一話 京を大混乱に陥れた【禁門の変】の後。 幕府は長州藩を朝敵とし、各藩に長州征伐の命を出した。 後に、世間ではこれを【第一次長州征伐】と呼ぶようになる。 その後、長州藩の動きは一旦収まっていたように見えたのだけど……。 ほとぼりが冷めると再び長州藩は、幕府に対して礼を失した振る舞いをするようになっていく。 そこで詰問のために幕府方から長州藩へ使者が向かうことになり……。 新選組からも、近藤さんが同行することになった。 だけどそれでも長州藩は、恭順命令を徹底的に無視し続けた。 そんな彼らを懲らしめる為、夏には、二度目の征伐……【第二次長州征伐】が行われる流れとなってしまう。 しかし戦費の負担が大きかったこともあり、各藩から集められた兵士たちの士気は、思うように上がらなかった。 そんな時に入った家茂将軍の訃報に動揺し、戦線離脱する藩さえ現れ始めーー。 二度目の長州征伐は、幕府軍の大敗北という衝撃的な始末で幕を閉じた。 慶応二年九月ーー二百六十年の間、揺らぐことのなかった徳川幕府という大樹が、静かに軋み始めた瞬間だった。 その日、私は千鶴と一緒に巡察をしていた。 「だいぶ、暑くなってきたね……」 『……そうだね〜。』 暑いったらありゃしないよ、本当に。 『ひとまず、あそこの店から回ることにしますか。千鶴は店の前で待ってろ。一緒に来たって手持ち無沙汰だろうし。』 「はい、わかりました。」 千鶴が頷くのを確認すると、私は複数の隊士を連れて近くにある呉服屋へと入っていく。 『新選組だ。先日、浪人風の男が出入りしていたという噂を耳にした。詮議させてもらうよ。』 「へ、へえっ。」 おい、と声をかけて一緒に連れてきた隊士が呉服屋の中を調べ始める。 しばらく調べ始めて数分。 「そうだそうだ!いいぞ、兄ちゃん!」 「志士きどりの不逞浪士め!京から、さっさと出て行け!」 聞こえた声に視線を向けると、向かい側に野次馬ができていた。 その間から見え隠れする見慣れた着物に私は小さくため息を吐くとこの場を他の奴らに任せ、その場所に急いで向かった。 千鶴の奴、何やってんの? 野次馬をかき分けて進むと、千鶴が片手を出して後ろにいる女の子をかばっている様子だった。 これを見れば明らかに悪いのは、今千鶴に手を出そうとしているあの浪士の方だろう。 「くそっ……!馬鹿にしやがって!」 鋭い音を立てて、浪士が抜刀した。 『ッチ。』 舌打ちをして私は、千鶴が腰の刀に手を伸ばそうとする前に。 「ーーぐえっ!!」 浪士がくぐもった声と共に、崩れ落ちた。 「え……?」 困惑する千鶴が、浪士の背後から現れた私の姿に安堵の表情を浮かべる。 『ったく、面倒なことしてくれるよ。……安心してよ、峰打ちだから。』 「千華ちゃん!」 「ぐ、うぐっ……!き、貴様……」 『……そいつを屯所に連れて行け。長州の残党かもしれねえからな。』 「はいっ。」 命令を受けた隊士が、浪士を縄で縛り始める。 私はそれを横目に千鶴に歩み寄ると、ため息を吐きながら腕を組んだ。 『何で、俺を呼ばなかった?万が一のことがあったら、どうするつもりだったわけ。』 「……すみません。もし、彼女が怪我をさせられたらと思って、つい……」 千鶴らしいと苦笑を浮かべる。 「怪我なんてしないわよ!まったくもう、無茶しちゃって。」 「え、あの……?」 なぜか助けた筈の彼女にまで無謀を叱られて、ますます千鶴の立つ瀬がなくなってしまう。 「すみません、ご心配をかけてしまって。」 千鶴がぺこりと頭を下げると、彼女は思い出したように瞬きをした。 「あっ、でも……。私、あなたに助けてもらったのよね。まだ、お礼を言ってなかったわ。ありがとう。」 「いえ、そんな……あの浪士を捕まえたのは、千華ちゃんや他の隊士さんですから。」 「別に、謙遜なんてしなくていいのに。見て見ぬふりをするよりは、ずっと立派だったんだから。これも何かの縁だし、女の子同士、仲良くしましょうね。」 「えっ……」 思わず身を強張らせる千鶴に、私はさらっと告げる。 『……見る者が見ればわかることだよ。動揺しない。』 「ええと……」 「あら、もしかして内緒だったの?……まずかったかしら?」 「まあ……、その……」 千鶴は、肯定も否定もできずに黙り込む。 彼女は事情を察してくれたのか、それ以上追及はせず思い出したように言葉を続けた。 「あ、ところで、まだお名前を訊いてなかったわね。これも何かの縁ですもの、教えてくれるかしら?あなたもね。」 チラリと私に向けられる視線に私は苦笑いをこぼした。 これじゃあ、私が女だってこともわかってるかな? この子、鋭そうだし。 「あっ、えっと、こちらの方はーー」 『汐見千華。新選組は有名だし、名前くらいは聞いたことあると思うよ。』 「そ、そうですよね。私は、雪村千鶴と申します。よろしくお願いします。」 「汐見……?雪村……?」 彼女は驚いたように目を見張って、私と千鶴の顔をまじまじと見る。 「あなたたち、雪村と汐見って姓なの?……生まれは東国?」 「あっ、はい。」 『まあ……』 「元々は江戸に住んでいたんですけど、事情があって、こうして京へ来たんです。」 「…………」 「あの……?」 様子が気になって千鶴が声をかけると、彼女ははっとした様子で顔を上げる。 「……ごめんなさい、何でもないの。知り合いと同じ姓だったから。雪村と汐見って、すごく綺麗な苗字ね。」 「そうですか?ありがとうございます。」 『どうも。』 軽く頭を下げる。 汐見って苗字、あんまり聞かないけど。 「よろしくね、千華ちゃん、千鶴ちゃん。私のことは【千】って呼んで。」 「お千さんですか。よろしくお願いします。」 「……何か、水くさいわね。見たところ同い年ぐらいだし、そんなにかしこまらなくていいわよ。」 「そ、それじゃ……、お千……ちゃん?」 「んー……まあ、いいわ。そう呼んでちょうだい。」 彼女の視線が私に向けられて、私は首裏に手を当てながらあーと視線を宙に向ける。 『お千……でいい?』 そう呼ぶと彼女は嬉しそうに頷いた。 「じゃあ、また会いましょうね。千華ちゃん、千鶴ちゃん。」 お千は明るくそう言うと、着物の裾がひるがえるのも気にせず、走って行ってしまった。 何だか、彼女のまとう奔放な空気に呑まれてしまったような気がする。 私はじっと彼女の後ろ姿を見送ってから……。 『お千の奴、私たちの姓が気になるみたいだね。』 「そう……だね。知り合いと同じ姓だって言ってたけど。まあ、雪村ってそんな珍しい姓じゃないから。」 『汐見は珍しいけどね……』 お千の様子に引っ掛かりを覚えた私は思案顔をした。 じっと私を見る千鶴の視線に気が付いて、くしゃりと彼女の頭を撫でる。 『……予定からだいぶ遅れたね。そろそろ行こっか。』 「あっ、はい!」 その後も私たちは、暑さで揺らぐ風景の中、巡察を続けたのだった。 |