百万の薔薇



午後三時20分。ティータイムには丁度良い。
最高級のアッサムをミルクティーにして、うっとりするような豊潤な甘味を堪能してもらおう。中心に自家製ストロベリージャムをたっぷり詰めた焼き立てクッキーも陶磁のプレートに盛ってある。
紅と蒼と白の大輪の薔薇が咲き誇る庭園を臨むガーデニングテラスにティーセットを運んでもらって、準備は完了。あとは主賓を呼ぶだけだ。

「おい話がある。出て来い」

俺の隣の部屋のドアをノックすると、音もなく扉が開いて中から綾人が顔を出した。初めて会ったときよりも大分顔が近い。ぱさぱさの睫毛に縁取られた金の瞳と視線が絡む。じっと見詰められて、何故か俺がたじろいでしまった。

「……」
「……」

無言。どうしたの?と綾人は優しく尋ねてはくれない。俺の当たり前はこいつには通じないんだ。俺が言い出さなければならないんだ。

「あの、紅茶を、いつもは一人で飲んでるんだが、今日ぐらいは、お前と………ええい、とにかく来い!」

まどろっこしくなって綾人の細い腕を掴んで駆け出した。無性に恥ずかしい。なんで俺こんなことしてるんだ。

気がつけば俺達はテラスの前に辿り着いていた。全力疾走したから俺の息は荒いし顔も赤い。そこではっと気がついて、自分がまたやらかしてしまったことを自覚した。また綾人の都合を考えなかった。

「…悪い、いきなり連れてきて。お前と紅茶を飲もうと、思ってたんだ。その…いいか?」

後ろを振り向くと何事もなかったかのように涼しい顔をしている綾人がいた。息一つ乱れていない。こいつは華奢な見かけに反して体力あるんだな。

「いい」

OKなのかNOなのか判断がつかないが、帰ろうとはしないからOKなのだろう。そこで俺はまた気がついた。腕を掴んだままだ。

「あ、悪い…その、痛かっただろ」

手を放すと、綾人の白い腕に赤みが差していた。痣にはなっていないが、俺が強く握りすぎていたせいだ。

「痛くない」
「嘘なんかつかなくていい。痛くないわけないだろ」
「痛くない」

綾人はそっと目を伏せた。

「…わかった。まあ、とにかく座れ。紅茶が冷めるだろ」

椅子に腰掛けると、綾人も真似した。俺がカップに口をつけても、綾人はぴくりとも動かない。

「飲んでいいんだぞ。お前の為に入れたんだから」

俺が促すと綾人はようやく紅茶を口に含んだ。ふと、その眦が下がった。

「どうだ、美味いか?うちのメイド長が入れたアッサムは絶品だろ」

とても小さくゆっくりと、だが確かに綾人は首を縦に振った。俺はわけのわからない興奮に包まれた。

「ほらクッキーも食べてみろ。焼きたてだぞ」

口元にクッキーを近づけると、綾人はそれを直接かじって咀嚼する。そして一言。

「美味しい」

嬉しかった。自分で焼いたわけでもないのに。
絆されかけた俺だが、ティータイムの目的を思い出した。
俺がこいつをお茶に誘ったのは餌付けするためではない。こいつを知るためだ。

「そうだな。美味しい。お前はこういうティータイムを過ごしたことあるか?」
「ない」
「じゃあ今までどんな生活を送ってきたんだ?」
「どんな、とは具体的には」
「例えばどこに住んでいたとか、どんな学校に通っていたとか…」
「西部の田舎。通信教育を受けていた」

西部の国境付近ではつい最近大規模な戦闘があった。綾人の家族はそれに巻き込まれたのだろう。

「じゃあ真京市は初めてなのか」

綾人はこくりと肯いた。

「どこか行きたいところはあるか?その…時間がもしあったら、連れていってやらないことも…今朝の詫びに…」
「無い」
「は?」
「真京市にどのような建造物があるのか、情報を持っていない」
「要するに何があるのか知らないってことだよな?」

綾人はまたこくりと肯いた。

「テレビとかパソコンで見たことあるだろ?」
「テレビは、ここに来る飛行機の中で始めて見た。パソコンは指定されていない情報の閲覧が禁じられていた」
「…まじか」

幼い子供を害悪から遠ざけるためにパソコンに制限をかけるのはよくあることだが、まさか世界一の情報社会を構築しているこの国で、田舎とはいえテレビを買っていない家があるとは想像だにしなかった。
俺が綾人にいろいろと教えてやらなければ。そんな使命感が頭をもたげてくる。

「お前、これから時間あるか?出かけるぞ。都会の常識を教えてやる」
「ない」

意気揚々と立ち上がった俺は出鼻を挫かれた。

「午後4時に迎えが来て、学校に挨拶に行くことになっている」
「そうか、学校行けるんだな。学校の名前はなんていうんだ?俺と同じところかも…」
「知らない。でも、ここから遠い場所にあると聞いている」
「なら多分俺とは違うな。きっと一般家庭の子供が通う学校なんだろう。お前にはそのほうがいいかもな」

俺の学校は徒歩15分と近場にある。高級住宅が立ち並ぶこの界隈にはそれに相応しい学校が揃っている。田舎育ちが放り込まれても怖気づくだけだ。

メイドがテラスにやってきて、綾人の迎えが到着したことを告げた。

俺に背を向けて歩く綾人の後姿を見つめながら、これからのことを考えた。焦らなくて良い。時間はたっぷりあるんだ。あいつはこの家に住むんだから。時間をかければあいつの傷も薄くなるはずだ。そしたら、人形らしさも消えて年相応のガキらしくなる。

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