魍魎の棲家
俺は車から降ろされ、どこかに運び込まれた。目隠しをやっと外されたが、辺りは暗く殆ど何も見えない。
俺を運んできた奴らの足音は遠ざかり、扉を閉める音が響いた。完全な無音になる。
「ここにいるのか綾人?」
闇に向かって問い掛けると、どこからか返事が返ってきた。
「いる」
「連中に何かされてないだろうな」
「されてない」
ひとまず綾人の無事に安堵した。人質の価値がある俺とは違って綾人はいつ殺されてもおかしくない。
ぺたぺた、じゃらじゃらという足音が近づいてきた。窓から薄らと入る明かりのおかげで音の主が綾人だとわかる。ようやく目が慣れてきたのだ。
綾人は体に俺と同じ毛布を巻き付け、足には鎖つきの枷を嵌めている。
「その鎖はなんとかして外せないのか?」
「壁に打ち付けられている」
「無理ってことか…」
俺の足にも綾人と同じ枷が嵌められている。この状況を打開する手は見つからなさそうだ。綾人は隣に座りこんだ。
「綾人、ここがどこか…わかるか」
「倉庫の中。埃がたまっているから普段は使われていない」
「…そうだよな。これからどうすればいいのか…途方に暮れるってこういうことか」
今頃父さんに連絡がいっているだろうか。犯人が何かしらの要求をしているかもしれない。俺のせいで父さんに迷惑がかかることは避けたかったのに。
お腹が空いた。喉が渇いた。埃だらけで気持ち悪い。
丁度おやつの時間には家に着くはずだったのだ。大浴場でシャワーを浴びて汚れを落として、カナッペをつまみながら読書するはずだったのに。
目を瞑れば昼間の光景がいやでも浮かび上がってきて、吐きそうな気分になる。忘れ去るにはあまりにも凄惨すぎた。
うなだれる俺を見ていた綾人はすっと立ち上がった。
「恭、手伝って。倉庫周辺の状況を確認する」
「…確認って、何するんだよ。余計なことしたらあいつらが…」
「大丈夫。恭は死なないから、綾人も死なない」
綾人は光が差し込む小さな窓の下に移動した。子供がやっとくぐれそうなサイズだ。
「床から窓のふちまでの高さが約3m。片方がここに立って踏み台になり、もう片方が窓まで跳躍してふちを掴み、外に見張りがいるか確かめる。いれば、倉庫の中にカメラや盗聴器はついていないと推考できる」
「…そんなことしてなんになるんだ…」
「情報収集は大切…政治家にとっても」
「政治家…」
俺の夢だ。いつか綾人に話したことがあっただろうか。
「優れた政治家になるためには、状況把握が肝要。だから…がんば、って」
「……」
ここで政治家の話が出てくる意味がわからないし、状況把握以外にも大切なものはたくさんあるだろ、とか言いたかったが、喉から言葉が出てこなかった。
顔を上げれば綾人と視線がかち合う。かつて人形のようだと思った自分が馬鹿みたいだ。こいつは今下手くそながらも俺を励まそうとしているんだと気付いてしまった。人を励ます人形なんて知らない。
綾人の瞳に映る俺は酷い顔をしているのだろうか。俺が守ると決めたのに、これじゃあべこべだ。
そんなの俺のプライドが許さない。
「お前に言われなくとも…政治家に必要なものは知ってるし、この状況を俺が打開してやる。いいな」
俺がすっくと立ち上がり宣言すると、綾人はこくりと肯いた。
―――――――――――――
試行錯誤の結果、この倉庫内の状況は犯人にはわからないだろうという結論に達した。
どちらが踏み台になるかは跳躍の高さで決めることにしたが、綾人は助走をつけると俺の身長ほどの高さまで跳ぶことができたのだ。勝てるわけがない。
「お前は陸上部に入ってるのか…?」
「どの部にも所属していない」
「今からでも入ったほうがいいと思うぞ。将来有望だ」
綾人は俺を遠慮なく踏みつけて見事窓のふちに手をかけた。そこから周囲を見渡すと、人っ子一人いなかったという。
そこで倉庫内にカメラや盗聴器の類があるかを徹底的に探すことにした。鉄のコンテナや木箱が積まれているので、その隙間を覗き込んだり地面を手探りしていった。鎖は入り口の鉄扉まで十分届く長さだったので、倉庫内は隅々まで調べることが出来た。
一度男が食べ物と水を持ってきたが、綾人が足音を察知したので俺達の行動がばれることはなかった。施しを受けるのは腹立たしいが、今はそんなことを言っている場合ではない。
エネルギーを補給した俺達は探索を再開し埃まみれになってしまったが、犯人に監視されているという恐怖からひとまず解放された。
「それで…これからどうする?」
「壁を削って鎖を外す」
綾人は床に落ちていた鉄の棒を掲げた。地味な作業だが、確かに鎖をどうにかしなければ道は開けない。
俺と綾人は、それぞれの鎖を打ち付けている金具の周辺をごりごりと削り始めた。壁はコンクリートだから成果が上がりにくいが、手段は選んでいられない。
時折綾人は作業の手を休めて、毛布にくるまっていた。休憩しているのだろう。暁の光が差し込む頃には俺もへとへとになって仮眠を取らざるをえなかった。
「綾人…そっちはどうだ、外れそうか?」
「まだ時間がかかる」
「そうか…もう少し頑張るぞ、休憩は終わりだ」
もどかしいが、こうしている間にも誘拐犯が父さんに無茶な要求を突きつけているかもしれないと思うと、休んでなどいられなかった。
「待って」
「え?」
「棒をコンテナの隙間に隠して。足音が聞こえる」
綾人の言うとおりにしたすぐ後に、扉が重い音を立てて開いた。
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