「俺は――」
「長谷川先輩? まだいらっしゃったんですか」

執務室から出て来た鴨原は、扉のすぐ側にいた光にぎょっと目を剥いた。次いで、穂積の存在に気付き慌てて頭を下げる。

「お疲れさまです、穂積会長」
「鴨原も残っていたのか。あまり無理はするなよ」

第三者の登場に口を閉ざした光とは反対に、穂積は労いの言葉をかける。現生徒会長の鴨原に対する評価は、悪くないようだ。

互いに立場を弁えた儀礼的な会話を続ける二人を前に、光は複雑な気持ちでいた。

穂積は新副会長方の抱える問題を把握していた。光が説明するまでもなく、仁志から報告を受けていたのだろう。彼の口ぶりからすると、どのような対処を行っているかも知っているに違いない。

すべて承知の上で光に声をかけ、挑発的な態度で言いがかりをつけた。投げつけられたセリフを思えば、理由は明白だ。

沈黙する光を不審に感じたのか、鴨原はちらりと穂積を盗み見てから一拍の後、頬を強張らせた。

どうやら、自分がまずい現場に踏み入ったと悟ったらしい。見る間に顔から血の気が失せていく。

「お話し中に失礼しました。俺は先に――」
「二人とも明日も早いだろう。気をつけて帰れ」

鴨原に最後まで言わせることなく、穂積は「おつかれ」の一言を残してエントランスへ続く階段を下りて行った。

玄関扉の閉まる音が、やけに大きく響く。

「あの、すみませんでした」

謝罪の言葉は、十分過ぎるほど間を置いてから紡がれた。

「え? あぁ、いや。こっちこそ変なところを見せた」

気まずさを隠し切れない様子の後輩に、光は苦笑した。

鴨原は聡い。年齢に見合わぬ落ち着いた態度は、冷静な眼差しで状況を見極める聡明さから来ている。光と穂積の間に流れる、重苦しい空気に気付くのは当然だ。

それに罪悪感を覚える生真面目な性格を、普段ならば好ましく思ったに違いない。

「……仕事、一区切りついたんだな」

鴨原は学院指定のダッフルコートを着こみ、手にはスクールバッグを持っていた。

光が執務室を出るときには、もうしばらく居残ると言っていたはず。口元に浮かべた微笑みが、さらに苦くなる。

「ごめん。俺が残っていたら、帰りづらいよな。今度から気を付けるよ」
「お気遣い頂いて申し訳ないのですが、明日、改めて取り組んだ方が効率的だと思い直しただけですよ」
「ならよかった。せっかくだし、寮まで一緒に帰るか」

彼の言葉を鵜呑みには出来ないが、掘り下げるのは逆効果だ。周囲への配慮を欠いていたと内心だけで反省しつつ、光は階段を下りた。

外は凍てつくような寒さで、冷気に撫でられた頬が一瞬で硬くなる。思わず漏らした吐息が白い靄になり、夜の空気に滲んで消えた。

他に人影のない煉瓦道を、二人並んで寮まで歩く。

互いに口数の多い方ではないが、無言になるのは珍しい。話題を振るべく考えを巡らせていると、鴨原が口を開いた。

「なにかありましたか」
「なにかって、なにが?」
「穂積会長と」

まさか踏み込まれるとは思わなかった。

驚きのあまり足を止め、まじまじと対面の瞳を見つめてしまう。

「……鴨原って、そういうタイプだっけ」
「場合によっては」

自分でも「らしく」ないことをしている自覚はあるのか、彼は決まりが悪そうに笑う。

一方で、その視線は光に据えられたまま。じっと答えを待っている。

誤魔化しは通用しないと観念して、光は密かに深呼吸をした。

「副会長方の件で、少し話を訊かれただけだよ」
「叱責でも?」

頭を振って否定する。

確かに穂積の態度はいつになく攻撃的だった。苛立っていたのも事実だろう。

だが、言葉に込められた想いが分からないほど、光は愚かではない。

「一人で抱え込むなって言われた」

穂積は光を心配していた。




- 827 -



[*←] | [→#]
[back][bkm]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -