22
山崎君と別れた後、私たちは一路、宇都宮城を目指す。
「……敵の気配がなくなったから、ここからは早く進めそうだね。」
『…………』
昼間のような戦いをしなくて済むというのは、ありがたいけど……。
「どうしたの?立ち止まって。……行くよ。」
『ねえ、総司……』
もし宇都宮城に着いてしまったら……、総司は、どうするつもりなんだろう?
土方さんに再会した後、どうなるかは総司にもわからないみたいだ。
場合によっては、どちらかが死んでしまうことだって考えられる。
それなのに……。
『……どうしても、行かなくちゃだめなの?』
「今更、その質問?ここで江戸に戻ったら、何の為にここまで来たのかわからないじゃない。」
『だけど……』
「まあ、どうしても行きたくないんなら、ここで待っててくれても構わないけど。」
『……!』
ここに置き去りにされるなんて、もちろん嫌だ。
だけどーー。
『ねえ、総司……!』
「ん、何?」
『……土方さんを、殺さないで。』
その言葉で、総司の瞳がにわかに鋭さを増す。
「僕は、できない約束はしないことにしてるんだ。」
『知ってる。だけど……山崎君が言ってたように、近藤さんは、土方さんを死なせることなんて望んでいないはずよ。その人を殺しちゃって……、総司は本当に平気でいられるの?』
私には、どうしてもそうは思えなかった。
私が皆と一緒にいるようになってからというものーー。
総司から【斬る】【殺す】といった言葉を聞いたのは、一度や二度ではない。
けれど、新選組の敵を殺すのと、土方さんを斬るのでは……。
総司にとっても、意味合いが全く違うのではないだろうか。
『私は……、もうこれ以上、総司に辛い思いをしてほしくない。』
「千華……」
私の言葉が、予想外だったのだろうか。
彼は少し戸惑いながら、私を見つめ返してきた。
やがて……。
「……これから殺されるかもしれない土方さんじゃなくて、僕の心配をしてくれるんだ?さすがにそれは、土方さんに同情しちゃうなあ。」
『そういう意味じゃないわよ。私はーー』
「……わかってるよ。でも、僕はあの人に会わなきゃいけない。……それは、わかってくれるよね?」
彼自身、己の心にある望みを、つかみかねているのだろう。
会えばどうなるかなど予想できないから、殺さないとは約束してくれないのだ。
『…………』
どうしても、不安は拭えなかったけれど……。
それでも、どうしてもそうしなければならない総司の気持ちはわかる。
だから、私は……。
『……わかった。』
彼の言葉に、頷くしかなかった。
一時の沈黙が流れた、その直後。
「うっ……!」
総司が不意に、身をこわばらせた。
そして……。
「ぐ、うっ……あ……!」
その髪が白く染まり、瞳が赤く輝き始める。
『総司ーー!』
また……、発作が起きてしまったの?
しかもーー。
今までの発作より、明らかに苦しそうな表情を浮かべている。
私は、脇差を引き抜いて、自分の手の平を傷付けた。
『総司、私の血を……!』
私が差し伸べた手に、彼は顔を寄せてくる。
赤い瞳には、安堵の色が浮かんでいた。
溢れ出る赤い血を舐め取りながら、彼はささやくような小声で言う。
「…………ありがとう。君がいてくれるから……、僕はまだ、僕のままでいられる……」
『総司……』
胸中に微かに残っていた迷いを、彼の一言が消してくれる。
私の血を与えることで、総司は正気を保つことができる。
総司が、私の血を必要としてくれているーー。
ただそれだけで、救われる気がした。
総司の発作が治まるのを確かめて、私たちは再び宇都宮城を目指そうとするけどーー。
「……待って、千華。」
不意に総司に呼び止められる。
『どうかしたの?』
そう問い返した時ーー。
ドォンッ!!
『きゃっ……!』
地を揺るがすような砲撃の音がこだまして、私は思わず悲鳴を漏らした。
『何?今の音。もしかしてーー』
だけど総司は答えてくれず、そのまま小高い丘の上を目指して走り出した。
私も、急いでその後を追う。
そして、私たちが見たものはーー。
『あれは……!』
宇都宮城は敵兵に取り囲まれ、火の手が上がっていた。
大砲の音が鳴り響き、兵たちの号令や叫び声がこだまする。
旧幕府軍は懸命の抵抗を続けるが、押されているのははっきりとわかった。
「……城を取り囲まれてるみたいだね。これじゃ、僕たちも近づけそうにないか。」
総司は悔しげに言い捨てた後、丘を降りた。
『総司、これからどうするつもりなの?』
「多分、土方さんたちは撤退するだろうから、逃げ道を予想して回り込もう。」
『わかった……』
私が、そう頷き返した時。
山道の向こうから、大勢の人の靴音が聞こえてくる。
「千華、こっちへ。」
私は総司に手を引かれ、茂みの中へ身を隠す。
筒袖をまとった大勢の兵が、私たちのすぐ近くを歩き過ぎていく。
総司と私は息を殺し、彼らが通り過ぎるのを待った。
幸いにして彼らに見咎められることはなく、靴音が遠ざかっていく。
「……行ったみたいだね。やれやれ、見つかるかと思ったよ。土方さんたちがいないんなら長居は無用だし、さっさと退散しようか。」
『そうね……』
そう答えた時だった。
『っ……!』
不意に、強い眩暈に襲われる。
頭の芯を締め付けられるような頭痛と、得体の知れない吐き気も襲ってきた。
「千華?」
『へ、平気……、よ……』
ふらついて倒れそうになる私の身体を、総司の腕が支えてくれる。
「全然、平気じゃないじゃない。一体どうしたの?もしかして……」
私は、小さくかぶりを振った。
『……血が欲しいわけじゃないわ。多分、私の身体が、変若水の毒を退けようとしてるんだと思う。』
「そっか……」
『くっ……!』
再び、身体が軋むような痛みが襲ってきた。
唇を噛み締めて痛みをやり過ごし、私は、総司に微笑みかける。
『……大丈夫。』
この程度の痛み、総司が今まで我慢してきた衝動に比べれば、取るに足らないものだ。
これくらいで、弱音なんて吐いてはいられない。
『ちゃんと歩けるよ。心配かけて、ごめんね。』
「……そっか。強いね、君は。ん……、けほっ、こほっ」
『総司……!?』
「……大丈夫。ちょっと咳き込んだだけだから。とっくに起き上がれなくなっててもおかしくない身体を、羅刹の力で無理矢理動かしてるようなものだから。……お互い、もうボロボロだね。」
『総司、少し休んだ方がーー』
そう言いかけた私の言葉を、総司は遮る。
「君が大丈夫なら、もう行くよ。……この機会を逃すと、また土方さんを見失いそうだから。」
『…………』
総司の言う通りだ。
病に蝕まれた身体を引きずって、相当の無理をしてーー。
彼は、土方さんに会いにいこうとしている。
『……大丈夫よ。』
総司を土方さんに会わせていいのか、まだわからないけど……。
それでも、彼の足止めだけは、してはいけない。
「……苦しくなったら、いつでも言って。」
優しく告げた後、総司は私の手を取って歩き始める。
「けほっ……こほっ。」
時折、総司が嫌な咳をすることはあったけど……。
互いに支え合うようにして、私たちは道なき道を進んでいく。
……ふと、会話が途切れた時。
『ねえ……、総司。』
「ん、何?」
もしかしたら、聞かない方がいいのかもしれないけど……。
『もし、土方さんに会ったら……総司はどうするの?……まだ、決めてないの?』
不躾な質問だとは思ったけど……。
総司は機嫌を損ねる様子もなく、優しい表情で答えてくれる。
「僕が近藤さんに初めて会ったのはね、まだ、数えで九つの時だったんだ。」
唐突な言葉に、私は若干戸惑った。
けれど総司は、胸の内に抱えているものを少しずつ明かしてくれる。
「父上も母上も早くに亡くなって、姉上もお嫁に行くことになって……僕の面倒を見たがる人なんて誰もいなかったから、内弟子として試衛館に預けられたんだ。ーー捨てられた、って思ったよ。姉上も義兄上も、僕なんて要らなかったんだろうって。」
『…………』
総司のせせら笑うような独白に、胸が潰れそうな心持ちになる。
「……剣術道場って、身体が大きくて、気が荒い人ばかりでさ。一番年下で身体が小さかった僕はいつまで経っても下っ端扱いで、しょっちゅう嫌がらせや折檻をされてた。」
試衛館にいた時から、ずっと総司とは幼なじみの関係だったけど……。
彼の過去の話なんて初めて聞く。
私と出会う前の、彼の話。
「そんな中……、唯一優しくしてくれたのが、近藤さんだったんだ。姉上に捨てられて、世の中に味方なんて誰もいないって拗ねてた僕に……世の中に意味のないことなんてない、僕がこんな運命を辿ることになったのもきっと意味があるはずだって言ってくれて。何もできないって思い込んで僕に、剣に生きる道を教えてくれた。僕は……、近藤さんに出会えたから、生まれ変われたんだ。」
『…………』
「……それからしばらくして、土方さんが試衛館に出入りするようになってさ。最初の頃は……、ていうか今もだけど、あの人のこと、大嫌いだったよ。お金持ちの農家のお坊ちゃんで、食べるのに困ったことなんてほとんどなさそうで。……なのに近藤さんは、土方さんのことが大のお気に入りでさ。土方さんに【あんたは大名になれる】って言われるたび、うれしそうな顔になって。近藤さん、土方さんと話す時は目の色が全然違うんだ。」
確かにそうだったかもしれない。
私も試衛館でお世話になるようになってから、あの二人をずっと見てたけど、なんかあの二人だけ雰囲気違ったし。
話し終えた後、総司は照れくさそうに夜空に瞬く星々を仰いだ。
『総司……』
総司が抱いている思いが、少しだけ理解できた気がした。
近藤さんと過ごした大切な思い出の中には、土方さんの姿もあるに違いない。
土方さんにきつく当たることもあったけど、悪意だけを向けているわけではないだろう。
『……私、わかった気がする。』
総司にとって、土方さんもまた【特別】なのだ。
近藤さんには及ばなくても。
思いを向ける方向が異なるとしても。
『急いで、土方さんに会いにいこう。またすれ違わないうちに。』
「……千華は、僕を止めるつもりでついてきたんじゃないの?」
『正直に言うと、さっきまでは少し悩んでた。でも……』
言葉で説明するのは難しくて、でも、何も言わないわけにはいかなくて……。
『今の総司なら……、大丈夫だって思ったの。』
近藤さんのことを、誰よりも大切に思っていて……。
近藤さんが、土方さんにどんな思いを抱いているのかもよくわかっていて。
重ねてきた彼らとの思い出を、あんなに優しい表情で語れる彼ならば。
『私……、信じてるから。』
総司ならきっと、間違った答えを選んだりはしない。
「…………」
彼は驚いたような眼差しでしばらく私を見つめていた。
私は一歩彼の先を行って振り返ると、彼にニコリと微笑みかけて手を伸ばした。
『ほら、行こう?総司。』
するとーー。
不意にその腕をつかまれ、引き寄せられる。
『あ、あのっ……、総司サン?』
「……いきなり、ごめん。」
戸惑いを含んだささやきが、耳元に触れる。
「どうしてかわからないけど……、君を抱きしめたくてたまらない。」
彼の腕はまるで慈しむみたいに、私の身体を包み込んでくれる。
『…………』
声が出なくなって……、心臓がにわかに高まりを増す。
「さっきみたいに……誰かに気持ちをわかってもらえたのは、久しぶりな気がして。」
震えた声音が、総司の本音を一つ一つ明かしてくれる。
「切なくて、抑えきれないんだ。本当に、ごめん……」
ぎこちない手付きで抱きしめられ、胸の奥から愛しさが込み上げてくる。
『総司……』
抱きしめてくる温もりが心地良くて、私は総司の腕に身をゆだねた。
これ以上の幸せなど他にないと、心の底から思った。
胸の鼓動が彼に聞こえてしまわないか、真っ赤な顔を見られてしまわないか、少しだけ心配だったけれど。
そんな思いも、心地いい体温に溶けて消えてしまう。
「……君って本当に、不思議な子だね。」
腕に込められた力が、ほんの少しだけ強められる。
「いつの間にか、僕の心の中に入り込んできて……今みたいに、僕が一番欲しい言葉をくれるなんて。」
その声音には、微かな照れが混じっていた。
『私……、うれしいよ。』
きっと他の人には明かさず胸に秘めてきた思いを、語ってくれたこと。
そして、こうして優しく抱きしめてくれたことも。
きっとこの先、何があっても忘れることはないだろう。
そんな風に思いながら、私は、この上なく幸せな一時を噛み締めたのだった。
やがて彼は腕を解き、名残惜しそうに身体を離す。
「……それじゃ、行こうか。」
『ええ……』
私たちはしばしの間、視線を交え、やがて、どちらともなく歩き出す。
虫の声がこだまする中、総司はぽつりと漏らした。
「僕はきっと、知りたいだけなんだ。土方さんが何を考えているのかを、ね。」
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