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そして、蝦夷地にも遅い春の気配が近づき始めた三月後半のこと。
新政府軍の艦隊がとうとう、蝦夷へとやってきた。
その艦隊は、宮古湾に停泊するらしい。
多くの戦艦を持たない蝦夷共和国は、その旗艦を奪い取る作戦を立て始めた。
作戦の実行には、土方さんも参加する。
五稜郭で留守を命じられた私は、彼が無事に帰って来てくれることをただ祈っていた。
そして……。


『土方さん、皆……!よく無事で……!』


土方さんたちの姿を目にした途端、私は我慢できずに泣きじゃくってしまった。


「泣き虫だな、おまえは。そんなに涙ばっかり流してると、そのうち干上がっちまうぞ。」


土方さんは苦笑しつつも、傍にいてくれたけど……。


『……ん?』


いるはずの人の姿が見当たらないことに気付き、私は視線をさまよわせる。


『ねえ……野村君、は……?』


その言葉で、皆は一様に悲痛な表情になる。
悪い予感が、激しく胸を突きあげてきた。
この様子は、まさかーー。
やがて唇を強く噛み、相馬君が答える。


「野村は……、亡くなりました。真っ先に敵艦に斬り込んでいったのですが、撤退が間に合わず……」

『…………』


先程の、再会を喜んだ時とは違う涙が、瞼からこぼれ落ちる。
私たちはこれから先、何度この知らせを聞けばいいのだろう。
この蝦夷地に着いてから初めてもたらされた、見知った人の訃報に、目の前が真っ暗になる。


「……野村君はずっと、近藤局長をお守りできなかったことを悔いていました。あの世に逝った時、恥じることなく局長にお会いしたいと……、口癖のように言っていました。彼は、本望だったと思います。……立派な最期でした。」


甲鉄艦奪取作戦は、失敗に終わった。
出港した艦船のひとつが失われ、優秀な艦長の一人も戦死したという。


執務室に戻って、私がお茶の準備をして執務室に戻った時土方さんは言った。


「……箱館を離れるなら、今のうちだぜ。ロシアかイギリスの商船に話をつけてやる。おまえ一人を逃がすくらい、どうってことねえさ。」


きっと、新選組は戦争に負けてしまう。
だから土方さんは今のうちに私を箱館から遠ざけ、安全な場所に逃がすつもりなのだろう。
そして、おそらく……。
彼は、ここで死ぬつもりなのだ。


『何度聞かれても、私の答えは変わらないわ。……土方さんの傍にいるよ。』


土方さんの心遣いがわからないわけじゃない。
でも、もう置き去りにされたくはなかった。
そう遠くない未来、遠い地で彼の訃報を受け取るぐらいなら……。
ここで、共に息絶える方がいい。


『私を手放さないでよね。ずっと、手元に置いておいてよ。』


土方さんと離れ離れだった、三ヶ月間のことを思い出す。
まるで、己の半身を失ったようだった。
目に映るものが全て色あせ、息をすることさえ苦しく感じられた。
土方さんの傍を離れたら……、私の心が死んでしまう。


『……もう、離れない。何があっても。』


土方さんは困ったように目を細め、ため息を吐きながらも小さく笑った。


「そう言うだろうとは思った。……本当に物好きな奴だな、おまえは。」


諦めたようにため息を吐き出しながらも、土方さんは私の気持ちを受け入れてくれた。
そんな土方さんの瞳は、少し複雑そうに揺れている。


『私のこと、心配してくれるんだね。』

「……当たり前だ。」

『私のことが心配なら、私から絶対に目を離さないでね。私のことは、土方さんが守ってよ。』


私の言葉が意外だったのか、土方さんは軽く目を見開いた。

それもそうだろう。
私はあれほど、守られるほど弱くないって、言っていたのだから。
それが今、私は初めて、誰にも言ったことない守ってって言葉を土方さんに口にした。


『……生きて。私のことをちゃんと守り抜く為に。』


土方さんは深く考え込んでから、静かに口を開く。


「安心しろ。……惚れた女を先に死なせる気はねえよ。」


守るとは言ってもらえなかったけど……。
彼の心が少しでも生に向いたのならば、それだけで充分だった。


***


暦は、ようやく四月に至った。
新政府軍は、この蝦夷を目指して集結してるという。
土方さんが予想した通り、乙部から上陸し、今は松前口と二股口に兵を進めているとのことだ。
松前口を詰めている部隊は、大鳥さんに率いられている。
そして土方さんは、二股口の部隊を指揮している。
私も土方さんの部隊と共に、二股口で待機することになった。

雪こそ溶けたとは言え、まだまだ寒い日が続いている。
特に、夜の冷え込み方は尋常ではない。
ずっと野外で待機を続けていると、手はかじかんで身体も震え始めてしまう。
四月の下旬を迎えたそんな夜、土方さんはなぜか酒樽を持ってきた。
そして……。


「ここが正念場だ。気張ってくれよ。休みらしい休みも取れねえが、酒の一杯ぐらいは呑ませてやるからよ。」

「あ……、ありがとうございます!」


土方さんは兵の一人一人に声をかけ、微笑みながら酒を振る舞っていく。
陸軍奉行並が、手ずから酒を注いでくれる……。
これはとんでもない待遇だと、兵士たちは恐縮した。


「もっと呑ませてやりてえんだが、いつ戦いが始まるかもわからねえしな。敵が攻め込んできたときに、酔っ払っちまってたら笑い話にもならねえ。」


まるで子供をさとすかのような、柔らかい口調で土方さんは言う。


「だから、今は一杯だけで我慢してくれ。戦いが終わったら浴びるほど呑ませてやるからよ。」

「我慢なんて、とんでもないです!」

「また酒にありつく為にも、全力を尽くします!」


多くの兵に慕われるその姿はまるで、ありし日の近藤さんのようだった。

守備を続ける兵たちから離れ、私は土方さんと共に歩く。


『あのさ……土方さん、大丈夫?』

「大丈夫って、何がだ?」

『えっと……』


何が不安だというわけではないけど……。
ただ、言いようもない胸騒ぎに襲われ、口にした言葉だった。


『あの……、酔ってない?』

「……そんなこと心配してたのか?大丈夫だ、俺も一杯しか呑んでねえよ。」


そう答えた後、土方さんは優し気な瞳で兵たちの方を振り返る。


「あいつらは、俺の息子みてえなもんだ。俺にできることは、残り少ねえ。せめて、酒ぐらい振る舞ってやりてえだろ。」


彼らは、新選組が掲げる旗の下に集まった。
新選組が理想とするものを、自らの志として胸に抱いている。
この二股口は、新政府軍の進軍を防いでいる前線だ。
敵の戦力が増えたり、こっちの弾薬が切れたら、それでお終いなのだ。
だけど誰一人、土方さんを疑うこともなく、その指示に従ってくれている。


『土方さんの気持ちは、ちゃんと伝わってると思う。』

「……ありがとうよ。おまえはいつも、俺が欲しい言葉をくれるんだな。」

『…………』


土方さんの笑みはとても優しくて、思わず私は見惚れてしまった。
私の思いで彼の心を支えられるのなら、いくらでも気持ちを言葉にしよう。
……そう思った。


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