第一回:セラフコーヒー店長 記念すべき(?)当サイト初インタビューです! 現在40代の店長が、どんな経緯で自家焙煎のお店を始められたのか。 じっくり聞いてきました。緑はわたくしaki、灰色は店長です。 ──まず、子供時代はどんな感じでしたか? そこ!?そこから!?(笑) ──はい(笑)どんな性格の子が、どういう職業につくのか知りたいので。 えーと、サッカー少年でした! ──おお、キャプ翼世代。 小学生時代は転勤族で、小さな学校に入っては、人気者になってました。 …あの時が、人生の最盛期だった… ──な、何が起こったんですか。 中学生の時に、宮之城に引っ越してきて、宮中に入ったら、まず人数が違うじゃないですか。 途端に萎縮して、その他大勢の一員になりました。 あれが初めての挫折だったなー ──井の中の蛙、大海に溺れちゃったんですか…。部活はやはりサッカー部に? いえ、卓球部。 ──なんで!?違い過ぎるでしょ!? サッカー部無かったんだもん。友達に誘われたから、卓球部。 ──では、お店を構えるまでヒストリーをお願いします! 実は、この店で三軒目なんだよね。 ──ええ!?初耳! 一軒目は小学4年の時。自分の持ち物を景品にして、10円クジをやったの。 ──それでお客は来たんですか? 来たよ!これで僕には商才がある!って確信したね。 貸家の隣にあった資材置き場で商売してました(笑) ──(…凄い小学生だ) でもある日、100円玉出した子がいて、今までのお金は全部割らないといけない貯金箱だったから、 母親に両替頼んだのね。 バレて怒られて閉店(笑) ──なるほど(笑)親も子供の持ち物減っていくのが不思議だったでしょうね。 では本当の職歴をお願いします。 福岡で昼はバイク関係の仕事を。夜はファミレスで8年バイトしてました。 ──8年は長い!なのにずっとバイトだったんですか? それが新店舗作る際に、店長は自分か先輩どちらかだったんだけど、結局先輩がなり、自分は補佐になった。 でも上手くいかなくて辞めちゃった。26歳だったな。 それから鹿児島に帰って、市比野の店舗を借りて喫茶店してました。 でも田舎の喫茶店は日替わり定食出さないと、ドリンクだけじゃやっていけなくって。 毎日毎日、日替わり定食に追われる日々に疑問を抱いてました。 ──なるほど。喫茶店ということは、ここで初めて珈琲との出会いが? そう。ある日仕入れを頼んでいた大手コーヒーメーカーさんが、生豆を持ってきてくれてね。 フライパンで焙煎してみたら…美味い!おれ才能あるかも!自家焙煎珈琲をやるぞー!!と決意したんだ。 それからその大手さんに無理を言って、工場見学させてもらって。 これが大量生産だから…と侮れないのよ。プロがティスティングしてたり、拘っていて感動したんだ。 しばらくフライパンから、小型の焙煎機を使ってやってたんだけど、やはり本格的に学びたくって、東京へ。 ──は!?と、東京!?なぜいきなり!? 埼玉の親戚に頼んで居候させてもらってね(笑) だって、一番は東京でしょ?どうせ学ぶなら一番じゃないと。 あちこちの焙煎店を巡って、府中のお店に押しかけ弟子入りしました。 ──(凄い行動力だ…)よく受け入れてくれましたねェ。だって気難しい職人が多そうじゃないですか。 その方がすごくいい人だったのよー。もちろん、多少の勉強代は払ったよ(笑) 一日中貼り付いて焙煎の勉強をして、二ヶ月後に帰省。 ──いよいよ、セラフ誕生秘話ですか? そう、土地は今の場所を所有していたから、すぐ決められたんだけど… ──大通りに、いい土地持ってましたねェ。 そうでもないよ。街中から外れてるし、向う車線から右折出来ないでしょ(笑) 大丈夫かなーって迷っていた時に、定期購読していた珈琲関連の雑誌で、郊外型の店が流行っているという記事を見たんだ。 で、イケる!って(笑) ──偶然って、時に運命めいてますよねー 2001年12月。店長29歳の時、自家焙煎珈琲の店「セラフ」誕生。 夢と希望で一杯の反面、不安だった店長に、かつてお世話になった人たちは、 「大丈夫、珈琲は焙煎じゃない。人柄だ」と言ってくれたそうです。 商売は人柄という事で、それは大いにあるなーと思いました。 私が現在足繁く通うのも、店長夫婦の人柄が好きだからです。 さて、めでたく開店したセラフが現在の形になるまで、どんな歴史があったのでしょう。 ──ひじょーに失礼ながら、こんな田舎に豆買うお客居ましたか? それは!船倉(薩摩川内市の老舗)さんのお陰だね。 船倉さんが自家焙煎の知名度を上げてくれたお陰で、幸いにもお客さんは来てくれた。 それでも当初は豆25種類もあったから、売れ残り100kgくらい捨てていたよ。 ──ひゃ、100kg!?えーとアイドルが二人分くらい? そういえば、最初は種類多くて迷いましたわ。 駆け出しから好調だったんだけどね。どーんと落ちたのが、水害の年。 ──あー…あの。(平成18年7月鹿児島県北部豪雨災害) それから売り上げガクー!って落ちて。 ケーキ作る為に雇っていたパートさん3人にも辞めてもらう事になっちゃってね。 ──水害のせいで、お店何件も無くなりましたよね…。それは今でも継続中… よりによって、水害のちょい前に所帯持ってね。 羽振りが良かった頃に結婚したから、詐欺だーって思われてそうで(笑) ──ないない(笑) そういえば、ケーキが無くなった時期ありましたけど、パートさん辞めたからだったんですね。 それもあるけど、何故かケーキ屋って思われていてね…うち、珈琲屋なんだけど… ──ああ…。知人友人も、その印象があったようです… どん底に落ちて、原点に返ったわけですね。 売り上げは以前ほど上がらぬまま喫茶店を作った理由は、珈琲屋の最終形態は、喫茶店だからだそうです。 店長、勝負に出ました。 奥さんの力も借りて、ランチもスタート! 最初は本当に少なかった喫茶店のお客も、土日はランチで賑わうようになりました。 安泰かと思ったら… この先の夢はありますか? パラダイス。 ──はァ!?スナックですか? バーもしてみたいなーって。 ──大変ですよ。ね?(奥さんと目配せ) ──最後に。どんなお店にしたいですか? スタバ。 ──はァ!? 自家焙煎珈琲の店って、敷居高そうですよね。だからスタバ感覚で気軽に寄ってもらえたらな〜って。 ──ああ…ビックリした。チェーン店になるのかと… ランチのサンドも、珈琲もテイクアウトできますしね。 そういえば前から思っていたんですけど、珈琲専門店なのに、安くないですか?(本日の珈琲180円) だって、うちで作ってるし。 そういうブランドには拘らないんだ。もっと気軽に珈琲を飲んで欲しいな。 私の好きな漫画で、職人さんが言った「儲け口より稼ぎ口」というセリフを思い出しました。 お金を儲ける事よりも、商売が出来る事が大事、という意味でしょうか。 波乱万丈の店長の人生。 フリーターから20代後半で駆け足で珈琲屋に。 お話を聞いて思ったのは、何かを成し遂げる人は、行動力が違う。 これと決めた道に迷いが無いです。 日頃は、「あ〜忙しいんだって。ビリヤードしないといけないから〜(PCゲーム)」とゆるゆるな店長ですが、 ちゃんと一本筋が通った方だなーと感じました。 お忙しい中(?)楽しいインタビューをありがとうございました! インタビュー日2013.5.27 戻る |