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02


年明けの一月三日。
新しい年を実感する余裕も与えてくれず、戦いの気配は、私たちに忍び寄っていた。
大坂と京を結ぶ街道の一つ、鳥羽街道を通って京を目指していた幕府軍と、そこに立ちはだかる薩摩長州軍とのにらみ合い。
二者の間で開かれた戦端は、私たち新選組が陣を張る伏見街道にまで飛び火してきてしまう。
奉行所を見下ろす高台に陣を張った薩摩軍が大砲を撃ち込んできたのを皮切りにーー。
私たちは、薩摩軍と刃を交えることとなった。
戦いが始まってからずっと続いていた砲撃と銃撃の音が止んだのが、つい先ほど。
夜の訪れと共に訪れた小休止に、奉行所に立て籠もっていた私たちは、ようやく安堵の息を吐いた。


「左之ー、千華ー。……生きてるか?」

「……何とかな。夕方頃は、本気で死ぬと思ったぜ。」

『何せ、奉行所を出た途端、砲弾銃弾雨あられときたもんね。』

「ったく薩摩の奴ら、高台に陣取っていい気になりやがって。飛び道具ってのは、卑怯者が使う武器じゃねえのか?」


渋い顔をした新八さんの言葉通りーー。
日中は、薩摩の大筒や鉄砲の弾がひっきりなしに飛んできていた。
私たちの剣の腕は、敵よりもずっと上だと思うけど……。
敵の間合いに入れないのでは、どうしようもない。
……戦いが始まって以降は、この奉行所を守るのが精一杯だった。


「この後、どうするんですか……?」

「ここまでは、防戦一方だったが……日が暮れた今ならば、敵の銃の狙いも定まらぬ筈だ。反撃の為には、この機を逃すわけにはいかん。」

「……斎藤の言う通りだ。」

『あ、土方さん。被害のほうは……?』

「正直言って、厳しいな……だが今夜を逃したら、明日にはもっと状況が悪くなっちまうだろう。闇に乗じて、敵陣営に乗り込むしかねえ。」

「待ってました!このまま防戦一方より、そっちの方が俺らの性に合ってるよな。」

「……俺も、賛成です。銃撃戦が続けば、こちらが不利になるのは目に見えています。」

「問題は、動ける奴が減っちまってるってことだよな……うちの十番組の奴らも、全員は動けねえ。」

『近藤さんや総司がいてくれれば、もう少し楽なんだけどね……』


……そう、今ここに近藤さんはいない。
去年の暮れ、狙撃されて大怪我を負ってしまったからだ。
今は病気の総司と共に、大坂城にいる松本先生に診て頂いているけれど……。
残念ながら、戦いに出られる状態ではないらしい。


「ほぼ無傷の羅刹隊を使うしかねえ……近藤さんがもしここにいれば、そう指示しただろうよ。」

「羅刹隊……?」

「何を呆けているのです、藤堂君。我々にご指名ですよ……ようやく、我々の活躍の機会が巡ってきたということです。」

「……ああ!そっか、オレらの出番か。」


……平助?


『平助、どうかしたの……?』

「……いや、そういやオレ、羅刹隊だったことを思い出してさ。んじゃ、日中寝てた分を取り返さねえとな。」

「よっしゃ、その意気だ平助!俺たちも、早速夜襲に備えるぞ!」


その時だった。

ドオンッ!


『!!』


新八さんの声を掻き消して、日中聞き慣れた砲撃の音が耳を突く。


「敵に先手を打たれたか?」


千鶴以外の私たちが、とっさに立ち上がった瞬間。
ーーもう一発。
連続する砲撃の音に続いて、何かが吹き飛ぶような音が続く。
千鶴の耳を押さえていた手をどけると、土方さんの指示が飛んだ。


「ちっ。囲まれてるようだな。行くぞ、おまえら!これから敵を押し返す!」


私たちは土方さんの言葉に頷いて外へと駆け出した。
土方さんの言葉通り、奉行所は既に薩摩の兵に取り囲まれているみたいだった。
大筒が直撃したのか、奉行所の門が吹き飛んでーー。
薩摩兵が、雪崩れ込んできているのが見える。


「へっ。わざわざあっちから来るなんざ、手間が省けてちょうどいいってもんだ。やってろうじゃねぇか!新選組二番組組長、永倉新八ここにありだ!」


新八さんたちは不敵に笑い、門の防衛の為、駆け出していく。


「さて……我々も行きますよ、藤堂君。薩摩……いえ、薩長軍の兵全員に、我々羅刹の恐怖を刻み込んであげましょう。」


血にまみれたような山南さんの笑みに、思わず寒気を覚える。
平助は……本当に彼と行動を共にして大丈夫なんだろうか?


「待ってくれ、山南さん。」

「何です?」

「人手が足りねえんだ。平助は、ここの守りに残してやってほしいんだが。」

「左之さん……?」

「……おまえも、他の隊士に守られるよりは事情を知ってる平助に守ってもらう方がいいだろ?千華。」

『え……』


私は今回は奉行所の守りを土方さんは命令されている。
守られる程弱くない……んだけど……組長一人でここを突破できるかって言われたら正直キツいかもしれない。
人間相手に鬼の力を使うわけにもいかないし。
それにいつ鬼のあいつらが来るかわからない。


『……うん!』


左之さん、もしかして気を遣ってくれた……?


「ってことだから頼むぜ、山南さん。」

「……わかりました。」

「そんじゃ俺は新八を援護してくるから、ここのことは頼んだぜ。千華、千鶴のことは任せろ。」


左之さんの言葉に私は頷いた。
駆けて行く左之さんを見送って私も白い隊服を翻しながら周りを見渡す。


「藤堂君が、どこにいようと構いませんよ。……どの道、この状況では全ての場所が前線ですからね……!」


山南さんは手近な兵を一息で斬り倒し、羅刹隊を率いて走り出す。


「羅刹隊は全員、私についてきなさい!たとえ銃を持っていようとーー、人間ごときが我々に勝てる筈がありません!」


……その姿はさながら、地獄の獄卒のよう。
思わず震えてしまった私を、平助が背にかばってくれた。


「千華、何があっても絶対にオレから離れるんじゃねえぞ!」

『誰に言ってんのよ!』


…そして。
目を覆うばかりの激戦が、幕を開けた。

血の雨と、銃弾の雨、……剣林弾雨とは、よく言ったものだと思う。
私と平助が着ている白い隊服にはべったりと血がついていた。


「くそっ!斬っても斬ってもきりがねえ……!千華、大丈夫か!?どこにも怪我なんてしてねえよな?」

『大丈夫。もちろん怪我なんてしてないけど……でも、平助は大丈夫なの?』


戦いが始まってから、背中合わせに戦う私をかばってくれていた平助はーー。
既に銃弾と刀にさらされ、無数の傷を負っていた。
……けど。


「……心配すんなって。」


撃ち抜かれた腕から溢れる血が、肩を裂いた刀傷からにじむ血がーー。
流れる端から止まり、傷口が瞬く間に塞がっていく。


「……俺はもう、人間じゃねえんだ。この程度じゃ死ねねえんだよ……」

『平助……?』


今のは、目の錯覚だったのだろうか?


「どうした?何か、気になることでもあるか?」

『ううん……』


この様子だと平助自身、気付いないみたいだけど。
でも確かに今、一瞬ーー。
銃声がこだまして、平助の肩の辺りに血の華が爆ぜる。


「……ちっ!」

『平助……!』


私は、手近の敵を斬り捨てて慌てて傷口を押さえようとするけどーー。


「いや、大丈夫だ。これぐらいなら、すぐ治るから。」


平助が言う通り、銃弾の後は、傷跡すら残さずに綺麗に消えてしまう。


「本当、化け物以外の何者でもねえよな。刀も、銃も効かねえなんてーー」


再び、銃声がこだました。
けれどーー。


「いい加減、思い知れよ!銃なんて効かねえっつってんだろ!」


私が目の前の敵を斬り倒すと同時にその隣にいた敵を平助が斬り捨てる。
私は思わず目を見開いた。


「消えろ……!おまえら全員、さっさとここから消えちまえよ!」

『!!』


……まただ。
また平助の髪が一瞬、白く……!
しかも、それだけじゃなくてーー。


「ぐぁあああっ……!」

「……人間の身体って、不便だよな。傷を負うと、すぐに動きが鈍っちまう。」


どうしてーー。
なぜ平助は、笑ってるの?

呆然と平助を見ていると、平助は急に振り返って私の目の前にいた敵を全員斬り倒してしまった。


「残ってるのは、あと一人か。意外とあっけなかったな。」


平助は頬に飛んだ血飛沫を、軽く舐めるような仕草をした。
陶然としたようなその瞳は……。
あの羅刹と、そっくりだった。
このままでは、平助もいずれーー。


『平助!もう充分だよ。一旦下がろう!?』

「何言ってんだよ。まだいるだろ……?次の敵ーー次の血が……!」

『!!』


ーー間違いない。
時折垣間見える白い髪、血に飢えた瞳。
それは、血に酔ったときの羅刹そのもの……!

この場にいる最後の敵を斬り捨てると、平助は、いったん動きを止めた。
そして、夢の中にいるような動きで、返り血がこびりついた己の手を凝視する。
そのまま、その手を口元へと持っていこうとした時ーー。


『平助!駄目よ!』


私は目の前にある背中に抱きつくような勢いで、平助を止めていた。


「千華?何するんだよ……」


焦点を結ばない瞳が、こちらを振り返った。

……私は、馬鹿だ。
羅刹がどれだけ不完全で危険な存在か、よく知っていたはずなのに……。
心のどこかで、平助なら大丈夫だと思ってた。
……いや、思い込もうとしていたんだ。
本当は、もっと早く、平助を止めるべきだったのに……!


『もう、いいよ……敵はいないから……次の敵なんかいないから……!お願いだからもうやめて、平助。』

「…………」


平助は少しの間、不快げな眼差しを私に向けていたけどーー。
やがて、刀を持つ己の両手へと視線を落とす。
そして……、今度こそ動きを止めた。


「あ……あ、オレ……、オレは……!今、何をしようとしてたんだ?血を見てたら急に我を忘れて、それで……!」


彼は呆然とした様子で、一歩、二歩と私から離れた。
ーー約束を破ってしまった子供みたいに、泣きそうな顔で。


「千華、オレ、もう駄目かもしれねえ……気付かねえうちにどんどん人間じゃなくなってく自分が……、怖い。今も、血が欲しくて……気が狂いそうだ……」


苦しそうに話す平助は、まるで助けを求めているみたいで……。
私の言葉が届くかはわからないけど、それでも伝えないわけにはいかなくて。


『平助……大丈夫よ、落ち着いて。平助は、ちゃんと人間だから……!だから……』

「だけど!だけど、今のオレは……!黄昏が夜明けに見える!月が太陽に見える!人の血の匂いが、感触が、温もりがーー心地いいんだよ!」


私が彼の言葉に、唇をぎゅっと噛みしめたその時ーー。


「……それでいいんですよ、藤堂君。心に命じられるままに従いなさい。」

「山南……さん……?」

「耐える必要など、どこにあるんですか。人の血が欲しいのであれば、口にすればいい。そうすれば、その渇きは潤います。」

『山南さん……!』


暗い眼差しで平助を誘うその姿は、既に人のものには見えなかった。


『やめてよ!平助に、変なことを吹き込まないで!』

「どこが、変だというのです?血を飲まねば生きられぬ身体になってしまったのならば、そうするしかないでしょう?我々に血を求めるなというのは、人間に食事をするなと言っているようなものです。汐見君、あなたは藤堂君に飢えて死ねと言うのですか?」

『それは…………』


確かに、苦しみを紛らわせる術が他にないのなら、そうするしかないのだろうけど……。


「私たちは既に、人間ではありませんーー羅刹です。彼が今感じている苦しみ、痛みは、同じ羅刹である私にしかわかりませんよ。」


確かに私には、平助が今どれだけ苦しんでいるのか、推し量ることしかできないけど……。


『…………』


でも、私が知っている平助は、人の血を飲むことをそんな簡単に割り切ってしまう人じゃない。
そんな時ーー。


「……山南さん、わざわざ助言してくれてありがてえけどさ。こいつは、オレのことをよくわかってくれてるよ。……多分、山南さんよりずっと、さ。」

『平助……』

「ぐっ……!」


平助はそのまま苦しげに身を折り、地面に膝をついた。


『平助、大丈夫!?苦しいの……?』

「……吸血衝動がやってきたのでしょう。血の匂いを、あれほど嗅いだ後ですからね。」

『そんな……!』


平助は苦しげに顔をしかめていたけど、必死に笑みを作りながら顔を上げ……。


「……安心しろよ。オレは、人の血なんて飲まねえ。そんなの……、人間がすることじゃねえもんな……!」

「……君はまだ、自分のことを人だと?もはや人ではなくなった身だというのに、人の世の善悪に縛られる必要がどこにあるというのですか?」

「…………」


平助は山南さんの顔を睨みつけていたけどーー。
山南さんの言葉に揺らいでいる様子はなかった。
平助は、人の血を啜るつもりはないって思ってくれてるんだ。


「……ですが、私とて人から羅刹に変じた身。今の君の動揺もわかります。どうしても血を飲むのが嫌だと言うのであれば……、これを。」

『この薬は……?』

「松本先生が作って下さった薬です。吸血衝動を抑える効能があるとか。」

『そんな物が……!?』


私は、一瞬迷ったけれどーー。
少なくとも、人の血を飲むよりは抵抗がないに違いない。


『ありがとうございます、山南さん。これ、頂くね。』

「ただ、覚えておいてください。その薬はあくまでも、その場しのぎでしかありません。我々羅刹の苦しみはーー、人の生き血を口にするまで続くのです。」


不穏な言葉を残し、山南さんは足音も立てずに去っていった。


「……ぐあ……がっ……!」


平助の髪が再び白くなり、その眼が赤く染まる。
顔は苦しげに歪み、口からは苦悶の声が漏れていた。
今まさに苦しんでいる平助に、私はーー。


『平助!さっきの薬を……!』


果たして、どれほどの効果があるかはわからないけど。
でも今は、この薬を信じるしかない……!


「ぐっ……そう、だな……、血を飲むよりは、ずっといいか……」

『この水筒の水を使って。むせないように、気を付けてよ……!』

「ああ、わかってる……」


その後、平助は渡した薬を飲んでくれたけど……。


「ぐ、うっ……う……!」


発作はすぐには治まってくれず、胸が潰れるような思いに駆られた。
実際には、ほんのわずかな時間の筈なのに……。
今の私には、時が過ぎるのがひどく遅く感じられてしまう。


『平助、頑張って……』


程なくして、平助の呼吸は次第に楽なものへと変わっていったのだった。


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