37
それは、九月の半ば頃。
仙台藩はますます恭順派に傾き、長く留まることは危険とまで思われた。
合流を果たした大鳥さんたちも、仙台を離れることに賛成したそうだ。
ついに新選組の蝦夷行きが決定された。
榎本さんの艦隊と合流する為、私たちは仙台の町を離れて森に入る。
艦隊との合流まで後少しと言うところで、土方さんは不意に足を止めた。
そして……。
「千華、おまえを連れて行くわけにはいかねえ。ここに残れ。」
『え……?』
土方さんが静かに口にした言葉は、あまりにも唐突なものだった。
『どういうこと?どうして突然、そんな……』
「……おまえは、戦いから離れろ。もう俺たちに付き合う必要はねえだろ?」
『ーーあるわよ!』
「近藤さんや源さん、山崎に頼まれたっつっても、その義理は充分果たしたはずだ。もしおまえがこの先、戦いに巻き込まれて死んだりしたら、俺があの世で皆にどやされちまう……そろそろ、おまえも俺たちから解放されてもいい頃だろ。」
『そんな……!』
確かに、鬼がこれ以上人間の戦に関わるのは良しとされないかもしれない。
しかも次期頭領ともあろう者が、人間に関わり過ぎるなんて。
でも、それは里の許可だって得ているし、八瀬の里の姫ーー千姫にだって許可を得ていることだ。
それに、私は、土方さんの傍にいたい。
「……安心しろ、風間は今後、おまえじゃなくて俺を狙ってきやがるはず。」
『ーー違うわよ!』
私は、再び声を荒げた。
『私は……、風間から守ってほしくて、一緒にいたわけじゃないわ!』
すると土方さんは、頑是ない子供を相手にしているような表情になる。
「……聞き分けのねえことを言うんじゃねえ。俺じゃ、おまえを幸せになんてできねんだよ。」
私を、幸せにできない……?
彼の言葉に、私は目を見開く。
そして私は、震える唇から思いを吐き出した。
『私の、幸せは……幸せなんて……手に入らなくても、構わない。』
幸せになんて、なれなくてもいい。
『私も、皆と一緒に戦いたい。……土方さんと同じ道を歩きたいの。』
土方さんの傍にいられるのなら、ただ部下として付き従うだけでいい。
幸せになることを求めて、土方さんの傍にいたわけではないのだから。
『私、何でもするから、だから……!』
「その気持ちはありがてえが……、おまえは、幸せになるべきなんだと思うぜ。俺たちなんかに付き合わずにな。」
『……土方、さん……』
その言葉に、偽りはないと感じられた。
私をなだめるための方便ではなく、本心からそう願ってくれている。
土方さんの思いが、うれしい。
だけど同じくらい、苦しい……。
「これは、新選組副長としての命令だ。」
土方さんは私を真っすぐに見つめながら、平淡な声音で告げた。
「ーー蝦夷地への同行は許さねえ。おまえの存在は、俺たちの邪魔になる。」
『!』
心の臓が止められたかのように、身体がすっと冷えていった。
手の震えが止まらない。
きっと私の顔は今、真っ青になっているだろう。
けれど、土方さんは表情ひとつ変えなかった。
「おまえは女として生きろ。これ以上、俺たちに、縛られるな。」
その言葉を聞いた途端、全身から力が抜けて、私はその場にへたり込む。
『土方……さん……』
……待って。
そう叫びたいのに、声が出ない。
手足が、自分のものではなくなったみたいに力を失っていた。
「……達者で暮らせ。以上だ。」
『っ……!』
背を向けられた瞬間、いけない、と思った。
このままでは本当に置いて行かれてしまう、と。
けれどーー。
私は、指一本動かせずにいた。
土方さんの背中が、足音と共に少しずつ遠ざかっていく。
鳥羽伏見の戦があってからずっと、追い続けてきた背中。
そして……、今はひどく遠くに感じられる背中。
『そんなの、やだ……!』
喉を絞って叫んだけれど、土方さんは、私の声が聞こえないかのように歩き続ける。
『ーー土方さん!』
名を呼んでも、彼は足を止めてくれず……。
やがてその背中は、見えなくなった。
『土方、さん……』
人の気配がなくなった後も、私はその場にへたり込んだまま立ち上がれなかった。
何かが音を立てて崩れていくような、圧倒的な絶望感だけが胸を占めている。
……土方さんの背中を、ずっと追いかけてきた。
誰よりも前を向いて歩きながら、辛さや痛みを隠したままで生きる人。
けれど、置いて行かれたことはなかった。
縋りつくことを許されていた。
だから私は、あの人と一緒にいられた。
『……っ』
なのに今、立ち上がることも、追いかけることもできないのは、わかってしまったからだ。
ーー私は、今、切られた。
あの人に不要なものとして、完全に切って捨てられたのだ。
涙が溢れて、はらはらとこぼれ落ちた。
「あの、さ……。汐見君……」
遠慮がちな声が聞こえて、私はゆっくりと後ろを振り返った。
『大鳥さん……』
「話は、聞かせてもらったよ。」
榎本さんの艦隊に合流するため、彼もまたこの道を通っていたのだ。
会津での激戦を潜り抜けた為だろうか、彼の姿は、以前より凛々しく見えた。
「……悪いとは思ったんだけど、声をかけるきっかけがつかめなくてね。」
大鳥さんは少し目を伏せながら、小さな白い布切れを私へと差し出す。
『これは……?』
「ハンケチーフっていう西洋の手拭いだよ。……君の涙を拭き取るのに使ってくれないかな。」
『…………』
私は、少しだけ戸惑った。
けれどこのまま泣き顔を見せるのも恥ずかしいから、ハンケチーフへと手を伸ばす。
私が落ち着くまで待ってから、大鳥さんは再び口を開いた。
「君は、土方君の傍にいたいんだね。」
『……ええ。』
「なら……、待っていてくれるかな。僕たちが蝦夷地を平定するまで。」
『え……?』
「僕が、君を蝦夷に呼んであげるよ。泣いている女の子は放っておけないからね!」
『大鳥さん……』
「ああ、礼は言わなくていいからね。君が蝦夷地に着いたら、土方君の傍で死ぬまで働いてもらうことになるんだから。」
え…………?
死ぬまで?
その言葉で一気に涙が引っ込んだ。
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