第三回:モゼヘアー店長さん

いつも楽しいトーク全開の店長さんですが、一体どういう経緯で美容師を目指し、現在まで至るのか。
カットの合間に教えて頂きました。

──では(お約束の)子供の頃の夢はなんでしたか?
宇宙飛行士。
──また飛び抜けちゃってますね(笑)
あの頃は大抵そんなもんだったよ(笑)
──どんな子供時代でしたか?
両親とも理容室で遅くまで働いていたから、妹二人の面倒をみてたね。
──えらいお兄ちゃん!
友達と遊びたかったんだけどさ、女の子だし連れていくとあまりいい顔されなかったのね。
だから兄妹で遊ぶか、一人で冒険するかだった。
ある時はガケから落ちて死に掛けてたり(笑)
──ええー!怖い!
ある時は、ビルの屋上に妹と忍び込んで、ずっと遊んでいたり。
ライトアップされて明るかったから、夜って気付かなくてさ。
捜索騒ぎになって、親からこっぴどく叱られた。
──それはそうですよ。しかし時代ですねェ。今の子達みたいに過保護じゃなかったですものね。
今だら大問題レベルだよね(笑)

──お父様が理容師でしたから、跡継ぎとして期待されていたと思うんですけど、そのつもりだったんですか?
いやまったく。建築士かエンジニアになりたかった。
──畑違い過ぎる(笑)
親は特に期待をかけてなかったからね。
高校卒業前にやっぱ目指そうかなーと思って、リクルートを見て学校を決めた。
大阪のエリート専門学校。大学まである。その規模から考え方まで、180度意識が変わったよ。
──大阪…さすが都会や…。美容学校に大学ってあるんですね!
さすがに上まではいけなかったけど。
免許取って就職活動の前に、男爵の社長が来てたんだ。
──そう、長年通っていて、男爵がチェーン店(?)全国各地にあると初めて知りました。
鹿児島ではうちだけだからね。大阪中心の美容室だね。
社長はたぶん優秀な生徒をスカウト、引き抜きに来てたんだろうね。
僕はそんなに成績優秀ではなかったんだけど、何故かスカウトされて、就職先男爵に決定。
──お〜!光るものがあったんでしょうねー。
19歳で店で働かせてもらって、2年後に社長が「店舗任せるわ」って(笑)
──はぁ!?わずか21歳でお店任されたんですか!?
そう。最短でも5年らしかったから、2年の若造に…って嫉妬凄かった。
──そりゃ無理もない。大抜擢すぎる。
自信とかまったく無かったんだけどね。
スタッフも集めて、いきなり売り上げ凄かった。
──…なんというトントン拍子…
技術とかそこそこだったと思うんだけど、それ以外が良かったんだろうなァ〜
──以前聞いたのですが、とにかく大阪のお笑いのノリで、お客さんまで交えた楽しいお店だったらしいです。

コンテストとかあったんだけど、優勝なんかしちゃって(笑)
──それは流石に実力でしょ?
それが、モデルとか使わないでマネキンでいいや〜と思ってたら、人間のモデルが必要ってことで、
会場に居た女性を…つまり、現地調達的な。
──…(絶句)そんな行き当たりバッタリで、先輩方を差し置いて優勝…?
そう。嫉妬凄かったなー。
──当たり前です!(ビシッ)

順風満帆すぎるような店長の若い時代。
8年後、親の具合が悪いと聞いて鹿児島へ帰省されました。


まぁ、それウソだったんだけど。
──えええー!!仮病!?
でも長男だし、いずれは…って考えてたからね。
──では、それから父息子でお店を一緒に?
大阪との落差に耐え切れずに、鹿児島市内へ面接行ってた(笑)
7、8箇所は回ったかなー
──なんということでしょう…
それで、紫原のあるお店に面接してもらったら、店長とかなり意気投合してね。
スタッフ帰った後も喋って、4時間は居た(笑)
──手ごたえ充分ですね。ではそこへ就職?
落ちた。
──それだけ期待持たせて、そりゃないよ!
どうも雇われ店長だったみたいで、上の方が人材は足りてるから…って判断だったみたい。
その店長さん直謝りの電話してきてね。そこである有名美容室のオーナーの、Oさんって人を紹介された。
Oさんに僕の話をしたら、「是非うちに来い!すぐ来い」って言われたらしい。
2日後に面接したら、Oさん履歴書とか見ないで、即採用。
──そんなんでいいんですか(笑)
実はOさんは、僕が現われるのを知ってたらしい。
Oさんは元はチンピラみたいな生活をしていたんだけど、ある日通りすがりのお坊さんに呼び止められて、
ば〜っとこれまでの怪我のこととか、人生を当てられたんだって。
──話が急にオカルトチックに…
先の事も年表みたいなの作られて、それが当たるんだって。
それで、ある年に名前に「新」が付く男が現われるから、逃すなって予言されたらしい。
──おお…それが店長…。縁といえばそうですが、不思議な話ですね。
私も昔近所に、何でもお見通しのほっしゃどん(法者どん)が居たので、信じますよ。
でも偽物の方が多いですが。入信か壷買えって流れになるのかと思いましたよ(笑)


そこで奥さんとも知り合って、結婚式にはスタッフ皆来たがったけど、年中無休だからジャンケンで半分行ける事になってね。
盛り上がったよー
──愛されてましたね〜
でももう実家継ぐ事になってたから、スタッフ一人引き抜いて辞めやがる…って冗談っぽくだけど、Oさんにスピーチされた(笑)
──ほんとだ(笑)奥さんは、店長のどこに惹かれたんですか?
(奥さん)カットが抜群に上手くて才能に惚れたんでしょうね。
この人についていけば、カットも教えてもらえると思ったんだけど、夫婦になると対等になって、
なかなか上手く行かなかった(笑)
──分るかも(笑)

ご実家を継いで、かつてお世話になった男爵の社長さんから、フランチャイジー(加盟店)にならないかと誘われ、
男爵として長年多くのお客さんに親しまれてきました。
でもずっと独立して自分の店を構えたいと考えられ、準備をしてきましたが、
そこへあの水害が…
お店も自宅も浸かってしまい、家族5人狭い2DKの生活を5年間も。
年頃の娘さんも居たので、ケンカやストレスが耐えなかったそうです。


──初めての挫折というか、どん底でしたね…
うちだけじゃなかったけどね。色んな人間模様を見てしまったよ。
一ヶ月くらい目眩が治まらなくて入院したり、身体もボロボロだった。
そんな時に親父の具合も悪くなってね。
「こんな時だからこそ、家族が一つになれるチャンスだ」って言ってくれて、それから亡くなった。
──お父さんなりに心配されていたんですね…

お父様は理容師でしたが絵も描かれていて、私が高校時代、美術の先生の所へ遊びにこられていたのをたまに目にしていました。
温かく綺麗な色彩の風景画や花の絵など、人柄が現れる素敵な絵でした。
お話を伺っていると、店長にとって父親は偉大だったんだという事が伝わってきました。

水害で伸びてしまった新店舗計画。
有名な設計士さんに依頼したものの、なかなか上手く事が運ばず、開店予定日がどんどん伸びてしまいましたが、
2011年11月29日モゼヘアーオープンです!
ところが、宣伝はかつてのお客さんにハガキくらい。しかも分りにくい場所なのに案内看板もありませんでした。


──一見さんお断り?
いや違うよ(笑)
スタッフの数も少ないし、体調もたまに悪くなるしね。
常連さん達と、そちらの紹介で地道にやっていこうかと思って。
──宮之城って美容院激戦区ですよね。その中でそんな発言できるって、余裕だなーと思いますよ。
実力がすべて、ですね。

いやいや(笑)

──では最後に、これから美容師を目指そうとする若者に一言!
2年間バカになれ。
遊びたいし、彼氏彼女持ちたい気持ちは分るけど、2年間はひたすら勉強して腕を磨いて欲しい。
細かく考えずに、ひたすらバカみたいに打ち込む。
かつての恩師に言われた言葉。

美容師というと華やかな印象が強いですが、実は職人の世界ですものね。
遊びながら一流になるなんて、難しいという事でしょうか。

職人にも天才肌と努力型が居ると思うのですが、店長は前者だと常々感じていました。
でも天才であろうとも、努力を惜しまなかった。「2年間バカになれ」その言葉でそれが伝わりました。

成功するには実力と運の二本柱らしいですが、どちらも持ち合わせている店長は素直に凄いなと思いました。
嫉妬されても当然です(笑)

フェイスブックの説明、「髪は動くことを前提にカットします。再現性はもとより、長持ちも考えてカットします」
こちらに激しく頷きました。
よく、カット終わってスタイリングして貰った時は良かったけど、翌日は…という経験はありませんか?
店長のカットはそれがない。
翌日どころか、二ヶ月くらい先まで伸びても崩れない。

毛量のバラつき、髪のクセ、伸びの早さなどを計算してカットされているんだなーと納得の出来栄えです。

娘さんが美容学校に通われているという事ですが、是非父の腕を引き継いでいって欲しいなと思います。
店長、カットしながらのインタビューありがとうございました!


インタビュー日2013.6.12



以下広告

ネコジルシ猫の里親募集のページ
ペットのおうち