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そしてようやく総司の身体が回復し、再び剣を取れるようになったのは、四月も末になった頃のことだった。
新政府軍の目につかぬよう、夜に紛れて江戸の町を駆け抜けた。
そして、江戸の外れに差し掛かった時ーー。


「『!』」


何かの気配を感じて、私たちは足を止めた。


「千華、僕の後ろに。」

『……ええ。』


言われるまま、私は総司の後ろへと隠れる。
夜の闇の中から現れた二つの人影が、私たちの前へと進み出てきた。
その人たちは……。


「……まさか、貴様らがまだ江戸にいたとはな。」

「風間千景……!」

「新選組の連中は、既に会津へ向かっていると聞いていたが……、奴らに見捨てられたか。」

「さあ、どうだろうね?そこ、どいてくれる?今は、あんたたちの相手をしてる暇なんてないんだから。」


総司はそう言って、二人の脇を通り抜けようとするがーー。


「新政府軍に囚われの身となっている新選組局長を救出しに行くつもりですか?」


天霧の言葉に、総司は目を剥く。


「だとしたら?もし邪魔するっていうんなら、あんたたちも殺すよ。」

「……今から行ったところで、無駄だ。近藤勇は今日の夕刻ーー、斬首に処せられたからな。」

「…………」


風間の言葉に、総司は凍りついたように立ちすくむ。
私も、信じられなかった。
あの近藤さんが、死んでしまったなんて……。


「…………嘘だ。」

「こんな下らぬ嘘をついてどうする。かの者の首は京に持ち去られ、三条河原に晒される手筈となっている。」

「嘘だーー信じるもんか!近藤さんが死んだなんてーー」


次の瞬間、総司の髪が白髪へと変じた。
そして鬼気迫る表情で、彼は力任せに抜刀する。


『総司……!』


彼は私の言葉など耳に入っていないみたいに、風間へと迫った。


「……愚かな。」


風間は悠然とした仕草で、総司の一刀を払った。
だけど彼は、正気を完全に失った表情のまま続けざまに刀を振るう。


『総司、駄目よ!』


私が慌てて、駆け寄ろうとするとーー。
天霧に肩をつかまれ、引き止められる。


「それ以上近付かぬ方がいい。巻き込まれて、怪我をしないとも限りません。」

『だけど、このまま総司を放っておくわけにはーー!』


その間も、二人の常人離れした死闘は続く。


「……以前、池田屋で相まみえた時は、人間としてはまあまあの腕だと思っていたのだが。落ちぶれたものだな。冷静さを欠いた者が勝利するなど、あり得ん。」

「黙れ……!」


総司は息つく暇も与えず、乱れ突きを見舞うがーー。
その全てを見切られ、しのがれてしまう。


「くそっ……!」


風間の言葉通りーー、総司が劣勢に置かれているのは明らかだ。
本来なら、ここまで実力差はないはずなのに……。
その時ーー。


「ぐっ……!」


総司の手にあった刀が、はじき飛ばされてしまう。


「……哀れなものだな。変若水を飲み、まがい物の鬼と成り果てて手に入れた力が、その程度か。」

「…………」

「まがい物の始末をするのも、鬼の役目だ。己の浅はかさを悔いて、死ね。」


風間は蔑みをあらわにした表情で総司を見下ろしてーー。
右手に構えた刀を、総司へと振り下ろそうとする。


『駄目ーー!』


私は天霧の腕を、力任せに振り払った。
そして、無我夢中で総司の傍へと駆け寄る。
その瞬間。


『……!』


神仏の加護か、あるいは窮地に追いやられ、普段眠っている力を呼び覚まされたのかーー。
私の全身に、力がみなぎった。
そして……。
引き抜いた腰の愛刀ーー【風姫】で、風間の刀を薙ぎ払う。


「千華……?」


驚きで見開いた総司の瞳が、私をじっと見つめていた。
そして目の前にいる風間が、忌々しげに顔をしかめる。


「貴様……なぜその姿に?」

『……別に、今までなれなかったわけじゃないわ。ただならなかっただけよ。』

「そうか、次期頭領なのだからその姿になれるのも当然か。だが、あんなに唐突になるとは……もしや、変若水を飲んだのか?」

『…………』


金の瞳に、夜風に靡く白髪の長い髪。
そして頭に生える二本の角。
本来の鬼の姿をした私がそこにいた。
刀を地面に突き刺して、私は風間を睨みつける。
やがて風間は、手にしていた刀を鞘へと納めた。


「……行け。」

『え……?』

「まがい物の鬼に成り果てた女など、俺の妻にはそぐわぬ。その醜いまがい物と共に、野垂れ死ぬがいい。」

『そりゃ、うれしい限りね。』


つまり……風間は私への執着をなくしたということだ。
だとすると今後、彼に狙われることはなくなる。


「人間同士の戦も、じきに終わるでしょう。新政府軍は幕府軍の残党を見逃すつもりはありません。東北諸藩が抵抗を続けるようですが……、戦いの結末は明らかです。」

「……我々はもう、薩摩藩への義理を果たした。こうして貴様らの前に姿を現すことも、もうあるまい。」


そう告げた後、彼らは興味を失ったように私たちに背を向けた。
そしてそのまま、いずこかへ歩き去る。
私は最後までその姿を見届けてから、力を解いて元の姿へと戻った。


『…………』


安堵で、全身から力が抜けた。
久し振りに鬼の力を全開にした為に、とてつもない疲労感が襲って来たが、何とかその場に立ち続ける。
一時はどうなることかと思ったけど、何とか生き延びることができたのだ。
だけど総司は魂が抜けたような表情のまま、立ち尽くしている。


『あの、総司……』


ためらいながら、そう声をかけると……。


「……嘘だよね。」


震え声が、彼の唇から漏れる。


「絶対、嘘だよ。あいつら、僕を騙してるんだ。だって、あり得ないじゃないか。近藤さんは京にいる間ずっと、幕府や将軍公、京の人たちの為に働いてたのに……罪人として殺された挙げ句、首を晒されるなんて……、あるはずないよ。」


風間たちの言葉を笑い飛ばそうとでもしているかのような口調だけど……。
涙をこらえているのが、ありありとわかってしまってーー。
他でもない彼自身が、近藤さんの死を信じてしまっていることを表していた。


『総司……』


どんな言葉をかけていいかわからず、もう一度呼びかけると……。
彼は顔を伏せたまま、私へとしがみついてきた。


「嘘だーー嘘だ、嘘だ……!」


私の膝に顔を伏せたまま、彼は慟哭した。
それはまるで親を亡くした子供の絶叫のような、聞いているだけで胸が痛くなる声で……。


「どうして、近藤さんが死ななきゃならないの!?あんなに強くて、優しくて……、誰よりも幕府のことを考えてた人なのに。僕、近藤さんにあんなに優しくしてもらったのに……全然、恩返しをしてないのに……、それなのに、どうしてこんなに早く死んじゃうんだよ……!?」


最後はもう、言葉にならない様子だった。
私も、彼を見ているのが辛くて、かける言葉が見つからなくて……。
ただじっと、抱きしめ続けることしかできなかった。


それから、どれくらいそうしていただろうか。
気が付いたときには東の空が白みかけていた。


『……大丈夫?』


そう声をかけると、彼は罰が悪そうに泣き腫らした目を細める。


「……後追い自殺でもするんじゃないかと思ってる?平気だよ、そんなことはしない。……そうしたいのは山々だけどね。」

『…………』


茶化すような口振りではあるけど……。
今の言葉は、まぎれもなく彼の本音なのだと思う。


『総司は、これから……どうするの?』


総司は少し考えた後、暁光を見上げながら口を開く。


「新選組をーー、土方さんを追いかける。」

『えっ……!?』


意外な言葉に、私は驚かされた。


『土方さんに会って……どうするのよ?』


まだ京にいた頃、近藤さんが肩に傷を負った時のことが、不意に脳裏をよぎった。
あの時、総司は言っていた。
もし近藤さんに万が一のことがあれば、たとえ土方さんでも斬り殺すって。
もしかして、総司は……。


『あの……、総司。気持ちはわかるけど……今回のことは決して、土方さんの本意ではなかったはずよ。きっと土方さんも、近藤さんを死なせたくなんてなかったと思う。だからーー』

「知ってるよ、それぐらい。」


総司は、どこか突き放したような口振りでそう言った。
近藤さんが肩を負傷した時、そして昨晩風間から近藤さんの死を告げられた時とは違う。
激情に煽られているのではなく、極めて冷静なーー。
鞘に納められていない刀のような、剣呑な雰囲気のする声音だった。


「……だけど、このままじゃ踏ん切りがつかない。今のままだと、戦うどころか、前に進むことすらできそうにないんだ。」


この様子だと、怒りに任せて土方さんを斬り殺すことはなさそうだけど……。


『……じゃあ、私も一緒に行くわ。』

「千華も?……一族の里に行かなきゃならないんじゃないの?」

『それは、後でもいいよ。今の総司を、一人にするわけにはいかないから。』


総司はしばらくの間、無表情で私を見つめていた。
だが、やがて……。


「……わかった。それじゃ、一緒に行こうか。」


私の手をそっと握って、そう言ってくれた。


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