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二股口から箱館に戻った後、土方さんは弁天台場を訪れた。
弁天台場は、海を埋め立てて作った要塞だという。
元々は外国船の襲来に備え、幕府が設置していた砲台らしい。
土方さんが今日こうして、ここに足を運んだのは……。
「お久し振りです、土方局長!」
「よう、調子はどうだ?」
「変わりありません。いつ新政府軍が来ても、返り討ちにしてやりますよ!」
『……皆、無事でよかったよ。』
「何言ってやがるんだ。まだ戦いは始まってねえんだから、無事に決まってるだろうが。なあ?」
「そんな……心配してくださって、ありがたいです。」
相馬君優しい…!
出来た子だわ、本当に!
「汐見君も、元気そうでほっとしましたよ。どうですか?調子の方は。」
『……うん。変わらず、傍に置いてもらってるかな。島田君にはかなわないけど、私も頑張って土方さんを助けてるから。』
「……いや、君には誰もかないませんよ。」
「確かに。土方さんに勝てるのは、汐見先輩だけですからね。」
『えっ……そうかなあ?』
「おまえら、その辺にしておけよ。こいつがこれ以上調子に乗ったら、どうするんだ。」
『ちょ、調子に乗るって何よ……!』
「これは、申し訳ありません。つい……」
ひとしきり笑いが起こった後、土方さんは不意に相馬君へと視線を移す。
「……相馬。」
「はい、何でしょう?」
「例の絵、ありがとよ。」
「礼には及びません。井吹もきっと、喜んでると思います。」
「……そろそろ俺も、背負った荷物を下ろす頃合いなのかもしれねえな。後のことは、よろしく頼むぜ。」
その言葉に、相馬君の表情がこわばった。
土方さんの言葉にただならぬ気配を感じたのか、彼はぎこちない表情で問い返す。
「あの……、それは一体、どういう……」
だけど土方さんは優しい眼差しで、相馬君を見つめているだけ。
そんな彼の様子から、何かを読み取ったのか……。
「……わかりました、お任せください。」
相馬君の言葉に、土方さんは満足げに頷いた。
「島田。大鳥さんを呼んできてくれるか?話がある。」
「わかりました。少々お待ちください。」
島田君が大きな身体を揺らして立ち去った後、空からピュ〜ッと聞き慣れた鳴き声が聞こえた瞬間。
バシッ!
『いだ!?』
私の顔面に何かが叩きつけられた。
前にも似たような事があったな…と思いながらそれを見ると見慣れた文で、私は上空を見上げた。
いつものように里からの文を銀狼が届けてくれたようだ。
『こんな遠いところまでご苦労さん。』
私がそう声をかけると、銀狼は私の肩に降りてきて、ブスブスとくちばしで私の頭をつついてきた。
言おう。
めちゃくちゃ痛い。
『いだだだだ。ごめんって、本当にありがとう。』
その背を撫でると銀狼はピェ〜と鳴いて私の頭にすり寄ってきた。
それを見ながら文を懐へとしまう。
「里からか?」
『うん。いつものことだよ。次期頭領は忙しいからね。』
「……そうか。」
『何その疑いの目は!』
私と土方さんのやり取りを相馬君が笑ってみている。
そんなことをしていると、島田君は、大鳥さんと共に再び姿を現す。
「……すまない、土方君。松前口を落とされてしまったのは、僕の力が及ばなかったせいだ……」
「勝敗は兵家の常、ってな。過ぎたことを言っても始まらねえよ。あれは、兵を分散させたのが悪かったんだ。数に勝る新政府軍を迎え撃つなら、台場と五稜郭に戦力を集中させるべきだろ?」
「弁天台場は、我々にお任せください。この命をかけて守り抜きます!」
「そうです!【誠】の旗がある限り、俺たちは土方さんと共に戦い続けます!」
「……馬鹿なことを言ってんじゃねえよ。ここの指揮官は大鳥さんだってことを忘れるな。」
「今回は、僕も【誠】の旗を掲げるよ。……それなら、何の問題も無いだろう?この旗が折れてしまわない限り、僕らも負けないような気がするんだ。僕は負け続きだけど……、志は、最後まで折りたくないからね。」
大鳥さんの覚悟に、私の肩にいた銀狼はピュ〜ッと鳴いた。
「陸軍奉行が縁起をかつぐのか?しっかりしてくれよ、大鳥さん。」
ふと気づけばいつの間にか、その場の皆が笑顔になっていた。
ただ言葉を交わしているだけで、不思議と心が通い合うようだ。
「大鳥さん、島田、そして相馬。弁天台場を頼む。」
土方さんは静かに笑むと、踵を返して歩き始めた。
『……ご武運を。』
私も彼らに頭を下げ、銀狼を連れて土方さんの後を追おうとした。
その時ーー。
「汐見君!土方さんを頼みます!」
慌てて後ろを振り返ると、島田君の真剣な表情が目に入る。
この戦が始まってから……私は幾度となく、この言葉をかけられた。
『……ええ。できる限りのことはするわ。散っていった皆の分も、命をかけて。』
「身体を張る必要はありません。君には、土方さんの心を守ってほしいんです。」
『心を……?』
「土方さんは強い方ですが……、その強さの裏で、一人苦しむ方でもあります。傍で支える人間が必要です。……俺は、それが汐見君だと思っています。」
土方さんを、傍で支えたい。
それは私自身の望みでもある。
でも……。
『私に、できるかな……』
差し迫った戦いの凄絶さを思うと、不安になってしまう。
「何を言ってるんですか!汐見先輩以外に、できるはずがありませんよ。」
「相馬君の言う通りです。あの人が誰より心を許しているのは、君ですから。」
『……うん。』
私が、土方さんの心を支えよう。
土方さんの傍にいられるのは、今はもう私だけなのだから……。
決意を込めて、私は大きく頷いた。
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