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そして、ようやく五稜郭の裏手へと戻ってきた時。


『…………』


そこに広がっていた美しくも儚い光景に、私たちは声を失った。
桜の淡い花弁が、ほのかな香りと共に風に散らされ、空を舞う。
まるで浮世に迷い込んだかのような、幻想的な景色……。
まるで、夢を見ているみたいだった。


『土方さん。傷の調子は大丈夫?』


私の問いに、土方さんは曖昧な笑みで応える。
羅刹となった彼ならば、これくらいの傷、すぐに癒えてしまうはずなのに。
羅刹の力の源はその人間の寿命だと、以前、天霧から聞かされたことを思い出す。
考えたくはないことだけど……。
もしかして彼の寿命は、尽きようとしているのではないだろうか。
不意に、土方さんが口を開いた。


「おまえには、桜が似合うな。」

『……え?』


唐突な言葉に、私は目を瞬いた。


『私に……、似合うかな?私は、土方さんの方が似合うと思うけど。』


美しいままで散りゆく桜の姿は、まるで衰えを嫌っているかのよう。
理想とする【武士】の姿を追い続けて、命まで賭した彼の生き様とよく似ている。
不意に、強い風が桜の平原を吹き抜けた。
かすかな香りを立ち上らせながら、桜が舞い散る。
そして……。


「ーー生きていたのだな。」


あの人が……、風間が、いつの間にか少し離れた所に立っていた。


『……どう、して……』


唇から洩れた声は、かすれていた。


「決着をつけに来ただけだ。俺の誇りにかけて、この禍根を消し去る。」


宇都宮城で戦ったあの日、風間は言った。
次こそは土方さんの息の根を止める、と。
土方さんと戦う為に、こうして蝦夷まで追ってきたに違いない。


「よくぞ、この地まで辿り着いたものだな。ただのまがい物ふぜいが。東国での戦は、敗走に次ぐ敗走だったと聞いている。たとえ武家の生まれの者でも……いや、鬼として生を受けた者でも、あれほどの苦難を乗り越えることはできぬだろうな。」

『…………』


どういうことだろう?
あれだけ、人間や羅刹を見下していた風間なのに……。
今の言葉はまるで、土方さんを賞賛するような響きが込められていた。


「……まさか、本当に蝦夷まで来るとはな。俺が途中で死んでたら、どうするつもりだったんだ?とんだ無駄足じゃねえか。」


土方さんの問いに、風間は笑みで応える。
そしてーー。
その腰の刀が、抜き放たれた。


『待ってよ!土方さんは今、深手を負ってるのよ!』


私が土方さんをかばうように立ちはだかろうとすると……。
土方さんが私の肩に手をかけ、押し留める。


「……下がってろ。」

『だけど……!』

「こいつは何もかも投げ打って、俺を追ってきたんだろ?なら、その心意気に応えてやるのが、誠の武士ってもんじゃねえか。」

『…………』


確かに、土方さんの言う通り……。
風間ははぐれ鬼になってまで、己の誇りを守ろうとしている。
彼らの間に通じる所があるとすれば、己の信念の為に命を懸けられるところなのかもしれない。


「平気だよ、俺は死なねえ。死ねねえ理由ができたって言ったじゃねえか。」

『…………』


致命傷を負ったばかりで、しかも、寿命が尽きかけているかもしれない今ーー。
風間と戦ってしまえば、その時こそ、土方さんの命は絶えてしまうかもしれない。
だけど……。
ここで勝負を避けてしまえばきっと、誠の志は折れてしまう。


『わかった。私は、ここで見届ける。……信じてるから。』


土方さんの口元から、微笑みが漏れた。
散り際の桜の花のような、儚さを帯びた笑み……。


「……羅刹など、所詮はまがい物。ただでさえ短い寿命を削ってとて、その力は、我ら純血の鬼には敵わぬ。」


舞い散る桜の花弁が、はらはらと風間の金の髪に舞い落ちた。


「貴様らは散り行くさだめにある。生き急ぐ様は、まるで桜のようだ。」

「……生き急いでるわけじゃねえよ。必要とされるものが多かっただけだ。新選組が理想とする武士の道は険しいんでな。」


淡々とした口振りで応える土方さんの口の端には、小さな笑みが浮かんでいる。
今まで、ひたすら前を向いて登り続けてきた坂道ーー。
おびただしい量の汗と血、そして涙を流した一瞬一瞬全てを誇るような、万感の思いをこめた表情だ。
沈黙の後、風間はぽつりと呟く。


「【羅刹】と言うまがい物の名は、貴様の生き様には相応しくないな。」


絶対の自信に満ちた赤い瞳に、蔑みの色は感じられない。


「貴様はもはや、一人の【鬼】だ。」


己が鬼であることに強い自信と矜持を持つ風間が……。
変若水を飲み、偽りの鬼となった人を、【鬼】と呼んだ。
それはおそらく彼にとって、これ以上ないほどの賞賛の言葉に違いない。


「まがい物という評価は、取り下げよう。貴様の存在に敬意を表し、鬼としての名をくれてやる。……【薄桜鬼】だ。」


千鶴と初めて会った、あの晩ーー。
髪を風になびかせた彼の居姿が狂い咲きの桜のように見えたことを思い出す。
……まるでこの名を呼ばれることが、あらかじめ定められていたかのようだ。


「鬼として認められる為に、戦ってきたわけじゃねえんだがな。」


不敵な笑みで応えながら、土方さんは、共に激戦をくぐり抜けてきた愛刀を引き抜いた。


「長くは遊んでやれねえが、それでいいだろ?」

「構わぬ。一太刀で仕留めてくれよう。」


風間も、刀を構えた。
余人が立ち入れぬほどの凄まじい殺気が、二人の間に立ち込める。
勝負はおそらく、一瞬で決まる。
間合いを保ったまま動かない二人の間を、強い春風が吹き抜きていくーー。
桜の花弁が、高く天まで舞い上げられた。
そして、互いの視界が桜で埋め尽くされた瞬間。
二人は、同時に地を蹴った。
交錯は、一瞬。
互いに放った一刀は、ただ双方の掛け値ない全力が込められたものだった。
風間の刀は、わずかに土方さんの身からそれていた。
そして……。
土方さんの繰り出した鋭い突きは、風間の胸を深々と刺し貫いている。


「……守らなきゃならねえものが、あるんだ。たとえ鬼にだろうと……、負けられねえんだよ。」


生死を超越した穏やかさを含んだ、とても静かな声音だった。
中空を見つめる風間の瞳は、満足げな色をたたえている。
その唇が、わずかにうごめいた。


「貴様のような鬼と戦い、息絶えるのであればーー」


残されたわずかな命の火を燃やしながら、彼は言葉をつむぐ。


「ーー何を、悔いることがあろうか。俺は誇り高き鬼としての生を全うした。」


己が認めた相手との、命を賭した戦い。
その結末ならば、たとえ己の死でも潔く受け入れる。
風間はーー、誇り高い鬼だった。


「おまえは、俺に勝った男だ。残り少ないその命を、存分に生かすのだな。……薄桜鬼よ。」


それが、最期の言葉だった。
風間の身体から穿たれた刀が静かに引き抜かれ、地面へと落ちた。


「ああ。……生きてやるさ。」


風間の言葉に応えた後、土方さんもその場に膝をつく。


『ーー土方さん!』


私は、急いで彼の元へと駆け寄った。


『土方さん……!土方さん、しっかりしてよ!』


懸命に呼びかけると、彼は、困ったような眼差しで私を見上げてくる。


「……相変わらず泣き虫だな、おまえは。そんな調子じゃ、武家の女房なんてつとまらねえぜ。」


弱々しい声でつむがれる憎まれ口に、胸が痛くなる。
何度、こうして無茶をする彼の姿を目にしたことだろう。


『……土方さんが、泣かせてるのよ。それに、武家の女房だって……大切な人が大怪我したら、悲しいに決まってるわ。』


双眸から溢れた涙が粒となって、土方さんの頬へと落ちた。
土方さんの震える指が、私の目元へと伸び、優しく涙を拭ってくれる。


「……安心しろ。これからは、こんな風におまえを泣かせることもねえよ。これからの時間、おまえのことだけを考えて生きてやるさ……」


土方さんの瞼が、静かに閉じられる。
血まみれのその身体を、私は今一度、強く強く抱きしめた。
青い空は、まばゆい桜吹雪に彩られていた。


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