詰め込み処


 ふわりとくゆる、さくら色







朝のひんやりとした空気。
その空気を胸に吸い込み朝日を身に浴びれば、実に清々しい朝を迎えることができるだろう。

この本丸では、既に殆どの刀剣が起床し、既に活動を始めている。
その中で、今日一日近侍として主の世話をする予定の燭台切も、彼女の部屋へと歩んでいた。


「おはよう主、今日も良い天気だよ」

燭台切が障子の向こう側に声を掛けると、その向こうからはなにやらふにゃふにゃと寝ぼけた声が返ってくる。
神格化した狐であるおなまえとはいえ、それはここ数年でのこと。
そもそもが妖狐・・・あやかしであるからか、どうも彼女は朝に弱いらしい。

今日は一段と寝ぼけているな、と燭台切は小さくため息をつく。
そして「入るよ」と一声かけてから障子をスッと開いた。


分厚い布団が、妙にこんもりと膨らんでいる。

おなまえは未だに半分夢の中にいるようで、燭台切の声にうめき声を返している。
布団のふくらみが気になった燭台切は「寝坊するのがいけないよね」と己に言い聞かせ、一息にその掛け布団をはぎ取った。


「光忠め・・・」
「わあ、何かと思ったら尻尾だったのか」

燭台切の言うとおり、布団の中で妙に膨れていたそれは、彼女のふさふさとした金色の尻尾だった。
全部で八本あるそれに、埋まるように包まれながら眠っていたようだ。

朝の冷たい空気に晒され、おなまえは目が覚めたらしい。
むっくりと起き上がり、寝癖だらけの長い金髪を手で払った。

「おはよう、主」
「光忠め」
「さっきから恨み言ばっかり言わないでよ」

庭から朝日が差し込み、おなまえの髪や毛を照らす。
光に透かされるように輝く金色が、欠伸の涙に潤んだ金の瞳が、無駄に神々しさを放つ。
まったくこの外見は心臓に悪い、と燭台切は苦笑いを零した。

「もう朝餉ができてるよ。今日は歌仙くんが作ってくれてね」
「歌仙か・・・あやつの盛り付けは美しいからのう、楽しみじゃ」
「それ、本人に言ってあげたらすごく喜ぶと思うよ」

おなまえがのそのそと布団から這い出したそばから、燭台切は手早く布団を退かしてしまう。
「後で干すからね」という言葉と共に部屋の隅へと追いやられた布団。おなまえはというと、眠っている間に尻尾の毛が絡まってしまったらしく、その毛玉を解すのに苦労しているようだ。


「む・・・取れぬ」
「あーあ、絡まっちゃってる」

さらさら、ふさふさと長い毛が密集している尻尾。いつもは指通りも滑らかなそれが、無残なまでに解れている。
ちょうどの下敷きになっていたのだろうか。

「ぬし、妾の毛を整えてはくれぬかのう」
「ブラッシングかい? オーケー、ちょっと待ってて」
「犬猫のように言うのはよさぬか」

早々に自分で毛を梳くことを諦めたおなまえが、燭台切にそう頼む。
彼もおなまえの無残な毛玉が気になっていたようで、一つ返事で頷き、部屋を飛び出していく。
自室に取り残された彼女は、愛用の柘植の櫛を手に持ったまま「あやつは何をしに行ったのだ・・・」と、働かぬ頭を捻るだけだった。



忙しげに飛び出していった燭台切は、ものの数分もしないうちに帰ってきた。
両手に櫛やらスプレー缶やら、ワックス剤やらを抱えている。
色とりどりの荷物を見たおなまえは、嫌な予感を感じながらも彼を伺った。

「お待たせ! まとめ方はどれがお好みかな。カッチリ? それともフワッと?」
「・・・一体ぬしは何を言っておる」

顔を引きつらせて問いかけるおなまえに、燭台切は至極当然といった顔つきで「整髪だけど?」とのたまう。
ブラッシングと言ってみたり、髪でもないのに整髪と言ったり、彼女の尻尾も随分な言われようである。

グリーンのプラスチックと思わしき容器を開いた燭台切は、その中身をおなまえの方へ向ける。
白いクリーム状のワックスから、今日の燭台切と全く同じ、グリーンアップルの香りが漂った。


「これを手に取って馴染ませてから、毛にこう」
「そ、そのようなねちょねちょとしたものを、妾の尻尾につけるでない!」
「でも、毛が跳ねちゃってるよ?」
「ぬしのようながびがびの毛になると言うのじゃろう!」

空の手でクリームを取るような動作をしてから、おなまえの尻尾を撫でる燭台切。
おなまえは必死の形相で燭台切の頭部を見つめ、床に広がる尻尾を自身の方へと抱き寄せる。

「がびがびって、酷いなぁ」
「よいと言っておろうに! 触れるでない! しっしっ!」

普段の彼女からは想像できないほど、必死だ。
そんなおなまえの反応を楽しんでいる節があるのだろう、燭台切は非常に楽しそうな笑顔を浮かべている。

決死の攻防を繰り広げていたおなまえのもとに、一人の救世主が現れる。


「・・・何をしているんです?」

桃色の髪を気だるげに流した、細身の青年。
彼もまた燭台切と同じ刀剣男士である、宗三左文字だ。

朝から朝食の席にも出ず、自室でぎゃあぎゃあと騒いでいる二人を、宗三は怪訝な顔つきで覗いていた。


「宗三! この阿呆を追い払ってはくれまいか、妾の尻尾にねちょねちょしたものを付けるつもりらしい」
「ねちょねちょ?」
「ただのヘアワックスだよ」

何を嫌がっているのか、と白々しい顔をしながら燭台切は首を振る。
宗三は何となく、今までの光景が目に浮かんだのだろう。呆れ顔で燭台切を見つめ、額に手を当てていた。

「妾の尻尾はヘアでもないし、ワックスなど使わぬと言っておろうに。ええい、ぬしはもうよい、遠征部隊にでも入っておれ!」


尻尾にワックスを付けられるのが余程嫌だったのだろう。
阿呆呼ばわりした上で、近侍から外し、遠征部隊への編成を命じている。
燭台切はというと、彼は彼で気が済んだらしく「はいはい」と大人しく指示に従っていた。

部屋を立ち去る間際、宗三にだけ聞こえる声で「からかいすぎちゃったな」と呟いていたようだが、当の宗三は何を返すでもなく、ただため息をついている。



おなまえの尻尾の毛玉をなんとか取り除いた宗三。
続いて彼に掛けられたのは、なんとも予想通りの一言だった。

「ぬし、近侍は務められるか?」

一日近侍をつとめる予定であった燭台切が遠征部隊に飛ばされたのだから、そうなることは必然だ。
更に言えば、本来遠征部隊に所属していた宗三左文字がここに居る。

このまま二人の役目を交代してしまうのが、一番手っ取り早い。

「僕ですか? ええ、一応ひと通りは」
「ならば、本日はぬしが近侍をつとめよ」

そう命じられることが容易く予想できていたのだろう、宗三は「はい」と一つ返事で頷いた。











それから、数刻。

他の者よりも大分遅い朝餉を取り終えたおなまえは、少ない執務をだらだらとこなした。
なんでも政府の者に相当ゴネて、出来る限りの書面はこちらで作成するので、署名捺印だけ。という程の仕事量まで抑えさせたらしい。

カリスマ性や戦の采配に関しては申し分ないと言うのに、やはり人間に使われるつもりは無いようだ。


時間をたっぷり使い、庭を眺めながら、お茶を飲み、茶菓子を摘まみながらようやくひと段落ついたころ。
今まで黙っていた宗三が、ふと思い出したかのように問いかける。


「何故、僕だったんです? 近侍なら他の誰でも良かったと思いますが」

成り行きでこうなったとはいえ、本丸にはもっと近侍に向いている者が数人居るというのも事実。
あの長谷部も、最古参の山姥切も居ると言うのに、何故自分だったのか。
僕はこういった仕事に向いているとは思えない、と彼は小さくつぶやく。


「誰でも良いならば、ぬしでも良かろう?」
「まぁ、それはそうなんですけどね」

玉藻の返しに、宗三はもっともだ、と口を閉じる。
その沈黙で、いつぞやの長谷部を思い出したおなまえが横目で宗三を見ながら言う。

「嫌ならば先程申せば良いであろうに」
「嫌という訳では・・・ただ、貴方が僕を侍らせるおつもりなのかと」

少々言いづらそうに、ぼそりと付け足されたその言葉。
おなまえは両目をぱっちりと開き、数秒間考えた後に「侍らせる? ぬしを?」と繰り返した。


「ほほほ、それは何とも新鮮な心地だのう」
「新鮮、ですか」

今度は宗三が目を見開く番だった。
彼女の反応が思っていたものと違っていたようで、彼はその一挙一動を興味深そうに見つめていた。


「妾は昔から侍る側であったからのう。確かに、ぬしのように美しき男を侍らせるのも悪くは無い・・・が、やはり妾は男には抱かれる方が好きじゃな」

あまりにも明け透けな物言いに、宗三はついに口までぽっかりと半開きにしてしまう。

「そういうものなんですか」
「そういうものじゃ。己よりも大きく逞しき体に、こう、ゆるりと包まれる心地はたまらぬ。ぎゅうぎゅうと抱きつかれるのも嫌いではない」

遠い昔に愛した男を思い出しているのか、玉藻の瞳には慈愛と幸福がじわりと浮かんでいた。
彼女のこんな顔をさせるなんて、一体どれほど良い男なのだろうか。

知識としてしか恋情を知らぬ彼は、おなまえが愛した男を想像することも出来なかった。


「不思議なことにのう、時折、ぴったりと身体が合う男がおるのじゃ。肌と肌を合わせるだけで、その者と一つになったかのように思える相手がのう」
「出会ったことがあるんですか、そんな人に」
「あるとも。そんな男と触れ合い、言葉を交わさずとも、相手が何を思うておるかが自然と分かる。そんな刹那の時が何よりも好きでな」

庭から見える空を眺めながら、彼女は幸せそうに微笑んだ。
宗三はそんな彼女の表情を見つめて、もし自分が恋心を抱くのならば、このおなまえのように美しい人がいい、とぼんやり思った。


「ああ、近侍をぬしにした理由だったな・・・ぬしから良き香りがしたからじゃ。上等な香だのう」

突然戻って行った話題に、宗三は数秒遅れで反応する。
彼女の言う「香り」に心当たりがあったようで、自身の着物を見ながら返答した。

「香・・・ええ、着物に焚き染めているので、その香りでしょうね」
「実に妾好みじゃ。今度分けておくれ」

宗三の使っている白檀の香をいたく気に入ったらしきおなまえが、彼の顔を見ながら笑う。
彼もまた、その申し出に嫌な気持ちはしないらしく、ふわりと頬を緩ませて「ええ、勿論」と答えた。


長谷部の時とも、三日月の時とも違った、静かな部屋の中。
だが、その部屋では確実に、二人の空気が最初よりもずっと柔らかいものへと変わっていた。















「ぬしさま、小狐丸でございます」


静かな部屋に響く、硬質な男の声。
第三部隊の隊長に据えられて、戦場へと赴いていた小狐丸だ。

朝出発していった彼らが、漸く帰還したのだろう。

おなまえが「ああ」と返事をすると、それ以上何も言わずとも障子を開きに行く宗三。
彼はこういった細やかな判断が得意らしく、それはそれで近侍に向いているとも言える。


開かれた障子の向こうに座する、白髪と赤い瞳の男。
彼はにっこりと目を細め、大げさなまでに恭しく頭を下げた。


「第三部隊、帰還いたしました」
「よう戻ったな。怪我人はおるかのう」
「いえ。戦果も上々といったところでございましょうか、何も問題はありませぬ」
「さようか、大義であった」

小狐丸はそれだけ報告をすると「では」と素っ気なく立ち上がった。


黙って様子を見ていた宗三は、以前の小狐丸との違いに首を傾げる。
以前はもっと、尻尾を振りたくる大型犬のようであったと記憶していたが、今の彼はまるでツンとした猫。

宗三の胸中で浮かんだ疑問に応えるように、おなまえはぽつりとつぶやく。


「やつも、へし切長谷部と同じ類であったか」
「長谷部と・・・?」
「ほほほ、審神者というのも、中々に難儀であるなぁ」

難儀である。と言ったわりに楽しげなおなまえ。
彼女の目は、小狐丸が最後に残した、ギラギラとした赤い視線を逃さず捉えていたようだ。


宗三ですら見逃すほどの、僅かな瞬間の赤は、確かにおなまえの金の目を射抜いていた。






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