうな顔すんなって。確かに身も心も痛いけど、今ならその痛みにも立ち向かえる気がするんだ。」
『え?』
「おまえが、傍にいるからだよ。」
彼は照れてしまったのか、そっぽを向いて言う。
中に戻ろうとは思っていないのか、この場に佇んだままの彼に合わせて、私も隣にそっと寄り添った。
「……千華?」
こうして同じ夕日を眺めていても、私と彼では違うものが見えている。
その事実が寂しくて、夕日の暖かさを拒絶する冷たい彼の手に、私はそっと、自分の手を重ねる。
平助の心は羅刹なんかに負けはしない。
だけど、身体が辛いことには変わりない。
だから、森の中で手を重ねたときのように手をつないで空を見上げる。
こんなに無力な私でも、傍にいることで何かになると信じて、ずっと、傍に寄り添い続けた。
日が沈んで、月が出て、夜の世界が広がっていく。
太陽に代わって空を支配する月をまぶしげに眺めて、平助は笑った。
「あー、なんだかんだで、夜の方が気分いいな。」
『……私も夜は嫌いじゃないよ。』
「オレも、もともと、夜更かしとか好きだったからなぁ。よく、新八っつぁんや左之さんと、夜通し遊んでたりしてたし。」
『…………夜遊びは程々にしなさいよ?』
「うっ……い、言っとくけど、そういうときは大抵、あの二人の誘いで仕方なくついてったんだって!」
『ふふ。新八さんたちに聞いたら、平助から誘ったって言いそうだけど。本当に、平助たちは仲がいいよね。』
ううん、三人だけじゃなく、私たち新選組幹部は、まるで家族みたいにつながっていると思う。
『できれば、もっともっと長い間、皆でずっと仲良く歩きたかったなぁ……』
「そうだな……。でも、新選組はこれからどうなるかわからない。」
『ええ。戦はどう転ぶか予想もつかないし……風間たちも、どう動くかわからないものね。』
「ああ。もしまたあいつらが来ても、それに、他にどんなことがあっても、オレが守ってやるって言いたいけどさ。あいつらは今のオレより強いし、オレに何があるかもわからない……」
つないだままの手に、ぎゅっと力が込められた。
そして静かな眼差しで、じっと私を見つめてくる。
「……この闇と同じだよ。オレたちの進む道は、先のことなんて見えやしない。オレと一緒に歩いてくってのは、この闇の中を共に歩いてくってことだ。一歩先も見えない中を、手探りで。」
『平助……』
「……こんなオレについてこいなんて言えやしないけど……」
つないだ手から小さな震えが伝わってくる。
きっと平助は、戦うのが怖いんじゃなく、大事なものを守りきれないことが怖いんだ。
その大事なものが自分だという事実にうれしさを感じながら、私は両手で彼の手を包み込んだ。
『……私はついていきたい。ずっと前から答えなんて決まってるよ。でもね、一つだけ言わせて。』
「え?」
『私は、守ってほしいからついていくんじゃない。君の傍にいたいから、君と同じ世界を歩きたいからついていくの。』
「……千華、おまえ……」
私の言葉を聞いた平助は一瞬虚を突かれたみたいだった。
「……そうか。うん、そうだよな。おまえの言う通りだ。それにおまえはさ、守られてばかりの女ってわけじゃないもんな。」
『あ、相手が相手だと、守られてばかりだけどね……』
「はは。そういう意味じゃないって。」
そう言うと平助は笑って言葉を続けてくれた。
「ありがとな、千華。やっぱおまえがいるだけで、すげー元気になれる気がするよ。」
『そ、そう?だったらうれしいけど。』
「ああ。さっきは弱気なこと言っちまったけど、今度もし風間が来たとしてもオレが絶対に追い返してやるし!おまえはあんな奴のもんじゃなく、オレのなんだって言ってやるから!!」
な、なんだか恥ずかしいことを言われてる気がするけど……。
でも、平助が元気だと私もうれしいし、別にいいよね?
『それじゃ平助、そろそろ戻る?』
「ん、そうすっか。けっこう、冷えてきたし。」
すっかり暗くなった世界では、来た道を探すのも大変なくらい。
『足元に気を付けないとねーー』
そう呟きながら平助を見ると、彼は私のことを見つめていた。
『ん?どうしたの、平助?』
「いや、少し変なこと考えてただけだ。暗くて進む道なんて見えやしないけど、隣にいるおまえの顔はよく見えるなって。」
『え……?』
「さて、行って飯でも食おうぜ。森の中じゃまともなもん食べてなかったし!」
『うん、皆もたぶん、私たちが来るの待ってるからね!』
つないだままだった私の手を、さっきよりも強く握って。
平助は、今度こそ歩き出した。
後に【鳥羽伏見の戦い】と呼ばれる事になるこの戦で……。
数で優位だった幕府軍は、新型の武器と洋式の戦術を使う薩長軍に敵わなかった。
それが敗北と決定的となったのは、彼らが朝廷軍の証である錦旗を掲げたことだった。
これを知った慶喜公は、江戸への撤退を決めたのだという。
総大将のいない戦は、意味を失った。
こうして新選組と幕府勢力は、大坂城を捨て、江戸へと戻ることが正式に決まったのだった。
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