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「サラ様…先生との初対面は今でもはっきり覚えているよ。当時の俺にとっては世界が変わるほどの出来事だったんだ。国民的英雄なんて枠に収まらない、遥か天上に座しておられた神様がある時手の届く場所に顕現なさったとでも言えばいいのか、とにかく現実とは思えなくて…あー、表現するのは難しいな…」

最後の言葉はぽつりと零れて、二人の間をたゆたう空気に溶けてしまった。前方を歩くヴェインの顔を窺うことはできないが、きっと口を微かに震えさせながら言葉を探しているのだろう。手を繋いでいなければ困り顔で頭を掻いていたかもしれない。
ルイがそんなことを考えていると、彼の肩が一度上下した。

「とにかく…俺は先生に一目惚れしたんだと思う。恋慕、敬愛、親愛、崇敬、心酔…どの感情を先生に対して抱いたのかは昔も今もわからないままだし、全てがぐちゃぐちゃに混ざりあってるかもしれない。恥ずかしい話だけど、多感な頃は先生の肌に触れたいと熱望したし、亡くなられた先生の夫君に嫉妬したこともあるんだ…」

「先生の夫君」とはルイの父親のことである。だが当のルイには父親に関する記憶が全く無い。生まれる前か、物心つく前かに戦死したことだけは伝え聞いている。いつ死んだのかも分からない、知りたいとも思わない。その程度の希薄な存在なのだ。

思い出に耽ってしまった背中に続きを促すため、自分の父親のことはどう思っているのかと問いかけた。これまでの話だけを鵜呑みにすると、自分の子供の戸籍を抹消してごみ溜めに放り込む人非人としか捉えられないが。

「あの頃は本気で怨んだりもしたけれど…今は寧ろ感謝しているんだ。俺が軍に入っても尚健全な精神を保っていられるのは父さんの教育のおかげだと思う。堕落した貴族軍人の典型がハルマン二尉だよ。二尉と同じ教育を受けていれば、俺も彼と同じく無知で傲慢な振る舞いをしていただろう。それに今だから言えるけど、父さんは本気で俺を殺そうとしたわけじゃなかったんだ」

ヴェインは父を擁護した。戸籍は再発行できるように予め写本を用意していたし、ヴェインには知られないようにこっそり見張りもつけていたという。尤もその見張りが対象を見失ってしまった結果、幼子の命が危険に晒されたのだが。
行き過ぎたことは否めないが、父の行動はあくまで教育の一環であって、子供に愛想を尽かした故ではなかったらしい。

ルイにはヴェインの精神構造が理解し難かった。父が行ったその弁明が捏造だとは微塵も疑わないところが実にヴェインらしく、少し憎らしい。
親を愛したがる、親に愛されたがる欲をルイは欠片も持ち合わせていない。父については顔も知らないし、母については思い出すことすら拒否したいのだ。もしも今ヴェインに背後を振り向かれたら、苦虫を百匹は噛み潰したような顔を晒していただろう。

「そのことを知ったのは随分後の話だし、先生が命の恩人であることには何ら変わりないよ。明確な好意を抱いたのは、あの人が俺の家庭教師になってからだった」
「だから先生と呼んでいるのか」
「そう。俺は先生のただ一人の弟子…の筈だったんだけどなあ……」

悲哀漂う背中に声をかけるべきかルイは迷った。
サラは二ザールの巫者を密かに弟子にしていたようだ。それはヴェイン、ひいてはアクロディアス国民全員に対する裏切りに他ならない。繋いでいる彼の手から徐々に力が抜けていく様が、ルイにもはっきり感じられた。
足の運びも遅くなり始めたので、ルイは催促とほんの僅かな八つ当たりの意味を込めて声の代わりに砂を蹴りかけることにした。

「うわっ!…びっくりしたよ。何かな?」
「何も」
「……そっか。何もか。ふふっ…」

ぼろぼろの軍服に包まれた肩が小刻みに揺れた。今のやり取りで面白いところなど皆無なのだが、どうもヴェインは笑い上戸のようである。これ以上笑いの種になるのも癪なので口を噤んだままでいると、発作を治めたヴェインが昔語りを再開した。

「ちょっと嬉しくなってしまって…や、なんでもないんだ、続きを話そうか。俺は先生に4年間師事したんだ。俺の24年の中で一番濃密で、夢のような時間だった。この日々が永遠に続くのだと、少年だった俺は妄信していたよ。魔女の禍が起こるあの日までずっと…」

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