例えば、こんな休日
確かに相当身分の高い家の子だとは思ってた。
思ってたけどさ…………
『誰もまさか藤原の氏の長者で、一番の権力者だなんて思う訳ないじゃない』
目の前にあるのは大豪邸、東三条殿だ。
この国一番の権力者である藤原道長が住む邸だ。
太裳曰く、鶴君は道長の子らしい。
『鶴君、貴方のお邸は此方で合ってるかしら』
「うん!」
合ってたよ………
意を決して門に近づくと、最初は門番に誘拐犯だの罵られた挙句、武器を突きつけられた。
この時背後に控えていた太裳の神気が一瞬荒々しくなったのは気のせいだと思いたい。
鶴君の説明によりすぐに誤解は解け、奥から駆けだしてきた女房が鶴君を思いっきり抱きしめた。
突然姿を消した鶴君が心配で仕方なかったようだ。
泣きながら頭を下げて礼を述べる女房を何とか落ち着かせ、すぐにお暇しようと思っていると、奥から別の女房がやってきた。
主が是非ともお礼をしたいのだと言う。
この邸の主とは即ち道長である。
恐れ多いと全力で辞退を申し上げると、せめてもの礼だと言われ立派な簪を戴いてしまった。
更に鶴君からもお礼だと言われて立派な和紙に貼られた桜の押し花を頂いた。
『よ、よかったのかな………頂いてしまって………』
「受け取っておかなければあのまま左大臣の前まで連れて行かれていたと思いますよ」
『………………だよね』
とりあえず失くさない様に袂に仕舞うと、咲は太裳を見上げた。
『随分時間も経ってしまったし、少し急ぎ足で市に向かいましょうか』
「そうですね。今からならまだ日が暮れる前に戻れるはずです」
東三条殿から市へと移動すると、市は活気に満ちていた。
そこで露木に頼まれた品物を購入すると、腕に抱えて市を歩く。
「頼まれていたものはそれで全てですか?」
『えぇ、後は安倍の邸に戻るだけね』
他に欲しいものがあったら買っても良いと言われているが、特にパッと浮かばないのでこのまま帰るつもりだ。
市を抜けようと歩いていると、突然ガシャンッという音がした。
音がした方を見ると、そこには倒れこんでしまったお爺さんと荒っぽい男がいた。
お爺さんは反物の店の人で、男はその中でもとりわけ高そうな反物を手にして倒れたお爺さんを見下ろしている。
「これはいい反物だな。俺が貰ってくぜ!」
「お、お客さん………お代を………」
必死に男を止めようとするお爺さんをものともせず、男は代金を払うこともなく反物を持って咲たちが居る方へかけてくる。
事態を把握した咲は一瞬眉を顰めると、男の足元に目をやった。
男の足の少し手前に瞬時に小さな氷の塊が生じる。
男はその氷に躓き、思いっきり前にこけた。
男の手から反物が飛び出し、それは弧を描いて咲の手に落ちた。
すぐさま氷を消すと咲は男の横を通過してお爺さんの許に行った。
『お爺さん、大丈夫ですか?』
「おぉ、すまないのぉ………」
お爺さんを起こしてやり、反物を返した。
《……………咲様》
『つい………』
一瞬氷を生じさせて転ばせたことを太裳はしっかりと見ていた様で、呆れた声音の太裳に咲は苦笑した。
さっさと帰ろうと店を出ようとすると、復活した先程の男が顔を真っ赤にさせながら睨んできた。
どうやら顔から地面にぶつかったようだ。
「何しやがんだそこの女!!俺の反物を!!!」
『…………貴方の反物ではなくこのお店の反物でしょう。代金を払っていないのだから』
落ち着いた声音でそう返してやると、逆に頭に血が上ったのか此方に殴り掛かってきた。
今日は真昼間の都を歩くということでいつもの動きやすい着物ではなく、女の人が外に出歩くときの格好だ。
動きにくいし、被いている布を落とす訳にはいかないし、片腕は荷物で塞がっている。
さてどうしようかとやけに冷静に見ていると、傍にいた神気が動いた。
動いた神気 太裳は隠形したまま殴り掛かってきた男を掴むと綺麗に投げた。
そう、とても綺麗な背負い投げだった。
あまりの綺麗さに咲も茫然とその様を見ていたが、暫くしてハッと我に返った。
今自分からは太裳が投げた様子が見えているが、周りの徒人からしてみれば突然男が回転して落ちたような図で見えているはずである。
『た、太裳…………!』
《すみません、つい…………》
慌てる咲に太裳は苦笑した。
男は怖いものでも見るかのように咲を見て、慌てて逃げていった。
周りで様子を見ていた通行人や近くの店の人たちは大歓声を上げて、拍手喝采である。
「ありがとうな御嬢さん」
『い、いえ………』
反物屋のお爺さんからも礼を言われ、もうさっきの突然男が回転して落ちたことは彼らの頭の中で勝手に処理されているらしい。
「お礼じゃ、好きな反物一つ持ってってくれ!」
『え、で、ですが………』
「いいからいいから!」
お爺さんに勧められて一つ、綺麗な紫苑色の反物を頂いた。
更に近くのお店からも胡桃や干した果物を頂いてしまう。
何でも前からあの男はこの市で傍若無人な振る舞いをしていたそうで、お店の人は困っていたらしい。
その男を追っ払ってくれた礼だといろんなお店から色々な物を頂いて市を出た。
『何だか今日は沢山のものを頂いてしまったわ………』
咲は両腕に抱えられた荷や袂に仕舞われた荷に思わず苦笑した。
最初は太裳が荷物を持つと申し出てくれたのだが、太裳に持たせると傍から見れば荷物が浮いているような状態になるので遠慮しておいた。
邸に帰ると、昌浩が既に戻っていて、昌浩と彰子ともっくんから出迎えを受けた。
三人とも咲の荷物に目を見開いて驚いている。
「咲、どうしたのその荷物!」
「露木様に頼まれたものはそんなに多くなかったと思うのだけれど………」
『ちょっと、色々あって………』
とりあえず太裳に露木に頼まれたもの以外を渡して部屋まで運んでもらうようにお願いすると、咲はお使いのものを露木に渡しに行った。
そして部屋に行くと昌浩と彰子ともっくんもいて、部屋には今日貰ったものが全て並んでいる。
「どうしたの?こんなに沢山」
『色々あってね………迷子の男の子を邸まで送り届けたり、市で悪さしてた人をちょっと懲らしめたらお礼って言われてこんなに頂いちゃって………』
「何してんだよお前………」
もっくんは半眼になって咲を見上げた。
咲は苦笑するしかない。
「これ、立派な胡桃ね」
『でしょう?一籠もくれたのよ。あとで露木様に和え物にでもしてもらいましょうか』
「干した果物もこんなに沢山もらったの?」
『えぇ、あとで皆で頂きましょう。余ったら昌浩にあげるわ。夜警に行くときの間食にいいと思うし』
「お前、この簪とかどうしたんだよ………絶対高いぞこれ」
『あぁ、それは迷子になった男の子を邸まで送り届けたら邸の方から頂いたの。こんな高価なものもらえないって言ったんだけど、断ったら更に高いもの送ってきそうだったし………』
実は左大臣の邸から貰ったということは伏せておいた。
それから夕餉の支度を手伝い、夕餉を頂いたあと、咲は自室で繕いものをしていた。
「今日は夜警に行かれないのですか?」
『えぇ、最近は落ち着いているし、昌浩一人で大丈夫だと思うから』
太裳と話しながらも咲の視線は手元に向けられていて、手馴れた手つきで縫い物をしていく。
「それは今日、市で頂いた反物ですね。何を作っているのですか?」
『随分お世話になっているから、露木様に袿を作って差し上げようと思って』
とりあえず露木宛てと思っているが、落ち着いた色合いなので誰でも使えると思うので安倍家に差し上げると取った方がいいのかもしれない。
そう思いながら手を動かしていると、ふと手が止まった。
『太裳、ちょっと』
「どうかしましたか?」
咲に呼ばれて太裳は咲の傍までやってきた。
すると咲は文机に置かれていたものを手に取ると、それを太裳の首に下げた。
「これは………」
首から下がっていたのは匂い袋だった。
袋は市で頂いたあの紫苑色の反物で出来ている。
袋からは白檀の香りが微かに匂いを放っていた。
『彰子みたいに伽羅とかいいお香じゃないけど………どうかな?』
匂いものってあんまりよくないかな?と心配そうに尋ねる咲に太裳は首を横に振って笑みを浮かべた。
「いいえ、とても嬉しいです。ありがとうございます」
『良かった………その色の反物にしたとき、絶対太裳に何かあげたくて。でも神将に衣服はいらないから悩んだ末に匂い袋にしてみたんだけど』
「?この色に何か意味があるのですか?」
『え?だって紫苑色って太裳の色………太裳の目の色じゃない』
それにお香には破邪退魔の力があるからお守りにもなるかと思って、と笑みを浮かべて言う咲を太裳は抱きしめた。
『た、太裳……………?』
咲は驚いた様子で何とか太裳の顔の方を見ようとする。
だが顔が太裳の肩のあたりにくるように抱きしめられているので、太裳の綺麗な青磁色の髪と少し尖った耳しか見えない。
「咲様」
『な、何………?』
「咲様も同じものを持っているのですか?」
『え?いや、持ってないけど………』
「では咲様が持っていてください」
『え!?いや、太裳のために作ったんだけど………!』
「露木様への袿で余った布で作ってください」
『え………えぇぇ………』
まぁ太裳がそう言うならいいけど、と言いつつ咲は太裳の背をポンポンと優しく叩いた。
例えば、こんな
休日(ある日の平穏な)
(日常の一コマ)
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