×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
03


結局、善戦の甲斐もなく、伏見奉行所に火を放たれーー。
私たちは、京の町を後にすることにした。
……私たちは、一生懸命に戦ったと思う。
でも、薩長軍の勢いは圧倒的で私たちは撤退するのが精一杯だった。
ただ、撤退する際、敵の目をくらませる為にバラバラに逃げてしまった為ーー。
私と共に逃げたのは、平助ただ一人だった。
隊士たちが無事に逃げられたかどうかはわからないけど……。
もし無事なら、集まる場所は決まっている。
……大坂城。
あの城には慶喜公がいて、近藤さんがいる。
だから私たちも今はただ、大坂城を目指すことにした。

薩長軍に見つからないように森の中を進むことを決めたとはいえ……。


「千華、大丈夫か?寒くねえか。」

『ううん、平気よ……』


心配をかけないよう、平助にはそう答えたけどーー。
光が差さない一月の森の中は、ひどく寒い。
四方の全てが木の檻の中、動いているのは、私と……。
前に立ち、道を開いてくれている平助だけ。


「本当なら、もう少し歩きやすい道を選ぶとこなんだけど……途中で、薩長軍に見つかるわけにはいかねえし……我慢してくれよ。」

『私は大丈夫だから、気にしないで。平助こそ、大丈夫なの……?ずっと歩き通しだけど。』

「平気に決まってんだろ。オレ、町育ちだけど、森の中も別に嫌いじゃねえし……」

『ーー違うわよ。血の……衝動の方……』


伏見の戦いで吸血衝動に襲われた平助は、それ以降、特に問題なく過ごしていた。
でも、いつまたあの時みたいな発作が起きるかもしれないのだ。
平助は茂みを掻き分ける手を止め、静かに首を横に振る。


「……あの後は、血が欲しくなったりはしてねえよ。ただ……、山南さんに関しては何とも言えねえかな。」

『山南さんの……?』


平助の言葉で、私ははっとする。
……山南さんは、平助よりずっと前に、羅刹になっていた。
ならば、今までに何度も吸血衝動が起きていたと考えるのが自然だ。
なら、どうやって乗り切って……?


「多分……山南さんは、人の血を飲んでる。羅刹隊として動いていた夜、部下と一緒に敵を殺すついでにな。」

『そんな……!考え過ぎじゃない?』

「羅刹隊が出た晩は毎回現場がひでえことになってたって、聞かなかったか?あれは……証拠を隠す為に死体を切り刻んでたんだ、きっと。」

『…………』


否定の言葉が、浮かばなかった。
平助も、単なる憶測でこんなことを言っているわけじゃないだろうから。
だけど……、信じたくなかった。
山南さんは、私たち幹部隊士に信頼されている人だから。


「……今のオレには、わかるんだよ。何せ、誰も止めてくれなかったら、オレだって同じことをしかねねえんだからさ。」


平助は近くの木を背に座り込んだ。


「油小路で死にかけた時さ、息が苦しくて、傷口が痛くて、目の前が暗くてーー幻滅するかもしれないけど、オレ、大儀の為にはまだ死ねない……みてえな立派な理由じゃなくて。ただ、あのまま何もしてねえうちに死ぬのが怖くて……それで、変若水に手を伸ばしたんだ。」


夜風が、平助の髪を静かに揺らしている。
星明かりが作る濃い影が、平助の表情を覆い隠してしまっていた。
平助はきっと、相づちを求めていないだろうと思ったから……。
私は、静かに平助の自嘲を聞いていた。


「でも、羅刹になってまでこうやって生き延びたのに……今はまた、変若水なんて飲むべきじゃなかったんじゃねえかって思ってる。誰かの血を啜ってまで生きる価値がオレにあるのかって思ったら……、答えが見つからねえんだ。」


平助はまた笑う。
こんな悲しい笑いは初めてで……、私の胸の奥が、音を立てて軋む。


「自分で決めて、伊東さんについてった時だって……日本の為にはこうするのが一番だって、ずっと自分に言い聞かせてたのに、結局……、伊東さんが正しいのかどうか、それすらも途中からわからなくなっちまって。新選組を坂本龍馬暗殺の犯人に仕立て上げるって聞いた時も……結局、あの人を止められなかった。」

『…………』

「……自分で決めた道なのにな。いつも後悔して、迷って、やめたくなって……オレ、いつもこんなのばっかりなんだ。本当……、最低だよな。」

『……平助だけじゃないわ。』

「え……?」


もう、黙っていられなくなって……。
そっと伸ばした手が触れ合った瞬間、平助は身を震わせた。


『私だって……多分、他の皆だって、よく迷ったり後悔したりしてると思う。……きっと、表には出さないだけで。』


戸惑って逃げようとした手をそっと押し留めて、私は言葉を紡ぐ。


『一日に十回くらい嫌なことがあったり、たくさん、たくさん後悔して……自分のことを、嫌いになったりする時もあるーー』


平助の、普通の人より冷たい手をきゅっと握る。
……今度は、彼は逃げないでいてくれた。


『まだ里にいた頃、不治の病に冒された里の者を見たことがあるの。病名を知らされた時は自暴自棄になって、すごく苦しくて辛いってことばかり切々と話してたんだけど……その人、ある時からね、そういうこと一切言わなくなったの。【今朝、庭に雑穀を撒いたら雀が来た】【庭に、綺麗な花が咲いてるのを見かけた】一日に一度うれしいことがあれば生きていけることをようやく知ったって、その人は言ってた。……きっと皆、そうして生きてるんじゃないかしら。』

「…………」

『……私は、うれしかったよ。たとえ羅刹になっても、平助がこうして生きててくれて。あの時、油小路でお別れにならなくて良かったって……そう思ってる。』


羅刹になってしまっていいから、平助に死んで欲しくないなんて……。


『……ごめん。私、すごくわがままよね。平助がどれだけ苦しんでるのか、よく知ってるのに……』


うまく笑えたかどうか、わからなかったけど……。
それは、今の私にできる精一杯の笑顔だった。


「……ああ。本当、わがままだよ、おまえはさ。……だから代わりに、オレのわがままも一つ聞いてくれるか?」

『何……?』

「……傍にいて欲しいんだ。おまえが傍にいてくれると、オレ、すごくうれしいから。」

『それって……』


これからずっと傍にって意味じゃなくて、今、傍にいてほしいということだろうか。
それとも……。

勝手に解釈して先走ってしまいそうな頭と心を抑えながら……。
私はためらいがちに、平助に尋ねた。


『いいの……?私、今も……平助が悩んだり苦しんだりしてる時だって、平助に、何もしてあげられてないのに。』

「何も、って……おまえ、それ本気で言ってんのか?だとしたら、鈍いにも程があるぜ。」

『え……?』


それって、どういう意味だろう。

やがて平助は、静かに立ち上がりながら……。


「ありがとな、千華。おまえがいなかったら、きっと……オレ、とっくに狂ってると思う。」


立ち上がって離れた平助の手が、再び、私へと差し伸べられる。
さっきとは違って、今度は平助から伸ばされた手……。
そんなことがうれしくなって、私は平助の手を取っていた。


「さて、そろそろ行こうぜ!オレたちがいねえと、左之さんや新八っつぁんも、皆も、寂しがるだろうしな!」

『……ええ!』


大坂城までの道のりがどれだけ遠くても、平助と一緒ならーー。
そう思った刹那。


「いたぞ!幕府の敗残兵だ!」

『……平助。』

「わかってる!走るぞ!」


平助に手を引かれ、無数の木々をこだまして追ってくる声から逃げるようにーー。
私たちは、必死に森の中を駆け抜ける。
まるで周囲全てが敵のような錯覚に、襲われるけど……。
平助が、優しく手を握ってくれている。


「心配すんなって。オレがついてるし、森の中じゃ銃は当たんねえからさ。」

『う、うん……!』


私たちはひたすらに走った。

追ってくる声や物音が、どんどん遠くなる。
引き離せただろうか……、と思った矢先だった。


「もしやと思っていたが、ここで出会えるとはな。」

「風間に、天霧ーー!?」

『どうして、あんたたちがこんな所に……!』


……全門の虎、後門の狼という言葉が、頭をよぎってしまう。


「幕府との戦も、そろそろ佳境を迎える頃合だからな。俺の目の届かぬ所で、まかり間違って死なれても困る。何せーーそこの番犬は、頼りにならぬことだしな。いつ、おまえを守りきれずに逃げ出すかくたばるか……、しれたものではない。」

「ふざけんな……!オレはこいつを置いて逃げたり、こいつだけを残して倒れたりなんてしねえよ!してたまるか!」


私を背にかばう平助の手が、刀に伸びる。


「風間、加勢は必要ですか?」

「……馬鹿にしているつもりならば、貴様とて容赦はせんぞ、天霧。この俺が、このような寸足らずに後れを取るとでも?」

「これは失礼を。」


天霧がそう呟いた瞬間。
平助は勢いよく地を蹴り、高く躍り上がった。
私には、残像すらぎりぎりに見えるほどの速さだったけどーー。


「……ふん。その程度で、この俺に勝てるとでも思っているのか。」


風間は悠然とした仕草で、平助の斬撃を受け流す。


「くそっ……!」


幾度かの攻防が、続けられた後。


「……遅い。」


風間は平助の刀の切っ先をそらしーー。
静かに伸ばした手で、平助の顔を鷲づかみにする。


「ぐっ……!」

「そして、弱い。この程度の力量では、どの道、守りきれなくなるのが時間の問題だな。」


冷然と呟いた後、風間はーー。


「ーー壱。」


乱舞な仕草で、平助の頭を地面へと叩きつける。


「ーー弐ーー」

『やめなさい、風間!平助を、離してーー』


私は助けに入ろうとするけどーー。


「……邪魔をするな。これも、おまえの躾の一環だ。」

『きゃっ……!』


私は乱暴に蹴りつけられ、地面へと突っ伏してしまう。


「ーー参。」

「ぐ、ううっ……」


平助の顔は、もう血まみれだった。
やがて風間は、彼の身体を放り捨てるように投げ出してーー。


「これで、己の非力さを思い知ったな?ならば、さっさと失せろ。」

『……平助!しっかりして、平助!』


私は彼の身体にしがみつき、揺すった。


「へ、平気……だ……。これくらい……、すぐ……治るから……」

『平助……』


涙が込み上げてきて、血まみれの顔を私は白い羽織の袖で丁寧に拭う。
その時。


「さて、邪魔者は消えた。共に来てもらうぞ、汐見の娘。」

『何言ってんのよ!誰が、あんたなんかと……!離してよっ!』

「……ほう。どうやら、まだ勝負はついていない様子ですね。私にあしらわれた時とは、一味違うと見える。」

「何……?」


風間が訝しげに呟いた時。
一陣の風が吹いた気がした。
そしてーー。
銀の刃が一閃すると共に、風間の頬に一筋の朱が刻まれる。

これは、まさか……!


「貴様、まだ生きていたのか……!」

「当たり前じゃねえか!あの程度でくたばってたまるかよ。」

『平助……大丈夫なの?あれだけ怪我をしたのに……』

「今まで、迷って後悔しての繰り返しだったオレだけど……たとえ羅刹になっても、おまえを守りたい。その気持ちにだけは、迷いも後悔もねえ。今、はっきりわかったんだ。」


彼自身が流した血で、ボロボロの姿だったけど……。
でも今の平助の姿は、とても頼もしく感じられた。


『平……助……』

「子犬ごときが、まがい物の力を手に入れて図に乗ったか。よかろう。ならば今度は首を刎ね、その心の臓を貫いてくれる!」

「やってみろよ!言っとくが、オレもただじゃ死なねえからな!」


風間は刀の切っ先を、平助へと向けた。
対する平助の刀の切っ先は、まだ微かに揺らいでいて……。
体力がまだ戻っていないのが、見て取れる。
そんな時、不意に声がかかった。


「まったくもう……。今は、そんなことしてる場合じゃないでしょ。まがい物まがい物って、そう呼ぶ相手にムキになる方が大人げないわよ。」

『千姫!?君菊さん!どうしてここに?』

「えっと、藤堂さんだったかしら?風間相手に、よく頑張ったわね。」


あれ、無視?


「え?どうしてあんた、オレのことを知ってるんだ?千華、おまえの知り合いか?」

『あ、えっと……』


そういえば平助って、千姫と会ったことがないんだ。


「……貴様、八瀬の里に住まう女鬼か。」

「京に住む旧き鬼が、我々に何用です?」

「さすが、お二人はご存知の様子。こちらにおわすお方は、東にも西にも属さぬ旧き京の鬼の血族ーーかの鈴鹿御前の直系にあたられる八瀬の姫君です。」


かの有名な鈴鹿御前の末裔……。
千姫は私や風間、天霧以上の血筋の鬼なのだ。


「……鈴鹿御前の末裔が、何の用向きだ。この俺に挨拶に来たのか。」

「何でこの私が、あんたごときに挨拶にこなきゃならないのよ。今日こうしてわざわざ出向いたのは、他でもないわ。……鬼は、あくまでも歴史の影。人の世界の政に関わってはいけないって掟を忘れたの?……鬼の力を使って倒幕を成そうなんて、もっての外よ。無論、彼女を奪い取る為に新選組の人たちを傷つけることもね。」

「我々の振る舞いは、鬼としてのあり方に反すると仰るわけですか。」

「我々とて、倒幕が成った後まで薩摩藩の連中に手を貸してやるつもりはない。」

「たとえ近い将来手を引くとしても、今までのあなた方の罪が消えるわけじゃないわ。場合によっては、あなた方一族を子々孫々に至るまではぐれ鬼としなくてはならないかもしれない……その覚悟は、できているのかしら?」

「…………」


千姫と風間の睨み合いが、少しの間、続いた。


「交換条件は、何です?」

「簡単なことよ。彼女の身はこれから、私たち八瀬一族が預かります。あなた方は今後一切、手を出さないでちょうだい。そうすれば、今まであなた方が人の歴史に関与していたことを見逃しましょう。」

「何故この俺が、貴様ごときの意向に従ってやらねばならぬのだ?」


あいつ阿呆か……!

風間が、千姫の言葉を一笑に付そうとした時。


「ーー無礼者が!己が立場をわきまえよ!」


刃のような一喝が響き渡った。
その言葉を発したのは、私の知っている千姫であって、千姫じゃない。
凛とした双眸で相手を見据える、鬼の姫……。


「鬼の掟を破って人に手を貸し、人の世の歴史を大きく動かしたおまえたちはーーはぐれ鬼どころか、御家断絶も充分にあり得る立場。そのおまえたちの罪を、見逃そうというのです。聞き届けぬというのであれば、風間一族を鬼と認めることはできなくなる。それでも、構わないというの?」


千姫の言葉に、風間も天霧も黙り込んでしまう。
だが、やがて……。


「言ってくれる……が、面白い。伊達に、旧き鬼の血を継いではいないということか。帰るぞ、天霧。ここは退いてやることとしよう。」

「は……」

「だが……汐見の娘が自ら望んで嫁に来るというのであれば、貴様が関知する筋合いは、なかろうな?旧き鬼の末裔よ。」

「はあ!?彼女が望んで、ってーーあんた、何、勘違いしてるのよ?」


ありがとうございます、千姫様。
私の言いたいことを言ってくれて。

だけど風間は、千姫には一瞥もくれず……。


「命拾いしたな、鬼のまがい物。今回は見逃してやるが……肝に銘じておけ。おまえが醜く狂い果てるのであれば……その時こそ、殺す!」

「…………っ」


やがて彼らは、夜の闇に溶けるように姿を消してしまった。


「……行ったみたいね。ひとまず、これでもう風間はあなたたちに手出しできない筈だと思うんだけど。」

『……助けてくれてありがとう。千姫、君菊さん。』

「私は、姫様の命で動いていただけですので。それよりも、お急ぎください。薩長軍の兵が近づいてきています。」

『あ……!』

「そうだ。オレたち、大坂城に行かなきゃならねえんだよな。」

「じゃあ、積もる話はまた今度ってことにしましょう。二人は、大坂城に行くの?」

「ああ。新選組の皆も、そこに向かっている筈だから。」

「お菊、この辺りの状況はどうなってるのかしら?」

「この先の淀藩は、幕府を裏切ったそうですが……そこを抜けてしまえば、さして困難もなく大坂城まで辿り着けるでしょう。」

『二人共、ありがとう。本当に、何て言えばいいか……』

「そのお礼も、また今度ね。……それじゃ、行くわよ、お菊。」


二人の背が、そのまま夜の森に溶けていく。
鬼との出会いに、私たちを助けてくれた千姫と君菊さん……。
私たちは、二人のおかげで難を逃れることができたけど。
他の隊士たちは、無事なんだろうか。
立ち止まってはいられない、一刻も早く、皆と合流しなくては……。


[*prev] [next#]
[main]