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そして、その晩。
広間から人気が消えているのを不思議に思っていると……。
「よお、千華!こんばんは。」
『あれ、平助。……他の隊士たちはどうしたの?』
「新八っつぁんと左之さんなら、隊士と千鶴を連れて吉原に遊びに行っちまったよ。」
あいつら……。
どうりで千鶴がいないと思った。
私が断ったから千鶴を連れていきやがったな。
「で、オレが留守番させられてるってわけ。オレ、あの人たちの使いっ走りでも何でもねえんだけどな。雑用押し付けられても困っちまうぜ……ま、以前と変わらない扱いをしてくれるっていうのはうれしいけどさ。」
がらんとした広間の中、平助は寂しそうに笑う。
『そういえば、山南さんは?姿が見当たらないけど。』
「山南さんなら、見回りだってさ。」
『見回り?って……京にいた頃と違って、この江戸を守る役目を仰せつかってるわけじゃないのに?』
「…………」
私の言葉に、平助は沈んだ面持ちのまま黙り込んだ。
そして……。
「……最近、山南さんの様子がおかしいんだ。今日も、夜になってからいきなり【見回りしてきます】なんて言い出して。オレも一緒に行くって言ったんだけど、一人で平気だって言われちまってさ……」
『そうなんだ……もしかしたら、近頃、辻斬りが増えてるって聞いたから、その為なのかもね。』
私たち新選組は幕府にお仕えしている立場だから……。
幕臣の人たちの覚えをめでたくする為、山南さんも自主的に江戸を守ろうとしているのかも……。
でも私の脳裏に島田君から言われた言葉が思い浮かぶ。
『まさか……辻斬りとかって……』
「……いや、オレもわかんないんだよ。だからなんとも……」
平助が腑に落ちない様子で、言葉をにごした時だった。
ガラッ
『あっ、土方さん、お帰り〜。』
「……何だ、まだ起きてやがったのか。」
気丈に振る舞ってはいるけどーー、土方さんの足取りはおぼつかないように見受けられた。
目元には濃い隈が刻まれて、顔も、紙のように色を失っている。
張り詰めた気が緩んだ瞬間、その場に倒れてしまいそうな危うさがあった。
『あのさ……、何か、私にできることある?』
何もできない自分が歯がゆくて、そんな言葉が口をついて出てしまう。
「ねえよ。余計な気を回さず、おとなしくしてろ。」
『そ、そう……』
やっぱり、私にできることは戦う以外ない、か……。
「……おい、だからいちいち辛気くせえ顔をすんのはやめろ。」
『え、ごめん……』
わびる言葉にも申し訳なさが出てしまって、私の声は沈んだ響きを増してしまう。
こんなことでは、駄目だ。
私が気落ちしていると、土方さんも隊士の皆も、気分が塞ぎ込むだけなのに。
「……余計な心配は要らねえから、とりあえず茶でも淹れてこい。おまえの淹れる茶は、悪くねえからな。」
『え……あ、うん。すぐ持ってくるわ。』
土方さんの一言にうれしくなって、急いで台所へ走って行く。
「土方さんってさあ……、何だかんだ言って、千華には甘いよな。ま、オレたちもだけどさ。」
「……うるせえ。」
***
『おまたせ〜。お茶うけは、落雁くらいしかなかったけど……』
「……構わねえ。飲んだら、すぐ仕事に戻らなきゃならねえからな。」
「そんなに働いて大丈夫なのか?羅刹になっちまったんなら、夜だけ働いた方がいいんじゃねえの?」
すると土方さんはお茶を口につけ、喉を潤した後、目を細めながらこう答える。
「……大坂城から引き上げる時にな、近藤さんに言われたんだ。もし自分が大将だったら、たとえ兵士が二、三百人になっちまっても、大坂城に立てこもって、とことんまで戦ってーー最後は腹を切って、武士の生き様を見せつけてやるのに、ってな。」
『…………』
「……肩に弾食らって寝込んでるあの人がそこまで言ってる時に、具合が悪いからって俺だけ休んでられねえだろ。」
土方さんの中にも、他の隊士たちと同じく、不安が渦巻いているはずだけど……。
でも、そんな土方さんを支えているのは、今、怪我でふせってる近藤さんなのだ。
土方さんは、まだ片付けなきゃならない仕事があるらしく、その後、すぐ部屋に戻ってしまった。
そういえば昨夜も、遅くまで部屋の明かりが点いたままだったことを思い出す。
おそらく今日も、同じくらいの時間まで働くつもりなのだろう。
「……でもさ、きついのはきっと、これからだぜ。土方さんはまだ羅刹になったばっかで、吸血衝動は出てないみたいだからな。」
『…………』
「……羅刹になるとな、血を呑みたくて呑みたくて、仕方なくなっちまうんだよ。剣の稽古で思いっきりぶっ叩かれるのなんか、比べ物にならねえくらい苦しくて……、いっそ殺してくれって思うくらいだもんな。」
『そんなに……?』
今でも辛そうなのに、もし衝動が襲ってきたら……。
土方さんは、どうなってしまうのだろう。
『吸血衝動を抑える方法ってやっぱり血を飲ませること……よね。』
「……でも、それはあくまでもその場しのぎに過ぎねえからな。時間が経つと、また苦しくなる……しかも最初の頃は少しの血でよかったのに、そのうち、多くの量を飲まなきゃ落ち着かなくなってくるんだ。」
『…………』
私は言葉をなくし、その場に立ち尽くすばかりだった。
人の血をすすらなければ生きていけない、かりそめの命ーー。
それはまるで、絵巻物に出てくる物の怪そのものに思えた。
『…………』
ぎゅっと着物の袂に入っている薬を着物の上から握りしめると、平助の視線がこちらに向いた。
「……頼むから、おまえは飲まないでくれよ。オレだけじゃなくて皆思ってることだからな。」
平助はそう言い残し、広間を出て行ってしまった。
過保護だなぁ、本当に。
まぁ大切に思ってくれてることは嬉しいんだけど。
一人になった私は、改めて土方さんのことを考える。
……本当に、大丈夫なんだろうか。
平助が言ってたような、激しい吸血衝動は、まだ出ていないのだろうか?
たとえ、今はまだでていなくても、近々、耐えがたい苦しみに襲われるのは火を見るより明らかだ。
せめて、その苦痛を和らげる方法があれば……。
『……そうだ。』
確か綱道さんは、羅刹の研究をしていたはず。
もしかすると、千鶴の実家に何か資料が残っているかもしれない。
今日はもう遅いから、明日、千鶴の実家に探しに行ってみよう。
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