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08


『……!?』


本隊が待機している辺りまで歩いてきた時、不意に違和感を覚えた。


『ん……?確か、本隊を待たせてたのってこの辺りじゃなかったっけ?』


だが辺りには、人っ子一人見当たらない。


『もしかして、道間違えたかしら。』

「いや、そんなはずはない。確かここをまっすぐ行った所に……」


と、その時。
道を曲がった先に妙な物を見つけ、私は源さんを呼ぶ。


『源さん!あそこに誰か倒れてるわ!』

「まさか……薩長の軍勢はまだここまで来ていないはずだが……」

『あの人、新選組の隊服着てるよ。もしかして……』

「……足音を立てるんじゃない。ゆっくり近づこう。」


源さんの言葉に、私は大きく頷く。

まさか、薩長の追手がここまで迫ってきているのだろうか?
だけどその割に、周囲に人の気配は感じられない。
敵の軍勢どころか、新選組隊士の皆さえも。


『ーー!』


角を曲がりきった時、私は思わず息を呑んだ。
新選組の隊服を身に着けた隊士たちが、折り重なるように林道に倒れている。
そして、その中心にはーー。


「……見覚えのある羽織を着た連中がうろついているから、まさかとは思ったが……やはり、貴様らも来ていたか。」


身動き一つしない死体の群れの中、あざ笑うように微笑む風間の姿があった。


『どうしてここにーー!』


よりによってこんな時に……、と私は内心で、歯かみする。


「淀藩の動向を見に、出向いたまでだ。面倒事にも、たまには手を出してみるものだな……まさか、こんな所で会えるとは思わなかったぞ。」


蛇のような眼差しで私を見つめた後、彼は倒れている隊士たちを見下ろす。


「おまえが戻ってくるまでの退屈凌ぎにこの連中と遊んではみたが……残念ながら、暇すらつぶせなかったな。」

「…………」


かたわらにいた源さんが、小刻みに肩を震わせているのが目に入った。

倒れているこの隊士たちは、源さんの六番組を中心に編成されている。
女鬼である私が新選組に留まったせいで、風間の興味を惹くことになって……。
……源さんの部下はなくなったのだ。
私のせいで、犠牲になってしまったんだ。


「前回は思わぬ邪魔が入ったが、今度こそ一緒に来てもらうぞ、千華。」

『っ……!』


風間の力は、人間の想像を遥かに超えたもの。
二人がかりで戦っても、絶対に勝てる相手じゃない。
だけど、このまま逃げ切るのも、きっと無理……。
……こうなったら、私がおとなしく捕らわれて、源さんだけでも土方さんの所に戻ってもらった方がいい。

そう決意して、前に進み出ようとした時。


「……下がっていなさい。」


源さんが、私をかばうように前へ出た。


『げ、源さん?』


嫌な予感が、胸の奥から湧き上がってくる。


『一体、何するつもりなの?』

「早く逃げなさい。そして、トシさんにこう伝えてくれ。……力不足で申し訳ない。最後まで共に在れなかったことを許して欲しい。こんな私を京まで一緒に連れて来てくれて……最後の夢を見せてくれて、感謝してもしきれない……、とね。」

『そんな……!遺言みたいなこと、言わないでよ!馬鹿な私がそんな長い台詞覚えられるわけないじゃない!この人が狙ってるのは、私なの!私がこの人と一緒に行けば、源さんは助かる!だから……!』


すると源さんは顔を皺くちゃにして苦笑いしながらーー。


「……やれやれ、女を盾にして逃げろっていうのかい?そりゃ、武士の風上にもおけんだろう。それにな……、子供を守って死ぬってのは、親の本望でもある。親ってのは子供より先に死ぬもんだからな。」

『っ……!』


そう言うと、私に背を向けて勢いよく刀を抜き放つ。
さっき、ここに戻ってくる道すがら、源さんと交わした会話を思い出す。

源さんは、さっき言っていた。
本来なら、私くらいの娘がいてもおかしくない歳だって。
だけど、どうしてよりによって……!
こんな時に、そんな言葉を口にするのよ……?


『お願い、源さん!逃げてよーー!!』


喉が張り裂けんばかりの声で絶叫するけどーー。
源さんは決して、こちらを振り返ってくれようとはしない。


「……今生の別れは済んだか。では、先程の言葉に込められた本気がどれほどのものか……、試してみるとするか。」


風間は両手を下ろしたまま、刀すら抜こうとしない。


「うぉおおおおおーーっ!」


源さんが、猛然と風間に切りかかった。
普段の源さんからは想像もできない動きで、風間の首筋めがけ、刀を振り下ろす。


「……ふっ。」


風間は片手で目にも止まらぬ速さで抜刀した。
そしてその白刃を、がら空きとなった源さんの腹部へとーー。


「ぐふっーー!」


源さんの口から、血が混じってくぐもった声が漏れた。


『源さんっ……!』


もう、見ていられなかった。

源さんの隊服は真っ赤に染まり、その場に膝をついてしまう。
風間は挑発めいた視線で源さんを見下ろしながら、こうささやきかける。


「どうした?人間。先程俺に殺された連中は、おまえの部下なのだろう?仇を討ちたくはないのか。武士というのは、仲間の仇討ちを美徳とすると耳にしたぞ。」


その言葉に、源さんは目をむいて面を上げる。
そして、着物の袂に手を入れ、懐から何かを取り出そうとする。
それは……。


「……変若水か。どこまでも見苦し奴め。見下げ果てたぞ。貴様ごとき、もはや生かしておくだけの価値もない。ーーそのまま、苦しんで死ね。」

「……!」


源さんは小瓶の蓋を外し、変若水を飲み干そうとするけどーー。


「ふっ……」


風間は冷笑をたたえたまま、すり抜けるように歩を進めた。
そしてーー。


『やめろ、風間!』


いつ振り下ろしたのか見えぬ程の動きでーー。
源さんの身体は袈裟に斬り下ろされ、血が噴き出す。
彼の手にあった小瓶は地面へと落ち、無残にも割れてしまった。


「……済まんな、どうも力が入りすぎてしまったようだ。」

「く……!」


源さんは歯を食いしばり、私の方を振り返りーー。


「……何をしている!?早く逃げんか!」


まさに鬼気迫る迫力で、私を一喝した。


『っーー!』


私は必死に身体を起こし、二人に背を向けようとした。
その矢先ーー。


「……やれやれ。度しがたい愚か者というのも、いるものだな。何故これだけの力の差を目の当たりにして、なお戦いをやめようとせぬのか……理解に苦しむ。」


風間の冷笑を背中で聞いた時、胸の内を占めていた嫌な予感が一気に高まった。


『やめて……!やめてぇええっーー!』


そう絶叫した刹那。
刃が何かを断ち切る音が、やけに鮮明に耳の中へ飛び込んでくる。
その後はなぜか、時間の流れがゆっくりとなり……。
……悲鳴ひとつ上げないまま、源さんの身体が地面へと倒れた。


『げ、源さん!源さんっ……!』


逃げろと言われた矢先だけどーー。
私は夢中で、源さんの身体に取りすがった。
必死で取った手には、まだ源さんの温もりが残っている。

……父上にそっくりな温もりが。

だけど源さんの目は、もう何も見ていない。
その耳は、何も聞いていない。
周りに倒れている隊士たちの亡骸と同じく、ただそこにあるだけ……。


「……邪魔者はいなくなったな。もうおまえを助ける者はいない。さあ、おとなしく俺と共に来るのだ。我が妻となる女鬼よ。」


懐紙で拭ったわけでもないのに曇りひとつできていない刀を鞘に収め、風間が私の手を取ろうとする。

……源さんは、逃げろと言っていた。
土方さんに伝えて欲しいと言っていた、最後の言葉もある。
何よりこの鬼は、私が敵う相手じゃないーー!
だけど、そんなことはわかっているけど、怒りがどうしようもなく燃えたぎる。
守られるだけの自分が悔しい。
優しかった源さんが死んでしまったことが悲しい。
そして何よりーー、虫けらのようにあの人を斬った、この男が憎い!

私は夢中で、かたわらの愛刀に手をかけた。
一息に鞘から抜き取り、【風姫】を風間へ向けて構える。


「おまえは、もう少し賢い女だと思っていたが……人間と暮らすうちに、毒が頭にまで回ったか。……落胆したぞ。次期頭領ともあろう者が。」

『黙って……!』


いつの間にか私の双眸から、熱い涙がひとりでに溢れ出す。


「何をそんなに怒る?この虫けらのような男を殺されたのが、そんなに悔しいか。たかが人間が、鬼に刃向かったのだ。当然の末路だろう。」

『黙って……、黙っ……黙れっ!!』


口が悪いと皆に言われるだけはある。

誰かを本気で殺めてしまえたらとーー。
怒りがそのまま力になればいいのにと、こんなに強く願ったことはない。


『あんただけは……!あんただけは、絶対に許さない!!』


お願い、源さん!
私に少しだけ、力を貸してーー!

私は構えた刀と共に、風間へと迫った。
白い切っ先に全体重を込め、風間を突き殺そうとする。
だがーー。


『くそっ!』


私の刀は、易々と弾かれてしまう。
すぐ様、体勢を立て直して私は彼の懐めがけて突きを放った。
が、それもすぐに交わされてしまう。

そんなことはわかってる。
だから……。


「……何!?」

『っはあ!』


そのまま抜けるように彼の背後へと周り、振り返りざまに一太刀浴びせようとした。
だが、それも易々と弾かれた。


「……成程。次期頭領というのは名前だけじゃないらしいな。」

『くっ……!』


離れた場所に落ちた刀を、拾い上げようと手を伸ばすとーー。
風間に腕を踏みつけられてしまう。


「……さて、茶番は終わりだ。」


傲慢な赤い目が、私を見下ろしている。
源さんを殺した、憎い敵の目。


「しかし、どちらが主なのかをわきまえぬ振る舞いは不快だな。二度と俺に逆らう気など起こさぬよう、仕置きをしておくか。」


風間は白い刀身を、私の喉元へと宛がう。


「躾には、苦痛がよく効く。幸い、傷を負ってもすぐ癒える身だからな。」

『あ、あんたなんか……!』


口元に酷薄な笑みをたたえる風間を、私はしっかり視線でとらえた。

源さんは言っていた。
逃げろって……。
でもこの状況じゃどうしたって、逃げることは叶わない。
だけど……、この男の望み通りにならずに済む方法が、完全になくなった訳じゃないーー!


『あんたなんかに好きにされるぐらいならーー、いっそ、舌かんで死んでやるわよ!』


絶え間なく込み上げてくる嗚咽の合間に、叫び散らした瞬間だった。


「……おい、誰がそんな真似を許した?俺の目の届かねえところで、勝手に命を投げ出そうとするんじゃねえ。」


その声を耳にした瞬間、私の頭は真っ白になる。

絶対に聞き間違えるはずがない、この声は……!


『土方さんっ……!』


止まりかけた涙が、再び堰を切ったように溢れ出す。

夢じゃない、幻じゃない。
土方さんが今、私の目の前に立ってくれている。


「……くそっ、嫌な予感が的中しやがったか。」


土方さんは怨嗟に顔を歪めながら、かたわらに倒れている源さんの亡骸を見つめている。
血がにじむくらい強く唇をかみしめてーー、まるで泣き出す寸前のように呼吸を乱す。
やがてその冷たい瞳に、炎が宿りーー。


「おい。怪我はねえんだな?」

『う、うん……大丈夫。』


私の返答を聞いて、鈍い輝きを放つ刀を腰から一息で抜き、切っ先を風間へと向ける。
音を立てて突きを構えるのは、和泉守兼定ーー。


「……やれやれ、無駄死にがまた増えるか。何故そこまで死に急ぐのか、理解できぬな。手間はかかるが、仕方あるまい。かかって来い。」


風間は悠然とした調子で、そんなことをのたまう。
だけど土方さんは、風間が発した一言に目の色を変えた。


「……無駄死に、って言いやがったか、今。この俺の前で、無駄死にとほざきやがったか!?」


土方さんは凄まじい勢いで、風間の間合いの中へと飛び込んだ。
そしてまずは首筋めがけ、渾身の一刀を食らわせる。


「くっ……!」


風間は刀の棟で、咄嗟に刃を受け止める。
押し合う二人の力は、ほんの一瞬、拮抗し合っていたかに見えたがーー。
すぐに、風間が押し負けてしまう。


「何だと……!?」


恐らく、人間相手のつば迫り合いで押し負けたこと自体が初めてなのだろう。
何が起こったのか理解すらできていない顔だった。
土方さんは、その隙を見逃さなかった。
まるで鬼のような形相で、何度も何度も太刀を見舞う。
刃が欠けるのも顧みず何かに取り憑かれたような眼差しでーー。


「くっ……!」


先程まで余裕に満ちていた風間の顔が、焦りに歪む。
土方さんは口元に笑みを宿しながら、再び、さっき打ち下ろしたのとは比べ物にならないほどの力で斬撃を見舞った。
その刹那ーー。

本来の鬼の姿ーー白髪に二本の角、そして金色の瞳をした風間が笑った。


「……まさか、この姿を人前にさらすことになるとは思わなかった。喜べ、人間。本物の鬼の姿を目にした瞬間に、死ねるのだからな。」


言うが早いか、風間は、手にした刀を凄まじい速さで振るう。


「ぐっーー!」


先程の動きとは全く違う、鮮やかな刀さばきだった。
土方さんは太刀筋が目測するのがやっとらしく、攻撃を仕掛ける隙が見当たらないようだ。
さっきまで有利だった土方さんが、瞬く間に防戦に転じてしまう。


「どうした、さっきまでの勢いは!?おまえが感じていた悔しさとは、その程度のものだったのか?」


鬼の体力は人間の持つものとは桁違いだ。
風間は呼吸すら乱さずに打ち込んでくる。


「くそっーー!」


一方、土方さんの呼吸は、次第に苦しげなものへと変わっていく。
こうなってしまっては、最早、体力が尽きるのを待つばかりーー。


「くそったれーー!」


渾身の力を刀に込め、土方さんはもう一度、風間へと切りかかった。
だが風間は、易々とその動きを見切りーー。


「ぐぁっ……!」


土方さんの手にあった刀が、たたき落とされ地に墜ちてしまう。


『土方さんっーー!』


私は地面に落ちた刀を拾い上げた。
そして、少しでも助勢ができればと風間に斬りかかるがーー。


「……邪魔だ。」

『ぐっ……!』

「千華!」


風間に蹴り飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられる。


『っ……』


何か、しなくてはいけないのに。
土方さんを源さんの二の舞にしてはいけないのに……。
やっぱりこの姿じゃ風間には勝てないの?
あの姿に……鬼の姿にならないと勝てないのか?


「く、そっ……!」


土方さんは乱れた呼吸を整えながら、投げ出された刀へと手を伸ばそうとするけどーー。


「…………」


そのまま、力なく地面に膝をついてしまう。
もう、息をするのもやっとという状態のようだった。
そんな土方さんに、風間は容赦なく刀を向ける。


「……これで、終いだ。」


冷たく整ったその顔には、勝利を確信した笑みが浮かんでいる。


「人間というのは、愚かなものだな。敵わぬと知りながら我らに立ち向かう……それは勇気ではなく、蛮勇と呼ぶのだ。鬼の力を軽んじ、恐れることを忘れたおまえたちが悪い。……己の不明を恥じて死ね。」


だけど土方さんは疲れきった身体を引きずり、投げ出された刀の所へと向かう。


「何をしている。まさか、逃げるつもりか?」


あざけるような言葉にも、土方さんは顔を上げない。
刀を握り直し、既に力がこもらない手で構え直す。


「……まだ足掻くつもりか。あれだけ虚仮にされて、まだ彼我の実力差を理解できんとはな。」


……違う。
土方さんは、自分と相手の力の差がわからないような人じゃない。
だからって、こんな簡単に勝つことを諦めるような人でもない。
じゃあ……、どうして何も言わずに黙ってるの?

不気味なほど静かな土方さんの姿を、私は固唾を呑んで見守る。
その時、土方さんが着物の袂から何かを取り出した。


『ーー!!』


それを目にした瞬間、私は息を呑む。
小さな瓶の中に揺らぐ赤い水薬、それはーー。


「……また、変若水か。どこまでも愚かな真似を。」


風間は嫌悪感を露わにするが、土方さんは口元を歪めて笑んで見せる。


「愚か?それがどうしたってんだ。俺たちは、元から愚かな者の集団だ。馬鹿げた夢を見て、それだけをひらすらに追いかけてここまで来た。今はまだ、坂道を登ってる途中なんだ。こんな所でぶっ倒れて、転げ落ちちまうわけにゃいかねえんだよーー!」

「……たとえ羅刹となったとしても、所詮はまがい物。鬼の敵ではない。」


だけど風間の言葉にも、土方さんは表情を変えない。


「……そんなのは、やってみなきゃわからねえぜ。」

『土方さん、駄目っーー!』


私は大声で叫んだけれど土方さんの手は小瓶の蓋を開け、その中に満たされた水薬を飲み干してしまう。
そしてーー。
その瞬間、白髪の鬼が現れた。


「……うるせんだよ。」


羅刹となった土方さんが、低い声で呟く。


「いい加減、我慢ならねえ。腰抜けの幕府共も、邪魔くせえ鬼も。まがい物だと?それが一体どうしたってんだ。俺たちは今までも散々、武士のまがい物として扱われてきたじゃねえか。」


土方さんの瞳に、苛立ちがこもる。


「だけどな……、今の世の中、どこに武士がいるってんだよ?腰が抜けて城ん中閉じ籠って、日和見決め込んで……あわよくば勝ち馬に乗ろうなんて考えてる卑しい連中ばかりじゃねえか。俺たちはそんな連中より、よっぽど武士だぜ!」


きっとこの言葉は、風間だけに向けられたものじゃなくてーー。
なす術もなく敗れた源さん、腹が据わらない幕府の人たち、そして彼らを武士として扱わなかった人たち。
新選組を取り巻く現実ーー、その全てに向けられた言葉なのだと思う。


「何があっても、てめえの信念だけは曲げねえ。どんな時でも、絶対に後退はしねえ。俺たちは、それだけを武器にここまでやって来た。まがい物だろうが何だろうが、貫きゃ誠になるはずだ。つまり……、この羅刹の力でおまえを倒せば、俺は……、俺たちは、本物になれるってこったろ?」


土方さんの口元に浮かんでいる笑みは、既に人のものではなかった。
羅刹となった土方さんは、猛然と風間に斬りかかる。
先程とは、比較にならない速さだった。
目で追うのがやっとなほど。


「くっ……!」


風間は懸念にその太刀を受け止めるが、すぐに第二撃、第三撃と襲ってくる。
まさに、息もつかぬ攻防が繰り広げられた。


「ほら、どうした!?俺たちは虫けらなんだろ?押し負けてるぜ、鬼さんよ!」


土方さんは獲物を狙う獣のように目をぎらつかせ、風間を追いつめていく。
絶え間なく打ち込まれる斬撃と刺撃に、風間は呼吸する間すらないようだった。


「ぐ……!」


何とか力を振りしぼり、棟で刃を受け止める。
だがそれも、互角の力ではなくなった今、無駄な抵抗としかならずーー。


「くっーー!」


刀が弾け飛び、風間の体勢が大きく崩れる。
ーー土方さんは、その隙を見逃さなかった。


「ぐぁああっ……!」


目にも止まらず振り下ろした刀が、風間の頬を斬りつける。
風間は顔を押さえ、慌てて飛びのいて土方さんから間合いを取った。


「へっ、こりゃいいや。……凄みが増して、いい男になったじゃねえか。さあて、まがい物に傷をつけられた感想はどうだ?鬼の大将さんよ。」


土方さんの挑発にも、風間は顔を上げようとしない。
顔を覆う風間の手から、ぽたぽたと血の粒がこぼれ落ちる。
だが鬼の持つ治癒力は、瞬く間にその傷を塞いでしまう。


「おのれ……!」


それでも風間の心には、消えない傷が残ったようだ。


「虫けら以下のまがい物の分際で……!よくもこの俺の顔に傷をつけたな!?」


人間に傷を負わされたのは、初めての経験なのだろう。
風間の整った容貌が、憤怒に歪む。
まるで、悪鬼が取り憑いたのではと錯覚してしまうほどだ。


「貴様だけは……、絶対に許さんぞ!この世に存在するあらゆる苦痛を味あわせ、なぶり殺しにしてやる!」

「……本性を現しやがったな。いいぜ、できるもんならやってみやがれ。」


土方さんは愉悦の笑みで、風間の怒りを受け止める。
刀と刀が、ぶつかり合った。


「ぐ、うっ……!」


だが先程打ち込まれた一撃とは、重さが全く違うらしい。
受け止める土方さんの表情に、苦悶の色が混ざる。


「貴様がーー!貴様ごときまがい物が、この俺の顔に傷をっ……!」


すっかり理性を失った風間は、金の瞳を見開きながら、狂ったように刀を打ち込む。


「くそったれ……!」


刃をぶつけ合うたびに土方さんの刀がボロボロにこぼれ、今にも折れてしまいそうにたわんだ。
土方さんは必死に、折れそうになる刀をかばう。
増悪をぶつけ合い、互いの血肉をすすってもまだ満足できないような、そんな異様な迫力がある。


「てめえだけは、絶対に許さねえぜ。地獄に落ちる時は、共に引きずり込んでやる。」


血まみれになりながら、土方さんーー、白髪の鬼は、闘気に満ちた目を輝かせる。


「ほざけ!地獄に落ちるのは貴様だけだ!」


どちらも、本気だった。

野生動物さながらに闘争心をむき出しにして、お互いの剣をぶつけ合う。
どちらかが死んでしまわない限り、この戦いは終わることがない。
しかも土方さんの方はどう見ても、自分で自分を傷つけているような捨て身の戦い方でーー。


『っ……!』


いつも冷静に隊士たちに指示を出すーー、京にいた頃の彼とは、別人みたいだった。

止めなくてはいけないのに……、土方さんをここで死なせてはいけないのに。

二人の放つ殺気の凄まじさに、言葉を発することすらできない。
風間と同じ鬼なのに、何もできない自分が歯がゆくて仕方ない。

と、その時ーー。


「汐見さん!」


足音と共に、聞き覚えのある声が近づいてきた。


「副長が、淀藩の様子を見に行ったきり戻っていないんです。途中で、副長に会いませんでしたか?」

『山崎君ーー!』


この場に姿を見せてくれた山崎君が、まるで神様のように思えた。


『た、大変なの!土方さんが、鬼と戦ってて……!源さんも、もう……!』


だが私の発言は、山崎君の耳には入っていない様子だ。
彼は慄然とした様子で、二人の鬼が戦う様に見入っている。


「……何だ?あの白い髪の鬼は……。羅刹、か……?いや、片方の鬼が着ている着物には、見覚えがある。あれはまさか……!」

『あれが……、あれが土方さんなの!土方さんが、変若水を飲んじゃって……!』

「なん、だとーー!?」


その矢先ーー。


「ぐっ……!」


土方さんが手にしていた刀が、鈍い音と共にはじき飛ばされてしまう。


「……勝負あったな。そのなまくらで、よく今まで持ちこたえたものだ。」

「く……!」


土方さんは身を低くしたまま、じりじりと間合いを空けようとする。
だが、風間は、冷や汗をにじませる土方さんの反応を楽しむかのように……。
ゆったりとした足取りで、歩み寄る。


「覚えているだろうな?貴様は、ただでは殺さん。およそ思いつく限りの苦痛を味わわせて、いたぶりながら殺してやる。」


絶対優位に立った風間の態度には、もう冷静さが戻っていた。


「ああ、おまえを慕う新選組の連中の元に、皮をはいで塩漬けにした骸を送りつけてやるのもいいな……まずは、その両腕を斬り落とさせてもらうか。そしてその肉を、野犬にでも食わせてやろうーー!」


風間は語気も荒く言い放ちーー。
あれだけのつば迫り合いを繰り返しながら刃こぼれひとつしない白刃を振り上げた。


『土方さんーー!』


まさに絶体絶命。
そう思って声を限りに叫んだ、次の瞬間。
耳にするだけで嫌悪感を覚える音が、森の中にこだました。


「ーー!?貴様!」


その刹那、聞こえてきた風間の驚愕の声に私は顔を上げる。
……風間は、赤黒い返り血をその衣に浴びていた。
だけど、土方さんは傷を負っていない。
驚きの表情で、ある一点を見つめているだけ。


「……何をしているんですか、副長!あなたは頭で、俺は手足のはずでしょう。そんな風に我を忘れて敵陣に突っ込んで、どうするんですか……」

「山崎、おまえ……」


彼の名を呼ぶ土方さんの声が、細かく震えている。
だけど、山崎君は笑顔だった。
いつも屯所で密談していた時のような鋭い目を向けながらーー。
土方さんに伝えるべき一言一言をゆっくりと言葉にしていく。


「手足なら、たとえなくなっても代えは効きます。ですが、頭がなくなってしまっては、何もかもおしまいです。新選組は、局長と副長……お二人があってこそ、なのですから……」


それを言い終えた瞬間、山崎君の身体ががくっと傾きーー。
そのまま、地面へと突っ伏してしまう。
赤黒い血が、その腹部からじんわりと広がって地面へ染み込んでいく。


『山崎君っ……!』


私は必死で山崎君へ取りすがった。


「山崎……おまえ、どうして……」


色がまったくなかった土方さんの髪が、元のーー、人と同じ色に戻る。
見開いた目が、今にも泣き出しそうに潤んでいる。
その時ーー。


「おーい、土方さん、山崎、源さん、千華ー!どこにいるんだ!?」


遠くから新八さんたちの声が聞こえてきた。


「く……!仲間が駆けつけてきたか。かくなる上は、おまえたちだけでも……!」


風間がそう言って、刀の柄を握る手に力を込めようとした時。
見覚えのある鬼が姿を見せた。


「……やめなさい。これ以上の戦いは、いたずらに犠牲を増やすだけです。」

「この俺に、退けと言うのか?俺の顔に傷を負わせた愚か者を、見過ごせと!?」

「我々がここで手を下すのはたやすい、ですがそれは、薩摩藩の意向に反します。彼らはあくまでも、自らの手による倒幕を望んでいます。……我ら、鬼の手によるものではなく。そのことを忘れないでいただきたい。」

「く……!」


風間は明らかに、彼の言葉に不満を抱いている様子だったが……。
ここで鬼同士、事を構えても無益だという理性も働いたのだろう。


「……土方といったな。おまえの名前は、決して忘れぬ。今日の借りは、必ず返すからな。覚えておけ。」

「そりゃ、こっちの台詞だ。てめえだけは絶対に、地獄に堕としてやらなきゃ気が済まねえ。」


負けじと言い放つ土方さんを、風間はきつい眼差しでにらみつけた。
そして……。
風間はそのまま天霧と共に、私たちに背を向けて森の奥へ姿を消す。
その後、彼らと入れ違うようにーー。


「あっ、いたいた!土方さん、千華、こりゃ一体どうなってるんだ?」

「隊士がやたら死んでるみてえだが……、もしかして、薩長の奴らと戦ってたのか?だがこりゃ、どう見ても刀傷だよな……」

「……山崎を見てやってくれ。まだ、死んじゃいねえはずだ。」

「えっーー!」


その言葉を耳にして、ようやく足元にうずくまっているのが誰なのか気付いたらしい。


「お、おい、どうしたんだよ!?しっかりしろって、山崎ーー!」

「……こりゃ、ひでえな。千華、山崎はどうなっちまうんだ?まさかーー」

『山崎君、は……』


傷の様子から、今後の経過を予測することはできるけど……。
それを口にした瞬間に運命が決まってしまいそうで、言葉にならない。


「答えてくれって!山崎はどうなっちまうんだ?まさかーー」

『……誰か、綺麗な布を持ってる人いる?』

「布だったら、俺のサラシを使ってくれ。」

『ありがとう。借りるね。後、できれば傷口を洗う為のお酒も。焼酎がいいんだけど。』

「焼酎は、さすがに持ってねえな……!」

「近くに、綺麗な水が流れている沢があった。水を汲んでこよう。」

「いや、俺が行ってくる!体力だけは自信があるからな。千華、山崎のこと、よろしく頼むぜ!」


新八さんはそのまま、急いで山道を駆け上っていった。


「……副長、ここで一体何が?」


土方さんは一君の問いに答えられず、やるせない表情で地面を見つめている。


「……まさかこの俺が、隊士を犠牲にして生き延びることになるなんてな。」

「犠牲……?」

「源さんの亡骸が、あっちにあるんだ。埋めるの、手伝ってくれねえか?あと、源さんの部下の連中も……さすがにこの時期に野ざらしじゃ、いくら何でも寒過ぎるだろうからな。」


誰よりも泣き出したい気持ちでいっぱいなのに、懸命に笑顔を作ろうとする土方さんの表情にどうしようもなく涙が溢れてきて……。
でも源さんや山崎君の前でそんな顔を見せちゃいけないから、私は顔を伏せ、声を殺して泣いた。
私を助ける為、犠牲になった源さん。
そして私が呼び寄せた鬼との戦いに巻き込まれ、羅刹となってしまった土方さん。
その土方さんを、身を挺してかばった山崎君……。

……この人たちの為に、私は何ができるんだろう。
どう罪を償えばいいんだろう。
いくら考えても、わからないままだった。


その晩。
昼間の劣勢を取り返す為、山南さんたち羅刹隊が敵陣地へと切り込んだという。
日が沈んでしまえば、銃の狙いを定めにくくなる。
それを見込んでの奇襲だった。
当初は驚くべき戦果を上げ、こちら側が有利な形の戦況が展開をすると思われたがーー。
敵側の鉄砲隊が放った特殊な銃弾により、羅刹隊は本来の力を発揮できなくなっていた。
この敗北により、味方は総崩れとなってしまった。
また、淀藩や津藩の裏切り、そして尾張藩などが日和見を決め込み、まさに四面楚歌の状態となりつつあった。
どうしようもない悔しさをかみしめながら、私たちは大坂城への撤退を余儀なくされた。


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